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 フーダニット翻訳倶楽部のブログです。倶楽部からのお知らせ、新刊情報などを紹介します。  トラックバックとコメントは今のところできません。ご了承ください。  ご連絡は trans_whod☆yahoo(メール送信の際に☆の部分を@に変更してください)まで。お返事遅くなるかもしれませんが、あしからずご了承ください。お急ぎの方はTwitter @usagido まで。
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             月刊 海外ミステリ通信
          第8号 2002年4月号(毎月15日配信)
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★今月号の内容★
〈特集〉        2002年MWA賞最優秀処女長篇賞ノミネート作全レビュー
〈翻訳家インタビュー〉 大嶌双恵さん
〈注目の邦訳新刊〉   『雪の死神』
〈ミステリ雑学〉    スパイになった大リーガー
〈スタンダードな1冊〉 『警察署長』


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 ■特集 ―― 2002年MWA賞最優秀処女長篇賞ノミネート作全レビュー

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 今回の特集は、5月2日に行われるMWA(アメリカ探偵作家クラブ)賞受賞式に
先立ち、将来が期待される処女長篇賞にノミネートされた5つの作品を紹介する。

 1945年にミステリの普及とミステリ作家の地位向上などを目的として設立されたM
WAが、その一環として1946年に設けたのがエドガー賞だ。この賞はミステリ関係の
賞としては一番古く、現在ではもっとも影響力を持つ賞となっている。最優秀賞受賞
者には、ミステリの祖であるエドガー・アラン・ポーの胸像が贈られる。MWAが贈
る賞としてはエドガー賞が有名だが、他にも巨匠賞やエラリー・クイーン賞などがあ
り、それらの賞を全部まとめてMWA賞と呼ばれることも多い。

 処女長篇部門はエドガー賞の第1回から設けられている賞である。最優秀処女長篇
賞を受賞しその後活躍している作家は多く、90年代に入ってからの受賞者には〈検屍
官シリーズ〉(講談社)のパトリシア・コーンウェル、〈ボッシュ・シリーズ〉(扶
桑社)のマイクル・コナリー、〈捜査官ケイト・シリーズ〉(集英社)のローリー・
キングなどがいる。
 ここ2年は、『頭蓋骨のマントラ』(早川書房)のチベット、『紙の迷宮』(早川
書房)の18世紀初頭のイギリスと、アメリカが舞台ではない作品が選ばれていた。だ
が今年のノミネート作は、5作品すべてが現代のアメリカが舞台であり、多かれ少な
かれアメリカ社会の暗部を描き出している。いずれもノミネート作にふさわしい力作
のようだが、果たして受賞するのはどの作品か、5月2日の発表を待ちたい。
                              (かげやまみほ)

                  ●

"OPEN SEASON" by C. J. Box
Putnam/2001.07.05/ISBN: 0399147489

《誇り高き狩猟監督官の選択》

 わたしたちは日常的にさまざまな選択を繰り返している。そうした選択の積み重ね
が人生の質を決めるのだと、新人狩猟監督官のジョー・ピケットが教えてくれる。

 ジョーは過疎化が進むワイオミング州サドルストリング地区に赴任した。山中の柵
の修理や密猟の取り締まりといった職務にまじめにはげんでいるが、融通がきかない
ために人間関係での衝突が多い。なかば伝説と化した前任者となにかにつけて比べら
れ、ぱっとしない毎日を送っている。ぱっとしないのは年俸も同じで、妻とふたりの
娘を養うのは一苦労だ。ところが、監督官宿舎で死体が発見される事件が起こり、ジ
ョーの人生は転機を迎える。事件に絡んだ山での銃撃戦で名を挙げ、ある仕事のオフ
ァーを受けたのだ。年俸はいまの3倍。転職すれば家族に楽をさせてやることが可能
だが、監督官はおさないころからの憧れの職で、今回の事件に気がかりな点も残って
いる。ジョーの取るべき道は――。

 自分の身の振り方だけでなく、さらに大きな社会問題についても選択を迫られる監
督官を描いたサスペンス。ひとり正義を貫く男はミステリで頻繁に用いられるモチー
フだが、「ひとり」をバックアップする家族の存在の描写が白眉。それぞれが自律す
る夫婦のあいだの距離感が好ましかった。狩猟監督官に関する情報が新鮮でシリーズ
化も決定している。もうひとひねり欲しい箇所もあるが、魅力はじゅうぶん、有力候
補のひとつではないだろうか。さて、MWAの選択はいかに?
                                (三角和代)
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"RED HOOK" by Gabriel Cohen
Thomas Dunne Books/2001/ISBN: 0312274580

《無残な他殺死体が思い出させたものは……。ハードボイルドに期待の新人登場》

 ニューヨーク市警のベテラン刑事ジャック・レイトナーは、ブルックリン・サウス
殺人特捜班に配属されてから12年になる。数え切れないほどの死体を目にしてきたこ
とで、いたましい姿の被害者を前にしても、プロとして冷静な態度を保つだけのキャ
リアは積んできたはずだった。だが、生まれ育ったレッド・フックの運河沿いで若い
男の遺体を調べていたとき、彼は突然吐き気を催すほどの激しい動揺に襲われる。
 なぜその被害者だけが特別なのか。なにかに突き動かされるように、ジャックはそ
の殺人事件の捜査にのめり込んでいく。それは、両親や別れた妻にも決して語ること
のできなかった少年時代の暗い記憶を呼び覚まし、忘れてしまいたい過去と対峙する
ことを意味していた。刑事としてのキャリアや自分の命を賭してまで、彼を事件解決
に駆り立てたものとはなんだったのか。そしてすべてが明らかになったとき、封印し
ていた過去を清算することはできるのか――。

 ニューヨーク湾に突き出すように、ブルックリン北部に位置するレッド・フック。
現在は犯罪多発地帯として恐れられているこの一帯も、波止場がすたれる以前は1万
人以上の港湾労働者とその家族が生活する活気にあふれた街だったという。本書はス
ピード感のある展開で読者を引っ張っていく優れたミステリであると同時に、ひとつ
の街の栄枯盛衰を描いた作品でもある。著者はデビュー作とは思えないほど卓越した
筆致で人物や情景を生き生きと描き出し、人間の内面と実在の街を鮮やかに表現する
ことに成功している。背景となる8月の熱気すら感じさせるこの作品が新人賞にノミ
ネートされたのも当然と言えるだろう。
                                (中西和美)
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"LINE OF VISION" by David Ellis
Putnam Pub Group/2001.02/ISBN: 0399147071

《人妻との甘美な不倫、はたしてその代償は?》

 若きエリート投資銀行行員、マーティ・カリシュには、地元名士の妻、レイチェル
との不倫という秘密があった。そして毎木曜の夜、レイチェルは彼のためにだけ窓越
しに甘美なストリップショーを演じてくれる。ところが今夜マーティがそこに見たも
のは、夫の暴力に怯えるレイチェルの姿だった。逆上したマーティは、愛するレイチ
ェルを守ろうとガラス窓を叩き割って家の中に侵入する。夜の静寂に響き渡る2発の
銃声――。あとにはレイチェルの夫の死体を遺棄し、鉄壁のアリバイ作りに奔走する
マーティの姿があった。
 後日捜査の手が伸び容疑者となったマーティは、自分が殺ったと自供する。だがそ
の様子はなにかをひた隠しているようなのだ……。かくして迎える裁判のとき。死刑
が求刑される中、最高の弁護士を味方に得たマーティは自供を撤回し無罪を主張。果
たして、あの晩一体なにが起きたのか。そして今、マーティでさえも知らなかった驚
愕の真実が明らかになる。
 本書は自分の才覚で窮地を脱した男の物語だ。才気溢れ、ときに内省的な主人公マ
ーティの行動には全編を通して不可解な部分が多い。おまけに全く先の読めない二転
三転するプロットに、読者は一体どういうことかと思わずページを繰り続けることに
なる。そして大団円でそれまでの謎が明確に1つの形を成したとき、作者の筆さばき
に「うまい!」と脱帽するにちがいない。また、さすがに現役弁護士作家の手による
ものだけあり、中盤からの丁丁発止と渡りあう法廷シーンはR・N・パタースンばり
に読ませる。リーガルもの好きには楽しみな、将来を十分期待させる新人作家の登場
だ。
                               (宇野百合枝)
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"GUN MONKEYS" by Victor Gishler
UglyTown/2001.12/ISBN: 0966347366

《復讐か逃亡か、律儀な殺し屋が選んだ道は?》

 オーランドを牛耳るギャングのスタンは81歳になる。ディズニーで急成長した街に
昔風のやり方では追いつかないと、スタンの地位を狙うのはマイアミにテリトリーを
持つベガーだ。今回は、この街に来ている自分の子分を始末し、持ち出したブリーフ
ケースを取り戻してほしいと強引にスタンに頼んできた。
 その仕事を割り当てられたチャーリーは、腕のいい殺し屋だ。ボスのスタンを敬い、
母親と歳の離れた弟を大事にしている律儀な中年男でもある。指示に従いストリップ
バーを襲ったチャーリーはブリーフケースを奪ったが、殺した中にFBI捜査官が混
じっていたのに気づく。裏があると感じ、彼はケースに入っていた帳簿を隠す。翌日、
スタンの店が襲われ、チャーリーの仲間が殺された。しかもスタンの行方がわからな
い。ベガーの仕業か。FBIも帳簿の行方を追っている。このまま街から姿を消すの
が最善の策とは知りつつ、チャーリーはスタンを見捨てられらない。
 殺し屋が主人公のハードボイルド。冒頭からトランクに入った首のない死体が出て
くる。その後も、物語が進むにつれて死体の数が増えていく。仲間のための復讐とボ
スの救出をめざし、ひとり組織に立ち向かう男というプロットなのだが、後半ちょっ
と皮肉なひとひねりが用意されている。

 主人公の殺し屋が腕はいいのに、人情味溢れる男で、そのギャップがいい。恋人も、
なかなか現実的で、いきいきと行動しチャーミング、剥製製作が職業というのも目新
しい。乾いたユーモアが随所に散りばめられ、陰惨な印象が残らず、読後感は悪くな
い。作者は大学で創作を教えているとあり、抑制のきいた文章に好感が持てる作品だ。
                               (小佐田愛子)
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"THE JASMINE TRADE" by Denise Hamilton
Scribner/2001/ISBN: 074321269X

《移民の若者たちが見た、アメリカの夢と現実》

 ショッピング・モールの駐車場で、17歳の少女マリーナ・ルーが射殺される。彼女
は香港からの移民で、結婚を控えていた。ロサンゼルス・タイムズの記者イヴ・ダイ
アモンドは、この事件が読者の関心をひくと考え、マリーナや事件についての取材を
はじめる。そして取材中に偶然マリーナの日記を手に入れる。そこにはマリーナが婚
約者の行動に疑問を感じて悩み、尾行までしていたことが書かれてあった。また別の
取材で知った中国系マフィアによる大規模な売春組織と、マリーナの事件が繋がって
いるのではないかと思わせる証言も出てくる。マリーナは本当に無差別な犯罪の被害
者だったのだろうか。真実を求めて、イヴは突き進んでいく。

 ストーリーは斬新とはいえないが、事件の関係者やイヴが取材をする人たちのほと
んどがアジア系であるのと、アジア系移民の若者たちが抱える問題などをリアルに描
いているのが新鮮だ。またマリーナの事件の他にも色々と取材に出かけるイヴだが、
それが少しずつマリーナの事件と絡んでくるのも主人公の職業が新聞記者ならではの
展開といえる。イヴの過去や私生活が語られ、ちょっとしたロマンスもあり、最後に
緊張感のある場面も用意されて、充分読み応えがある。最優秀賞受賞も充分ありえる
優れたエンタテインメント作品だ。
 作者のデニス・ハミルトンは、元ロサンゼルス・タイムズの記者で現在はフリーの
ジャーナリストとして活動している。作品になりそうなネタのストックは充分あるそ
うなので、しばらくはイヴの活躍が期待できそうだ。
                              (かげやまみほ)

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 ■翻訳家インタビュー ―― 大嶌双恵さん

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 今月は地方在住というハンデをのりこえ、順調に訳書を出されている大嶌双恵さん
にお話をうかがいます。
+―――――――――――――――――――――――――――――――――+
|《大嶌双恵(おおしま ふたえ)さん》1960年北海道生まれ。京都女子短期大学
|英語科卒。2001年に『死ぬには、もってこいの日。』(ジム・ハリスン/柏艪
|舎)で翻訳家としてデビュー。今年2月には2冊目の訳書『殺人者は蜜蜂をおく
|る』(ジュリー・パーソンズ/扶桑社ミステリー)が出版された。北海道在住。
+―――――――――――――――――――――――――――――――――+
――はじめての訳書が出るまでの経緯をお聞かせください。
「もともと英語に携わる仕事がしたかったのに、それを果たせぬまま家庭に入ってし
まったものですから、ずっと心残りだったんです。あるときなにげなく始めた翻訳の
通信講座が思った以上に楽しくてのめりこみました。しまいには勉強の合間に子育て
をするという感じになっていました。4年ほど前、地元の北海道にできた翻訳学校に
入り、講師である翻訳家の方から下訳の仕事をいただくようになると、ますます翻訳
が楽しくなってきました。このままずっと下訳者でもいいと思ってたんですよ。ミス
テリ、生物兵器のノンフィクション、ギャングの自伝など、5作ほどやらせていただ
いたのち、ジム・ハリスンの『死ぬには、もってこいの日。』でデビューしました」

――これまで2冊を訳されていますが、訳す上でご苦労された点などありますか?
「ジム・ハリスンの文は硬質で含蓄があり、訳すのに普段の3倍は時間がかかったと
思います。あまりくだけすぎると、原文の味わいを損ねてしまう。でも硬すぎては、
読みづらい文章になってしまって……。そのへんのバランスがいちばん苦慮したとこ
ろです。『殺人者は蜜蜂をおくる』のジュリー・パーソンズの場合は、下訳者として
すでに一度出会っていましたから、アイルランドという舞台には違和感なく入ってい
けました。訳すにあたっては虫の生態をずいぶん調べました。ショウジョウバエの研
究家という方にメールでお尋ねしたこともあります」

――地方在住ということでいろいろとハンデもおありだったと思いますが?
「勉強を始めたばかりのころは、今のようにインターネットなども一般的ではなく、
翻訳家になるなんて無理だと思っていました。東京の翻訳学校のサマーセミナーで、
講師の先生に『地方ではむずかしい』と言われたこともあります。一生、趣味でもい
いやと思いましたね。いまは、出版社とのやりとりも原稿の納品も、メールでできる
ようになり、地方在住のハンデはだいぶなくなったと思います」

――お好きなミステリ作家は?
「ジェイムズ・エルロイです。血なまぐさくて残酷で、どうしようもなく暗い世界で
すが、登場人物がしっかりと描かれているところに惹かれるのかもしれません。純文
学に近い読後感を覚えたこともあります」

――これからのご予定をおきかせください。
「5月に柏艪舎からジム・ハリスンの『蛍に、照らされた女。』が出る予定です。中
年男女のさまざまな形の恋愛を描いた3作の中篇集です。湖に沈むインディアンの酋
長の遺体を引きあげたことから人生の道筋がずれてしまった40代の男の話。若き日に
反戦運動に夢中になった4人の中年男女が、投獄されているかつての仲間を救うため
に、20年ぶりに再会する話。離婚を決意し、ドライブの途中に夫の車から逃げ出した
50代の女性のモノローグ。どれも味わい深い作品です。順番が前後しますが、4月下
旬には、理論社からアン・ブラッシェアーズという新人作家の『トラベリング・パン
ツ』が出ます。ヤングアダルト向けの小説で、不思議なジーンズが起こす奇跡の物語
です。こちらはうって変わって、若い少女たちの可愛らしいラブストーリーです」

――大嶌さんにとって翻訳の魅力とはなんですか?
「原著者の創り出したテキストを、一度自分の中に取り込んでオリジナルな日本語に
する。責任重大なことでもありますが、これが魅力だと思います。ぴたりとはまる日
本語がひらめいたときの快感がたまりません。英語への興味から入った翻訳の世界で
すが、いまは日本語のリズム、言葉の響きにこだわるのがすごく楽しいんです」
                         (取材・構成 山本さやか)

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 ■注目の邦訳新刊レビュー ――『雪の死神』

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『雪の死神』 "LA MORT DES NEIGES"
 ブリジット・オベール/香川由利子訳
 ハヤカワ・ミステリ文庫/2002.02.15発行 840円(税別)
 ISBN: 4151708073

《連続猟奇殺人鬼の正体は? 車椅子探偵エリーズが挑む》

 エリーズ・アンドリオリ、38歳。全身麻痺の美女。爆弾テロに遭った彼女は一瞬に
して全身の機能を失った。目も見えず、口もきけない。他人とのコミュニケーション
の手段は、唯一残った耳と、かろうじて動かせる左手での「筆談」だけだ。
 ある日、エリーズはヴォールと名のる男から偏執愛めいた不気味な手紙を受け取っ
た。ほどなく雪山のスキー場に出かけた彼女は、何者かにステーキ肉をプレゼントさ
れる。折しも、麓の町では若い美人が襲われる猟奇殺人が起きていた……。

『マーチ博士の4人の息子』で世間を驚嘆させたオベールの傑作『森の死神』の続編
だ。前作のサイコサスペンス調の本格推理にホラー色が加味された。人里離れた雪山
の障害者施設を舞台にくりひろげられる猟奇殺人劇。強烈なオベール色が漂う。
 全身麻痺で車椅子の主人公エリーズは、今回は異常ストーカーの連続殺人鬼に脅か
される。被害者の死体の一部をプレゼントされ、ダーツの標的にされ、身体に触れら
れても、文字どおり手も足も出ない。状況は前作よりさらに過酷だ。なにもそこまで
しなくても、とつい同情もしたくなる。しかし、満身創痍になりながらも頭脳を駆使
し、犯人に果敢に立ち向かってゆくエリーズの姿は、まさに「ミステリ史上もっとも
非力で最強にしぶといヒロイン」(あとがきより)にふさわしい。殺人鬼の正体をめ
ぐっての犯人との頭脳ゲーム、そしてホラーアクション映画さながらのシーンは単な
る安楽椅子探偵ものにはない迫力だ。読み応え十分。
 さらに、エリーズの“耳”がとらえた音と会話だけで進んでゆく、一人称の語り口
も堪能したい。他の作品にも共通していえるが、ストーリーテラーとしてのオベール
の才能は見事だ。作者の掌で踊らされつつ、いつしか作品の魅力にハメられてしまう。
本書ではなんと、オベール自身が事件の鍵を握る人物として登場するという仕掛けも
こらされている。楽しみだ。
 さて、真相だが、凄い。仰天である。これをどう読むかで本書の感想は大きく分か
れるだろう。いかにもオベールらしいこのラスト、あなたならどう評価します?
                               (山田亜樹子)

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 ■ミステリ雑学 ―― スパイになった大リーガー

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 自分の天職がなんであるかはわからなかったが、いまだに天職につきそこねたよう
な感じにとらわれていた。
   (『ストライク・スリーで殺される』
       リチャード・ローゼン/永井淳訳/ハヤカワ・ミステリ文庫 p.49)
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 4月は野球ファンにとって、心躍る季節である。日米でプロ野球が開幕し、ひいき
の選手やチームの活躍に思うぞんぶん期待を込められるからだ。今月は球春到来にち
なみ、かつて大リーグにいたひとりのミステリアスな選手を取りあげよう。
『ストライク・スリーで殺される』は、架空の大リーグ・チームで起きた殺人事件の
犯人を、被害者と親しかったチームの主軸打者ハーヴェイが追うというストーリー。
ハーヴェイは米国史の研究書を読むのが趣味という学究肌で、チームメイトから「教
授」というあだ名で呼ばれる。このハーヴェイ以上に「教授」そのものという選手が、
実在の大リーグ選手、モリス(モー)・バーグ(Morris Berg)だ。
 1902年生まれのバーグはプリンストン大学で言語学を専攻し、フランス語やドイツ
語からサンスクリット語まで、十数か国語に通じるという言語の達人だった。大学で
野球チームに所属していたことから、1923年に卒業するとブルックリン・ドジャース
に捕手として入団、その後はレッドソックスなど数チームを渡り歩いた。野球選手に
は不似合いなほどの広範な知識は、しばしばスポーツ記者の話のたねになった。
 引退したバーグは1942年に、アメリカが中南米諸国の動向を探るために設立したO
IAA(アメリカ大陸諸国間事務所)で働き、翌年には大統領直属の情報機関で後年
CIAに改組されるOSS(Office of Strategic Services、戦略事務局。戦略情報
局とも)に移る。ドイツの核兵器研究の進捗状況を探るのがおもな任務で、イタリア、
スイス、ドイツなどに潜伏し、著名な科学者の身辺を観察したり、親しく言葉をかわ
したりした。1944年末にはドイツの物理学者ハイゼンベルクの講演会に聴講者として
出席し、講演終了後に肩を並べて歩きながら質問をして探りを入れた。このとき、ド
イツの核爆弾開発が完成に近づいているという証拠が得られたなら、すぐにハイゼン
ベルクを殺すように命じられていたというが、その命令を実行することはなかった。
 言語学者で、野球選手で、スパイ。この3つの役割を次々にこなしていったバーグ
は不思議な人物である。終生独身で、人当たりはよいが他人と深い関係を築くことが
なく、ひとりで行動することを好んだという性格はいかにもスパイ向きだ。一方で選
手時代は、試合前に大学や図書館へ足を運んで熱心に本を読み、OSSを引退した後
は野球場で観戦する姿がたびたび見られたという。3分野のいずれでも表立った成果
を残すことはなかったが、言語と野球への情熱はいつも衰えなかったらしい。
 バーグは戦前に日本を2度訪れており、1934年には日米野球に出場する米国代表チ
ームの一員として、ベーブ・ルースらとともに来日した。日本を大いに気に入ったバ
ーグは、帰国後も日本の思い出をよく語っていたという。バーグの遺品のうち日本に
ゆかりのあるものは、現在、東京ドーム内にある野球体育博物館におさめられている。
また、ニューヨーク・タイムズ紙に掲載されたバーグの死亡記事を、Web上で読むこ
とができる。(http://thedeadballera.crosswinds.net/Obits/BergMoesObit.html)
                                (影谷 陽)

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■スタンダードな1冊 ―― アメリカの良心、ここにあり

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『警察署長』(上・下)(スチュアート・ウッズ/真野明裕訳/ハヤカワNV文庫)
 "CHIEFS" by Stuart C. Woods

 ディープ・サウス、ジョージア州の町デラノ。南北戦争が終わってもまだ黒人差別
が根強く残るこの町に、第1次世界大戦後の1919年警察署長が置かれることになった。
農民出身のウィル・ヘンリー・リーは、地元の厚い信任を受け、助手なしで任務をこ
なすことに。しかしその就任に際し、リーはある人物の恨みを買っていた。
 1920年のある朝、新聞配達の少年が若い男性の変死体を見つける。検屍結果は警察
関係者が犯人である可能性を示していた。リーはひとりの人物に思い当たり、近隣で
消息が途絶えた行方不明者は彼に殺されたとの仮定のもとで捜査をする。1927年、新
たな手がかりをつかんだリーは、夢中でそれを郡保安官に知らせようとしていた。そ
のときリーは思わぬトラブルに巻き込まれ、捜査は戦後まで中断される。戦後、行方
不明者の捜査は署長サニー・バッツに、1960年代には署長タッカー・ワッツに引き継
がれる。

 1982年にMWA賞最優秀処女長篇賞を受賞したこの作品には、昔から変わらぬアメ
リカの良心が見える。わたしはハリウッド的二元論が苦手なひとりだが、それとは対
照的な筆致で、善良な人々が身の危険や保身のために苦悩しながら前進してゆくさま
が、見事に描かれている。善人=パーフェクトな人間でないのが人間くさくて良い。
南部では隣人と何世代も共存するため、隣人を告発する難しさもよく伝わってくる。
 また、警察署長が3人替わっても犯人を挙げられない難事件というプロットも非常
にユニークだ。しかし、アメリカでの行方不明者が2000年の届け出ベースで876,213
人(FBI調べ)、1982年からの増加比は468%だということを考えると、現在では
ありえない話ではないのかもしれない。
 事件のスケールの大きさに加え、ドラマチックなアメリカの政治や歴史も体感でき
るという点で読み応えがある。南部に公民権運動が到来する60年代には特に臨場感が
あり、先月号の「ミステリ雑学」も読むと背景がよく分かる。歴史が転換点を迎える
とき事件の行方はどうなるのか。

 著者のウッズはジョージア州出身、カーター大統領の選挙運動に関わり、1300マイ
ルの大西洋横断航海をした経験を持つ。リー署長の孫ウィルが活躍する作品には『風
に乗って』、『潜行』、"THE RUN"、『草の根』などがある。
 なお、『警察署長』はドラマ化され、1985年にNHKでも放送された。チャールト
ン・ヘストンなどが出演。ビデオも発売されている。
                                (大越博子)

―――――――――――――――――――――――――――――――――
■編集後記■
 日中の暖かい日差しに、ついうとうとしてしまいますが、眠気を吹き飛ばすような
おもしろい本に出会ったときの喜びは格別。来月号は、そんな作品を世に送り出して
くれる作家のひとり、当倶楽部でも人気のハーラン・コーベンを特集します。(片)


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 海外ミステリ通信 第8号 2002年4月号
 発 行:フーダニット翻訳倶楽部
 発行人:うさぎ堂 (フーダニット翻訳倶楽部 会長)
 編集人:片山奈緒美
 企 画:板村英樹、宇野百合枝、大越博子、影谷 陽、かげやまみほ、
     小佐田愛子、中西和美、松本依子、水島和美、三角和代、
     山田亜樹子、山本さやか
 協 力:@nifty 文芸翻訳フォーラム
     小野仙内
 本メルマガへのご意見・ご感想 : whodmag@office-ono.com
 フーダニット翻訳倶楽部の連絡先: whodunit@mba.nifty.ne.jp
 http://www.nifty.ne.jp/forum/flitrans/whodunit/index.htm
 配信申し込み・解除/バックナンバー:
 http://www.nifty.ne.jp/forum/flitrans/whodunit/magazine/index.htm

 ■無断複製・転載を固く禁じます。(C) 2002 Whodunit Honyaku-Club
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             月刊 海外ミステリ通信
          第7号 2002年3月号(毎月15日配信)
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★今月号の内容★
〈特集〉        クッキング・ミステリ
〈翻訳家インタビュー〉 匝瑳玲子さん
〈注目の邦訳新刊〉   『雨の牙』
〈ミステリ雑学〉    アメリカ公民権運動の落とし子
〈スタンダードな1冊〉 『納骨堂の奥に』
〈速報〉        アガサ賞ノミネート作品発表

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 ■特集 ―― クッキング・ミステリ

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 さまざまな食のプロたちが登場するクッキング・ミステリは、次々に新作が紹介さ
れる人気ジャンルです。日本でもダイアン・デヴィッドソン、キャサリン・H・ペイ
ジのシリーズなどが紹介され好評を博していますが、このジャンルには日本未紹介の
作品が数多く眠っています。今回の特集では、そうした作品からレシピつきの3点を
取りあげました。著作権の関係でレシピをそのまま載せることはできませんが、どう
ぞこの雰囲気を味わってくださいませ。
                                (三角和代)

                  前 菜
                   ̄ ̄ ̄
        ルー・ジェーン・テンプル~ユニークな無国籍料理

 "DEATH BY RHUBARB" by Lou Jane Temple
  St. Martin's Paperbacks/1996.08/ISBN: 0312958919

 ミズーリ州カンザス・シティの中心街に、トレンディなレストラン〈カフェ・ヘヴ
ン〉がある。既成概念にとらわれず、さまざまな国の料理をうまくミックスしたオリ
ジナリティあふれるメニューが評判の店だ。"DEATH BY RHUBARB" は〈カフェ・ヘヴ
ン〉のオーナー・シェフ、ヘヴン・リーを主人公に据えたシリーズの第1作である。

 5月の月曜日、〈カフェ・ヘヴン〉で食事客が急死した。死んだのは弁護士のター
シャ。ヘヴンの最初の夫サンディが最近つきあっている相手だ。ターシャの体内から
大量のニコチンが検出され、警察は殺人事件として捜査を開始する。そこへ、〈カフ
ェ・ヘヴン〉に納入されたサラダ用野菜に、毒性のある野菜が混入する事件も起こり、
店は閉店の危機に追いこまれる。ヘヴンは窮地を打開すべくみずから犯人探しに乗り
出す。
 しろうと探偵というと、やみくもにつつきまわって警察の捜査を台無しにし、あげ
くの果てはみずからを危険にさらして周囲に迷惑をかけるものと思われがちだが、ヘ
ヴン・リーはひと味ちがう。元弁護士という経歴を生かし、関係者からじっくり話を
聞き、冷静に調査を進めていく。従業員や隣人や友人など周囲の人々が、ヘヴンをけ
んめいに支え、もりたてようとする姿にも好感が持てる。
 ヘヴンは5回の結婚と離婚をへていまは独身。若いころのちょっとした過ちで法曹
界を追われ、一時はストリッパーをしていたという過去を持つ。大学生になる娘がい
るといえば、おおよその年齢は察しがつくだろう。現在は20歳以上も年下の医者の卵、
ハンクとつきあっている。第三者から見ればなんともうらやましいかぎりだが、真剣
に相手を思うがゆえに、ふたりの年齢差に引っかかりを感じているようだ。

 さて、「クッキング・ミステリ」と銘打つからには、紹介される料理も魅力的でな
ければ読者は満足しない。さすがにレストランのオーナー・シェフが主役だけあって、
前菜、サラダ、スープにメイン料理、おまけにデザートまで、おいしそうなレシピが
ずらりと並んでいる。その中から前菜がわりの3品をご紹介しよう。

+―――――――――――――――――――――――――――――――――+
|           ◆◆ブルー・ヘヴン・サラダ◆◆
|ちぎったレタスを皿に盛り、細かく刻んだブルーチーズ、オリーブオイルで軽く
|揚げたペカンナッツを飾る。ラズベリー、ラズベリー・ビネガー、蜂蜜、オリー
|ブオイルを合わせたドレッシングをかけて供する。

|            ◆◆クズイモのサラダ◆◆
|クズイモはすりおろすかスライスし、セロリの茎の薄切り、ペカンナッツ、種を
|とったぶどう、皮を剥いてカットしたオレンジと合わせる。蜂蜜とライム・ジュ
|ースで味つけしたプレーン・ヨーグルトで和える。

|          ◆◆アーティチョークのホムス◆◆
|ホムスとは中東の料理のひとつで、豆で作ったディップといった感じ。アーティ
|チョークをくわえたところが〈カフェ・ヘヴン〉ふう。ガルバンゾー豆とアーテ
|ィーティチョークの中心部を茹で、にんにく、レモン汁、パプリカ、クミン、塩
|こしょうとともにフードプロセッサーにかける。ここにオリーブオイルを少しず
|つたらしていき、クリーム状にする。
+―――――――――――――――――――――――――――――――――+

 クズイモ、アーティチョークなど、日本では少々手に入りにくい食材も使われてい
るが、作り方はいたってシンプル。他のレシピも見ていただければわかるが、どれも
素材のよさを生かしたあっさりした味つけがされており、日本人の口にも合いそうだ。

 ヘヴン・リーのシリーズは、この後もコンスタントに書き続けられ、現在6作まで
が刊行されている。昨年8月に発売になった最新作 "RED BEANS AND VICE" は、友人
のたっての頼みでニューオーリンズに赴いたヘヴンが、殺人事件に巻き込まれる話だ
そうだ。ニューオーリンズといえば、独特の食文化で知られる町だ。さぞかし、ユニ
ークな料理が紹介されていることだろう。
                               (山本さやか)

              メインディッシュ
               ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
          タマー・マイヤーズ~素朴な家庭料理

 "EAT, DRINK, AND BE WARY" by Tamar Myers
  Signet/1998.09/ISBN: 0451192311

 メインディッシュに登場は、素朴なアメリカの味。タマー・マイヤーズの田舎のプ
チホテル〈ペンダッチ・イン〉シリーズからのエントリーだ。
 ホテル名の“ペンダッチ”とはペンシルヴァニア・ダッチ。ペンシルヴァニア州に
暮らすドイツ、スイスからの移民を祖先にもつ人々のこと。ここでつかわれるドイツ
語方言を指す場合も。その料理が素朴なのは、手ぬきでもなんでもなく、れっきとし
た理由がある。ペンダッチの宗教はメノナイトで、簡素な生活が信条だから。
 おもしろいもので、飽食のこの時代にあって、お客にも質実剛健をもとめる当ホテ
ルの姿勢はかえってうけた。商売は大繁盛。けれど、どんなに儲かろうとも、女ある
じマグダレーナは贅沢をしない。客室の清掃に掃除機は不可、モップとほうきとちり
取りをつかう。あまったお金はせっせと教会に寄付。はたからみればかなりストイッ
クな生活におもえるが、上には上が。映画《刑事ジョン・ブック 目撃者》で一躍有
名になったアーミッシュだ。じつはもともとメノナイトだったが、時代に流されず厳
格に教えを守ろうと離脱した一派なのだ。〈ペンダッチ・イン〉の料理人、フレニー
がこのアーミッシュ。長袖、ロングスカートの服装規定を忠実に守り、質素だが心づ
くしの料理を作り続けている。

 そのフレニーが参加するということで、ここが料理コンテストの会場に。これがシ
リーズ6作目にあたる本作品の設定だ。料理番組のホスト、腕自慢の主婦など、参加
者たちがぞくぞくと集まってくる。けれども“飲んで、食べて、楽しくやろう”なら
ぬ、“油断するな”というタイトルどおり、たがいに恨みつらみをもつ人物ばかりで、
雰囲気は最初から険悪。ついには殺人まで――ここで、殺意を胸に(?)参加者たち
が腕をふるう料理からメインディッシュをピックアップしよう。

+―――――――――――――――――――――――――――――――――+
|         ◆◆ カレー風味ミートローフ ◆◆
|ハンバーグの材料を準備。ひき肉はラム&ビーフをおすすめ。パン粉のかわりに
|オーツ麦をつかい、忘れずにカレー粉とクミンをくわえよう。ひとかたまりにし
|て、オーブンへ。薬味のピーチチャツネづくりにチャレンジ。刻んだ生の桃とピ
|ーマンに、ワインビネガー、カレー粉その他の調味料と水を入れ、ぐつぐつ煮込
|めばできあがり。オーツ麦の食感をたのしんで。

|        ◆◆ びっくりトルティーヤケーキ ◆◆
|ブラックビーンズ、玉ねぎなどトルティーヤに合うお好みの材料をチョイスして
|炒め、水分をとばす。タコスの調味料をかけた鶏肉をよく炒める。パイ皿にトル
|ティーヤ、炒めた豆類、チーズの順に重ねたら、トルティーヤ、炒めた鶏肉、サ
|ルサと続ける。その手順をくりかえし、いちばん上にはトルティーヤを。オーブ
|ンでこんがり焼こう。サルサとサワークリームをかけて熱々をどうぞ。

|        ◆◆ おふくろの味ベイクドビーンズ ◆◆
|乾燥白インゲンマメを一晩水につけてもどす。砂糖、ジンジャーなどの調味料を
|混ぜ、鍋に豆、ベーコン、玉ねぎの層を作っていく。最後にりんごのスライスを
|重ねたら、ひたひたの水を注ぎ5時間ほど煮込む。必要に応じて水をたす。これ
|は豆の水煮缶などで代用すると手軽につくれそう。
+―――――――――――――――――――――――――――――――――+

 ごらんのように、コンテストといっても格式張らず、メノナイト/アーミッシュの
宿で味わうにはぴったりの料理がならぶ。日本の家庭でも気軽に作れそうな品ばかり。

〈ペンダッチ・イン〉シリーズは、順調に書きつがれ、最新作の9作目が発表された
ところ。なんせ、顧客リストにはセレブリティが名をつらね、3年先まで予約がうま
っている人気ホテル。文でたのしむ温かい家庭料理と、マグダレーナとフレニーの丁
々発止のやりとりというごちそうは、これからもまだまだ堪能できるはず。
                                (三角和代)

                デザート
                 ̄ ̄ ̄ ̄
       ジョアン・フルーク~焼き立てのクッキーを召し上がれ

 "STRAWBERRY SHORTCAKE MURDER" by Joanne Fluke
  Kensington Publishing Corp./2001.03/ISBN: 1575666448

〈クッキー・ジャー〉はミネソタ州の小さな町レイク・エデンのベーカリーショップ。
前日に作ったクッキーは決して出さないというこだわりをもつこの店では、オーナー
のハンナと店員のリサが作る、おいしいコーヒーとできたてのクッキーが味わえる。

 シリーズ2作目となる本作では、レイク・エデンでデザート・コンテストが開かれ
ることになり、ハンナは審査委員長に選ばれた。初日に審査員のひとりが急病で欠席
したため、高校のバスケットボールチームのコーチが代理に選ばれたが、帰宅後、コ
ーチは何者かに殺される。その妻ダニエルは夫からたびたび暴力をふるわれており、
犯人と目される条件が揃っていたが、友人ダニエルの無実を信じるハンナは、自ら犯
人をつきとめようと調査を開始した。
 郡保安官チーフのマイクはハンナの恋人だが、ハンナが事件に首を突っ込むことを
当然のごとく嫌っている。しかし町の人々は、保安官でかつ地元の人間ではないマイ
クには話しづらいようなことでも、ハンナには気軽に打ち明ける。そういった会話の
断片から解決の糸口をつかんでいくハンナの調査力には、マイクも脱帽せざるをえな
い。今回はハンナの妹アンドレアも加わり、姉妹で事件に取り組んでいく。小柄な美
人で、口がうまいアンドレアと、背が高く、美人とはいいがたいが頭の回転は早いハ
ンナの、凸凹コンビが絶妙だ。

 さて、謎解きとともにもうひとつの目玉であるクッキングについて、本作には7つ
もレシピが収められている。そのなかから〈クッキー・ジャー〉のレシピと、コンテ
ストのゲストに供されたデザート、ハワイアン・フランのレシピをご紹介しよう。

+―――――――――――――――――――――――――――――――――+
|         ◆◆ ココア味の薄焼きクッキー ◆◆
|ココアパウダーに溶かしたバターを混ぜ入れ、砂糖を加える。これに溶き卵を混
|ぜ合わせ、ベーキングソーダ、塩、バニラ、小麦粉を加えてよく混ぜる。生地を
|冷蔵庫で冷やしてから胡桃大に丸めて砂糖をまぶす。クッキーシートに並べてス
|パチュラで平らにし、オーブンで焼く。アンドレアの娘が言うには、チョコレー
|ト味のアニマル・クラッカーの味がするとのこと。

|       ◆◆ オートミールとレーズン入りクッキー ◆◆
|溶かしたバターに砂糖を混ぜ、さらにバニラ、塩、ベーキングソーダを加える。
|そこに卵を混ぜ合わせてから小麦粉を加えてよく混ぜ、レーズンを加える。オー
|トミールをフード・プロセッサーで細かくし、生地と混ぜ合わせる。胡桃大に丸
|めてクッキーシートに並べ、フォークで十字に押しつぶし、オーブンで焼く。レ
|ーズン嫌いのアンドレアも大好きな、かりっと歯ごたえのいいクッキー。

|           ◆◆ ハワイアン・フラン ◆◆
|泡立てた卵にコンデンスミルクと砂糖、塩、パイナップルジュースを加えてよく
|混ぜ、カラメルソースをひいた焼き型に流し入れる。ひとまわり大きな天板に焼
|き型を置き、天板にお湯をはってオーブンで焼く。皿に切り分け、刻んだパイナ
|ップルやホイップクリームを添えて出来上がり。プリンのようなカスタードのデ
|ザートで、ハンナは温かいまま、ハンナの母親は冷やして、アンドレアは室温に
|して食べるのが好みだそうだ。
+―――――――――――――――――――――――――――――――――+

 ご覧のとおり、特に凝った材料は使われていないが、作者が実際に何度も繰り返し
作ってできたという、ハンナ曰く「完璧なレシピ」だ。幼い頃、おばあちゃんが作っ
てくれたような懐かしい味がするハンナのクッキーに、レイク・エデンの人々は大人
も子供も目がないようだ。

 シリーズ3作目の "BLUEBERRY MUFFIN MURDER" はこの3月に発売される予定で、
4作目もタイトルは "LEMON MERINGUE PIE MURDER" に決まっているという。1作目
の"CHOCOLATE CHIP COOKIE MURDER" から続いてなんともおいしそうなタイトルばか
りで、お腹が減っているときにこのシリーズを読むのは危険かもしれない。
                                (松本依子)

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 ■翻訳家インタビュー ―― 匝瑳玲子さん

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 今月は、ハヤカワ文庫より昨年12月に『監禁治療』を出された、匝瑳玲子さんにお
話をうかがいます。
+―――――――――――――――――――――――――――――――――+
|《匝瑳玲子(そうされいこ)さん》 1960年静岡県生まれ。青山学院大学文学部
|卒。98年、医学ドキュメンタリー『緊急救命室』(イーサン・ケイニン他/朝日
|新聞社)を玉木享氏らと共訳し、翻訳家としてデビューする。99年には古代史ノ
|ンフィクション『消されたファラオ』(グレアム・フィリップス/朝日新聞社)
|の翻訳を手掛ける。
+―――――――――――――――――――――――――――――――――+
――匝瑳さんが翻訳に出会ったのは、どんなことがきっかけですか。
「米国在住の知人が東京にいる私に、ビジネス関係の翻訳を一緒にやらないかと誘っ
てくれたのがきっかけです。その頃はまだ景気もよく、仕事もいろいろありました。
ジョージ・ルーカスの仕事をしたこともありましたよ。その知人は、打ち合わせとい
うことでルーカスの広大な牧場に招待され、ランチをご馳走になったそうです。東京
にいた私は、ちょっと羨ましかったですね」

――その後もそのお仕事が順調にいったわけではないのですね。
「はい。不況とともに仕事も減って、最後には無期休業という残念な結果になりまし
た。でもこの仕事のおかげで、もともと“ことば”に強く惹かれていた自分を思い出
したんですね。中学、高校と谷川俊太郎や八木重吉の詩が大好きでした。私の思う
“ことばの魅力”とは、たとえば“たった一言で人を殺せるほどの力を持っている”
ところでしょうか。それで本格的に勉強してみたくなり、翻訳学校に通い始めました。
実は今でも通っていますが、ことばというのは関われば関わるほど奥深いものだと実
感しています。先生に教えていただきながら、とにかく書いてみる、訳してみること
の大切さがよくわかりました」

――『ハンニバル』の戦慄と『24人のビリー・ミリガン』の迫力をあわせもつサイコ
・サスペンス、と評判の高い『監禁治療』を訳されていかがでしたか。
「この物語の中心人物は、解離性同一性障害(多重人格)の連続殺人犯マックスです。
彼を追うFBI捜査官と、彼に誘拐されセラピーを施すことになる精神科医との絡み
の中で、マックスの半生が明らかになっていきます。その過程が本書の読みどころで
すが、著者が実際にこの障害を持つ人たちの手記に触発されたといっているだけあっ
て、かなりリアルな描写が続きます。私も何度となく心をえぐられる思いをしました。
難しかったのはマックスの9つの人格をどう訳し分けるかということです。思いっき
り感情移入しながらも、それをあまり前面に出さないよう意識しました。また精神医
学用語が頻出するので、訳注を入れることで読者の皆さんの気をそいでしまわないか
とかなり心配しました」

――今後のご予定は?
「3月下旬か4月上旬に『死海文書の謎を解く』(ロバート・フェザー/講談社)が
出る予定です。50年前に死海のほとりで発見されたいわゆる『死海文書』の中に、
「銅の巻物」という、宝物のリストではないかといわれている一風変わった巻物があ
ります。本書は英国の冶金学者がその「銅の巻物」の謎に迫り、ユダヤ教とエジプト
の関係を明らかにしていく歴史ノンフィクションです。正統派の研究書ではありませ
んが、古代史ならではの“想像力を働かせる愉しみ”を満喫させてくれます。古代史
は完全に解明されていないぶん夢とロマンがいっぱい詰まっている、まさしくミステ
リーの世界ですね。興味が尽きません。本書の翻訳にはおととしから丸2年かけて取
り組んできました。著者とも何度もメールでやり取りをしましたし、訳者としてとて
も思い入れのある本です。今は調べものに愉しみを見出しているのでノンフィクショ
ン好きに拍車がかかっていますが、『監禁治療』でフィクション翻訳のおもしろさを
体験させていただいたので、少しずつ守備範囲を広げていけたらなと思っています」
                         (取材・構成 宇野百合枝)

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 ■注目の邦訳新刊レビュー ――『雨の牙』

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『雨の牙』"RAIN FALL"
 バリー・アイスラー/池田真紀子訳
 ヴィレッジブックス(ソニー・マガジンズ)/2002.01.20発行 760円(税別)
 ISBN:4-7897-1802-6

《国際都市・東京を舞台に、今戦いの幕が上がる――暗殺者レイン初登場》

 人口1200万の国際都市、東京。そこに一人の男がひっそり暮らしていた。その名は
ジョン・レイン。日米ハーフで日本語を楽々と操り、殺しで生計を立てている。彼へ
の依頼が途切れない理由は、自然死に見せかける技術に長けているからだ。今回のタ
ーゲットは国土交通省のキャリア官僚、川村。尾行の末、山手線の車内で殺害。計画
どおりに仕事は済んだが、現場で不審な白人を見かける。
 気晴らしにジャズを聴こうとクラブ〈アルフィー〉へ立ち寄った彼に、ママがデビ
ューを控えたジャズピアニスト、みどりを紹介する。ママからみどりが川村の娘であ
ることを聞いたジョンは愕然とする。時遅く、彼はすでにみどりに惹かれはじめてい
た。さらに、川村殺害についての気がかりな点を洗っていたジョンに、みどり殺害の
依頼が舞い込んだ。心に迷いを感じながらも、ジョンはあちこちから命を狙われてい
るみどりを助ける側につく。みながそこまでして狙うものは、1枚のディスクだった。
それは、日本の行く末を大きく左右するダイナマイトのような代物だった。
 最初この小説に目が止まったのは、日本を舞台に殺し屋が暗躍するというあまりな
いプロットだったためだ。著者は、過去日本に3年在住し、現在は日系企業の顧問弁
護士で、日米を往復している。柔道は黒帯の腕前で、講道館での稽古の描写や格闘シ
ーンがリアルなのは、そのためであろう。この作品は、出版が決定している他の十数
か国に先駆けて日本で刊行された。これは本国アメリカよりも先である。
 住んでいても東京が異国のように見えた時期が、わたしにもある。下町に代表され
る古き良き東京、それに六本木や渋谷に代表される時代の先端を行く東京。そのギャ
ップが不可解でもあり魅力でもある。そのアンバランスな魅力を、著者はうまく捉え
ている。それがこの作品をお薦めする第1の理由。
 第2に、義兄弟とまで誓い合った親友ジミーとのベトナム従軍時代のエピソードが
ある。話の底辺に流れている哀しみは、実はこのエピソードに端を発しており、読み
進むうちに強さを増してゆく。さらに、何も言わずに協力してくれる天才ハッカーで
あるハリーこと晴義、それに警察庁捜査課のキャリアであるタツこと石倉達彦など、
脇役もいい味を出している。次回作が楽しみな新人が、また誕生した。
                                (大越博子)

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 ■ミステリ雑学 ―― アメリカ公民権運動の落とし子

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 2001年のMWA新人賞にノミネートされた『危険な道』(クリス・ネルスコット/
延原泰子訳/ハヤカワ・ミステリ)は、1968年2月の米国テネシー州メンフィスを舞
台にしている。米国史に明るい読者ならこの設定にぴんとくるだろう。黒人市民によ
る暴動が頻発した騒乱期のおわりにあたるのが1968年。公民権運動の指導者であった
マーチン・ルーサー・キング牧師が凶弾により命を奪われた場所がメンフィス。つま
り『危険な道』は、キング牧師が暗殺される直前の時期を背景とした物語なのだ。主
人公の私立探偵スモーキーは黒人で、キング牧師とは幼なじみという設定だ。また、
事件そのものも、この時代抜きには成立しえないものとなっている。

 非暴力という手段で黒人の公民権を求めるキング牧師らの運動は、有名な "I have
a dream..." 演説を行った1963年のワシントン大行進と、翌年の公民権法の制定によ
り一応の結実をみた。だが法律上の自由はかちえたといっても、白人のなかから黒人
差別の思想がすっかり消えたわけではなかった。とりわけ "the Deep South" と呼ば
れ、古い慣習とともに黒人蔑視がもっとも色濃く残るミシシッピ、ジョージア、アラ
バマなどの南部諸州では、その傾向が強かった。またニューヨーク、ロサンゼルス、
シカゴなどの都市部でも、黒人の貧困者階層の集まるスラムで白人が黒人を襲撃する
事件が起き、それに反発する黒人たちが暴動を起こすという事件がくりかえされるよ
うになった。この暴動の発生した1964年から68年ごろを「長く暑い夏」という。
 そんなさなか、1966年に設立されたのが「ブラック・パンサー党」(Black Panther
Party for Self-Defense)だった。もともと、黒人の住む貧民街で、住民を白人警官
などの襲撃から守るための自警組織として発生したものだった。だが、当時は黒人優
越思想や、白人と手をつなぐのではなく黒人自身で社会的独立をめざす黒人分離の思
想が、「ブラック・パワー」というスローガンとともに黒人社会で支持を獲得しつつ
あった。ブラック・パンサー党はこのブラック・パワーの思想に影響を受けてしだい
に反体制、反政府色を強めていき、最盛期には2000人ほどのメンバーを擁して、FB
Iからマークされる反社会集団となった。『危険な道』のなかでもブラック・パワー
に心酔する若者たちのようすが描写されており、平和集会に乱入し、妨害するブラッ
ク・パンサー党員がやっかいなものとして扱われている。そのとおり、60年代末期の
黒人社会は、もはやキング牧師のもとに結束しているとはいえなくなっていた。

 1970年代に入り、創設者が白人警官を殺害した容疑で投獄されると、ブラック・パ
ンサー党は各地で警官との衝突をくりかえした。だがその攻撃的な思想が黒人社会か
らも受け入れられなくなり、1980年代に解散した。現在では同じ名前ながら合法的活
動を行う団体として存続しており、インターネット上でアメリカ社会に求める10項目
を掲げている(http://www.blackpanther.org/TenPoint.htm)。ここには、「われわ
れは自由を求める」という宣言を筆頭に、黒人の雇用の確保や、搾取の禁止、十分な
住環境や教育などを要求する文章が掲げられている。
 いまでは政治的、社会的に黒人が公然と差別されることはなく、人種に配慮した政
策もとられている。だが非暴力と暴力による戦いの記憶は30数年を経てなお残ってお
り、それを忘れないために黒人社会は声を上げつづけているといえるだろう。
                                (影谷 陽)

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■スタンダードな1冊 ―― クラム・チャウダーは涙の味

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 今月の特集がクッキング・ミステリということなので、こちらでも料理上手な主婦
が活躍するミステリを紹介しよう。シャーロット・マクラウドの『納骨堂の奥に』だ。

 ボストンの旧家ケリング家に生れたセーラは、同じ一族の出身者で22歳年上の夫と、
目と耳は不自由だが気の強い姑と共に、高級住宅街のビーコン・ヒルで暮らしていた。
11月のある日、150年近く閉ざされていた一族の納骨堂の扉を開ける場に、セーラは
立ち会った。すると、中から死後100年以上経っているとは思われない女性の他殺死
体が出てくる。その場に居合わせた老人が、歯に埋め込まれたルビーを見て、その女
性が30年ほど前に行方不明となったストリッパー、ルビー・レッドであると証言する。
だが150年近く開かれていないはずの納骨堂に、なぜ彼女の死体が入っていたのか?
この死体発見以降、夫と姑の死などの悲運に見舞われ、セーラの人生は大きく変わっ
ていく。

 自動車ごと崖から転落して死んだ夫と姑の身元確認をした後、滞在先の別荘まで連
れ帰ってくれた警官に、セーラが料理を勧める場面がある。彼女が振舞ったのは、ニ
ューイングランド地方の代表料理であり夫の好物だったクラム・チャウダー。夫と姑
がドライブに出た後、時が経つのも忘れて作っていた料理だった。チャウダーの用意
をしようとした時、それまで張りつめていた神経がぷっつりと切れ、セーラは泣き出
してしまう。その後警官を送り出すまでの間は、最愛の夫を亡くしたばかりのセーラ
の心情や彼女の気丈な一面が出ていて、印象的な場面のひとつとなっている。
 マクラウドは素人探偵が活躍するミステリの先駆者であり、彼女の作品はユーモア
やコージーに分類されることが多い。だがセーラのシリーズは、他のシリーズと比べ
てトーンがやや暗い。特に1作目である『納骨堂の奥に』はその傾向が強い。これは
セーラをめぐる家族の悲劇が描かれているためと思われる。しかしそこはマクラウド
のこと、ユーモアや、ケリング家の人々をはじめとして後にセーラと結婚するマック
スなど、個性豊かな登場人物を配することも忘れてはいない。
 1979年から始まったこのセーラ・ケリング・シリーズは、東京創元社と扶桑社から
10作目の『復活の人』までが翻訳されている。またマクラウドは架空の町バラクラヴ
ァ・ジャンクションが舞台のシャンディ教授のシリーズを発表し、アリサ・クレイグ
名義でも2つのシリーズを書いている。どのシリーズも、ほとんどの翻訳作品を新刊
書店で買うことができる。

【今月のスタンダードな1冊】
『納骨堂の奥に』シャーロット・マクラウド著/浅羽莢子訳/創元推理文庫
"THE FAMILY VAULT" by Charlotte MacLeod
                              (かげやまみほ)

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■速報 ―― アガサ賞ノミネート作品発表

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 マリス・ドメスティック主催によるアガサ賞のノミネート作品が発表になった。主
要部門のノミネートは以下のとおり。受賞作は5月3日(現地時間)から、ヴァージ
ニア州アーリントンで行われる、第14回マリス・ドメスティック・コンヴェンション
の参加者の投票によって決定される。

●最優秀長篇賞
 "MURPHY'S LAW"      by Rhys Bowen
 "ARKANSAS TRAVELER"    by Earlene Fowler
 "DEAD UNTIL DARK"     by Charlaine Harris
 "SHADOWS OF SIN"     ロシェル・メジャー・クリッヒ
 "THE BRIDE'S KIMONO"   スジャータ・マッシー

●最優秀処女長篇賞
 "INNKEEPING WITH MURDER" by Tim Myers
 "MUTE WITNESS"      by Charles O'Brien
 "A WITNESS ABOVE"     by Andy Straka
 "BUBBLES UNBOUND"     by Sarah Strohmeyer
 "AN AFFINITY FOR MURDER" by Anne White

●最優秀短篇賞
 "Bitter Waters"      ロシェル・メジャー・クリッヒ (CRIMINAL KABBALAH)
 "Virgo in Sapphires"   マーガレット・マロン
              (Ellery Queen's Mystery Magazine, December 2001)
 "The Peculiar Events on Riverside Drive"
              by Maan Meyers (MYSTERY STREET)
 "The Would-Be Widower"  キャサリン・ホール・ペイジ (MALICE DOMESTIC 10)
 "Juggernaut"       ナンシー・スプリンガー
              (Ellery Queen's Mystery Magazine, June 2001)

詳しい情報は、以下のサイトで見ることができる。
http://www.malicedomestic.org/
                              (かげやまみほ)

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■編集後記■
 わが編集部は食いしん坊がそろっているので、料理をうまく取り入れた「おいしそ
うな」ミステリを特集してみました。4月号では、先頃発表されたMWA賞最優秀処
女長編賞にノミネートされた5作品のレビューを一挙公開! お楽しみに。 (片)

*****************************************************************
 海外ミステリ通信 第7号 2002年3月号
 発 行:フーダニット翻訳倶楽部
 発行人:うさぎ堂 (フーダニット翻訳倶楽部 会長)
 編集人:片山奈緒美
 企 画:板村英樹、宇野百合枝、大越博子、影谷 陽、かげやまみほ、
     小佐田愛子、中西和美、松本依子、水島和美、三角和代、
     山田亜樹子、山本さやか
 協 力:@nifty 文芸翻訳フォーラム
     小野仙内
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             月刊 海外ミステリ通信
              2002年2月号 号外
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★速報
 MWA賞ノミネート作品
 ハメット賞ノミネート作品

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 ■速報1 ―― MWA賞ノミネート作品発表

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 アメリカ探偵作家クラブ主催による第56回MWA賞のノミネート作品が発表になっ
た。主要4部門のノミネートは以下のとおり。受賞作の発表は5月2日(現地時間)、
ニューヨークの〈グランド・ハイアット・ホテル〉における晩餐会の席上でおこなわ
れる。

●最優秀長篇賞
 "THE JUDGEMENT"      D・W・バッファ
 "TELL NO ONE"       ハーラン・コーベン
 "MONEY, MONEY, MONEY"   エド・マクベイン
 "SILENT JOE"        T・ジェファーソン・パーカー
 "REFLECTING THE SKY"    S・J・ローザン

●最優秀処女長篇賞
 "OPEN SEASON"       by C. J. Box
 "RED HOOK"         by Gabriel Cohen
 "LINE OF VISION"      by David Ellis
 "GUN MONKEYS"       by Victor Gischler
 "THE JASMINE TRADE"    by Denise Hamilton

●最優秀ペイパーバック賞
 "ADIOS MUCHACHOS"     by Daniel Chavarria
 "HELL'S KITCHEN"      ジェフリー・ディーヴァー
              (ウィリアム・ジェフリーズ名義)
 "THE MOTHER TONGUE"    by Teri Holbrook
 "DEAD OF WINTER"      by P.J. Parrish
 "STRAW MEN"        by Martin J. Smith

●最優秀短篇賞
 "The Abbey Ghosts"     ジャン・バーク (AHMM, January 2001)
 "The Horrible Senseless Murder of Two Elderly Women"
               マイクル・コリンズ (Fedora)
 "If the Glove Fits"    マイクル・Z・リューイン (EQMM, Sept/Oct 2001)
 "Virgo in Sapphires"    マーガレット・マロン (EQMM, December 2001)
 "Double-Crossing Delancy" S・J・ローザン (MYSTERY STREET)

その他の部門については以下のサイトで見ることができる。
http://www.mysterywriters.org/awards/edgars_02_nominees.html
                               (山本さやか)

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 ■速報2 ―― ハメット賞ノミネート作品発表

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 国際推理作家協会北米支部主催のハメット賞のノミネート作品が発表になった。受
賞作の発表は9月27日(現地時間)におこなわれる。

 "KINGDOM OF SHADOWS"   by Alan Furst
 『ミスティック・リバー』 デニス・ルヘイン(加賀山卓朗訳/早川書房)
 "SILENT JOE"       T・ジェファーソン・パーカー
 『曇りなき正義』     ジョージ・P・ペレケーノス
              (佐藤耕士訳/ハヤカワ文庫)
 "HOLLOWPOINT"       by Rob Reuland
                               (山本さやか)


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 海外ミステリ通信 2002年2月号 号外
 発 行:フーダニット翻訳倶楽部
 発行人:うさぎ堂 (フーダニット翻訳倶楽部 会長)
 編集人:片山奈緒美
 企 画:板村英樹、宇野百合枝、影谷 陽、かげやまみほ、小佐田愛子、
     中西和美、松本依子、水島和美、三角和代、山田亜樹子、
     山本さやか、吉田博子
 協 力:@nifty 文芸翻訳フォーラム
     小野仙内
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             月刊 海外ミステリ通信
          第6号 2002年2月号(毎月15日配信)
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★今月号の内容★
〈特集〉        シャロンとディライラ、ふたりの女性探偵
〈翻訳家インタビュー〉 宮内もと子さん
〈注目の邦訳新刊〉   『どんづまり』『ロージー・ドーンの誘拐』
〈ミステリ雑学〉    米国の「保釈金保証」のしくみ
〈スタンダードな1冊〉 『マルタの鷹』


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 ■特集 ―― シャロンとディライラ、ふたりの女性探偵

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 1970年代、アメリカのミステリ界でプロフェッショナルな女性探偵のさきがけとな
る2人のキャラクターが生まれた。マーシャ・マラーの書くシャロン・マコーンと、
マクシン・オキャラハンの書くディライラ・ウェストである。ともにシリーズ・キャ
ラクターとして長く活躍しながら、日本での紹介が止まっていることで共通している。
今月はこの2シリーズを、最新作のレビューとともに紹介する。

●シャロン・マコーン~仕事に厳しく、人にやさしく

 マーシャ・マラーは、ミシガン州デトロイトで生まれた。友人から借りて読んだロ
ス・マクドナルドの小説に触発されてミステリを書き始め、1977年にシャロン・マコ
ーン・シリーズの1作目『人形の夜』を発表した。だがその後出版社が方針転換しミ
ステリの出版をやめたことから、マラーは作品を発表する場を失ってしまう。その結
果2作目の『タロットは死の匂い』は、5年後の1982年まで日の目を見なかった。偶
然にもこの年1982年に、スー・グラフトンがキンジー・ミルホーンを、サラ・パレツ
キーがV・I・ウォーショースキーを世に送り出している。この現象は、女性の社会
進出が本格化し始めたことと関係があるとも言われているが、確証はない。ともかく
この年を境に、多くの女性探偵たちが小説の中で活躍することになった。そしていち
早く、自立した女性が主人公の長篇ミステリを書いたマラーは、今では「現代女性私
立探偵小説の母」と呼ばれている。マコーンのシリーズは、本国アメリカでは長篇21
冊、短篇集2冊が出版され、2000年のアンソニー賞では「20世紀の最も優れたシリー
ズ」にノミネートされた。また1993年には、PWA(アメリカ私立探偵作家クラブ)
からその功績をたたえられ、功労賞にあたる巨匠賞「ジ・アイ」を女性として初めて
受賞した。現在のところ、この賞を受賞した女性作家はマラーとマクシン・オキャラ
ハンの2人だけである。
 アメリカではかなり人気があり、女性探偵が活躍するミステリの先駆者として認め
られているマラーだが、残念ながら日本ではグラフトンやパレツキーほどには知られ
ていない。現在までに翻訳された長篇は、長年のパートナーであるビル・プロンジー
ニとの共作『ダブル』を含めても8冊にすぎず、今ではそのどれもが新刊書店で手に
入らない。とりわけ80年に翻訳された1作目の『人形の夜』は、古書店でもめったに
見かけなくなってしまった。それでも短篇がたまに雑誌に載ったり、アンソロジーに
収録されたりしているので、シャロンの活躍を目にする機会が全くなくなったわけで
はない。だがグラフトンやパレツキーの長篇がコンスタントに翻訳され続けているこ
とを考えると、決して恵まれているとはいえない。
 だが翻訳が止まってしまったのが惜しいほど、物語は面白いしシャロンは魅力的だ。
シャロン・マコーンはサンディエゴ出身。髪は黒く、肌は褐色である。ハード・ボイ
ルドの探偵らしく、頑固で強い信念と義憤とプロ意識を持つ。調査を引き受けると最
後まで追及の手を緩めず、どんな脅しにも屈しない。反面、情に流されるほど甘くは
ないが、弱者に対しては優しさと思いやりをもって接する。ハーシーの板チョコを1
枚食べただけ、と仕事に熱中しだすと食事も忘れてしまう日もある。納得して終わら
せた恋を、なかなか吹っ切れずにいることもある。70年代の後半に登場した人物にも
かかわらず、シャロンはバリバリと仕事をこなして、キャリアを積んでいこうとした
80年代タイプの女性ではない。仕事も恋も両立させて、自分らしく肩肘張らずに生き
ていく90年代タイプのように見える。彼女の仕事のやり方は、事件の関係者に会って
話を聞くことを繰り返し、真相に近づいていくというものだ。だから拳銃を携帯する
ことはほとんどないし、派手なアクションシーンもない。事件は深刻なのに、登場人
物のほとんどが善人で、物語全体に古きよき時代のアメリカの匂いがする。90年代に
入ってハード・ボイルドとコージーの狭間にあるミステリが生まれてきたが、シャロ
ンの物語もその中にあるのではないか。となると、マラーは女性探偵のさきがけだけ
ではなく、新しい形のミステリを誰よりも早く提示したのかもしれない。
『人形の夜』当時のシャロンは29歳で、友人の弁護士が創設者の1人となっている、
サンフランシスコのオール・ソウルズ法律家協同組合で、調査員として働いていた。
この中でシャロンは生まれて初めて、殺人事件の調査をすることになる。その後、多
くの殺人事件と係わりあうようになるのだが、前述したとおりシリーズは8作しか訳
されていない。原書で読もうとしない限り、1989年に出版され1995年に翻訳された11
作目の『奇妙な相続人』以降のシャロンの活躍は、短篇で断片的に知るほかはない。
しかし90年代に入って、シャロンにさまざまな変化が訪れている。80年代にはいずれ
も長続きしなかった異性関係は、90年代に入ってからハイ・リピンスキーというパイ
ロットに落ちついている。仕事面では、長年勤めていたオール・ソウルズ法律家協同
組合を辞め、自分の探偵事務所を構えた。事務所のスタッフとしては、一番弟子のレ
イ・ケルハーや甥のミック・サヴェッジなどがいる。そしてたまにひょっこりと昔の
恋人たちの名前が出たり、その当の本人が登場したりするのも、シリーズ・ファンに
は見逃せないところだ。また2000年に出版され、アンソニー賞とシェイマス賞にノミ
ネートされた最新作の "LISTEN TO THE SILENCE" で、シャロンは大きな転機を迎え
た。この体験は彼女を変えたのかそれとも変えなかったのか、次回以降の作品が楽し
みである。シャロン・マコーン・シリーズの次の作品タイトルは "DEAD MIDNIGHT"
で、今年6月の発売予定になっている。            (かげやまみほ)

◆マーシャ・マラー 関連サイト
 http://www.twbookmark.com/authors/67/463/

                   ●

"LISTEN TO THE SILENCE" by Marcia Muller
Mysterious Press/2000.07/ISBN: 0892966890

《父の死であきらかにされた、シャロン出生の秘密とは》

 シャロンは父の突然の訃報を受け、急遽サンディエゴの実家に戻った。両親は数年
前に離婚して、母は他の男性と暮らしており、他の兄妹たちはそれぞれ事情で戻れな
いため、長兄のジョンとふたりきりで父を弔う。その夜、兄から、父が自分の死後ガ
レージの片付けはシャロンにやって欲しいと言い残していたことを聞かされる。父の
がらくたが詰まったガレージを片付けはじめたところ、ある箱のなかから、彼女の出
生について衝撃的な事実が記載された1枚の証明書を発見する。母のもとに駆けつけ
てことの真相を問いただすが、母はシャロンがそれを見つけるように仕向けた元夫を
罵り、頑として何も語ろうとしない。手がかりを求めて叔父を訪ねてみれば、母から
何も話さないようにと電話があったことを聞かされて、ますます母に対する怒りをつ
のらせるシャロン。母がそこまでひた隠しにする理由はなんなのか。不安を抱えつつ
も真実を求めてモンタナ、そしてアイダホに飛び、自らのルーツを調べていくと、1
人の女性が浮かび上がってくるが――。
 本作でシャロンは41歳の誕生日を迎える。独立後のビジネスは順調で、ことあるご
とに「あんたみたいな女の子が私立探偵?」といぶかしがられていた若い女性の姿は
もうここにはない。肩肘を張らず、一歩一歩道を切り開いて成功した、自信に満ちた
大人の女性、それが今のシャロンである。そんなシャロンに降りかかった今回の事件
は、彼女を取り巻く世界を一変させるものだったが、意志の強さや、ねばり強い聞き
込みで真実を突き止めていく姿勢は変わらない。シリーズ21作目となる本作は、マラ
ーの作品に共通するプロットの秀逸さがさらに冴えを見せ、最後まで気が抜けないど
んでん返しが隠されている。転機を迎えたというにふさわしい作品である。
                                (松本依子)

●ディライラ・ウェスト~亡き夫の思い出を胸に、ひとり歩み続ける

 シャロン・マコーンのデビューに先立つ1974年に、短篇 "A CHANGE OF CLIENTS"
で登場したのが、マクシン・オキャラハンの手になる女性探偵ディライラ・ウェスト
である。訳書は2冊のみで日本ではあまり知られていない存在だが、米国ではこれま
で長篇6作が刊行されているシリーズだ。
 主人公のディライラについてざっと紹介すると、こんなふうになる。私立探偵、カ
リフォルニア州サンタ・アナ在住。容姿は本人によれば「どれをとっても平均点」で、
シナモンのような茶色の髪に、ハイネケンのビール瓶のような緑の瞳。幼いころに母
親を、大学生のときに警官だった父親をなくし、自身も一度は警官となり、のちに退
職――。だが、こうしたプロフィール以上にディライラという人物を特徴づけている
のは、愛する人との死別によって受けた深い喪失感である。

 ディライラには、目の前で何者かに夫のジャックを射殺されたという過去がある。
ともに〈ウェスト&ウェスト探偵社〉を開き、よきパートナーであった夫が命を奪わ
れたことから、絶望と無力感に襲われたディライラは、仕事が手につかないほどの状
態に陥ったまま半年が経つ。そんななかで、わずかな手がかりをもとに夫を殺した犯
人を追い、かたきを取るまでが、長篇第1作である『永遠に別れを』(成川裕子訳/
創元推理文庫/原著1980)で描かれる。
 だが、それでディライラの絶望が消えたわけではない。第2作である "RUN FROM
NIGHTMARE"(1982)でも依然として悪夢に悩まされ、職業として探偵を続けていける
のかという疑問を抱いている。友人の依頼で失踪した女を捜し続けながらも、心中に
は捜す相手はもう生きていないのではないかという思いがつねにある。ふたたび死を
目にすることへの恐れを、無意識のうちに持ってしまっている。だが、その感情が事
件解決への妨げになっているのではないか、そう気づくところでこの物語は終わる。
 2作には共通して、深い絶望感が漂っている。自分の半身といってもよいほど愛し、
信頼していた夫の死を乗り越えるのは彼女にとってたやすいことではない。というよ
り、乗り越えようとすらしておらず、ともすれば悲嘆しながら一日中自室に閉じこも
っていたいと考える。その嘆きはさっそうとした仕事ぶりや精神的な自立といった、
現代的な探偵小説の主人公に期待されるものからはかなりかけ離れているが、ひとり
の人間として見ると強い印象を残す。
 その後、続編を書く機会に恵まれなかったオキャラハンは、ホラーなどを書きつづ
けたあと、出版社を変えてシリーズ第3作『ヒット&ラン』(成川裕子訳/創元推理
文庫/原著1989)を発表した。7年のブランクを経て前作までの暗さは一掃され、活
動的な探偵ディライラが姿を見せる。ただし、仕事が減り、食堂でアルバイトをしな
ければ食べていけないという困窮ぶりで、お世辞にも格好よいとはいいがたい。自宅
か事務所のどちらかを手放さなければならなくなったディライラは、自宅を手放すほ
うを選び、事務所の床に寝袋を敷いて寝る生活に入る。この選択にはプロとしてのた
くましさを感じるが、それだけではなく、夫と開いた事務所を閉じたくないという強
いこだわりでもある。また、この作品で出会った不動産会社オーナーのエリックや弁
護士のマットなどの男性とは親密な関係になるが、最良の相手とする気にはなかなか
なれない。ディライラの中では折にふれ、パートナーであった夫と暮らした思い出が
去来する。嘆き悲しむ段階を過ぎたあとも夫は過去の人とはならず、存在しつづけて
いる。ディライラの場合、有能な探偵でもあった亡き夫に恥ずかしくないよう生きる
ことが、プロとして働いていく理由のひとつなのかもしれない。

 このシリーズは、失踪者捜しや護衛といった依頼をきっかけにして、関係者の隠さ
れたつながりを徐々に明らかにしていくというパターンが多い。また、調査活動の中
で危険な場面がしばしば登場する。"RUN FROM NIGHTMARE" では事件関係者宅を訪れ
たディライラがいきなり狙撃される。第4作 "SET-UP"(1991)では、依頼人の脅迫
犯と殺人事件の真相を追う過程で、自分の事務所を爆弾で破壊されて大けがを負うと
いったぐあいに、どの作品でも満身創痍といってもよいくらいに負傷する。ディライ
ラは特に銃の腕が立つわけでも、武道に秀でているわけでもなく、現在華々しく活躍
する個性派の女性探偵たちとくらべると、いかにも地味だ。そんな彼女が危険にもひ
るまずに立ち向かっていくところが、シリーズの読みどころのひとつでもある。
 第5作 "TRADE-OFF"(1994)のあと、第6作 "DOWN FOR THE COUNT" を1997年に発
表したオキャラハンは、1999年にPWAの功労賞「ジ・アイ」を受賞した。その後、
続編は発表されていないが、2000年に行われたインタビューでは、執筆する気持ちは
あると語っている。誕生から28年をすぎてディライラ・シリーズの新作が書かれると
したら、今度はどんな姿で読者の前に現れるのだろうか。      (影谷 陽)

◆マクシン・オキャラハン オフィシャルサイト
 http://users.aol.com/maxineoc/max1.htm

                    ●

"DOWN FOR THE COUNT" by Maxine O'Callaghan
St. Martin's/1997.11/ISBN: 0312168209

《拉致されたディライラは、大切な人の娘の命を救えるか》

 クリスマス間近の休日、にぎわうショッピングモールへ知人の娘とともに買い物に
やってきたディライラ。そこで突然、銃の乱射事件が起きる。たまたまそばにいて助
けだした少年ブライアンは、ディライラが私立探偵だと知ると、行方不明になった父
親を捜し出してほしいと頼みにくる。
 一方、交際中の男性エリックを訪ねていった別荘で、ディライラは18歳になるエリ
ックの娘、ニッキとはじめて顔を合わせる。両親の離婚により父親と暮らしているニ
ッキはディライラをあからさまに嫌うが、エリックはなんとかふたりを近づけようと
ランチの席をもうける。しかし、レストランへドライブしていく途中、ディライラと
ニッキは何者かに襲われ、拉致されてしまう。
 これまで何度も危ない場面に遭遇してきたディライラだが、今回は自分自身だけで
なく周囲の人々までも事件に遭遇してしまったことで、最大の窮地を迎えた。拉致犯
の目的は裕福なエリックの金か、あるいはディライラへの復讐なのか。エリックの娘
を守ろうと、苦しみながらもおのれの判断で事態を切り開こうとするディライラの行
動ぶりには成熟がうかがえる。ありったけの所持金をはたいて10ドルを差し出したブ
ライアンの依頼を快く受けるところや、わがままにふるまうニッキを厳しく諭すとこ
ろなど、細かなエピソードにもディライラの魅力のひとつである優しさが表れている。
また、事態がさらに緊迫の度を増していく中で、ディライラとエリックの関係も変化
していかざるを得ない。スリリングな展開と人間関係の進展が絡み合い、密度の高い
ドラマが描き出される。1998年シェイマス賞長篇部門ノミネート作。 (影谷 陽)

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 ■翻訳家インタビュー ―― 宮内もと子さん

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 今月はハヤカワ文庫より昨年12月に『成り上がりの掟』を出された宮内もと子さん
にお話をうかがいます。
+――――――――――――――――――――――――――――――――――+
|《宮内もと子さん》 1961年山口県生まれ。上智大学外国語学部フランス語学科|
|卒。初めての訳書は、『リユニオンズ――死者との再会』(レイモンド・ムーデ|
|ィ、ポール・ペリー/同朋舎出版)。その他の訳書に『パリに眠れ』(シャーロ|
|ット・カーター/ミステリアス・プレス)、『シャドウ・ファイル/潜む』(ケ|
|イ・フーパー/ハヤカワ文庫NV)など。                 |
+――――――――――――――――――――――――――――――――――+
――翻訳に携わるようになったきっかけをお聞かせください。
「大学卒業後、特許事務所に数年勤めて退職したあと、語学学校や翻訳学校で日本語
教授法や翻訳など、“ことば”に関わる分野の勉強をいくつか並行して進めました。
どれも刺激的でおもしろかったし、相互に参考になるところがありましたが、いちば
ん性に合っていると感じたのが翻訳で、気がついたらそれにのめりこんでいました。
近所に買い物に出かけたときに、しっくりこない訳語のことをあれこれ考えはじめて、
気がついたら寄るはずの店の前を通り過ぎていた、ということがありましたね」

――翻訳修業時代とデビューのきっかけはどのようなものでしたか?
「翻訳学校で学んでいたときに、数人の先生のもとで下訳をさせていただきました。
作品のタイプも違えば、先生方の加筆のしかたもさまざまで、そうした下訳経験がい
ちばんの勉強になったような気がします。調べもののしかたなども実践で身につけて
いきました。インターネットが使えるいまは夢のようですが、当時は飛び込みで銃砲
店に話を聞きにいったり、参考にした本の著者に手紙を書いたりと、できることを必
死でやっていました。上級クラスで勉強しつつ、実務系の小さな翻訳の仕事などを学
校の紹介でやっているうちに、担当の先生に認めていただき、出版社への紹介を受け
たのがデビューのきっかけです」

――ミステリで、お好きな作家や分野がありますか?
「いまいちばん好きなのはキャロル・オコンネル。独特な人物造形と幻想的な作風に
ひかれます。フィクション全般についていえば、スプラッタではなく人の心理の描き
方でしみじみ怖いと思わせるような物語が好きです。亡くなった作家ですが、シャー
リイ・ジャクスンなど。ところでガイ・バートという英国の若手作家の『体験のあと』
という作品が集英社から出ていまして、それが映画化にあたって、アーティストハウ
スから『穴』というタイトルで今春刊行されることになりました。これは私が訳のお
手伝いをさせていだいたのですが、不穏な空気を充満させておいて最後にあっといわ
せる手口と、深読みしたくなる凝った作りで読ませる作品です。今後はチャンスがあ
れば、このようなホラー系の話や奇妙な味の話をやってみたいと思っています」

――昨年末に出た『成り上がりの掟』はボクシング界やら賭け屋やらが舞台でした。
用語やスラングでのご苦労があったのではないかと思いますが。
「ボクシングは書籍資料や用語集のサイトが結構あるのでまだいいのですが、ギャン
ブル、というか違法賭博の方は大変でした。ハンデのつけ方や電話での賭けの受け付
けなどは、システムがわからないと話にならないけれど、その手の“まじめな”解説
書があるとは思えない……日本でいえば野球賭博が近いだろうとあたりをつけ、それ
を題材にした小説をあさって、同様のシステムを描いたものを見つけたときには小躍
りしました。安部譲二さんのエッセイなどもありがたく参考にさせてもらい、その筋
の(?)語彙収集に努めました」

――次の訳書のご予定は?
「前作は男たちの友情と闘いを描いた明るいクライムノベルでしたが、今度はうって
かわって、娘を癌で亡くした女性の手記になります("Hannah's Gift" アーティスト
ハウスから秋ごろ刊行予定)。ただのお涙頂戴の話ではなく、ユーモアや明るさを交
えながら、つらい体験から得たことを飾らない文章で綴ったチャーミングな本です」

―― "Hannah's Gift" と『穴』、本屋さんで手にするのを楽しみにしています。
                         (取材・構成 小佐田愛子)

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 ■注目の邦訳新刊レビュー ――『どんづまり』『ロージー・ドーンの誘拐』

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『どんづまり』"THE DEAD HEART"
 ダグラス・ケネディ/玉木亨訳
 講談社文庫/2001.12.15発行 1200円(税別)
 ISBN:4-06-273320-X

《旅先でのナンパが一転、恐怖のバカンスの幕開けに! ダグラス・ケネディ第1作》

 ニック・ホーソンは、アメリカの地方の二流新聞社ばかりを転々としているジャー
ナリスト。独身、38歳、特定のパートナーなし。家族なし。ある日、ふとしたきっか
けでオーストラリアの写真を目にしたニックは、ぜひ西部の未開地域に行ってみたい
ものだと思い立ち、やめときゃいいのに行き当たりばったりの旅行を始める。道端で
彼は、アンジーという若い娘を引っかける。というか、娘に引っかけられる。よくあ
る行きずりの恋が始まる。砂漠やビーチ、酒、タバコ、セックス、ドライブ。なぜだ
かプロレスを思わせる、ちょっとコミカルな濡れ場。
 ニックは当然、アメリカに帰るとき二人の関係も終わるものだと思っていた。だか
ら、その場しのぎの言葉でやりすごしてきた。が、ありがちなことに、アンジーは彼
が本気で自分に恋しているものだと思ってしまう。実は、アンジーはただのたくまし
い体をした田舎出のお姉ちゃんではなかった。彼女の故郷は、炭坑事故のため地図か
ら消えたことになっているコミュニティで、常識外れの掟が色々あった。アンジーの
逆ナンパにも意味があったのだ。そして、ニックが無理やりアンジーの故郷に連れて
行かれたとき、そこには悪夢が待っていた。
 著者の出世作は『仕事くれ。』だ。日本では出版が前後したが、本書が実はフィク
ション第1作である。本書では、以前旅行記を書いた知識を駆使して、のどかそうな
オーストラリアに架空の恐ろしい村を作り上げることに成功した。例えばこの村に生
きたカンガルーは登場しない。あるのは工場やトラックに積まれた死体ばかりだ。カ
ンガルーのさばき方まで登場する。しかし、怖さは著者のユーモアでかなり和らげら
れており、読後感は重くない。元はといえばスケベ心を出したせいで自業自得なのだ
が、涙ぐましい努力をするニックの様子に、読者は思わず声援を送りたくなるだろう。
私事ながら、新婚旅行を考えている身としては、候補の1つを断念するきっかけにな
りそうだ。だって、オージーがみんなアンジーやアンジーのダディに見えちゃったら
どうしよう、と。実際、著者が次のオーストラリア入国を許可してもらえるのだろう
かと、フィリップ・カーも茶化しているそうだ。
                                (吉田博子)
----------------------------------------------------------------------------
『ロージー・ドーンの誘拐』"THE KIDNAPPING OF ROSIE DAWN"
 エリック・ライト/佐藤耕士訳
 ハヤカワ文庫/2001.12.31発行 680円(税別)
 ISBN: 4-15-075605-8

《ロージー・ドーンを捜せ! 大学講師兼パートタイム探偵ジョー・バーリー登場》

「ユーモア体質の探偵とお色気波長でまくりの女たちのキュートでエッチなミステ
リ!」本屋でたまたま目にした本にこんな紹介文があったら、アナタは買います?
思わず、買う!と答えた、ちょっとエッチなアナタ(実はワタシもその一人)、とび
きりキュートで、ちょっぴりエッチな上質ミステリを楽しめること請けあいます。
 舞台はカナダのトロント。私ことジョー・バーリーは大学の英文科非常勤講師。科
目契約ゆえ実入りは少なく、時間だけはやたらとある。小遣い稼ぎにやってるのはパ
ートタイムの探偵仕事。但し、張り込みだけ。読書中毒の恋人キャロルと同棲中。
 ある日、通いの掃除婦へレナから、別の雇い主の若い女性がアパートから姿を消し
た、行方を捜してほしいと頼まれる。女の名は、ロージー・ドーン。アパートの借り
主で会社オーナー、ハイドの愛人らしい。彼女のポルノ写真を入手し、盗聴テープを
発見した私はロージー捜しにハマってゆく。が、一方、恋人キャロルの様子がなんだ
か変なのだ。じっと観察してるかと思えば、ベッドでいきなり『千夜一夜物語』仕込
みの超刺激的な体位で迫ってきて私を仰天させるではないか。おまけに職場では同僚
リチャードがクビの危機に瀕して……。さてさて、この行方、一体どうなるの?

 著者エリック・ライトはカナダ在住の実力派。「実に楽しい作品だ!」とレジナル
ド・ヒルもベタぼめの本書、いや、とにかく面白い。さすがミステリファンの読者投
票で選ばれる2001年度バリー賞に輝いただけある。登場人物のユニークなキャラがい
い。30代後半にして未だモラトリアム人間、大学講師なのに研究は苦手、少々頼りな
いけど友情に厚くて心やさしい主人公、本に夢中で料理嫌いでちょっとエッチなキャ
ロル、反骨精神旺盛な問題児(教師?)リチャード、悪徳実業家のくせに恐妻家のハ
イド、フロイト心理学に心酔してる精神科医のキャロルの姉夫婦と、実に個性的な面
々だ。随所にちりばめられた英文学や心理学の愉快なウンチクも美味しいし、大学組
織や人種差別への皮肉もピリッときいている。抱腹絶倒するような笑いではないけれ
ど、ページをめくるたびに思わずニヤリとしてしまう小粋なユーモアとウィットが満
載の本書、これから日本のファンが増えること間違いなしの赤丸つき注目作品だ。
                               (山田亜樹子)

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 ■ミステリ雑学 ―― 米国の「保釈金保証」のしくみ

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「保釈制度」の起源は13世紀、英国の慣習法にさかのぼる。被疑者の権利保護を目的
に定められた制度で、逮捕後裁判所に出頭するまでの間、被疑者が勾留を免除される
という法律だ。ただし、裁判所は被疑者の再犯や逃亡、証拠隠滅などのおそれがない
かどうかを判断した上で、保釈金の預託を要求する。この保釈金は被疑者が期日まで
に裁判所に出頭しないと全額没収される。一般的に保釈金額は、前科の有無や犯罪の
軽重を考慮して決定されるが、傷害で1~2千ドル、殺人などで3万ドルといったと
ころが相場だ。保釈金の支払い方法は、全額を被疑者が裁判所に預託する以外に、第
三者が立て替える方法、さらに保釈金の一部だけを預託する方法などいくつかあるが、
いずれも裁判が終了すれば返還される。
 勾留はいやだが、保釈金はない――こんな被疑者のために存在するのが保釈金保証
業者、通称“ボンズマン”である。ロサンゼルスのダウンタウン、ロス市警本部近く
には「BAIL BOND」の看板を掲げた保釈金保証業者が軒を連ねている。ボンズマンは
州からライセンスを得て初めて被疑者に対して保釈金を立て替え、手数料収入(通常
10%)を得ることができる。だが、保釈金を用立てた被疑者が期日までに裁判所に出
頭しない場合は、この保釈金は没収される。なんとしても逃亡保釈人を出頭させなけ
ればならないわけだ。裁判所も当初の出頭期日に猶予を与え、逃亡保釈人の出頭に協
力することもある。
 そこで登場するのがバウンティ・ハンターである。保釈金の10%程度、海外逃亡の
場合は最高75%に及ぶこともある手数料を目当てに、逃亡保釈人を捕まえるのが彼ら
の仕事だ。ジャネット・イヴァノヴィッチの人気シリーズのヒロイン、ステファニー
・プラムの活躍で、日本でもこの職業の存在がよく知られるようになった。ただ、ス
テファニーがそうであるように、ほとんどの州でこの職業に就くのに、公的な認定は
不要だ。そのため、ハンターの活動が問題視されることもある。
 1997年8月31日、アリゾナ州フェニックスの民家にバウンティ・ハンターを名乗る
5人組が押し入り、寝室で寝ていた男女2人を射殺し、逮捕された。実際は後の取り
調べで、バウンティ・ハンターに見せかけた強盗であったことが判明したが、事件発
生当時は、保釈保証業者が雇うハンターの行き過ぎた活動だとして全米で報道された。
[1999年8月26日付《Arizona Daily Sun》より]
 このように、ハンターが逃亡保釈人を捕まえるために他人の住居に侵入したり、警
官のように人の身柄を拘束できるという法的根拠はあるのだろうか? ハンターの活
動を直接規定する法律はないようだが、彼らの中で根拠の一つになっているものに、
以下の1872年の米連邦最高裁判決がある。『保釈された者は保釈保証人の元で保護さ
れる。保証人は保釈人を、新たな手続きなしに逮捕して刑務所などに引き渡すことが
出来る』というものだ。今から130年も前の判例だが、どうやら現在も有効のようで
ある。いまだに西部劇の“賞金稼ぎ”の伝統を保っている国、それがアメリカなのだ。

【アメリカの「保釈制度」参考サイト】
◆保釈制度の歴史なら――
"bail.com" http://www.bail.com/history.htm
◆保釈保証のしくみなら――
"CAPITAL RECOVERY"
http://capitalrecovery.bizland.com/capitalrecovery/index.html
◆バウンティ・ハンターのことなら――
"National Institute of Bail Enforcement"
http://www.bounty-hunter.net/home.htm
           (文/板村英樹 協力/中西和美 松本依子 山本さやか)

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 ■スタンダードな一冊 ―― スペードのプロフェッショナリズム

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『マルタの鷹』ダシール・ハメット著/小鷹信光訳/ハヤカワ文庫
"THE MALTESE FALCON" by Dashiell Hammet

          ┏━━━━━━━━━━━━━━━━┓
          ┃  ON APPROXIMATELY THIS SPOT ┃
          ┃     MILES ARCHER,        ┃
          ┃   PARTNER OF SAM SPADE,    ┃
          ┃     WAS DONE IN BY       ┃
          ┃    ****** *************.     ┃
          ┗━━━━━━━━━━━━━━━━┛

 これは、スペードの相棒であるマイルズ・アーチャーの殺害現場――サンフランシ
スコのブッシュ通りからバーリット小路へ入ったあたりのビルの壁に実在する看板だ。
“WAS DONE IN BY”は“誰それに殺された”の意味。* の連なりの伏せ字には人名が
入る。マニアの間では有名なネタばらしだが、むろん答えは本書のなかにある。
                  ◇
『マルタの鷹』は1930年の刊行と同時に絶賛を浴びた。感情表現を排し、徹底した客
観描写でサム・スペードという新しいヒーローを確立したという功績は、70年を越え
る年月を経てもなお色あせる事なく語り継がれてきている。いや、むしろこの間に娯
楽小説の範疇をこえ、文学上の功績としての評価が定着してきたと言ったほうがいい
だろう。
 このようにハメットは、頭の中で描いたシナリオに従って、読み手の頭の中にねら
った通りの映像を再生させる方法を編み出した。その効果は、本書を通じてみられる
視覚的な描写やいきいきとした会話になってみごとに結実している。しかし、これは
あくまで小説作法上の技術であり、それを使ってハメットが描こうとしたことの方が、
この作品では重要に思える。
 とかくハードボイルド小説というと、女とカネに目がなく、腕力にものを言わせて
事件を解決に導くヒーローが活躍する小説だと思われがちだが、本書は違う。確かに
主人公のサム・スペードは相棒であるマイルズ・アーチャーの妻アイヴァと関係をも
ち、今回の事件の依頼人、ブリジッド・オショーネシーともベッドを共にする。また、
必要とあれば暴力も辞さない男ではある。だが、そこには生き延びるため、勝つため
にコントロールされた理性が存在するのだ。
『マルタの鷹』のストーリーは美しい女性依頼人の登場と、スペードの相棒マイル
ズ・アーチャーの殺害で幕を開ける。そして、この依頼人の女とともに16世紀に作ら
れた“宝石類で飾り立てられた鷹の彫像”をめぐる争奪戦に、スペードが巻き込まれ
るというものだ。しかし本書の本当の魅力は、目まぐるしく変化する状況に素早く適
応するスペードの行動力であり、そこにかいまみえるプロフェッショナリズムだ。こ
の作品が時代を越えて支持されてきた理由の一つはここにある。ぜひそのことを頭の
片隅において、この不朽の名作をお楽しみいただきたい。
                                (板村英樹)

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■編集後記■
 当メルマガを創刊してから早半年。企画してほしい内容など、読者のみなさまのご
意見・ご感想を e-mail: whodmag@office-ono.com にてお待ちしております。(片)


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 海外ミステリ通信 第6号 2002年2月号
 発 行:フーダニット翻訳倶楽部
 発行人:うさぎ堂 (フーダニット翻訳倶楽部 会長)
 編集人:片山奈緒美
 企 画:板村英樹、宇野百合枝、影谷 陽、かげやまみほ、小佐田愛子、
     中西和美、松本依子、水島和美、三角和代、山田亜樹子、
     山本さやか、吉田博子
 協 力:@nifty 文芸翻訳フォーラム
     小野仙内
 本メルマガへのご意見・ご感想 :whodmag@office-ono.com
 フーダニット翻訳倶楽部の連絡先:whodunit@mba.nifty.ne.jp
 http://www.nifty.ne.jp/forum/flitrans/whodunit/index.htm
 配信申し込み・解除/バックナンバー:
 http://www.nifty.ne.jp/forum/flitrans/whodunit/magazine/index.htm

 ■無断複製・転載を固く禁じます。(C) 2002 Whodunit Honyaku-Club
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             月刊 海外ミステリ通信
          第5号 2002年1月号(毎月15日配信)
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★今月号の内容★
〈新春特別企画〉    2001年フーダニット・ベスト10発表!
〈座談会〉       フーダニット・ベスト10で2001年のミステリを振り返る
〈注目の邦訳新刊〉   『さらば、愛しき鉤爪』

(今月は、年末年始休暇をはさんだため、特別編成でお届けします)


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 ■新春特別企画 ―― 2001年フーダニット・ベスト10発表!

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 フーダニット翻訳倶楽部では、年末に恒例の年間ベスト・ミステリの投票を行いま
した。対象は、2000年12月1日から2001年10月31日までに刊行された作品です。投票
者は各自10作品まで選ぶことができ、それぞれ1位10点……10位1点で集計したもの
が得票数となっています。
 有名な宝島社の「このミステリーがすごい!」や週刊文春の「傑作ミステリーベス
ト10」などでベスト10に入っている話題作もありますが、フーダニット翻訳倶楽部会
員のあいだに根強いファンのいるシリーズものが強く、一つのジャンルに投票が偏っ
ていないのが特徴です。
 さて、あなたのお気に入りの作品は入っていますか?


1.『愛しき者はすべて去りゆく』 99票
  デニス・レヘイン/鎌田三平訳/角川文庫
  ――行方不明の少女を探すパトリックとアンジーが直面した皮肉な現実は、ふた
  りに新たな試練をもたらした。シリーズ最高傑作との呼び声も高い逸品。

2.『撃て、そして叫べ』 45票
  ダグラス・E・ウィンター/金子浩訳/講談社文庫
  ――銃密売組織がNYの闇市場で企てた大取引に仕掛けられていた罠とは……?
  ホテルで、教会で、激しい銃撃戦のなかに浮かび上がる米国の暗黒社会。

3.『頭蓋骨のマントラ』 40票
  エリオット・パティスン/三川基好訳/ハヤカワ文庫
  ――強制収容所の作業現場で首なし死体が発見され、囚人である元刑事が捜査を
  命じられた。現代チベットの現実と信仰の力を描いたMWA最優秀新人賞受賞作。

4.『斧』 29票
  ドナルド・E・ウェストレイク/木村二郎訳/文春文庫
  ――リストラされたバークは、再就職のライヴァルとなる人間を皆殺しにする計
  画を立てたが……。ドートマンダー・シリーズの作者が描くノワール。

5.『夜のフロスト』 27票
  R・D・ウィングフィールド/芹澤恵訳/創元推理文庫
  ――あのフロスト警部が帰ってきた。デントン署で猛威をふるうインフルエンザ
  だって下品パワーでシャットアウト、きょうもわが道を驀進中。

5.『堕天使は地獄へ飛ぶ』 27票
  マイクル・コナリー/古沢嘉通訳/扶桑社
  ――欲望と思惑がうずまく「天使の街」で、正義を貫こうとする刑事ボッシュ。
  ロス暴動の再燃から街を守れ! シリーズ随一のノンストップ・ミステリ。

7.『ミスティック・リバー』 26票
  デニス・ルヘイン/加賀山卓朗訳/早川書房
  ――少年のころ共に遊んだ3人の運命の糸が25年後にふたたび絡み合ったとき、
  彼らを待っていたものとは? ルヘインが渾身を込めた初のシリーズ外作品。

8.『永遠に去りぬ』 24票
  ロバート・ゴダード/伏見威蕃訳/創元推理文庫
  ――夏の黄昏どき、静謐な山道で出会ったひとりの美しい女性。まさか彼女が惨
  い二重殺人の被害者になるとは……。静かに進む物語のあっと驚く結末。

8.『ビッグ・トラブル』 24票
  デイヴ・バリー/東江一紀訳/新潮文庫
  ――山のような数の登場人物とどこまでも脱線しつづける話に翻弄されつつも、
  笑いがとまらない痛快ストーリー。電車のなかで読まないでください。

10. 『けちんぼフレッドを探せ!』 21票
  ジャネット・イヴァノヴィッチ/細美遙子訳/扶桑社ミステリー
  ――世界一カッコ悪い賞金稼ぎのステファニー。行方不明のフレッドおじさんを
  探すのはいいけれど……。今回も行く先々で騒動を巻き起こす。

11.『騙し絵の檻』 20票
  ジル・マゴーン/中村有希訳/創元推理文庫
12.『神は銃弾』 17票
  ボストン・テラン/田口俊樹訳/文春文庫
12.『心の砕ける音』 17票
  トマス・H・クック/村松潔訳/文春文庫
14.『トード島の騒動』 16票
  カール・ハイアセン/佐々田雅子訳/扶桑社ミステリー
15.『パーフェクト・ゲーム』 15票
  ハーラン・コーベン/中津悠訳/ハヤカワ文庫
16.『夜はわが友』 14票
  エドワード・D・ホック/木村二郎訳/創元推理文庫
16.『凍りつく心臓』 14票
  ウィリアム・K・クルーガー/野口百合子訳/講談社文庫
18.『学寮祭の夜』 13票
  ドロシー・L・セイヤーズ/浅羽莢子訳/創元推理文庫
19.『ジャンピング・ジェニイ』 11票
  アントニイ・バークリー/狩野一郎訳/国書刊行会
20.『紙の迷宮』 10票
  デイヴィッド・リス/松下祥子訳/ハヤカワ文庫
20.『巨匠の選択』 10票
  ローレンス・ブロック編/田口俊樹・他訳/ハヤカワ・ミステリ

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 ■座談会 ―― フーダニット・ベスト10で2001年のミステリを振り返る

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 2001年12月某日、大のミステリ好きを自認するフーダニット翻訳倶楽部の会員8人
が集結。21世紀最初のフーダニット・ベスト10について語り合った。本格、コージー、
ノワール、ハードボイルドと、得意分野はそれぞれちがってもミステリを愛する気持
ちは同じ。はてさて、どんな話が飛び出すことやら。

●暗い世の中を笑いとばすならこの2冊

朋:まずは10位の『けちんぼフレッドを探せ』からいきましょうか。ジャネット・イ
ヴァノヴィッチのステファニー・プラム・シリーズ5作目ですね。
蘭:『けちんぼ~』は原書で読みましたが、どんな筋だったか記憶が……(笑)。
朋:わたしも本筋の事件はよく覚えてません(笑)。高級車をこれでもかと壊しまく
ってたのが強烈に印象に残ってます。
姫:あの思わせぶりなラストがにくい。あのあとどうなるのか気になって気になって、
原書で続きを読んじゃった。それも3日で!
林檎:ふうん、そうやってみんなハマっていくんですね。連載マンガみたいなものか
な。
朋:本筋を忘れた自分を正当化するわけじゃないですけど、あれはキャラクターと脇
筋で読ませるシリーズだと思います。
蜜柑:うん、最初にキャラクターありきって感じのシリーズだ。
林檎:でもなにか賞をとってますよね。ええと(と調べる)、1997年に『モーおじさ
んの失踪』でシルヴァーダガーを受賞してます。
一同:ええ~、驚き!
林檎:このシリーズ、読んだことないけど興味はあるんです。読んだ人みんな、口を
そろえておもしろいっていいますものね。
朋:お次はデイヴ・バリーの『ビッグ・トラブル』。ゴダードと同率8位でした。
蜜柑:とにかく爆笑。まともにミステリの筋だけ考えてたら、あんな奇想天外なスト
ーリーは思いつかない。
林檎:きょう、冒頭の「謝辞と警告」を立ち読みしました。おかしかったです。
朋:訳者あとがきも笑えます。
林檎:遊んでますね、東江さん。
蘭:今年は、ハイアセンといいバリーといい、フロリダ系がおもしろかったです。
林檎:バリーとハイアセンは仲がいいらしいですよ。「謝辞と警告」に出てきてます。
蜜柑:類は友を呼ぶ(爆笑)。
林檎:聞くところによるとヒキガエルが出てくるそうですが、どんなキャラクターな
んでしょう?
蜜柑:ああ、にらめっこのヒキガエルね。主要登場人物(?)の中でいちばん小さい
けど、インパクトは思いっきり大きい。
蘭:動物といえば犬も大活躍します。
朋:あの犬いいですね、最高。
林檎:ええっ、犬が活躍するの? だったら絶対読みますよ。犬好きだもの。
蜜柑:水鉄砲から最後には核爆弾まで登場して、しっちゃかめっちゃか。
姫:とにかくはちゃめちゃでおもしろい。
朋:いったいどう辻褄あわせるんだって、途中で心配になりますね。
蜜柑:あれで最後はちゃんと収まるところがすごい。フロリダ系の特徴かも(笑)。

●じっくり味わいたい向きにおすすめ――ゴダードとルヘイン

朋:もうひとつの8位にいきましょうか。ロバート・ゴダードの『永遠に去りぬ』で
す。内容もさることながら訳も話題になった作品ですね。
林檎:ゴダード党員のわたしには大満足の1冊でした。主人公と死んだ女性の一家の
かかわり方は現実にはありえないけど、一種のファンタジーって感じで読みました。
蜜柑:冒頭の女性との出会いのシーンなんて、まさに夢の中のよう。
林檎:いままでのゴダードは、女性を“夢の女性”みたいに描くことが多かったと思
うんですが、『永遠に~』の長女は地に足がついてる感じがしました。
朋:“夢の女性”というのはわかるなあ。『一瞬の光の中で』もそんな感じでしたね。
蜜柑:そうだったねえ。あの女性をどうしても忘れられなくてという物語だった。
林檎:『千尋の闇』もそうですよ。あ、ということは、それがゴダードのパターンな
のか。
姫:わたし、ゴダードを読んだことないの。長いから尻込みしちゃって。
林檎:長いけどつかみはすごいですよ。たとえば、日本で最初に話題になった『蒼穹
のかなたへ』。最初はだるいけど、100ページを過ぎたあたりからぐいぐいと引きつ
け、最後にぐわーんときます。ゴダードを読んでると寝るのを忘れます。
朋:翻訳がまとまって出たせいで読むのがたいへん。複数の訳者さんで複数の出版社
から次々と出たでしょう?
蜜柑:たしかにどっと出たという印象だね。
朋:7位はデニス・ルヘインの『ミスティック・リバー』。「このミス」や週刊文春
のベスト10でも高く評価された作品です。
林檎:まだ50ページくらいしか読んでませんが、力を抜かない作家だなという印象で
す。
蜜柑:ルヘインの“物語をえぐる力”がいかんなく発揮された作品と思う。
朋:シリーズものとは雰囲気がちがいますか?
蜜柑:うん、ちがう。といっても、れっきとしたミステリだし、謎解きもちゃんとあ
る。ルヘインがまじめな部分だけを追求するとこうなる、とでもいえばいいのかな。
林檎:それは遊びがないってことですか? たとえばパトリックのシリーズだと、ふ
っとアンジーを見て、「女はなんでTシャツをこんなにきれいに着られるんだ」とか、
そんな余計なことを考えたりしますよね。
蜜柑:そういう“陽”の描写がなくて、ひたすら“陰”の部分を追い求めてるのよ。
林檎:パトリックとアンジーは、お互いにはげまし合ったりもするでしょう? そう
いう細部の救いがない話はつらいなあ。
蜜柑:パトリックのシリーズを読んでなかったら、わたしももっと評価したんだけど。

●シリーズ最高傑作との呼び声も高いが……

朋:5位も2作品ありますが、まずはマイクル・コナリーの『堕天使は地獄へ飛ぶ』
からコメントをお願いします。投票者の数が少ないわりには上位に食い込みました。
林檎:ああ、気の毒なコナリー。よそのベスト10ではまったくふるってません。
朋:最高傑作なんですけどねえ。
蜜柑:あんなおもしろい話なのに。
蘭:まだ読んでません。だって、シリーズは順番に読まないとおもしろくないってい
うから。
林檎:そうそう。シリーズをちゃんと追っていこうと思うと、手を出しにくいですね。
姫:すごくよかったけど、投票しなかった。子どもがかわいそうだったから。
蜜柑:たしかに少女殺害というモチーフはつらいけど、ストーリーテリングが最高。
林檎:読めばこんなおもしろい作家はいないと思うんですよ。シリーズ外作品の『わ
が心臓の痛み』なんか、読む人みんな高く評価してますもん。
蘭:『わが心臓~』はほんとにおもしろかったです!
蜜柑:でも、『わが心臓~』より『堕天使~』のほうがもっとおもしろいのよ。
林檎:ええっ! ほんとですか? もう、絶対読みます。
蜜柑:こんなにおもしろいのに、どうして地味なんだろう。
林檎:単行本で出たせいで買い控えた人が多いのかもしれませんね。
真冬:そもそも、文庫をおもに読む人って単行本の棚をあんまり見ないんじゃないか
しら。作家別に特集して並べるとか、書店のほうでも工夫してくれるといいのに。
朋:地方に住んでいると扶桑社の本は手に入りにくいんですよ。それもネックになっ
てるかも。
姫:同感。うちのほうもおいてなくて、都会に出ないと買えない。

●あいかわらずお下劣パワー炸裂のフロスト

朋:ではお待ちかね、同じく5位の『夜のフロスト』にいきましょう。お下劣おやじ、
フロスト警部シリーズ第3弾です。
蜜柑:下品なままでいてくれてありがとう、警部(笑)。
朋:票は入れなかったけどわたしも好きです。原書を読んでたぶん、訳書のインパク
トが弱かった。
姫:このシリーズは読んでないの。読むのがこわい。ハマったらどうしようって不安。
若菜:あんなに下品なのに同僚には愛されてるのが不思議。
蜜柑:人間味あふれるおやじだものね。
林檎:誰より先に現場に走るってのは信頼されますよ。たとえ下品でも。
朋:となりの課の課長さんなら見ていて楽しい。直属の上司だと嫌かも。
林檎:でも、そばを通り過ぎるときなんか気をつけないといけませんね(笑)。
蜜柑:おもしろいとはいっても扱われる事件は悲惨。あの下品ギャグのおかげで楽し
く読んじゃうけど。
林檎:そうそう、こんなにグロに書く人だったかと驚きました。ランズデールとタメ
をはる死体の描写。
若菜:ストーリーはおもしろいけどワンパターンな気もする。印象に残りにくい。
林檎:たしかにワンパターンですね。ただ、あれだけいろんな事件を同時に発生させ
るのはすごいと思います。で、推理はめちゃめちゃでしょう(笑)。そこがいい。
若菜:あはは、たしかにフロストってぜんぜん推理してないよねえ。
蜜柑:モジュラー型ってまさにこういうことだなと思う。
浅葱:ほんとうにまとまるんかって余計な心配をしたりして。
蜜柑:類書が他に見あたらないという点でフロストのシリーズは抜きんでてる。
朋:それになかなか次が出ないというのもミソですね。
若菜:さんざん待たされたあげくに出るから、ついつい評価は高くなる。
朋:それでは4位、ドナルド・E・ウェストレイクの『斧』です。これだけ景気が悪
いと、勤め人には笑い話じゃすまされない内容でしたね。
姫:現実味がありすぎちゃって。
若菜:すごく好き。発想がユニークでよかった。
蜜柑:いつのまにか主人公を応援している自分に気づいてぞっとした。今度はうまく
やれ(殺れ)よ~と(笑)。
林檎:わたし、読み方がまじめすぎたかもしれません。細部にいろいろ仕掛けがある
でしょう? あれをおもしろがればよかったんだなと、いまごろ気がつきました。
朋:なにがあんなに読み手を惹きつけるんでしょう?
姫:考えたらわからないけど、とにかく読んでいて楽しかった。
林檎:アイデアも勝ちだけど、構成のおもしろさじゃないでしょうか。
蜜柑:そうそう、やっぱりウェストレイクはそのあたりがうまいよね。
林檎:似たような雰囲気の未訳作品がまだあるそうですが。"HOOK" でしたっけ?
朋:あ、それ、いま手元にあります。スランプになった売れっ子作家が売れない作家
に儲け話を持ちかけるが、それにはもちろん罠があって……という話らしいです。

●健闘した新人作家ふたり

朋:3位は『頭蓋骨のマントラ』。エリオット・パティスンという新人作家の作品で
す。意外といっては失礼だけど、かなり健闘しましたね。
姫:主人公の神秘体験のシーンに感動した。
若菜:読んだときは、これが今年の1位だと思った。そのくらいよかった。
蜜柑:テーマが重そうなので敬遠してたけど、読んでみるとすんなり世界に入ること
ができた。
姫:登場人物の名前を覚えるのが大変。
朋:すぐ読み方を忘れる(笑)。
若菜:作者はたくさん勉強してるよねえ。中国のこと、チベット仏教のことなどいろ
いろと。
朋:そういうエキゾチックなところが欧米人受けしたのかもしれませんね。
林檎:ミステリ的にはどうなんでしょう?
朋:なかなかしっかり探偵してます。
蜜柑:さすが、もと敏腕刑事って感じ。
朋:でも、その敏腕があだとなって、強制収容所に入れられているという設定なんで
す。
蜜柑:それで自暴自棄になって人生を投げようとしたときに、宗教に出会った。
林檎:それはたしかにふつうのミステリにはない設定かも。
若菜:ラストがさわやかなのがいい。続編も読みたいと思わせる内容だった。
朋:2位の『撃て、そして叫べ』はいかがでしょうか? こちらも新人作家といって
いいでしょうね。
林檎:これが上位に入ってるのが、フーダ・ベスト10の特徴です。ほかのベスト10で
は、ほとんど上位にあがってません。
若菜:本来、わたしの守備範囲じゃないけどおもしろかった。語り口がいい。
朋:スピード感があって、なおかつきちんと人間を描いてる作品だと思います。
姫:タランティーノの映画を彷彿とさせる。
蜜柑:武器が云々の話として語られがちだけど、友情を描いた部分が好き。それに、
あのどんでん返し。ミステリ的にもよし。
姫:ラストは、おもわず拍手しちゃった。
若菜:泣けるよねえ。
林檎:死人が多いという意見もありますよね。でも、やくざ映画も死人は多いけど、
あまりリアルな感じがしない。それと似てる気がします。ってことはこれも任侠映画
なのか。
蜜柑:任侠。いえてるかも(笑)。
林檎:遠ざかっていく電車に向かって撃つシーンが最高によかったです。

●フーダニット一番人気はやっぱりこの作品

朋:さて、ようやく1位です。デニス・レヘインの『愛しき者はすべて去りゆく』。
フーダのベスト10では2位以下を大きく引き離し、ダントツの1位でした。
林檎:よそのベスト10では低迷してますが。
蘭:『ミスティック~』に票をとられちゃったんでしょうか。すごくいいのに。
浅葱:結末は悲しかったけど。
蜜柑:ストーリーがいいのはもちろんだけど、フーダにはレヘインの読者が多いから、
1位になるのは当然といえば当然。
浅葱:そうそう、わたしでさえ読んでるもの(笑)。
蜜柑:あの結末、パトリックのばかぁといいたい。なんでそこで急に厳しくなるんだ
よと思った。
浅葱:同感。あのあと、どうなっちゃうのかと気になる。
林檎:あの話はけっして他人事ではありませんよね。探偵小説では、事件と自分との
間に距離をおくものだけど、この作品はもろにかぶってます。だから一段と重い。
蜜柑:最近は日本でも似たような事件が多いので、よけいにずしりとくる。
真冬:児童虐待の話なの?
蜜柑:子どもをほったらかしにする若い母親が出てくるのよ。
林檎:いわゆるネグレクトです。身体的虐待ではないけど心理的な虐待。
朋:シリーズ3作目の『穢れし者に祝福を』も今回のベスト10の対象でしたが。
浅葱:『穢れし者~』はブッバが活躍しないんだもん。
朋:おつとめ中でしたからねえ。次作の "PRAYERS FOR RAIN" はブッバが大活躍する
そうですよ。
姫:ブッバがかっこいいなら、読まなくても1位に入れちゃう(笑)。
朋:ブッバのファンは多いですね。
林檎:ブッバ好きだあ。うちにも来てほしい。
蘭:おともだちにしたい。
朋:話はつきませんが、ベスト10談義はこのへんでおひらきにいたします。2002年も
おもしろいミステリにたくさん出会えますように。
                            (構成 山本さやか)

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 ■注目の邦訳新刊レビュー ――『さらば、愛しき鉤爪』

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『さらば、愛しき鉤爪』"ANONYMOUS REX"
 エリック・ガルシア/酒井昭伸訳
 ヴィレッジブックス(ソニー・マガジンズ)/2001.11.20発行 860円(税別)
 ISBN: 4-7897-1769-0

《探偵小説界に新風――鉤爪の私立探偵デビュー》

 お正月を「このミス」三昧で過ごされたミステリファンのみなさん、明けましてお
めでとうございます。「このミス」の豪華なおせちにちょっと食傷気味かな、とお感
じのみなさんへ、今月は箸休めの作品を一品、お届けします。
 作者のエリック・ガルシアは1973年マイアミ生まれ。1999年、26歳の時にこの作品
でデビューした彼は、ミステリ史上はじめての個性派私立探偵をこの世に生み出した。
LAに探偵事務所を構える主人公のヴィンセント・ルビオ、大きな声では言えないが
――どうしようかな、言わない方がいいかなあ、でも本の表紙ではっきりそれとわか
るしなあ、ええい、ままよ――実は、恐竜なんである。いやいや、冗談ではない。本
当だってば!
「ヴィンセント・ルビオというんだ。私立探偵でね。奥さんに頼まれて、身辺調査を
させてもらってる。おれがあんただったら、ミスター・オームスマイヤー、さっそく
離婚訴訟専門の優秀な弁護士をさがしにかかるぜ」――といったあんばいでトレンチ
コートに帽子をちょこんとかぶり、火のついていないたばこ(恐竜はたばこを吸わな
い)をくわえ、離婚訴訟の証拠集めや、大手探偵事務所の下請け調査をしている我ら
がルビオ、本当に恐竜なのである。正真正銘のヴェロキラプトゥルだ。ただし、進化
の過程でヒト大に小型化した16種類の恐竜たちは、ヒト前では〈ポリスーツ〉と呼ば
れるヒトの姿をかたどった扮装を身にまとっている。そんな訳で、地球全体で10%ち
ょっとを占める恐竜の存在に、ヒトはまったく気づいていない。そのために恐竜たち
はそれはそれは大変な努力を払っているのだが、これがまた笑わせてくれるのだ。
 さて、そんなルビオが大手探偵事務所の依頼で、ナイトクラブ火災の原因調査に乗
り出した。おっとここまできて紙幅が尽きた。とにかくどれが恐竜でだれがヒトか、
ヒト気がないとなれば〈ポリスーツ〉を脱ぎ捨てて恐竜同士で大暴れ。これで、おも
しろくないはずがない。おまけといっちゃあなんだけど、いやに官能的なベッド・シ
ーンだって用意されている。えっ? どっちのだって? だめ。福袋の中身は教えら
れない。さあ、買った、買った!
                                (板村英樹)

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■編集後記■
 あけましておめでとうございます。フーダニット・ベスト10に投票するため、先月
は未読ミステリの山に突撃! 残念ながら読み切れずに年越しした新刊もありました
が……。今年も『海外ミステリ通信』をどうぞよろしくお願いいたします。 (片)


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 海外ミステリ通信 第5号 2002年1月号
 発 行:フーダニット翻訳倶楽部
 発行人:うさぎ堂 (フーダニット翻訳倶楽部 会長)
 編集人:片山奈緒美
 企 画:板村英樹、宇野百合枝、影谷 陽、かげやまみほ、小佐田愛子、
     中西和美、松本依子、水島和美、三角和代、山本さやか、
     吉田博子
 協 力:@nifty 文芸翻訳フォーラム
     小野仙内
 本メルマガへのご意見・ご感想 :whodmag@office-ono.com
 フーダニット翻訳倶楽部の連絡先:whodunit@mba.nifty.ne.jp
 http://www.nifty.ne.jp/forum/flitrans/whodunit/index.htm
 配信申し込み・解除/バックナンバー:
 http://www.nifty.ne.jp/forum/flitrans/whodunit/magazine/index.htm

 ■無断複製・転載を固く禁じます。(C) 2002 Whodunit Honyaku-Club
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             月刊 海外ミステリ通信
          第4号 2001年12月号(毎月15日配信)
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★今月号の内容★
〈特集〉       「復刊してほしいミステリ」シリーズ 第1弾
            『祟り』『モンキーズ・レインコート』『偽りの街』
〈翻訳家インタビュー〉 樋口真理さん
〈注目の邦訳新刊〉   『探偵ムーディー、営業中』『アフター・ダーク』
〈ミステリ雑学〉    フェルメールを巡る旅(後編)
〈スタンダードな1冊〉 『死の蔵書』
〈速報〉        CWA賞受賞作決定


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 ■特集 ――「復刊してほしいミステリ」シリーズ 第1弾

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 毎年数え切れない翻訳ミステリが出版されるなかで、派手で人目を引く作品が何十
年にもわたって繰り返し再版される一方、地味だがきらりと光る印象的な作品があっ
という間に絶版になる。新刊書店では手に入らない数多くの佳作の中から、今回は3
作品を紹介する。

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●『祟り』~伝統の社会に生きるナヴァホ族警察シリーズ、幻の第1作

 1970年発表のトニイ・ヒラーマンのデビュー作 "THE BLESSING WAY" は、翌1971年
に『祟り』というタイトルで角川文庫から出版された。しかし30年後の現在『祟り』
は新刊書店の書棚になく、古書店でもめったに目にすることができない稀覯本となっ
ている。ミステリアス・プレス文庫から出版された作品も、2作目の『死者の舞踏場』
以外の6冊はすでに店頭から姿を消し、1998年にDHCから出た『転落者』も絶版だ。
ミステリとしても面白く、ネイティブ・アメリカンの文化や儀式などの知識も得られ、
西部劇の撮影によく使われたアリゾナの砂漠やメサの雄大な風景が感じられる、そん
な一石三鳥の作品が簡単に手に入らないのは残念でならない。
 ナヴァホ族警察シリーズの主な舞台は、ナヴァホ・ネイションと呼ばれるユタ、ア
リゾナ、ニュー・メキシコにまたがる砂漠地帯だ。そこでネイティブ・アメリカンの
文化や儀式などに絡む事件が起こり、ジョー・リープホーン警部補とジム・チー巡査
の2人が登場して解決するのがシリーズのパターンになっている。最初リープホーン
とチーはそれぞれ単独で活躍していたが、7作目の『魔力』からは競演するようにな
った。競演当初は、警察本部にいるリープホーンと支署にいるチーが別々に追ってい
た事件が、クロスオーバーしていった。その後チーはリープホーン直属の部下になり、
現在は、引退したリープホーンがチーの捜査に協力している。性格はリープホーンが
静でチーが動。部族に対する思いは正反対で、リープホーンは儀式や伝統に嫌悪感を
持っているが、チーは伝統を重んじ儀式を執り行う〈歌い手〉になりたいと考えてい
る。相手の能力を認め合いながらも、いまひとつうまくつきあえない緊張関係のある
2人が競演したことで、作品の世界が広がり、厚みを増していった。
 アメリカでも2人が別々に活躍していた間はそれほど人気はなかったものの、アン
ソニー賞受賞作の『魔力』のヒットがきっかけで、ヒラーマンはベストセラー作家の
仲間入りを果たした。当初、彼はリープホーンものを3冊、チーものを3冊、2人が
競演するものが3作と決めていたようだが、すでにシリーズは14作目まで発表されて
いる。さて日本での人気はどうだろうか。14作品中9作が翻訳されていることからみ
て、全く人気がないわけではなさそうだ。しかし1作目から2作目が翻訳されるまで
に10年以上かかり、原作の順番どおりに翻訳されず、途中訳されていない作品がある
など、紹介のされ方に問題があったのではないか。さまざまな事情があるだろうが、
これでは作者にとっても読者にとっても不幸だ。どういう順番で読もうと支障のない
シリーズとはいえ、人間関係がよく分からないのは困るし、なによりシリーズの象徴
ともいえる1作目が読めないのは気持ちが悪い。
 舞台や文化的な背景が日本人になじみがない? そうだろうか? 最近日本では、
ネイティブ・アメリカンの生き方や知恵を書いた本や、アクセサリーが売れている。
彼らへの関心が高まっているいまなら、ネイティブ・アメリカンが活躍するミステリ
も売れるはずだ。


『祟り』 "THE BLESSING WAY"
 トニー・ヒラーマン/菊池光訳
 角川文庫/昭和46年1月30日発行

 逃亡中のナバホ族の男の他殺体が、高速道路近くの道端で発見された。保留地には、
死体が永久に発見されないだろう場所がいくらでもあるのに、犯人は何故すぐに見つ
かるような場所に死体を置いたのだろうか? 殺人事件の捜査に乗り出したナバホ族
警察のリープホーンは、犯人の不可解な行動に注目した。一方、発掘のために保留地
でキャンプ中の考古学者キャンフィールドが、謎の手紙を残して消えた。同行してい
た人類学者マキーは、彼の身に何かが起こったと直感する。しかしマキーもまた、キ
ャンプを訪ねてきた女性エレンとともに、ナバホ族らしき男と仲間に捕らえられる。
男たちはいったい何者なのか、何の目的でマキーとエレンを捕まえたのか。2人は、
男たちの手から逃れられるのだろうか?
 まったく別件に見える複数の事件が、すべて繋がっていき最後に一つにまとまって
解決されるところは見事だ。しかも丁寧にエピソードを重ねていっているので、無理
矢理に結びつけた感じはなく、自然で納得できる。
 シリーズ化を意識していなかったということで、他のシリーズ作品と比べるとサス
ペンス色の強い作品になっている。そのため、シリーズキャラクターのリープホーン
が脇役に回ってしまったことと、妻エンマとのエピソードが全くなかったのが残念。
もしエンマがいくつかの場面で登場していたら、リープホーンの人間味のある部分が
もう少し描き出せたのではないだろうか。しかし逆に私生活を描かなかったことで、
若くしてナバホ族警察の伝説的存在となったリープホーンの、感情を抑えた客観的で
冷静な人間性が確立できたのかもしれない。

(注:記事中の表記はミステリアス・プレス文庫、レビュー中の表記は角川文庫に準
拠した。)
                              (かげやまみほ)

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●『モンキーズ・レインコート』~エルヴィス・コール登場の記念すべき第1作

『モンキーズ・レインコート』 "THE MONKEY'S RAINCOAT"
 ロバート・クレイス/田村義進訳
 新潮文庫/1989.02.25発行
 ISBN: 4-10-228201-7

「たしかにわたしはLAのしがない探偵だ。たった8冊の本にしか出てこないんだか
ら。そりゃあ、大先輩のスペンサーに比べたら量は負けるよ。でも、肝心なのは質だ
ろ、質。探偵としては、これでけっこう評判はいいはず――なんだが、そうじゃない
のかい(弱気)。邦訳は2冊が絶版だって? こいつはまた嘆かわしいな。なんとか
ならないもんだろうか」

 そんな主役のぼやきが聞こえてきそうな状況が続いている。だって、あのエルヴィ
ス・コールのシリーズよ? 昨年5冊目、6冊目の邦訳が出版された、れっきとした
現役のシリーズだというのに。

 プレスリーのコンサートに感動した母親が改名の手続きをして、6歳からこんな名
前になった探偵は、ふざけたジョークをいって初対面の依頼人をあぜんとさせること
もしばしばだが、じつは18歳でヴェトナムを経験している苦労人。よくある探偵像じ
ゃん。と、いわれたらそのとおりだが、突き抜けるような青空を思わせる独特のすが
すがしさは一読の価値あり。当編集部の近辺では、「ノワールで疲れた心にエルヴィ
スを」と、なかば癒しのツールがわりに愛でられているシリーズでもある。こう書く
と、ヴェトナム云々は箔をつけるためのお飾りだと考えるむきもあるかもしれないが、
彼の場合、明るさはけっして浅さと同義語ではない。力の抜きかげんを心得ているだ
けのことだ。「わたしはヴェトナムで気楽に生きることを学びました。それが生きの
びる秘訣です」(本書本文より)苦難を乗り越えたうえでの明るさとその根底にある
力強さと信念が、コールの言葉の端々に顔をだす。こうしたポジティヴな人物造形と
作風は、何度読み返しても、西海岸のからっとした風が吹き抜けていくような気分に
させてくれる。重いミステリもいいが、こうしたものも、なくてはこまる。

 なのにそのシリーズの1作目が一般書店で手に入らないとは。本書と次の2作目が
新潮社で出版されたのち、3作目以降は扶桑社から出版のはこびとなった。そしてな
んたることか、いつのまにか新潮社からの初期の2冊は、まぼろしとなってしまった
のだった――

 と、締めくくってどうする。では作者について軽くふれておこう。エルヴィス・コ
ールの生みの親はロバート・クレイス、1953年生まれ。作家を夢みた若きクレイスは、
ほぼ裸一貫で故郷ルイジアナをあとにしてハリウッドに乗り込んだ。かならずしも現
実と一致しないであろう、絵に描いたような乾いた理想の西海岸は、湿気が多い南部
で暮らしてきたクレイスの夢だったのかもしれない。クレイスはTVドラマの脚本家
として10年ちかく文筆の修業を積む。その間に『LAロー』、『マイアミ・バイス』
等の人気ドラマの脚本をてがけ、売れっ子に。そして1987年にこの『モンキーズ・レ
インコート』で本格的に作家としてデビューを果たす。

 アンソニー賞とマカヴィティ賞に輝いた本書のタイトルは、芭蕉の「初しぐれ猿も
小蓑をほしげなり」の英訳からとっている。コールのオフィスに芸能プロダクション
社長夫人のエレンがやってきた。依頼内容は息子を連れて姿を消した夫の捜索。とこ
ろが彼女は極端に自信がもてない女性で、依頼を本決めするにもかなりの時間がかか
るありさまだった。本筋の事件と平行し、エレンがどうやって強い意志をもつに至る
かがこの作品の大きな読みどころとなる。夫に頼りきり、そしておそらくは都会にな
じめず、物怖じばかりしているうちにエレンはすっかり弱くなってしまった。そんな
エレンを見下すことなく、同じ目線の高さから励ましていくコールの姿がなんとも印
象に残る。明るさと強さと温かさと。コールの人生哲学めいたものが現れており、シ
リーズ導入の書としてふさわしいものだ。

 このシリーズで忘れちゃいけない人物がもうひとりいる。コールと人気を二分する
相棒、ジョー・パイクだ。ヴェトナムには海兵隊で参加した元警官で、腕に物言わせ
る仕事はまかせろというキャラクターは、ロバート・B・パーカーのスペンサーに対
するホーク的な存在だ。寡黙でけっしてサングラスを取らないパイクには、彼自身の
過去のストーリーがあり、それが現段階でのシリーズ最新作 "L.A. REQUIEM" に描か
れている。もうひとつ未訳の "INDIGO SLAM" は筆者の意見ではシリーズナンバー1
の作品で(どちらも、各ミステリ賞の候補になっている)、この2冊の邦訳が出版さ
れたら、最初から通して読みたいという声がさらに大きくなること必至だ。『モンキ
ーズ・レインコート』以上に、2作目の『追いつめられた天使』に古書店で巡り会え
ないという説もあり、ここはぜひとも、2冊セットで復刊をお願いしたい。
                                (三角和代)

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●『偽りの街』~ベルリン3部作は、オリンピック準備に余念のない街で始まる

 ヒトラーが総統になって3年、全体主義や軍事色が濃くなっていくベルリンの街で、
ベルンハルト・グンターは私立探偵をしている。斜に構え、減らず口も忘れてはいな
いが、有能な美人秘書の結婚退職にちょっとへこんでいる。そこへ鉄鋼王ジグスから
の依頼が来た。ジグスの娘夫婦が強盗殺人・放火の犠牲になり、娘グレーテが所有し
ていた高価な首飾りが盗まれた。警察よりも先に犯人を見つけ、国庫に没収される前
に、首飾りを取り戻してもらいたいのだという。娘夫婦の周囲を探るうち、グレーテ
の夫パウルがゲシュタポで腐敗を暴く任務についていたこと、金庫にはその証拠とな
る資料も入っていたことがわかる。いっぽうで、ジグスの秘書が宝石の処分をめぐり
怪しい動きをしていた。事件は宝石盗難と機密書類盗難の二重の様相を帯びてくる。
もと新聞記者インゲの助けを得て調査を進めるグンターの身辺には、刑事警察だけで
なく、ゲシュタポ内の勢力争いにかかわるゲーリングの影もちらつきはじめる。そし
て二転三転する真相。終盤、グンターは盗まれた書類のありかを探るべく悲惨な強制
収容所〈ダッハウ〉への潜入を余儀なくされる。

『偽りの街』はフィリップ・カーの処女作だ。第二次大戦直前のベルリンを舞台に私
立探偵が活躍するという設定が目新しい。タフで頭が切れ、反骨精神旺盛、女には弱
く、情にももろくて、軽口を叩くのが大好きという一匹狼という探偵像が、病に侵さ
れ腐って行くベルリンの街に妙にはまっている。カーはベルリンの街を克明に描写し、
当時の出来事をストーリーに巧くからめている。たとえば冒頭部分、反ユダヤ主義の
雑誌『シュトゥルメル』の掲示箱を突撃隊員が取り外している。ベルリン・オリンピ
ックの開催を控えて外国人客の目をはばかり、あまりにも煽動的な掲示を取り払って
体裁を繕おうとしているのだ。そして調査を進める中でも、オリンピックを迎える街
の様子、オーエンスの活躍などが刻々とはさまれる。もちろんゲシュタポや治安警察
や刑事警察の傍若無人な捜査ぶり、市民の脅えや諦め、煽動にのる若者たちのようす
も描かれている。圧巻は強制収容所の描写だろうか。グンターは言う。――わたしが
第一に思いを馳せたのは、同じように重い病に侵されているわが祖国のことだった。
ダッハウに来て初めて、衰弱したドイツの諸器官が壊死状態に移行しつつあることに
気づかされた――

 この作品が好評をはくし、グンターを主人公に〈ベルリン3部作〉と呼ばれる作品
が次々と出版された(1990年『砕かれた夜』、1991年『べルリン・レクイエム』)。
カーはシリーズものではなく、同じ主人公を使って違うタイプの作品が書きたかった
ようで、1作ごとに違ったスタイルが採用されている。『偽りの街』は私立探偵小説。
『砕かれた夜』では、金髪碧眼の少女ばかりを狙う連続殺人が起こり、速やかな解決
を望む上層部からの要請で、グンターが古巣の刑事警察に戻る警察小説となっている。
1作目の冒頭に出てきた雑誌『シュトゥルメル』がここでも登場する。連続殺人の手
口が、この雑誌が書きたてるユダヤ人による〈儀式殺人〉にあまりに似ているので、
かえってグンターは疑念を持つ。雑誌主宰者のシュトライヒャーがなにか企んでいる
のか? 1作目で行方が唐突に途切れた助手のインゲの消息もこの作品で明らかにな
り、作者が最初から3部作として構想を練っていたことがうかがえる。3作目の『ベ
ルリン・レクイエム』はスパイ小説。敗戦後の荒廃したベルリンで話が始まる。出征
したグンターは、終戦時ソ連で捕虜となっていたが、収容所へ送られる途中で脱走し
帰国、細々と探偵稼業を営んでいる。帰ってからは妻との仲もしっくりいっていない。
そこへウィーンでアメリカ兵殺害容疑をかけられた警察時代の部下から、助けを求め
る依頼が舞い込む。舞台はウィーンに移り、アメリカ、ソ連、そしてナチスの残党が
入り乱れるスパイ合戦となる。そしてグンターは外からベルリン封鎖の知らせを聞く
ことになる。3作全体を通して大きな歴史のうねりに翻弄されるベルリンの街が浮か
び上がるしくみである。

 カーはこの後も、趣向を変えながら次々と作品を書き続け、最近ではハリウッドで
の映画化の話が巨額でまとまるなど、ビッグネームの仲間入りを果たしており、『殺
人探究』『屍肉』『殺人摩天楼』『密葬航路』『エサウ』『セカンド・エンジェル』
と邦訳も出ている。残念ながら、ミステリの世界からは離れてしまった模様で、フィ
リップ・カー=ミステリ作家という図式が弱いためか、ベルリン3部作を始めとする
初期の作品は新刊書店では手に入らない。ミステリファンとしては作者の多才さを恨
みたくなるのである。ちなみに原書で読みたいかたには、ベルリン3部作をひとつに
まとめた "BERLIN NOIR" が出ている。

『偽りの街』(MARCH VIOLET)    ISBN:4-10-238001-9
『砕かれた夜』(THE PALE CRIMINAL)  ISBN:4-10-238002-7
『ベルリン・レクイエム』(A GERMAN REQUIEM) ISBN:4-10-238004-3
                (いずれも東江一紀訳/新潮文庫)
                               (小佐田愛子)

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 ■翻訳家インタビュー ―― 樋口真理さん

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 今月は、編集プロダクションに勤務されながら翻訳家としてご活躍中の樋口真理さ
んにお話をうかがいます。
+――――――――――――――――――――――――――――――――――――+
|《樋口真理さん》1964年生まれ。学習院大学英米文学科卒業。商社勤務、中学校|
|国語教師などさまざまな経歴を持つ。デビュー作は児童書「モンスター図鑑」シ|
|リーズ(ほるぷ出版)。訳書に『迷い猫』(角川書店)のほか、『エディスの真|
|実』(講談社)、共訳書に『赤ずきんの手には拳銃』(原書房)など。    |
+――――――――――――――――――――――――――――――――――――+
【Q】さまざまなお仕事に就かれていますが、翻訳を意識されたきっかけは?
【A】本好きの母の影響で、本には自然に親しんでいました。小学生の頃は学校や近
所の図書室の本を片っ端から手に取り、読みあさっていました。
 大学卒業後に大手商社に就職しましたが、典型的なお茶くみOL生活に幻滅し、翻
訳学校に通いはじめたんです。ところが自分の英語力のなさを実感。貯金と退職金を
はたいてイギリスに語学留学しました。留学先では本当によく勉強しましたよ。普通
のペーパーバックなら1日で読める自信がついたのもこの頃です。

【Q】でも帰国後は、国語の教師になられましたね。
【A】ええ。考えに考えた末、日本語のほうが好きだと思ったんですね。それで教員
免許もないのに国語教師になろうと決めたんです。通信教育で免許を取り、猛勉強し
て採用試験を突破、教職に就きました。教師の仕事はおもしろかったです。でも今思
えば、軽い気持ちでまた翻訳学校に通ったのが大きな転機だったでしょうか。すっか
り翻訳にのめりこみ、結局教職も2年で辞めました。通学した7年間はとにかく必死
でしたね。本を読んでお金がもらえる、こんなありがたい話はないとリーディングは
200冊以上やりました。ものすごいエログロ小説の下訳をしたことも、苦手なコンピ
ューターの翻訳を泣きながらやったこともあります。今は会社勤めと翻訳の二重生活
ですが、体力には自信があるので風邪もひかず、大好きなお酒もしっかり飲んで毎日
元気いっぱいです。

【Q】児童書から一般書まで幅広く訳されていますが。
【A】通学3年目に、元中学校教師の実績を買われていただいた仕事が「モンスター
図鑑」シリーズです。また、翻訳学校の研究生共有の「神保睦」というペンネームで
も共訳書を出しました。3年前に出た『エディスの真実』は初めて訳した一般書です
が、ナチ迫害を生き延びた少女の実話で、98年にイギリスでブック・オブ・ザ・イヤ
ーを受賞したすばらしい作品です。また先月出たヴィッキー・アランの『迷い猫』は、
恋愛小説のように始まり、ホラー小説のように展開し、愛すること、生きることのせ
つなさ、辛さについて考えさせられる作品です。山本文緒や篠田節子の作品が好きな
方には、気に入っていただけるでしょう。

【Q】『赤ずきん~』などグリム童話をミステリ風にアレンジした作品なども訳され
ていますが、お好きなジャンルは?
【A】恋愛小説です。といっても範囲は広くて、カズオ・イシグロの『日の名残り』
やイーヴリン・ウォーの『ブライヅヘッドふたたび』などの文芸作品はもちろん、も
っとエンタテインメント色の強い作品も大好きです。ミステリを読むときも、トリッ
クより人間関係などのディテールを楽しんでいるかも。それから歴史ノンフィクショ
ンも好きです。過去の歴史をきちんと綴った作品に惹かれます。

【Q】今後のご予定についてお聞かせください。
【A】来年には、雑誌『エスクァイア日本版』で連載していたロバート・オレン・バ
トラーの『タブロイド・ドリームズ』が出ると思います。アメリカ各地が舞台の幻想
的な短編集で、奇妙で不気味な物語満載です。今後もやはり小説を訳したいですね。
それも思い切り哀しくて切ない小説を訳したい。「恋愛小説ならあの人」といわれる
ような翻訳家になるのが夢なんです。飛ぶように売れなくてもいいから、長く人の心
に残るような作品を丁寧に訳していきたいと思っています。
                         (取材・構成 宇野百合枝)

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 ■注目の邦訳新刊レビュー ――『探偵ムーディー、営業中』『アフター・ダーク』

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『探偵ムーディー、営業中』 "MOODY GETS THE BLUES"
 スティーヴ・オリヴァー/真崎義博訳
 ハヤカワ文庫/2001.10.31発行 680円(税別)
 ISBN: 4-15-173001-X

《見よ! これが噂のスコット・ムーディーだ》

 1978年4月、ワシントン州スポーカン。精神病院から出てきて2か月のタクシー運
転手が、届いたばかりの私立探偵の免許証を手に、にんまりと悦に入っていた。身長
6フィート、体重180ポンド、あいだの離れたグレーの目、角張った顎に白髪混じり
の口髭、その上には何度となく殴られたような歪んだ鼻がのっている。身なりはみす
ぼらしいが、なぜか女には魅力的に映るらしい。スコット・ムーディー、35歳。今日
から晴れて私立探偵だ。ただし、向精神薬ソラジンがまだ手放せない。
 ムーディーが常連客で弁護士のナット・グッディーから紹介された仕事は、失踪し
た不動産会社経営者のウェンデル・マーサーを探し出すことだった。依頼人は、共同
経営者で妻のデルドレーだ。時給20ドルプラス諸経費に、うまく見つけだせばボーナ
スもでる。会社の関係者らから聞き込んだ情報をもとに、どうにかウェンデルを見つ
け、デルドレーの元に連れもどした。初仕事をみごとやりおおせたかに見えたムーデ
ィーだが、あるときタクシーで夜勤をこなし、朝になってアパートに戻ると部屋が戦
場のように荒らされていた。そして、またしてもウェンデルが行方不明になる。
 登場人物のひとり、ガルシア警部補をして――「なぜ私立探偵を始めたかは知らな
いが、ムーディー、辞めた方がいいな。おまえにはむいていない」――といわしめ、
作品中、殴られること5回、投げ飛ばされること1回、そして感極まって泣くこと5
回。さらに2週間に一度は精神科医に通うという、世界一探偵らしくない探偵がこの
小説の主人公、スコット・ムーディーだ。初めのうちは突然襲う激しい感情の波に翻
弄され、現実と非現実とのあいだをさまようムーディーだったが、探偵として人々と
かかわっていくうちに次第に人間らしい感情を取り戻して行く。その姿に作者スティ
ーヴ・オリヴァーは、ベトナム戦争のトラウマから立ち直ろうとあがく当時のアメリ
カをなぞらえたかったのかもしれない。最後にエピソードをひとつ。枯れてしまって
もなお大切にしている観葉植物の鉢植えに、ムーディーがつけた名前が“アーヴィン
グ”。これはあのJ・アーヴィングのこと? ねえ、そうなの? オリヴァーさん。
                                (板村英樹)

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『アフター・ダーク』 "AFTER DARK, MY SWEET"
 ジム・トンプスン/三川基好訳
 扶桑社/2001.10.30発行 1429円(税別)
 ISBN: 4-594-03302-4

 ビル・コリンズ、リング名キッド・コリンズは施設から逃げた。これでいくつめの
施設だったろう。医者たちにはビルは単なる症例だった。人間ではなかった。プロボ
クサーだったころ人に大怪我をさせてから、彼の人生はコントロールが効かなくなっ
ていた。
 彼の診断名はコルサコフ症候群。健忘精神病とも言われ、「錯乱および重篤な記憶
障害、特に記銘力の障害をもち、患者がそれを作語で補おうとすることが特徴となる
アルコール健忘症候群」と医学書には定義してある。作品中では、アルコールとの関
連は言及されていないが、環境や食べ物に気をつけないと、些細なことから危険人物
になりかねない。
 そんな彼が、逃げてきて最初に入ったバーで運命の女《ファム・ファタル》と知り
合った。女の名はフェイ。夫をなくしてから酒浸りの毎日を過ごしている。いつもの
彼女は天使のようだが、酒が入るとビルを罵倒し、皮肉を言い、混乱させる。彼はフ
ェイの家を立ち去るしかなかった。
 しかし、逃れられないものを感じ、ビルはまたそこへ戻ってしまう。1ガロンのワ
インを持って。フェイの元へ。破滅の元へ。
 トンプスンの著作は29冊、最近評価がされ始めて邦訳はこれで6冊目である。筆者
は、病んだ米国を見てしまったような居心地の悪さを感じた。今では一般の人が精神
科に気軽に行くと言われる米国だが、50年代の精神科重症患者が感じていたことが垣
間見られる。アルコール中毒、精神科治療の実態など、現在の日本でも問題になって
いる話題が盛り込まれている。
 ジム・トンプスンの作品には、病んだ人々が多く登場すると言う。筆者の知る限り、
精神科の患者が1人称で語る小説としては、きわめて語りにリアリティがある。また、
ノワールには珍しく主人公のキャラクターに共感しやすい。ジェフリー・オブライエ
ンによる巻頭のトンプスン論も興味深い。
                                (吉田博子)

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 ■ミステリ雑学 ―― フェルメールを巡る旅(後編)

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 前編で、ヨーロッパにあるフェルメールをすべて見ることができた。残る13枚のフ
ェルメールは、アメリカ合衆国東部にある。19世紀後半から第一次世界大戦勃発まで
の時代にカーネギーやロックフェラーのような大富豪があらわれて、巨万の富をヨー
ロッパの美術品の購入につぎ込み、邸宅を飾った。現在アメリカにあるフェルメール
は、このころから持ち込まれるようになったものだ。
●ワシントンDC
 ヒースロー空港からおよそ8時間30分のフライトで、ワシントンにつく。ワシント
ン記念塔からモールを東へ行くと、スミソニアンの博物館群がある。その一画を占め
るナショナル・ギャラリーは、収蔵品の質と量においてルーブル美術館にも匹敵する
といわれるが、入場は無料。存分に鑑賞しよう。メインフロアの西翼に《天秤を持つ
女》など、4点のフェルメールが展示されている部屋がある。
●ニューヨーク
 マンハッタンだけで十指にあまる美術館・博物館のあるこの街では、8点のフェル
メールを見ることができる。まず、セントラル・パークのメトロポリタン美術館へ。
なにしろ広いので、館内案内図を確保しておくことをおすすめする。2階のオランダ・
ギャラリーに《水差しを持つ女》など珠玉の5点が展示されている。
 次に、フィフス・アベニューを1キロほど南下したところにあるフリック・コレク
ションを見に行こう。ピッツバーグの鉄鋼王ヘンリー・クレイ・フリック(1849~
1919)の邸宅に、居室の装飾を残したまま《女と召使い》など3点が飾られており、
美術館の無機的な展示とはまた違った趣きを感じることができるだろう。
《聖女プラクセデス》を所有するバーバラ・ピアセッカ・ジョンソン基金は、ニュー
ヨークから電車で1時間ほどのプリンストンに本拠がある。
●ボストン――盗まれたフェルメール
 実は、この街にフェルメールはない。ボストン美術館に程近いイザベラ・ステュワ
ート・ガードナー美術館は、15世紀ベネチアの宮殿を模した美しい邸宅美術館である。
ここの2階のオランダ室に展示されていた《合奏》は、1990年に他の12点の美術品と
共に盗まれ、いまだに行方がしれない。絵のあった場所には、空の額縁だけがかけら
れている。
 FBIではホームページ上で事件の経過や作品リストを載せ、情報を集めている。
http://www.fbi.gov/hq/cid/arttheft/isabella/isabella.htm
全作品が無事に戻ってくる情報を提供した人には500万ドルの報奨金が出る。
《合奏》のほか、1971年に《恋文》、1974年に《ギターを弾く女》、1974年と1986年
に《手紙を書く女と召使い》が盗難にあっているが、これらは運良く戻ってきた。フ
ェルメールの神秘的ともいえる魅力は、犯罪者も含め、見るものを惹きつけるようだ。
《恋文》は盗難の際に非常に大きな損傷を受け、現在見られるのは修復された姿であ
る。《合奏》が無事な姿で発見されることを祈りたい。
*作品の邦題は『週刊美術館8 フェルメール』(小学館)に拠った。
                         (水島和美、かげやまみほ)

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 ■スタンダードな1冊 ―― 蘊蓄たっぷりの古書ミステリ

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 学生時代から古本屋が苦手だ。冷やかしに入ってはいけないような、通の人でなけ
れば相手にしてくれないような、そんな雰囲気に圧倒されてしまうせいだろう。だが、
いったん店内に入ってしまえば、新刊書店にはない独特の雰囲気につつまれ、飽きる
ことなく棚の本に見入ってしまう。ずっと探していた絶版本がきれいな状態で見つか
ったりすると、お店の人に頭をさげてお礼を言いたくなる。今月はそんな古書業界を
描いた本をご紹介する。1992年に出版され、その年のネロ・ウルフ賞を受賞した、ジ
ョン・ダニングの『死の蔵書』である。日本では1996年に翻訳され、同年の〈このミ
ステリーがすごい!〉の海外部門で堂々1位に輝いた傑作だ。

 コロラド州デンヴァーで、古本の掘り出し屋が殺された。掘り出し屋とは、その名
のとおり、二束三文で売られている本の山から売り物になる本を“掘り出す”商売だ。
いい売り物を掘り出せれば一攫千金も夢ではない。被害者がかなり腕のたつ掘り出し
屋だったことから、デンヴァー警察殺人課のクリフォード・ジェーンウェイ刑事は、
事件の背景には古書売買にからんだトラブルがあるとにらむ。だが、捜査はいっこう
に進展しない。そして、ジェーンウェイの身に一大転機が訪れる。
 主人公のジェーンウェイは刑事でありながら古書にも造詣が深い。自宅は「まるで
デンヴァー市立図書館の別館」というほど本であふれかえっている。単なる本好きで
なく、商品としての古書に対する知識も豊富。そんなジェーンウェイの口をとおして、
著者ダニングは古書に関する蘊蓄をこれでもかとかたむける。といっても、語られる
のはだれもが知っている作家や作品であり、しろうとにはちんぷんかんぷんという話
ではないのでご安心を。かの有名な大作家に対する痛烈な批判や、昨今の出版業界を
憂慮する発言など、ダニングのこだわりが感じられるのもおもしろい。

【今月のスタンダードな1冊】
『死の蔵書』ジョン・ダニング著/宮脇孝雄訳/ハヤカワ文庫
"BOOKED TO DIE" by John Dunning

【関連情報】
『死の蔵書』の続編『幻の特装本』を1995年に発表後、長らく沈黙を続けていたダニ
ングだが、今年になって待望の新作『深夜特別放送』(三川基好訳/ハヤカワ文庫)
が出版された。
                               (山本さやか)

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 ■速報 ―― CWA賞受賞作決定

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 英国推理作家協会(CWA)選考による、2001年のCWA賞受賞作が発表された。
おもな部門の受賞作は以下のとおり。

▼ゴールド・ダガー/シルヴァー・ダガー(最優秀長篇および次点)受賞作

 ・ゴールド・ダガー "SIDETRACKED" ヘニング・マンケル
  スウェーデン人作家による警察小説シリーズ。本国ではすでに10作を数える。英、
  独、仏など多数の国で翻訳されており、日本でも今年1月に第1作『殺人者の顔』
  (柳沢由実子訳)が創元推理文庫から刊行された。

 ・シルヴァー・ダガー "FORTY WORDS FOR SORROW" ジャイルズ・ブラント
  こちらはカナダ人作家の長篇2作目となるサスペンス作品。前作は『凍りつく眼』
  (岡田葉子訳/扶桑社ミステリー)として邦訳されている。

▼ジョン・クリーシー記念賞(最優秀新人賞)受賞作
  "THE EARTHQUAKE BIRD" by Susanna Jones
  殺人容疑で取り調べを受ける女性の一人称の語りが印象的な作品。邦訳『アース
  クエイク・バード』(阿尾正子訳/早川書房)は今月刊行された。

 その他の受賞作およびノミネート作については下記を参照のこと。
  http://www.thecwa.co.uk/cgi-bin/frame.pl?awards.html
                                (影谷 陽)


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■編集後記■
 新シリーズ「復刊してほしいミステリ」を立ち上げました。優れたミステリが復刊
されるよう、出版業界に向けて小さな声をあげていきたいと思っています。来月号で
はフーダニット翻訳倶楽部が選んだ今年のベスト・ミステリを発表します。 (片)


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 海外ミステリ通信 第4号 2001年12月号
 発 行:フーダニット翻訳倶楽部
 発行人:うさぎ堂 (フーダニット翻訳倶楽部 会長)
 編集人:片山奈緒美
 企 画:板村英樹、宇野百合枝、影谷 陽、かげやまみほ、小佐田愛子、
     中西和美、松本依子、水島和美、三角和代、山本さやか、
     吉田博子
 協 力:@nifty 文芸翻訳フォーラム
     小野仙内
 本メルマガへのご意見・ご感想 :whodmag@office-ono.com
 フーダニット翻訳倶楽部の連絡先:whodunit@mba.nifty.ne.jp
 http://www.nifty.ne.jp/forum/flitrans/whodunit/index.htm
 配信申し込み・解除/バックナンバー:
 http://www.nifty.ne.jp/forum/flitrans/whodunit/magazine/index.htm

 ■無断複製・転載を固く禁じます。(C) 2001 Whodunit Honyaku-Club
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             月刊 海外ミステリ通信
          第3号 2001年11月号(毎月15日配信)
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★今月号の内容★
〈特集〉        「ミステリと街」シリーズ 第1弾 《ボルチモア》
〈翻訳家インタビュー〉 上野元美さん
〈注目の邦訳新刊〉   『凍りつく心臓』『墜落のある風景』
〈ミステリ雑学〉    フェルメールを巡る旅(前編)
〈スタンダードな1冊〉 『ダウンタウン・シスター』
〈速報〉        アンソニー賞・マカヴィティ賞・バリー賞受賞作

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 ■特集 ――「ミステリと街」シリーズ 第1弾 《ボルチモア》
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 メリーランド州ボルチモア――“チャーム・シティ”という愛称で親しまれるこの
都市は、ワシントンDCから北東約64キロに位置する全米で15番目に大きな都市だ。
アメリカ有数の港町として、また工業の町、そしてスポーツの町として知られている。
 そんなボルチモアを舞台に、ミステリ・ファンならぜひとも知っておきたい魅力的
な女性私立探偵が活躍している。ローラ・リップマンが生み出したテス・モナハンだ。
相棒にグレイハウンド犬を従え、ウェイトリフティング、ボート漕ぎ、そしてジョギ
ングといういささかタフなエクササイズを趣味とし、ボルチモア名物カニ料理にはア
レルギー反応をおこしてしまうこのテスのシリーズは、アメリカで好評をもって迎え
られ、これまでにアンソニー賞、シェイマス賞、アメリカ探偵作家クラブ賞など数々
の賞に輝いている。今月の特集ではそんなテスとともに、ボルチモアを(1)インナ
ーハーバー、(2)ダウンタウン、(3)フェルズ・ポイント――この3地域に分け
て探索してみよう。

(1)インナーハーバー
 チェサピーク湾に面した港、インナーハーバー――ここを抜きにして“港町ボルチ
モア”を語ることはできない。テス・シリーズも、早朝にボートでチェサピーク湾に
漕ぎ出るテスの描写から物語の幕が開く。全米でもトップクラスの美しい港に数えら
れるこのインナーハーバーは、ボルチモア最大の観光名所だ。皆の憩いの場、ハーバ
ープレイスの円形劇場前では、天気のいい日に曲芸師や火食い奇術師らがパフォーマ
ンスをして賑わい、フェスティバルのような雰囲気を醸しだしている。ここにある2
つのヨーロッパ風建物と〈ザ・ギャラリー〉をあわせた3棟は、レストランや高級ブ
ランド品、工芸品店など200店舗以上が入居する一大ショッピングモールで、テスが
初めて尾行した女性が〈ヴィクトリア・シークレット〉でランジェリーを万引きして
いたのがここだ。そのほかにもボルチモアっ子が自慢する全米有数の国立水族館があ
り、南北戦争時代に造られて現代も唯一海に浮く〈コンステレーション号〉も展示さ
れ、観光の楽しみは尽きない。港の反対側には風変わりで個性的な作品を集めたアメ
リカン・ビジョナリー美術館がある。ここの最上階の〈ジョイ・アメリカ・カフェ〉
はエキゾチックな料理が売りで、ボルチモア一、クリエイティブなシェフがいること
で名高く、テスの友人が名づけていわく“異種混合料理”。ただし、あまりテスの好
みではない。ここからのインナーハーバーの眺めは絶景だ。

(2)ダウンタウン
 ダウンタウンの目抜き通りチャールズ・ストリートは、インナーハーバーの西を南
北に走っている。この付近一帯にはギャラリーやレストラン、古い家並みが続き、テ
スお気に入りのレストランやバーがある。さらにこの通りを北上すると中央分離帯に
高さ54メートルの白亜の塔、ワシントン・モニュメントが建っている。地元で「首都
にある記念碑より古い」ことが自慢のこのモニュメント、頂上まで続く階段は228段。
だがこれを登りきるのは、かなり鍛えているテスでも途中で目眩がするようだ。それ
でも頂上から一望できるボルチモアの景色はすばらしく、それだけ苦労して登った甲
斐ありというものだろう。この古いエレガントな家が集まった地区はマウント・バー
ノンと呼ばれ、史跡として国の指定を受けている。またここから数ブロック下ったと
ころにある聖母昇天寺院バシリカ聖堂や、以前は世界最大規模を誇ったイーノック・
プラット・フリー図書館近辺の落ち着いた雰囲気もテスが大切に思っているところだ。
 建国直後から続くアメリカ7大公営マーケットのひとつ、レキシントン・マーケッ
トもダウンタウンの名所だ。ボルチモアっ子で賑わうこの“庶民のマーケット”には
生活に密着した品物が並び、130を超える露天商がひしめき合って、売り子の客引き
の声が賑やかだ。新鮮な野菜や果物、魚介類を食べさせる店もたくさんあり、テスも
ランチをよくここで取る。ただ、ボルチモアもほかの大都市の例に漏れず近年犯罪率
が急上昇し、現在のダウンタウンはいたるところにホームレスがたむろする。テスが
幼い頃ホームレスの男に追いかけられたのも、ここレキシントン・マーケットだった。
 テスたちが物語中でよく話題にする作家がいる。ハードボイルド作家のジェイムズ
・M・ケインだ。ケインはテスが卒業したワシントン・カレッジの総長の息子として
このボルチモアに生を受け、テスの生みの親であるリップマン同様《ボルチモア・サ
ン》紙の記者だった。そしてこの街にはもうひとり、忘れてはならない所縁のあるミ
ステリ作家がいる――エドガー・アラン・ポーだ。レキシントン・マーケットの南、
ウェストミンスター教会の敷地内に、エドガー・アラン・ポーの墓がある。ただし、
有名作家の墓所だというのに、この辺は治安が極端に悪く周囲の環境も劣悪だ。
 ところでボルチモアのスポーツといえば、真っ先に野球を思い浮かべる人は多いの
ではなかろうか。ダウンタウン南西地区には野球の神様、ベーブ・ルースの生家と大
リーグ、ボルチモア・オリオールズの本拠地カムデン・ヤードがあり、銅像のベーブ・
ルースが観戦客を出迎えてくれる。オリオールズは地元メリーランド州だけでなく、
ワシントンDCなど近隣地域にも多くのファンを抱える伝統的なチームだ。オリオー
ルズ一筋の野球人生を送り、今季限りで引退したカル・リプケン選手は、大リーグ最
高の連続出場記録を持つ“鉄人”として、大人から子供まで絶大な人気を誇っていた
ことは記憶に新しい。

(3)フェルズ・ポイント
 テスは最新作でダウンタウン北部に移り住むが、それまではインナーハーバー東部
に位置するフェルズ・ポイントでくらしている。フェルズ・ポイントはインナーハー
バーからウォータータクシーに乗るか、テスのように市バスに乗って15分ほどで行け
る距離にある。メインストリートのブロードウェイ沿いには、テスが過去2年間週5
回朝食に通った馴染みのダイナー〈ジミーズ〉など、地元でも人気のある店が並ぶ。
 東部らしい町並みが魅力的なフェルズ・ポイントだが、この街を一躍有名にしたも
のがある。シリーズ3作目『スタンド・アローン』で、テスの相手役刑事に「(近所
で撮影が行われていると)道路が閉鎖されたりなんだりして、大騒ぎになるからね」
といわしめた、ボルチモア市警殺人課刑事たちの活躍と、その人間模様を描いたテレ
ビ番組『ホミサイド~殺人捜査課』だ。日本でもテレビ放映され人気の高いこの番組
は、その撮影ロケの大半が実際にここフェルズ・ポイントで行われており、ウォータ
ータクシーで接岸するや警察本部の大掛かりなセットが訪れる人々の目を引く。この
番組の認知度の高さについて、テスは「一度などある強盗が間違って俳優たちに自首
してしまったほどだ」と語っている。

 本シリーズの魅力はそのプロットもさることながら、なんといっても等身大の女性
として今を生きるテスの暖かみあるキャラクターだろう。だが、ボルチモアの地図を
傍らに本シリーズを読んでいくと、実存する通りや店名などがいかに多く描かれてい
るかに驚かされるに違いない。まるで“生きているような”と評されるこのボルチモ
アの活写があるからこそ、テスをはじめとする登場人物たちも血の通ったキャラクタ
ーとして活き活きと読者に迫ってくるのではなかろうか。

 最後にマーガレット・マロンの言葉を引用して終わりたい――「ローラ・リップマ
ンのようなクロニクラーを得たボルチモアはなんという幸せな街だろう」

【ローラ・リップマン既刊情報】
〈テス・モナハン・シリーズ〉
『ボルチモア・ブルース』   岩瀬孝雄訳/ISBN: 4-15-171652-1
『チャーム・シティ』     岩瀬孝雄訳/ISBN: 4-15-171651-3
『スタンド・アローン』    吉澤康子訳/ISBN: 4-15-171653-X
『ビッグ・トラブル』     吉澤康子訳/ISBN: 4-15-171654-8
               (いずれもハヤカワ・ミステリ文庫刊)
"THE SUGAR HOUSE"(未訳)   William Morrow/ISBN: 0380978172
"IN A STRANGE CITY"(未訳)  William Morrow/ISBN: 0380978180
                (文/宇野百合枝 協力/松本依子、水島和美)

●リップマンが描くボルチモア――未訳書から

 "THE SUGAR HOUSE" by Laura Lippman
 William Morrow/2000.09/ISBN: 0380978172

《お菓子の家と囚われのこどもたち》

「テスは東のほうの眺めが好きだった。煙突や〈ドミノ・シュガー〉の赤いネオンが
並んでいる」(『ボルチモア・ブルース』p.39より)

 テスが父の古い友人ルーシーから依頼された仕事は奇妙なものだった。ルーシーの
弟が身元不明の女性を殺した罪で服役してすぐ刑務所内で何者かに殺されたのは、被
害者の女性に関係があるのではないか、その真相をつきとめて欲しいというのだ。警
察はすでに女性の身元捜しを打ち切っていたが、テスが独自に調べ始めると、ひょん
なところから、女性は〈シュガー・ハウス〉と呼ばれる場所にいたらしいという情報
をつかむ。〈ドミノ〉か〈シュガー・ハウス〉、またはそれに近い名で呼ばれる、怪
しげなバーや、摂食障害がある資産家の娘たちを治療する施設などを調べるうちに、
ある上院議員に近いロビイストや、市のアルコール検閲官であるテスの父の同僚とい
った意外な人物が、関係者として浮かび上がってくる。

〈ドミノ・シュガー〉は全米有数の精糖会社だが、現在は外国企業に買収され、また
今年7月にある投資グループへ売却される契約が交わされた。幸いにして、地元の人
々が〈シュガー・ハウス〉と呼ぶボルチモアの精糖工場と、そのネオンサインは、そ
のまま残される予定とのことで、人々は胸をなでおろしているようだ。工場はローカ
スト・ポイントのチェサピーク湾に面したところにあり、赤く眩いネオンは対岸のど
こからでも目にすることができる。街がめまぐるしい変貌を遂げるなかにあってもな
お、約半世紀にわたって変わらないその光景を、人々はほろ苦い思いで眺めながら、
深く記憶に刻みつづけるのだろう。テスは幼い頃、その赤いネオンのうしろには、神
様が隠れているのではないかと想っていたという。ボルチモアを一望できる砂糖の山
の頂は、天国にふさわしい場所に感じられたから……。
                                (松本依子)
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 "IN A STRANGE CITY" by Laura Lippman
 William Morrow/2001.09.08/ISBN: 0380978180

《ポーに乾杯――バラとコニャックを供え続けて50年》

〈訪問者〉、それはボルチモアの住民ならば誰でも知っているが、正体は謎である人
物。1月19日のE・A・ポーの誕生日に、1949年以来かかさず墓前に供え物を続ける
彼/彼女は、愛すべき伝説として市民からそっと見守られている存在だ。ところが、
よりによってその正体を暴いてほしいという依頼人が事務所にやってきたから、テス
は眉をひそめる。アンティーク・バイヤーをなのる依頼人は偽物をつかまされたのだ
が、雲隠れした取引相手が〈訪問者〉ではないかとうたがっているらしい。2日後の
ポーの誕生日に首根っこをおさえ、正体をばらさないかわりにそれなりの償いをしろ!
と迫る腹づもりのようだが、テスはなにもかもがうさんくさい依頼人を本気で相手に
する気にはなれず、脅迫の片棒はかつげませんと、けんもほろろに追い返す。しかし
〈訪問者〉を守らねばとの使命感にかられた恋人に説得され、けっきょくテスは当日
ポーの眠る墓地に出向くのだが……。

 世の中には愉しい謎が残っているものだ。〈訪問者〉、別名ポー・トースター(乾
杯する人)は実在している。1990年に『ライフ』誌が墓前にたたずむ姿を写真におさ
めることに成功しており(意図してのことだろう、遠くから撮ったぼやけた写真であ
るが)、そこには年齢も性別も判断できない、すっぽりマントにくるまった人影があ
る。この人物が墓前に捧げるのは3本の赤いバラとボトル半分になったコニャック。
3本はポーと義母と幼妻ヴァージニアをさしているだとか、〈訪問者〉の正体はポー
の熱烈なファンなのか、はたまた親戚かだとか、50年以上も続いている儀式に、ひょ
っとしたら〈訪問者〉は2代目、3代目ではだとか、さまざまな憶測がとびかってい
るそうだ。墓ちかくにあるポーの家にはコニャックのボトルが展示されており、市民
の思い入れがうかがえるというもの。推理小説の父ポーがはからずも遺した粋な謎を
共有できるとは、ボルチモアの住民がなんともうらやましいかぎりである。
                                (三角和代)

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 ■翻訳家インタビュー ―― 上野元美さん
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 今月は、はじめての訳書『テロリズム』がふたたび脚光を浴びている、上野元美さ
んにお話をうかがいます。
+――――――――――――――――――――――――――――――――――――+
|《上野元美さん》1960年生まれ。三重県出身。静岡女子大学文学部卒。1999年に|
|『テロリズム』(ブルース・ホフマン著/原書房)で翻訳家デビュー。その他の|
|訳書に『細菌戦争の世紀』(トム・マンゴールド&ジェフ・ゴールドバーグ著/|
|原書房)がある。二階堂黎人・森英俊共編によるアンソロジー『密室殺人コレク|
|ション』(原書房)では、ロバート・アーサーの短篇「ガラスの橋」を翻訳。 |
+――――――――――――――――――――――――――――――――――――+

【Q】翻訳の道に進まれたきっかけをお聞かせください。
【A】もともと本が好きで、少女時代から外国文学に親しんでいましたが、最初から
翻訳家だけをめざしていたわけではありません。ひとりでできる仕事をしたいと思っ
ていて、その選択肢のひとつが翻訳でした。ある翻訳家のかたの下訳をしたりして経
験を積むうちに、原書房から『テロリズム』の仕事をいただくことができました。苦
労はいろいろしたのでしょうが、記憶に残っている苦労は英文に苦しめられたことく
らい。それはいまも変わりませんが。

【Q】『テロリズム』、『細菌戦争の世紀』と、硬い感じのノンフィクションを続け
て訳されていますが、こういったテーマに関心がおありだったのですか?
【A】軍事ものの下訳が多かった関係で、たまたまいただいた仕事なんですよ。自分
では単なる偶然と思っていましたが、ご質問をいただいてあらためて考えてみると、
学生時代から国際関係には興味があり、この方面の本をずいぶん読んでいました。冒
険ものに親しんでいたこともあり、楽しくやれた仕事です。

【Q】偶然とはいえ、2冊ともタイムリーな内容ですね。
【A】はじめての訳書『テロリズム』は、テロリズムの歴史をていねいにまとめたも
ので、いまなぜ宗教テロなのかという疑問に答えてくれます。また、『細菌戦争の世
紀』は、生物兵器に関する知識だけでなく、それを発展させ使用してきた国々の内情
などにも踏み込んだ内容になっています。いま大問題になっている炭疽菌についても、
くわしいことがわかります。見えない、聞こえないテロについて、警鐘を鳴らす書で
もあります。

【Q】アンソロジー『密室殺人コレクション』で、本格ミステリを訳されていますが。
【A】ある仕事を通じて知り合った編集者と、本格ミステリのことで話がはずんだの
がきっかけで、あの中の一編を訳すことになりました。

【Q】ミステリもそうとうお好きなんですね。
【A】ええ。海外のミステリ作家でいま好きなのは、ドロシー・L・セイヤーズ、エ
ドマンド・クリスピン、それにピーター・ラヴゼイです。ミステリの中でも、謎解き
以外のどうでもいいことが、あれやこれやと書かれているものが好きなんですよ。こ
の3人の小説はみな、そのどうでもいいドタバタの部分がおもしろくて。ほかには、
リンゼイ・デイヴィスやロバート・ファン・フーリックも好きです。時代や場所など
の舞台設定が気に入っています。

【Q】今後はどのような本を訳していきたいですか?
【A】いちばんやりたい分野は、冒険もの、軍事もの、国際情勢に関するものですが、
フィクション、ノンフィクションという枠にとらわれず、興味のあるジャンルには積
極的にチャレンジしていくつもりです。例をあげるなら、自然科学、スポーツ、歴史
関係などでしょうか。もちろんミステリや一般の小説にも興味がありますよ。英米版
の平家物語といった感じのスケールの大きな小説なんか、いいですね。とにかく、い
まはなんでもやってみたいんです。
                         (取材・構成 山本さやか)

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 ■注目の邦訳新刊レビュー ――『凍りつく心臓』『墜落のある風景』
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『凍りつく心臓』 "IRON LAKE"
 ウィリアム・K・クルーガー/野口百合子訳
 講談社文庫/2001.09.15発行 990円(税別)
 ISBN: 4-06-273260-2

《1999年度、アンソニー賞およびバリー賞の最優秀処女長編賞受賞作品》

 吹雪のなかを新聞配達に出かけたまま、息子が帰ってこない――少年の母親からこ
んな相談を受けたとき、コーク・オコナーはまんざらでもない気分だった。シカゴで
警官を務めたあと、故郷の町オーロラに戻って保安官になったが、ある事件をきっか
けに職を追われ、今は夏のあいだだけ営業する小さなハンバーガー・ショップの主人
になっている。やりがいのある仕事を失って挫折感にさいなまれ、家族を顧みる余裕
を持てずにいるうちに、妻の心は次第に離れ、ティーンエイジャーの娘も反抗的な態
度を取るようになった。仕事に続いて家族も失いつつある空虚な日々のなかで、だれ
かに必要とされるのはずいぶん久しぶりだ。だからコークは、少年を探して除雪もさ
れていない夜の道をたどることを、少しもおっくうとは思わなかった。
 だが、少年の配達先である判事の家を訪れたコークは、そこで判事の死体を発見す
る。行方不明の少年は、判事の死となにか関係があるのだろうか。徐々に深く事件に
関わっていくコークに、心臓が凍るほど冷たい感情を抱かせた真実とは……?
 舞台となるのはカナダとの国境に近いミネソタ州の小さな町、オーロラ。冬になる
と、アイアン湖の上を渡ってカナダからの烈風が吹き付け、森に囲まれたこの町は深
い雪に閉ざされる。人生を立てなおそうと悩み苦しむコークの背景で、大自然は厳然
と存在しつづけている。身を切るほど冷たい、静謐な澄んだ空気をも感じられるよう
な作品だ。アメリカの有名なミステリ賞をダブル受賞という輝かしいデビューを遂げ
たクルーガーは、本書に続くコーク・オコナー・シリーズをすでに2冊発表している。
                                (中西和美)
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『墜落のある風景』 "Headlong"
 マイケル・フレイン/山本やよい訳
 創元推理文庫/2001.09.28発行 1,100円(税別)
 ISBN: 4-488-21602-1

《転がり落ちるのは誰? 絵の中の小男か、画家なのか、それともぼく?》

 16世紀、オランダ独立戦争勃発寸前の動乱期に生きた画家ブリューゲル。臨終にさ
いして家にあった作品を焼却させたことなど、その生涯には謎が多い。

 田舎で論文を仕上げることにした哲学者のマーティンは、隣人トニーから初めて屋
敷に招かれた。妻のケイトは美術史家、その影響でマーティンも図像解釈学(絵画に
描かれたモティーフの意味を推察する)に手を染めている。きっとまた家宝の鑑定で
も頼まれるんだろう。悪い予感があたり、逃げ出しかけたマーティンはとんでもない
絵を見てしまう。暖炉の煤よけにされていたのは、ブリューゲルの連作の中の1枚で
はないだろうか。その場でマーティンは決心する。無知なトニー夫妻をだまし、あの
絵を買い取ってしまおう。自分の良心と妻のケイトをごまかしながら、マーティンは
ぶきっちょな詐欺計画を練り上げる。おまけにトニーの妻ローラが、足しげく訪れる
マーティンは自分に気があるものと勘違いし、迫ってきたりするものだからますます
話がややこしくなってくる。

 もうひとつ大きな気がかりがある。あれは間違いなくブリューゲルの作品だったの
だろうか? 関心を悟られないため、汚れた絵を一瞬眺めただけだったのだ。マーテ
ィンはブリューゲルについて調べはじめる。

 著者マイケル・フレインは英国きってのユーモア作家。マーティンの一人称で、企
てた詐欺の顛末が皮肉っぽく愉快に語られる。さらに、読者はマーティンからブリュ
ーゲルの置かれた時代状況を学生さながらに詳しく講義され、ブリューゲルが絵の中
に隠したメッセージをともに推理していくことになる。邦訳版には、原書にはないブ
リューゲルの作品の図版も入っている。1999年ブッカー賞とウィットブレッド賞にノ
ミネートされた作品。
                               (小佐田愛子)

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 ■ミステリ雑学 ―― フェルメールを巡る旅(前編)
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「いったい、あなたの望みは何なの、バーニー?」
「死ぬ前に、世界中に散らばっているフェルメールの絵を残らず見ることでしょうか」
「あなたをフェルメールにのめりこませたのはだれか、訊くまでもないわね?」

    (『ハンニバル』トマス・ハリス/高見浩訳/新潮文庫 上巻p.162より)
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 バーニーをフェルメール愛好者にしたのは、いうまでもなくハンニバル・レクター
博士だ。ボルチモア州立病院の看護人だったバーニーは、重大犯罪人として収監され
たレクターに尊敬と畏怖をもって接したことから話し相手として認められ、知識の片
鱗を伝授されるなど影響を受けた。フェルメールもそのひとつであったようだ。

 ブリューゲルから時代を下ること100年、同じオランダで生涯を過ごしたヨハネス・
フェルメール(Johannes Vermeer)は謎の多い画家である。伝記的事実は断片的にし
かわかっておらず、一生のうちに残した作品はわずかに30数点。その中にはフェルメ
ールの作か否かがいまだに明確でないものも数点含まれる。そしてこの稀少性が災い
して、贋作を発表されたり、盗難の被害に遭ったりと、現在に至るまでいくたびも犯
罪のターゲットになってきた。
 だが作品に向かい合ってみると、ミステリアスな影は感じられない。多くは窓から
やわらかな光の差し込む室内で、手紙を書いたり語らったりする庶民の日常のひとこ
まを描いており、時間が止まったような、おだやかな明るさに満ちている。
 この魅力にひかれ、全作品を見たいと願うファンは多いという。そこで本コーナー
でも、フェルメールをすべて見ることをテーマに旅行計画を練ってみた。まずは全作
品を閲覧できる下記のサイトで予習をしておこう。
http://www.ccsf.caltech.edu/~roy/vermeer/thumb.html

●オランダ(成田→スキポール空港・約15時間)
 最初に行きたいのはやはり画家の母国オランダだ。空港からアムステルダム中央駅
までおよそ30分。中央駅から国立美術館までは路面電車もあるが、運河をめぐる水上
バスを使うのもオランダならでは。美術館2階に上ると、代表作のひとつ《牛乳を注
ぐ召使い》のほか3点が見られる。中央駅に戻り、電車で1時間弱でハーグへ。ハー
グ中央駅から1キロほどのマウリッツハイス美術館には3点が所蔵されている。ここ
では、少女が振り返る一瞬の表情をとらえた《青いターバンの少女》、運河を描いた
風景画《デルフトの眺望》の2作をぜひゆっくりと眺めたい。ここからフェルメール
が住んでいた町デルフトへは電車で20分ほどだ。作品は展示されていないが、教会な
ど17世紀の面影があちこちに残る街並みを散策しよう。
●ドイツ→オーストリア→フランス
 ドイツ国内には作品が多数ある。ベルリンの中心部、ポツダム広場に近いベルリン
絵画館に2点。フランクフルトのシュテーデル美術研究所に1点。ドレスデンの州立
絵画館に2点。北部の町ブラウンシュヴァイクにある、ヘルツォーク・アントン・ウ
ルリヒ美術館に1点。これらを見るには、ベルリンを拠点にして2日ほどかけるのが
いいかもしれない。次にウィーンへ飛ぶ。ウィーン美術史美術館には大作《絵画芸術
の寓意》がある。パリのルーヴル美術館には2点が収蔵されている。
●イギリス→アイルランド
 ロンドンの観光名所であるトラファルガー広場に面したナショナル・ギャラリーで、
2点が見られる。さらにバッキンガム宮殿内のギャラリーをのぞくと《音楽のレッス
ン》、北部のケンウッド・ハウスには《ギターを弾く女》と、ロンドンには音楽を主
題にした作品が多いようだ。エディンバラへは飛行機か、電車で4時間半かけてのん
びりと移動するのもいい。スコットランド国立美術館で1点が見られる。
 アイルランドに渡り、ダブリンの国立美術館で《手紙を書く女と召使い》を見て、
ヨーロッパにあるフェルメールはすべて見たことになる。     (次号へ続く)
*作品の邦題は『週刊美術館8 フェルメール』(小学館)に拠った。
                           (影谷 陽、水島和美)

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 ■スタンダードな1冊 ―― 女性探偵、颯爽と登場
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 1972年にP・D・ジェイムズがコーデリア・グレイを世に送り出した時、探偵は
「女には向かない職業」だった。しかしさまざまな女性探偵たちが活躍する現在、探
偵が「女には向かない職業」だなんて誰が言うだろう?

 ミステリの世界で女性探偵がほとんどいなかった80年代初め、サラ・パレツキーの
V・I(ヴィク)・ウォーショースキーとスー・グラフトンのキンジー・ミルホーン
は誕生した。この2人の登場で女性探偵を主人公としたミステリの地位が確立された、
と言っても過言ではないだろう。今回取りあげるのは、ヴィク・ウォーショースキー・
シリーズの5作目にあたる『ダウンタウン・シスター』だ。この作品は88年にCWA
賞のシルバー・ダガーを受賞し、パレツキーの代表作とも言われている。
 ヴィクは、子供の頃に子守りをしたこともある、妹のような存在だった幼なじみの
女性から父親探しを依頼される。何の手がかりもないまま調査をはじめたものの、事
態はしだいに思わぬ方向へと進んでいくのだった。
 事件解決後の後日談が書かれた最終章は、しみじみとした余韻があり代表作にふさ
わしい結末だ。命の危険も顧みず目標に向って突っ走っていく彼女を見守る、友人や
隣人たちの思いやりと温かさも忘れてはいけない。彼らがいなければ、このシリーズ
は成り立たないだろう。ヴィクの激しすぎる性格と強すぎる自立心に、違和感を感じ
る人もいるかもしれない。しかし女性の社会進出が本格的に始まった80年代に社会へ
出て行った女性なら、ヴィクの気持ちや行動が理解できるのではないだろうか。

【今月のスタンダードな1冊】
『ダウンタウン・シスター』サラ・パレツキー著/山本やよい訳/ハヤカワ文庫
"BLOOD SHOT" by Sara Paretsky

【関連情報】
●ヴィク・シリーズの最新作 "TOTAL RECALL" が、今年9月にアメリカで発売された。
『わたしのボスはわたし』山本やよい著/廣済堂出版(2001年6月発売)
 ヴィク・シリーズの翻訳者、山本やよいさんがヴィクについて語ったエッセイ。
『女には向かない職業』P・D・ジェイムズ著/小泉喜美子訳/ハヤカワ文庫
スー・グラフトンは『アリバイのA』でデビュー。現在シリーズは16作目まで発表
 されている。
                              (かげやまみほ)

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 ■速報 ―― アンソニー賞・マカヴィティ賞・バリー賞受賞作決定!
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 第32回バウチャーコンは当初の予定どおり、去る11月1日~4日の4日間にわたっ
て開催され、アンソニー賞、マカヴィティ賞およびバリー賞の受賞作発表と授賞式が
おこなわれた。各賞のおもな受賞作は以下のとおり。

●アンソニー賞受賞作
 ▼最優秀長篇賞 『処刑の方程式』 ヴァル・マクダーミド
  今年度のMWA賞、マカヴィティ賞、そしてこのアンソニー賞と、アメリカのお
  もだった賞すべてにノミネートされた、マクダーミドのシリーズ外作品。イギリ
  スの寒村でひとりの少女が行方不明になった。家出か、それとも事件か。700ペ
  ージ強というボリュームにもかかわらず、けっして飽きさせることなく一気に読
  ませる力量はさすがである。翻訳は森沢麻里訳で集英社文庫から出ている。

 ▼最優秀処女長篇賞 "DEATH OF A RED HEROINE" by Qiu Xiaoling
 ▼最優秀ペーパーバック賞 "DEATH DANCES TO A REGGAE BEAT" by Kate Grilley

  その他の受賞作およびノミネート作については下記を参照のこと。
   http://www.bouchercon2001.com/recipients_2001.html

●マカヴィティ賞受賞作
 ▼最優秀長篇賞 『処刑の方程式』 ヴァル・マクダーミド
  こちらでもマクダーミド強し。MWA賞は逃したものの、目の肥えたミステリ・
  ファンから絶大なる支持を受け、アンソニー賞とのダブル受賞となった。

 ▼最優秀処女長篇賞 『紙の迷宮』 デイヴィッド・リス

  その他の受賞作およびノミネート作については下記を参照のこと。
   http://www.mysteryreaders.org/Macavity.html

●バリー賞受賞作
 ▼最優秀長篇賞 "DEEP SOUTH" ネヴァダ・バー
  女性パークレンジャーのアンナ・ピジョンを主人公にしたシリーズもの。同シ 
  リーズは、『死を運ぶ風』(松井みどり訳/小学館文庫)および『極上の死』 
  (栗原百代訳/小学館文庫)が翻訳されている。

 ▼最優秀処女長篇賞 『紙の迷宮』 デイヴィッド・リス

  その他の受賞作およびノミネート作については下記を参照のこと。
   http://www.deadlypleasures.com/Barry2001.htm
                               (山本さやか)

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■お知らせ■ 本マガジンで紹介した書籍が一覧できる Web ページを作りました。
ワンクリックでオンライン書店へも移動できます。どうぞご利用ください。
http://www15.u-page.so-net.ne.jp/ya2/y-kage/mag/regular.html(連載コーナー)
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■編集後記■
 シリーズ「ミステリと街」いかがでしたか。ミステリ作品のなかで街を魅力的に描
いた作家・作品を、これからもときどきご紹介します。
 そろそろ2001年のベスト・ミステリが気になる季節になりました。話題作のあれも
これもまだ読んでいない……と、ひたすら読書に励む日々です。      (片)


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 海外ミステリ通信 第3号 2001年11月号
 発 行:フーダニット翻訳倶楽部
 発行人:うさぎ堂 (フーダニット翻訳倶楽部 会長)
 編集人:片山奈緒美
 企 画:宇野百合枝、影谷 陽、かげやまみほ、小佐田愛子、中西和美、
     松本依子、水島和美、三角和代、山本さやか
 協 力:@nifty 文芸翻訳フォーラム
     小野仙内
 本メルマガへのご意見・ご感想 :whodmag@office-ono.com
 フーダニット翻訳倶楽部の連絡先:whodunit@mba.nifty.ne.jp
 http://www.nifty.ne.jp/forum/flitrans/whodunit/index.htm
 配信申し込み・解除/バックナンバー:
 http://www.nifty.ne.jp/forum/flitrans/whodunit/magazine/index.htm

 ■無断複製・転載を固く禁じます。(C) 2001 Whodunit Honyaku-Club
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              月刊 海外ミステリ通信
           第2号 2001年10月号(毎月15日配信)
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★今月号の内容★
〈特集〉        デニス・レヘインの魅力をさぐる
〈翻訳家インタビュー〉 林 啓恵さん
〈未訳書レビュー〉   "GUNS AND ROSES" by Taffy Cannon
〈ミステリ雑学〉    被疑者の権利(ミランダ警告)
〈スタンダードな一冊〉 『さらば甘き口づけ』
〈速報〉        シェイマス賞受賞作/CWA賞ノミネート作


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 ■特集 ―― デニス・レヘインの魅力をさぐる

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 デニス・レヘイン――ノワールやクライム・ノヴェルに押されつつあるハードボイ
ルドの世界で、いまもっとも期待される若手作家のひとりである。
 レヘインは、マサチューセッツ州ボストン郊外のドーチェスターに生まれ育った。
低所得者層が多く住むというこの界隈は、ドラッグがあふれ、暴力がうずまく町でも
ある。高校卒業後、“あたたかいところに行きたかった”という理由で、フロリダ州
にある大学に入学し創作を学んだ。在学中に“はじめて”書いた小説『スコッチに涙
を託して』で、1995年シェイマス賞最優秀処女長篇賞を受賞するという快挙をなしと
げたが、これが単なるビギナーズ・ラックでないことは、その後の作品もおもなミス
テリ賞の候補に名を連ねていることからじゅうぶんうかがえる。
 デビューしてから一貫してひとつのシリーズを書き続けてきたレヘインだが、2001
年2月、はじめてノン・シリーズの小説『ミスティック・リバー』を発表し、新境地
をひらいた。2002年にもノン・シリーズの小説 "MISSING DELORES" を発表する予定。
 奇しくも日本では、この9月に『ミスティック・リバー』と『愛しき者はすべて去
りゆく』の2冊が、立て続けに翻訳出版された。本特集では、なぜデニス・レヘイン
が現代を代表する作家なのかを考察してみたい。

●大好評のパトリック&アンジー・シリーズ

 1994年発表の『スコッチに涙を託して』から1999年の "PRAYERS FOR RAIN"(未訳)
まで、レヘインはパトリック・ケンジーとアンジェラ・ジェナーロという幼なじみの
男女探偵コンビを主人公にした作品を書き続けてきた。幼なじみでありながら、お互
いに友情や信頼以上の感情をいだくふたりは、パートナーと親友と恋人のあいだを揺
れ動くという、微妙なスタンスを保ち続けている。物語の語り手はパトリックだが、
アンジーもけっして添え物ではない。パトリックと同様に、いや、それ以上にたのも
しく思えることもしばしばだ。
 もうひとり、出番こそ少ないが忘れてはならない登場人物がいる。パトリックとア
ンジーの大切な仲間、“人間凶器”の異名をとるブッバ・ロゴウスキーだ。武器の違
法取引に携わり、なんのためらいもなく人を殺し、防犯装置がわりに自宅に地雷を仕
掛けている、世界一危険な男。まともな人間ならとても係わり合いになりたくない相
手だが、パトリックたちにとっては、ここぞというときに頼れるたのもしい存在だ。
3作目の『穢れしものに祝福を』では、ブッバは“おつとめ”中で、がっかりしたフ
ァンも多いことだろう。
 パトリックとアンジーが活躍するおもな舞台は、レヘインが生まれ育ったボストン
だ。ボストンというと、近くにハーヴァード大学とマサチューセッツ工科大学という、
アメリカでも指折りの名門校があるせいか、どこかアカデミックで洗練されたイメー
ジがある。また、日本の京都にたとえられるこの町は、高層ビルと歴史のある建物と
が渾然一体となって不思議な調和を醸し出しており、由緒正しいとか伝統という言葉
が似つかわしい。だが、レヘインが描くボストンは、わたしたち日本人が抱いている
イメージとはおよそかけ離れたものだ。アイリッシュ・マフィアが暗躍し、幼い少年
がなんのためらいもなく銃を手にする。パトリックたちが直面する事件も、じつに悲
惨で胸をえぐられるようなものばかりだ。だが、そのどれもが本の中だけのことでは
ない。レヘインの描くボストンは現代社会そのものだ。
 パトリック&アンジー・シリーズは、本国アメリカではすでに5作目までが出版さ
れている。ふたりの今後の活躍が楽しみなところだが、レヘイン本人の弁によれば、
もともと5作で終わりにする予定だったが、評判がいいのでもう1作書いて6作で完
結させるつもりだという。先達のハードボイルド作家たちが、長きにわたってシリー
ズものを書き連ねているのにくらべ、なんともあっさりしたものだが、果たしてファ
ンがそう簡単に許してくれるだろうか。
                               (山本さやか)

●レヘインの描く探偵像

 最近のミステリでは、探偵役の主人公が苦しむ。むかしのミステリは、強烈な個性
を持つ探偵があざやかな推理で事件を解決するというものが多かった。読者は予想も
しなかった結末に驚きながらも、その意外性を楽しみ、勧善懲悪の結果にすっきりと
した読後感を味わったものだ。
 だが現実の事件は、“結果にすっきり”するものばかりではない。単にニュースで
捜査の経緯を追っているだけのわたしたちですら、犯行のむごたらしさや動機の無意
味さ、被害者の運命の切なさにやりきれない思いをすることがある。だが捜査に関わ
るものたちは、犯行現場を訪れ、被害者の生前の人生を追い、遺族の悲しみに触れ、
犯人のねじれた心にまで踏み込んでいかなければならない。それは彼らにとって、魂
をすり減らすような日々にちがいない。だからこそ、昨今のミステリのなかでも、探
偵は以前のように“一件落着。めでたし、めでたし”と晴れやかに退場するわけには
いかなくなったのだろう。たとえ事件を解決に導いても、彼らの心には癒しようのな
い傷が残り、それを背負って生きていくのが宿命となる。そんな現代のミステリにお
いて、登場人物を生き生きと描き出すことで名高いデニス・レヘインは、その独特な
筆致で多くのファンの心を捕えている。
 レヘインの小説は人間の心の奥底を描き出す。パトリックもアンジーも格別強烈な
個性を持つわけでもなく、言ってみればどこにでもいそうな人物だ。わたしたちと同
じように悪を憎み正義を求める彼らだが、たまたま探偵という仕事に就いたがために、
人間の心が持つ醜さや切なさ、運命の皮肉さに深く関わらざるをえなくなる。彼らが
仕事を引き受ける理由は、被害者の無念を晴らしたいとか悪を正したいというような
崇高な動機ばかりではなく、依頼人への同情や、ときには報酬に心が動かされるとい
うこともあるだろう。それでも彼らの魂は深い傷を負い、その傷は決して癒えること
はない。回を追うごとにさらに新しい傷を負っていくふたりには、今後どのような展
開が待っているのだろうか。順調にこのシリーズを書きつづけてきたレヘインが、昨
年初のシリーズ外作品『ミスティック・リバー』(レビュー参照)を書いたのは、心
身ともに疲弊しきった彼らを少し休ませたいという理由もあったようだ。
『ミスティック・リバー』を書いた動機として、レヘインはさらに、シリーズものと
いう制約に縛られないストーリーを書きたかったとも述べている。パトリック&アン
ジー・シリーズは確固たる人気を博しているが、だからこそメインとなるキャラクタ
ーの誰かが命を落とすような設定は難しい。またシリーズ作品につきものの特徴とし
て、毎回新しい人物が登場し、新たな事件が起こる。その結果、主人公を中心とした
世界がどんどん広がっていくことは避けられない。だがノン・シリーズなら、必要と
あれば主人公が命を落とすことも可能だし、小さな世界に集結したストーリーを書く
こともできる。『ミスティック・リバー』は、地理的にも人間関係においてもごく狭
い世界を舞台に描かれている。幼いころ、ともに遊んだ3人の人生が、25年の時を経
てある事件をきっかけに再び絡み合っていくというストーリーは、狭い地域に住む少
人数の人々の心と運命を掘り下げている。
 人生のある時点まで、人間は誰しも同じスタート地点に立ち、ほぼ同じような可能
性を持っている。だがその後に起こるなにかによって、そのあとの人生が大きく変わ
っていくことになる。その枝分かれはなにが原因だったのか。運命という言葉で言い
表すにはあまりにも不充分な不可思議なめぐり合わせを、レヘインはそれぞれの人物
を深く描き出すことによって表現しようとしているのかもしれない。
 現在レヘインは新作と脚本を執筆中とのことだが、次の作品ではどのような人間の
心の奥底を暴き出してくれるのか、大いに期待したいところだ。
                                (中西和美)

●レビュー

『愛しき者はすべて去りゆく』 "GONE, BABY, GONE"
 デニス・レヘイン/鎌田三平訳
 角川文庫/2001.09.25発行 952円(税別)
 ISBN: 4-04-279104-2

《シリーズ最高傑作との呼び声も高い、幼児失踪をあつかった力作》

 4歳の少女アマンダが何者かに自宅から連れ去られた。事件は大々的に報道され、
ボストン市警も多くの人員を投入して捜索するが、捜査のひとつの目安となる3日を
すぎても行方はわからない。すなわち、これまでのセオリーから、生存の可能性は低
く、命があったとしても悲惨な状態で発見されると考えられた。それはパトリックと
アンジーもわかっていた。自分たちには荷が重すぎる事件だとも思った。人の、それ
もおさない子どもの死や傷ついた姿を、もう見たくないとも思った。しかしアマンダ
を心配する伯母の熱意に負け、ふたりは捜索依頼を引き受けることにする。

 聞き込みにまわる先々で知らされるのは、幼児らしからぬ無表情なアマンダの横顔
と、無関心という虐待を続けていた母親の素顔だった。この麻薬中毒の母親は行方不
明のわが子を心配するそぶりも見せず、子どもの父親もはっきりしないという。いっ
そうアマンダを哀れむ気持ちをつのらせたパトリックたちは新情報をつかんだとき、
少女を見つけだせると信じ、事件の担当刑事たちと協力して大胆な行動に出る。

 現実の社会の出来事までも脳裏に呼び覚まし、二重につらくこたえる内容だ。レヘ
イン作品のなかでいちばん好き、という表現が適切かどうか、とにかく一生忘れられ
ない1冊。パトリックたちは紆余曲折を経てふたりで暮らし始めており、しあわせに
見える。ところが仕事で暴力に接してきた負担は大きく、忍耐も限界に達しようとし
ている。ふたりの悲鳴は危険が増すばかりの社会の悲鳴のようだ。パトリックたちは
問いかける。なぜ平気で人を傷つけることのできる人間がいるのだろう――しかし答
えは得られない。善悪の基準にすら正解があるのかどうかわからない世界で、心をす
り減らしながら戦い続ける探偵たちの姿に希望と絶望の両方を感じながら、ひとりで
も多くの子どもが健やかに過ごせることを願わずにいられなかった。
                                (三角和代)
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"PRAYERS FOR RAIN" by Dennis Lehane
HarperTorch paperback/2000.05.02/ISBN: 0380730367
(hardcover/1999.03.01)

《無垢な女性をぼろぼろにし自殺に追いやったのは誰? 追うパトリックにも魔手が》

 カスタム・ハウス・ビルから全裸で投身自殺した女性がカレン・ニコルズだと聞き、
パトリックは耳を疑う。半年前、ストーカーの被害にあっていると相談にきたカレン
は、無邪気で純粋で、恋人との未来を信じていたのに。事件はうまく処理した。だが
その2か月後、留守電に残されたカレンの伝言に電話をかえすのを、迂闊にもパトリ
ックは怠ってしまった。あのときカレンが助けを求めていたとしたら……。罪の意識
にかられ、パトリックは彼女になにが起こったのか調べようと決心する。
 カレンは最愛の恋人を亡くし、ショックから立ち直れないまま転がるように身を持
ち崩してしまったように見えた。だがパトリックは、立て続けにカレンに降りかかっ
た不幸に不自然なものを感じる。誰かの悪魔的な意図が隠されてはいないだろうか。
ほころびをつつき、潜んだ人物を突き止めようとするパトリックに警告と脅しが来る。
姿を見え隠れさせながら、犯人はパトリックや周囲に攻撃を加え、口を割りそうな自
分の仲間を始末していく。なぜカレンの死が望まれたのか? 行方不明のカレンの義
兄との関連は?
 意表をつく仕掛けがいくつもあり、最後までストーリーの行方から目が離せない。

 このシリーズで気になるのが、パトリックとアンジーの仲。前作の事件の影響でア
ンジーはアパートを出ていっており、ふたりは別々に仕事をしている。今回の事件で、
パトリックはアンジーに助力を請い、また一緒に捜査を始めるのだが、さてアンジー
に心境の変化は訪れるのだろうか。
 そして今回、活躍するのはブッバだ。武器調達と銃撃戦の助っ人にとどまらず、情
報集めに推理にとおおいに貢献する。そのうえ素敵な恋人もでき、最後の銃撃戦に出
るときには、なんと、トレードマークのトレンチコートも脱ぎ捨てるのだ。
                               (小佐田愛子)
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『ミスティック・リバー』 "MYSTIC RIVER"
 デニス・ルヘイン/加賀山卓朗訳
 早川書房/2001.09.15発行 1900円(税別)
 ISBN: 4-15-208366-2

《初めてのノン・シリーズ作品は、超豪華キャストで映画化の話が進行中》

 11歳のころ、ショーンとジミーとデイヴは友達だった。だがある日、彼らのひとり
が恐ろしい事件に巻き込まれる。実際に被害者になったのはひとりだが、事件はほか
のふたりの少年の心にも忘れがたい傷を残した。25年後にジミーの娘が殺されたとき、
3人は被害者の父と刑事、容疑者という立場で再び出会う。そして彼らは、少年時代
に負った心の傷が、これほどの年月を経ても未だ癒えず、それどころか自分たちの運
命を大きく左右するほどのものだったことを悟ることになる。
 公式ホームページによると、この作品のタイトルと舞台となる街、主要な登場人物
は何年も前から著者の頭のなかにあったそうだ。それが数年前のある日、ひとつの文
章が浮かんだのをきっかけに、その文章をそれまで暖めてきたイメージとつなぎ合わ
せてこの作品を書いたという。また、幼いころ友人同士だった者が、別々の人生を歩
んだあとに再会するというプロットも、著者が長いあいだ書きたいと思っていたもの
らしい。そういう意味で、本書は充分な熟成期間を経て、生まれるべくして生まれた
作品と言える。
 運命の分岐点は誰にでもある。大事件のこともあれば、そのときは本人すら気づか
ずにやり過ごしてしまうような些細な出来事のこともあるだろう。だが、いずれの場
合もあとになって気づくのは同じだ。あのときのあれがなければ、いまの自分はこう
ではなかった、と。そして、たとえそれがリセットして忘れてしまいたいような過去
であっても、現在の自分に繋がる長い運命の糸の出発点として認め、なんとか折り合
いをつけて生きていかなければならない。そんな折り合いをつけようともがく人間の
心を、著者は淡々と描き出している。
 レヘインの小説はどれもそうだが、これも切なく哀しいストーリーだ。その哀しさ
が胸を突くのは、誰もが自分の心にも同じようなものが潜んでいることを知っている
からかもしれない。この作品は、クリント・イーストウッドの監督により、豪華なキ
ャスティングでの映画化の話が進んでいるようだが、そちらも公開が待ち望まれる。
                                (中西和美)

●デニス・レヘイン既刊情報

〈パトリック・ケンジー&アンジェラ・ジェナーロ・シリーズ〉
 『スコッチに涙を託して』  鎌田三平訳/角川文庫/ISBN: 4-04-279101-8
 『闇よ、我が手を取りたまえ』鎌田三平訳/角川文庫/ISBN: 4-04-279102-6
 『穢れしものに祝福を』   鎌田三平訳/角川文庫/ISBN: 4-04-279103-4
 『愛しき者はすべて去りゆく』鎌田三平訳/角川文庫/ISBN: 4-04-279104-2
  "PRAYERS FOR RAIN"(未訳)     HarperTorch/ISBN: 0-380-73036-7
〈その他〉
 『ミスティック・リバー』 加賀山卓朗訳/早川書房/ISBN: 4-15-208366-2

●デニス・レヘイン・オフィシャル・サイト

 最後にレヘインのオフィシャル・サイトをご紹介しておこう。インタビューの他に
1行クイズなどもある。われこそはと思う向きはぜひチャレンジしてほしい。
    http://www.dennislehanebooks.com/
                               (山本さやか)

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 ■翻訳家インタビュー ―― 林 啓恵さん

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 2回目の今月は、ロマンティック・サスペンスの翻訳を手がける林啓恵さんにお話
をうかがいます。

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《林 啓恵さん》1961年生まれ。愛知県出身。国際基督教大学社会科学科卒業。
 デビュー作『心閉ざされて』のほか、『夢のなかの騎士』『夜を忘れたい』(いずれも
リンダ・ハワード著/二見文庫)などの訳書がある。
+――――――――――――――――――――――――――――――――――――+
【Q】翻訳の道に進まれたきっかけをお聞かせください。
【A】もともと本が好きで、書くことを仕事にできればという憧れはありました。で
も、こと翻訳に関していうと、翻訳物は読んでいたのに、原書のまま読まなければそ
の本のメッセージは充分に伝わらないのではないかとの思いもあって……そのハード
ルを乗り越えさせてくれたのが、スティーヴン・キングの "IT" です。原書で読み、
“子どもの不幸”に共感するあまり、この作品のメインとなる感覚やアイデアは日本
語に移しかえても充分に伝わる、と感じました。その手応えと、東京を離れて仕事探
しに苦労したという体験が重なって、翻訳学校へ。通いはじめて8年ほどたった頃、
姉弟子にあたる翻訳家の方からリンダ・ハワードの下訳をやってみないかというお話
をいただき、それが今の仕事に結びつきました。デビュー作を訳すときは頭に血が昇
り、訳しているあいだずっとドキドキでしたね。

【Q】リンダ・ハワードはニューヨーク・タイムズのベストセラーリストにもたびた
び登場し、米国では女性読者から圧倒的な支持を得ている作家ですが、訳にあたって
はどのようなことを念頭におかれていますか。
【A】登場人物については自分なりにイメージが作れるよう、毎回キャスティングし
ています。たとえば今夏に出版された『夜を忘れたい』(原題 "DREAM MAN"/二見文
庫)では、殺人事件に巻き込まれた超能力者のヒロインに大人になったナタリー・ポ
ートマン(映画『レオン』の少女役)を、犯人を追いかけヒロインにぞっこん惚れ込
むヒーロー刑事には大きくて包容力がありそうなリーアム・ニーソン(『シンドラー
のリスト』の主演男優)をイメージしました。『夜を~』はこのヒロインとヒーロー
の内面の葛藤――たがいに相手を思いながら、心に隠しもっているものがある――が
面白く書けている作品です。そのあたりを丁寧に追い、あとは物語のスピード感を損
なわないことでしょうか。

【Q】ハワードの作品にはかなり刺激的なラブ・シーンが頻繁に登場しますね。
【A】きわどいシーンの訳には気を使います。時間にすると通常の倍はかけているで
しょうか。気をつけているのは、あまり清々しくならないようにすること。それと読
者に感情移入してもらえるよう、視点を整理することですね。最初のうちは慣れない
こともあって照れてしまい、時間ばかりかかって。こういうことは訳すより実行する
方が簡単だなあ、なんて溜息が出たものです。読者に理屈抜きに楽しんでもらえたら、
訳者としては幸せです。

【Q】これからのご予定をお聞かせください。
【A】11月には、またリンダ・ハワードの "AFTER THE NIGHT" が二見書房から出ま
す。これは家族に恵まれなかった美貌のヒロインと、ハンサムな大富豪の因縁もの。
また同じく11月に、日本では初登場となるミシェル・ファイバーの『アンダー・ザ・
スキン』が出ます。これはスコットランドが舞台のSF・ホラー的な作品で映像が目
に浮かびやすく、不気味でいて切ない物語。乗って訳せるリンダ・ハワードとはまた
違う楽しさを味わいました。今後もチャンスがいただける限りいろいろなタイプのも
のにチャレンジしたいですが、もともとは怖いもの、不気味なもの好き。いつかはパ
トリック・マグラアやジョナサン・キャロルなど、自分が好んで読んできた類の雰囲
気のある作品を訳してみたいですね。
                         (取材・構成 宇野百合枝)

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 ■未訳書レビュー ―― 添乗員は楽じゃない

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"GUNS AND ROSES" by Taffy Cannon
Perseverance Press/2000.03.01/ISBN: 1880284340

 ロクサーヌ・プレスコットは途方に暮れていた。〈ヴァージニアの歴史と庭園を鑑
賞するツアー〉、別名〈大砲と薔薇ツアー〉の新米添乗員としてバスに乗りこんだは
いいが、ツアー初日からトラブル続き。ツアー客のひとりが転んで足首を折ったのを
皮切りに、荷物に犬の糞を入れられた、砂糖入れに塩が入っていた、真夜中に不気味
ないたずら電話がかかってきた、入れ歯を盗まれたなどなど、次から次へと苦情が寄
せられてくるのだ。客のいたずらか? それともライバル会社のいやがらせか? 
 だが、その程度ですんでいるうちはまだよかった。ツアーのいちばんの目玉である
ウィリアムズバーグの町へとやってきた一行は、いたずらではすまされない事態に直
面することになる。地元警察の捜査に協力するうち、ロクサーヌの中に流れる元警官
の血が騒ぎ出し……。
 団体旅行を舞台に事件が起こり、参加者や主催者が謎解きをする……これはまさに、
日本のテレビや小説が得意とするトラベル・ミステリだ。同じツアーに参加していて
も思いはさまざま。なにを見ても感動する人、やたらと蘊蓄をかたむけたがる人、家
族に無理やり連れてこられむくれている人と、各人各様の反応にくすりとさせられる。
だからといって、けっしてドタバタに終始しているわけではなく、元警官という経歴
を持つ主人公が、要所要所できちんと締めていて好感が持てる。またトラベル・ミス
テリならではの、訪れる先々の描写にも心躍らされる。なかでもウィリアムズバーグ
は、18世紀の建物が復元され、当時の服装そのままの人々が町の中を行き来するとい
う、いわば町全体が「歴史テーマパーク」ともいえる場所。キャノンの生き生きとし
た描写に、歴史好きならずとも興味をそそられることまちがいない。
 タフィ・キャノンはこれまでに、ヤング・アダルト向けの小説や弁護士を主人公に
したシリーズもののミステリなど5作を書いている。元警官の添乗員ロクサーヌ・プ
レスコットはキャノンがあらたに作り出したキャラクターだが、今後のシリーズ化に
期待がかかる。捜査のおもしろさに目覚めてしまったロクサーヌのこと、ひょっとし
たら、次作では探偵になっているかもしれない。
                               (山本さやか)

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 ■ミステリ雑学 ―― 被疑者の権利(ミランダ警告)

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 アメリカの映画やテレビドラマで、犯人を取りおさえた警官が決まって口にする台
詞がある。これは被疑者の権利、またはミランダ警告(Miranda warnings)と呼ばれ
るもので、黙秘権や弁護士立ち会いの権利などからなる。実際に、警察が被疑者を尋
問する前には、必ずこの権利を聞かせなければならないとされている。
 以下がその文章だ。(細部の表現はケースにより異なることもある)

 1. You have the right to remain silent.
 2. Anything you say can be used against you in a court of law.
 3. You have the right to consult an attorney before questioning.
 4. You have the right to have your attorney present with you during
   questioning.
 5. If you cannot afford an attorney, one will be appointed for you at
no expense to you.

 この権利項目は、今から30年ほど前、1966年のアメリカ連邦最高裁での「ミランダ
対アリゾナ州」裁判の際に示された。一連の事件は、エルネスト・ミランダという男
が窃盗の容疑でフェニックスの警察に逮捕されたことに始まる。ミランダは尋問のの
ち、別の少女暴行と誘拐についても自白して調書にサインをしたが、黙秘権があるこ
とは知らされていなかった。黙秘権そのものは、合衆国憲法修正第5条の「何人も刑
事事件において、自己に不利な供述を強制されない」という規定により、すべての国
民に保証されている。だがミランダのように、自分にそうした権利があることを知ら
ないまま自白をして、法廷に臨むケースも多かったことだろう。
 いったんは20年の刑が決まったミランダだったが、弁護側による訴えが認められ、
被疑者のもつ権利についてあらかじめ知らされなかった場合の自白は無効との最高裁
の判断にもとづいて再審が開かれた。ただし、2度目の法廷ではミランダの自白は証
拠にはならなかったものの、友人の証言があらたに証拠として採用され、結局はふた
たび有罪の宣告を受けた。自分に不利なことを黙っていても、客観的証拠が集まれば
有罪となる。一方、どんな犯罪を犯したものであっても自分のもつ権利は侵されては
ならない。どちらも法に基づくフェアネスの精神であり、その両方を身をもって体験
したミランダの名前が、代名詞としていまもなお残っているというわけだ。

 この権利、警官が暗唱することもあれば、カードを手にして読み上げることもある。
このカードを販売しているサイト(*)もあるので、興味のある向きはごらんを。
* http://lawenforcementsystems.com/miranda.htm

 今年話題のクライムノベルの中に、この権利項目がひとひねりした形で登場する。
しゃべっているのは警官ではなく銃器密売人。ちなみに作者は法廷弁護士である。
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「金銭的余裕がなくても、希望すれば、尋問を受けるまえに弁護士を依頼することが
できる。おまえにはこれらの権利がある。警官が教えてくれるのはここまでだが、ほ
かにもいくつかあるだろう。だがな、おまえには、おれを虚仮(こけ)にする権利は
ないんだ」
 そうまくしたてるなり、もう一発殴った。
       (『撃て、そして叫べ』ダグラス・E・ウィンター著/金子浩訳/
                           講談社文庫 p.14より)
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                           (影谷 陽、松本依子)

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 ■スタンダードな一冊 ―― レヘインが惚れたネオ・ハードボイルド

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 デニス・レヘインはあるインタビューの中で、影響を受けたミステリ小説として3
つの作品を挙げた。ジェイムズ・リー・バークの『ブラック・チェリー・ブルース』、
ジェイムズ・エルロイの『ブラック・ダリア』、そしてもう1冊が、今回取りあげる
ジェイムズ・クラムリーの『さらば甘き口づけ』だ。

 クラムリーは寡作な作家で、1969年のデビュー以来、今月発売となる最新作をあわ
せても出版された本は10作しかない。1978年に出版された『さらば甘き口づけ』は長
篇3作目で、酔いどれ探偵C・W・スルーがデビューした作品でもある。
 別件で訪れた酒場の女主人から、10年前に失踪した娘を探すよう依頼されたスルー。
最初は気乗りしなかったが、次第に事件にのめりこんでいく。そして、事件は小説半
ばで解決されたようにみえた――が、もちろん話はここで終わるはずはなかった。
『さらば甘き口づけ』は、クラムリーの代表作であると同時に、70年代を代表するハ
ードボイルドとも言われている。それは意外な展開を見せ、ほろ苦いラストへと続い
ていくストーリーが面白いからだけではない。スルーをはじめ主要な登場人物を、過
去も含めて丹念に書き込み、等身大の人間として描き出したことにもよる。そのため
物語に奥行きや深みが出て、人間ドラマとしても読み応えのある作品となっている。

【今月のスタンダードな一冊】
『さらば甘き口づけ』ジェイムズ・クラムリー著/小泉喜美子訳/ハヤカワ文庫
"THE LAST GOOD KISS" by James Crumley

【ミニ情報】
『さらば甘き口づけ』の続編『友よ、戦いの果てに』(小鷹信光訳/ハヤカワ文庫)
が今夏、文庫化された。また10月23日には本国アメリカで、クラムリーのもうひとり
の酔いどれ探偵、ミロが主人公となる最新作 "THE FINAL COUNTRY" が、発売の予定
である。
                              (かげやまみほ)

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 ■速報 ―― シェイマス賞受賞作/CWA賞ノミネート作

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●シェイマス賞受賞作
 アメリカ私立探偵作家クラブ(PWA)から発表。11月開催のバウチャーコンで発
 表予定だったが、9月に発生したテロ事件の影響で不参加となったため繰り上げた。

 ▼最優秀長篇賞 "HAVANA HEAT" C・ガルシア=アギレーラ
  フロリダ州に住むキューバ系の「お嬢さま探偵」ことループ・ソラーノが主人公。
  シリーズ邦訳は『5万ドルの赤ちゃん』『マイアミの探偵は休暇がほしい』(と
  もに加藤洋子訳/新潮文庫)が刊行されている。

 ▼最優秀処女長篇賞 "STREET LEVEL" by Bob Truluck
  作品内容、および他のノミネート作については、創刊号を参照。

●CWA賞ノミネート作
 英国推理作家協会(CWA)から発表。他の部門については以下のサイトで。
 http://www.thecwa.co.uk/cgi-bin/frame.pl?awards.html

 ▼最優秀長篇賞(ゴールドダガー・シルバーダガー)発表=11月16日
  "FORTY WORDS FOR SORROW" ジャイルズ・ブラント
  "DANCING WITH VIRGINS"  by Stephen Booth
  "BABY LOVE"        by Denise Danks
  "SIDETRACKED"       ヘニング・マンケル
  "RIGHT AS RAIN"      ジョージ・P・ペレケーノス
  『氷の収穫』       スコット・フィリップス
               (細美遙子訳/ハヤカワ・ミステリ文庫)

 ▼ジョン・クリーシー記念賞(最優秀新人賞)発表=10月20日
  "PARADISE SALVAGE"    by John Fusco
  "THE EARTHQUAKE BIRD"   by Susanna Jones
  『氷の収穫』       スコット・フィリップス
  "BLINDSIGHTED"      by Karin Slaughter
  "GOOD BAD WOMAN"     by Elizabeth Woodcraft
                                (影谷 陽)

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■編集後記■
 創刊号には、多くのかたからご意見・ご感想をいただきました。ありがとうござい
ました。来月号の特集は、「ミステリと街」シリーズ第一弾《ボルチモア》をお届け
します。こうご期待!  (片)


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 海外ミステリ通信 第2号 2001年10月号
 発 行:フーダニット翻訳倶楽部
 発行人:うさぎ堂 (フーダニット翻訳倶楽部 会長)
 編集人:片山奈緒美
 企 画:宇野百合枝、影谷 陽、かげやまみほ、小佐田愛子、中西和美、
     松本依子、水島和美、三角和代、山本さやか
 協 力:@nifty 文芸翻訳フォーラム
     小野仙内
 本メルマガへのご意見・ご感想:whodmag@office-ono.com
 フーダニット翻訳倶楽部の連絡先:whodunit@mba.nifty.ne.jp
 http://www.nifty.ne.jp/forum/flitrans/whodunit/index.htm
 配信申し込み・解除/バックナンバー:
 http://www.nifty.ne.jp/forum/flitrans/whodunit/magazine/index.htm

 ■無断複製・転載を固く禁じます。(C) 2001 Whodunit Honyaku-Club
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              月刊 海外ミステリ通信 
           創刊号 2001年9月号(毎月15日配信)
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★今月号の内容★
〈創刊のご挨拶〉
〈特集〉        バウチャーコンのミステリ新人賞
〈翻訳家インタビュー〉 島村浩子さん
〈注目の邦訳新刊〉   『ビッグ・トラブル』
〈ミステリ雑学〉    ペカンパイ
〈スタンダードな一冊〉 『時の娘』


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 ●創刊のご挨拶

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 はじめまして。フーダニット翻訳倶楽部と申します。この倶楽部はミステリの翻訳
家を目指す学習者を中心に、現在120名ほどのメンバーが参加しています。@nifty内
の文芸翻訳フォーラムの会議室で情報交換を行っているほかに、オンラインの自主勉
強会なども開催しています。そして今回、新たな勉強の場としてメールマガジンを発
行することになりました。それでは今後ともよろしくお願いします。
                  (フーダニット翻訳倶楽部会長 うさぎ堂)

 そのフーダニット翻訳倶楽部内から、既存のどの雑誌よりも速く海外ミステリの情
報をお届けするメルマガをつくりたいという声があがりました。編集部員は全員がメ
ルマガ制作の素人ですが、海外ミステリへの情熱が、今回の創刊につながりました。
メルマガらしい即時性と自由な発想で、号を重ねていきたいと思っています。どうぞ
ご購読ください。
                 (『海外ミステリ通信』編集人 片山奈緒美)


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 ■特集 ―― バウチャーコンのミステリ新人賞

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 毎年秋になると、海外ミステリ好きならば1度は参加してみたい大会が開催される。
故アンソニー・バウチャーにちなんで命名されたバウチャーコンだ。今年で32回を数
えるこの大会は、各国からミステリ作家やファンが集まって親睦を深める世界一の規
模を誇るミステリ大会である。注目はここで発表されるミステリ賞の行方。大会規模
にふさわしく、アンソニー、マカヴィティ、シェイマス、バリーと、それぞれ特徴の
ことなる4つもの賞の受賞作発表と授賞式がおこなわれ、幅広いジャンルの作品を知
ることができる。今回の特集では、各賞の簡単な概要と併せ、これからの期待をせお
う新人賞部門の作品紹介と、その全未訳作品のレビューを掲載した。
                                (三角和代)

●アンソニー賞

 ミステリ界で著しい活躍をした者に授与される。その年のバウチャーコン参加登録
者によりまず各賞の候補作が選ばれ、会期中の投票で最優秀作が決定・発表される。
 今年の新人賞候補作は6作品。"Black Dog"(レビュー参照)を書いた Stephen
Booth が25年間の記者生活から執筆に専念するようになったきっかけは、コンテスト
入賞だった("The Only Dead Thing" というこの受賞作品は未出版)。シリーズ2作
目の "Dancing with the Virgins" も5月に出版された。MWAの最優秀新人賞も獲
った『紙の迷宮』(松下祥子訳)は18世紀のロンドンを舞台に、南海バブル事件を題
材にした歴史ミステリ。作者のデイヴィッド・リスは、博士課程の研究中に本作品の
想を得た。犯罪組織の法律顧問となった弁護士のクリスマスの一夜を描いた『氷の収
穫』(細美遙子訳)は、ほのぼのとしたクリスマス物語とは大違い。この救いのない
人生観やら皮肉な結末、独特の文体は、作者スコット・フィリップスがフランス小説
を翻訳していた影響かもしれない。作品は、ハメット賞の候補にもあがった。1990年
の上海を舞台に、趣味と実益をかね英米のミステリを翻訳する異色の中国人警部を主
人公にした『紅いヘロイン』(田中昌太郎訳)。作者のジョー・シャーロンは、作家・
詩人で、ワシントン大学で教えてもいる。"Street Level"(レビュー参照)を書いた
Bob Truluck は、セント・マーチンズ社とPWAが新人発掘のために行うコンテスト
で、この作品にて賞を獲得、2000年に出版された。彼は、ビル建築の請負業を営んで
いたという。『撃て、そして叫べ』(金子浩訳)はワシントンDCとヴァージニア州
郊外を舞台に、銃の密売人が組織に復讐するハードボイルド・アクション。作者のダ
グラス・E・ウィンターは、ワシントンの法廷弁護士だが、ホラー小説の研究家とし
ても有名。法廷戦からの鬱状態から脱け出すセラピーとしてこの小説を書いたという。
                              (小佐田 愛子)

●マカヴィティ賞

 世界最大規模のミステリ・ファン団体である「国際ミステリ愛好家クラブ」が主催
する賞。作家やファンなどからなる会員の投票によって各部門の最優秀賞が決定され
る。賞の名はT・S・エリオットの詩集 "Old Possum's Book of Practical Cats"
中の一編 "Macavity: The Mystery Cats" の主人公である猫から採られた。
 この賞は特定のジャンルを授賞対象とせず、幅広く目配りするのが特徴だが、女性
作家の受賞比率が目立って高い。これまでの顔ぶれをみると過去14回中、長篇賞で11
人、新人賞では12人(同時受賞を含む)が女性である。ただし、コージー作品を対象
とするアガサ賞と比べると、作品の色合いは軽妙なものから重厚なものまでバラエテ
ィに富む。今年の長篇賞もノミネートされた5人中4人が女性だが、唯一の男性作家
がアクの強さで知られるジョー・R・ランズデールであるというのがおもしろい。
 新人賞に目を向けると、ノミネートされた4作はすべてほかのミステリ賞にも顔を
出している。デイヴィッド・リス『紙の迷宮』はMWA最優秀新人賞を獲得し、さら
にアンソニー賞にもノミネートされた。MWA最優秀新人賞ノミネート作のマーシャ・
シンプスン『盗まれた色』(仮題、近刊)は、夫を失った悲しみを忘れようとアラス
カ州北部へ移住して事業を始めたリザが、殺人事件に巻き込まれながらも住民の少年
と交流を深めてゆくという作品。Kate Grilley "Death Dances to a Reggae Beat" と
Julie Wray Herman "Three Dirty Women and the Garden of Death"(レビュー参照)
の2作はアガサ賞にもノミネートされた。ここでも4人中3人を女性が占めており、
今回も女性作家の躍進となるか、注目されるところだ。
                                (影谷 陽)

●シェイマス賞

 シェイマス(shamus)という言葉がしめすように、広義の私立探偵が活躍する小説
を対象にした賞。選出するのはアメリカ私立探偵作家クラブ(PWA)で、選考結果
をバウチャーコンの場をかりて発表することがほぼ恒例となっている。
 新人賞以外の部門を見ると、同じ顔ぶれがくり返し候補にあがることからわかるよ
うに、ジャンルを限定した賞の性格上、優秀な先達を超えることは容易でないようだ。
ベテランの健在ぶりを頼もしく思うと同時に、優れた作品を発表し続けるだけの力量
をもった新しい才能をとくに歓迎したい分野であり、新人賞部門に名をつらねる作家
への期待は大きい。
 近年、リチャード・バリー、デニス・レヘイン、スティーヴ・ハミルトンなどが受
賞している新人賞部門。2001年度の候補はつぎの5作品となっている。ホラー仕立て
のリーガル・サスペンス、アンドリュー・パイパー『ロスト・ガールズ』(堀内静子
訳)、John Gates "Brigham's Day"、Chris Larsgaard "The Heir Hunter"、William
Mize "Resurrection Angel"、Bob Truluck "Street Level"(ここまでレビュー参照の
こと)。探偵がからむ小説といっても、その内容はさまざま。いわゆる伝統的な探偵
像と一致するのは、"Street Level" の主人公ぐらいだろう。探偵業のなかでも特殊な
分野を取りあげたり、プラスアルファの部分で個性を出そうと試みたり、現代の探偵
たちは事務所でじっと依頼人を待ってばかりもいられない。

●バリー賞

 アメリカの季刊ミステリ専門誌『デッドリー・プレジャー』のスタッフと購読者が
選ぶ賞である。1997年に創設されたこの賞はファン志向の同誌の性格を反映し、熱心
なミステリ・ファンであり書評家であった故バリー・ガードナーにちなんで名づけら
れた。新人賞はこれまでにチャールズ・トッド、リー・チャイルド、ドナ・アンドリ
ューズなどが受賞しており、特定のジャンルにかたよらず広く愛された作品が選ばれ
ている。2001年度の新人賞候補はつぎの5作品である。Bob Truluck "Street Level"、
ワシントンDCを舞台にしたリーガル・サスペンスのスティーヴン・ホーン『確信犯』
(遠藤宏昭訳)、デイヴィッド・リス『紙の迷宮』、スコット・フィリップス『氷の
収穫』、ジョー・シャーロン『紅いヘロイン』(近刊)。

 今年のバウチャーコンは11月1日から4日にかけてワシントンDCで開催される予
定。各賞の受賞結果については、後日お知らせします。
                                (三角和代)

●未訳ノミネート作レビュー

"BLACK DOG" by Stephen Booth
Scribner/2000.10/ISBN: 068487301X
(originally published in Great Britain by HarperCollins)

 主人公のベン・クーパーは、イングランドのピーク地方にある小さな町の刑事。殉
職して地元では英雄扱いされている父親と同じ道を歩むクーパーだが、母親の過度の
期待や、なにかにつけ父と比較する周囲の目を負担に感ずることもしばしばだ。8月
のある日、地元に住む少女ローラ・ヴァーノンの行方がわからなくなり、やがて惨殺
死体となって発見される。クーパーも捜査チームの一員に任命され、大都会の警察か
ら着任したばかりの女性刑事フライとコンビを組んで捜査にあたる。第一容疑者とし
て、ローラにつきまとっていたヴァーノン家の庭師の青年が捜査線上に浮かぶものの、
これといった決めてはない。なにかを隠しているらしい第一発見者の老人、裕福だが
崩壊しきっているヴァーノン家、被害者ローラの隠された一面などが事件をいっそう
複雑にしていく。そんな中、クーパーは独自の視点から事件を追っていくが……。
 イギリス的という表現がぴったりの作品だ。警察による地道な聞きこみ、事件に関
わった人たちの日常や心の機微、現場周辺の風景などが、ひとつひとつ丹念に描かれ
ている。全体に暗い雰囲気をただよわせながら、物語は静かに進んでいく。ジェット
コースター的な展開とも、常識でははかりしれない狂気とも無縁な世界がここにある。
はやく犯人を知りたいと思いつつ、いつまでもこのゆったりした流れに身をまかせて
いたい。そんな気にさせる1冊だ。
                               (山本さやか)
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"BRIGHAM'S DAY" by John Gates
Walker/2000.06/ISBN: 0802733441

 ユタ州南端の町、カナブ。文中にあるとおり、地図で見るとなるほど小さな黒点で
しかないが、西部劇のロケ地として有名で訪れる者は多い。ここにはもうひとつ特色
がある。教会中心の生活だ。ユタ州では人口の多くがモルモン教徒で、この町の人々
も例外ではない。ここへ、教会相手に正義を求める戦いをいどみ、やぶれ、信仰を捨
て家族に捨てられた過去をもつ弁護士、ブリガムが訪れたところから物語が始まる。
 ブリガムがカナブに来たのは、殺人容疑で逮捕された流れ者の公選弁護人を務める
ためだ。しかし、負け犬に対する扱いは厳しく、長いキャリアをもちながら、駆けだ
し弁護士の補佐に甘んじることになる。ブリガムは最近信仰をとりもどしたという、
被害者の身内である美しい女性とのふれ合いになぐさめを見いだすが、事件に教会が
関与していると知ったとき、そのなぐさめを捨てても、ふたたび勝ち目のない戦いを
いどむべきか苦悩するのだった。
 エルパソ在住の弁護士である著者はカナブで生まれ育った。そのため、描かれる自
然と文化は説得力にあふれており、どこかで信仰にすがりたい気持ちを捨てきれず苦
しむブリガムの人物像にもフィクション以上のものを感じた。プロットに甘い部分が
散在する点が惜しいが、モルモン教徒が西へ向かう120人もの移民の虐殺に関わったと
いう19世紀のマウンテン・メドウズ事件をいかした雰囲気づくりはうまい。今後の展
開だが、すでにシリーズ2作目の "Sister Wife" がこの7月に発表されている。
                                (三角和代)
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"DEATH DANCES TO A REGGAE BEAT" by Kate Grilley
Berkley Prime Crime Books/2000.06.12/ISBN: 0425175065

 セントクリス島のラジオ局でDJ兼ジェネラル・マネージャーを務めるケリーは、
ある夜、海岸で他殺死体を見つける。それは彼女が長を任された「イザベヤ生誕パレ
ード委員会」委員の一人で、島に長期滞在中のゼナのものだった。確かにゼナはトラ
ブル・メーカーで、行く先々で揉め事を起こしていた。だが島に来て間もない彼女を、
殺したいほど憎んでいた人間がいたのだろうか? 以前にもちょっとした事件を解決
していたことから、ケリーは島の住人の数人から今回の事件を調査するよう依頼され
る。しかしそんな彼女に次々と災難が降りかかり、命の危険にもさらされる。その上、
委員会は正常に機能せず、パレードの準備も遅々として進まない。はたしてケリーは
事件の真相をつかみ、パレードを無事に迎えることができるのだろうか?
 西インド諸島の小さな島が舞台のコージー・ミステリ。スチールバンドの演奏が、
どこからともなく聞こえてくる南の島での殺人事件は、どこか牧歌的だ。犯人や真相
はある程度読むと予想がつくし、本筋とは関係ないエピソードで中途半端なところも
見られるが、全体としてはうまくまとめられている。島の様子や歴史に現実感があり、
親友のマーゴや島の生き字引的存在のミス・モードなどの脇役陣も多彩なので、今後
のシリーズ化に期待が持てそうな作品でもあった。
                              (かげやまみほ)
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"RESURRECTION ANGEL" by William Mize
Writers Club Press/2000.08/ISBN: 0595131700

 ある夜、電話からすすり泣きとともに少女の声が聞こえた。「お願い、ここからわ
たしを出して。頼れるのはあなただけなの」そのことばを聞いたデントンは恋人のモ
ンティとともに、電話の主であるリサのいる病院へ向かう。が、リサは記憶を失って
おり、主治医は退院させることには強硬に反対した。父親の了解を取りつけてリサの
身柄を引き取ったデントンとモンティは、記憶喪失の原因をつきとめるために催眠術
を用いる。リサの口から語られた過去は、エイリアンにさらわれたという信じがたい
ものだった。その謎をさらに探るため、デントンは自分の〈能力〉を使おうとする。
 デントンは他人やその持ち物に触れることでその人物の思念を読み取るという特殊
な能力の持ち主である。そのため、幼少時から病院に隔離され、孤独のうちに育って
きた。一方のモンティはかつて街娼をするほどに荒れていたがそこから立ち直り、現
在はプロの私立探偵として働く女性で、たくましさと繊細さを併せ持っている。そん
な二人が、誰からもほんとうに愛されることのないリサの訴えに自らを重ね、なんと
かしてリサの人生を取り戻してやりたいと手をつくすうちに、家族のような信頼関係
を築いていく。だが、その生活も長くは続かない。
 随所にバランスの悪さが顔を出すのが惜しまれるが、デントンとモンティという二
人の清新さと人物描写、そして生きのいい会話がこの作品の最大の魅力だ。
                                (影谷 陽)
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"STREET LEVEL" by Bob Truluck
Thomas Dunne Books/2000.09/ISBN: 031226626X

 ダンカン・スローンは、フロリダに住む無免許の私立探偵。頑固で不器用な性格ゆ
え、金にはとんと縁がない。おまけに女にだらしがないときてる。そんな彼のもとに、
ある富豪から依頼が舞い込んだ。尻に眼球の刺青をした若い妊婦をさがしてほしいと
いう。パイクと名のるその依頼主は、大物実業家の跡取り息子だが、ゲイなので子ど
もをもうけることができない。家系を絶やさぬため、精子をクリニックに預け、ふさ
わしい代理母を探していたところ、その精子が盗まれてしまった。盗んだ男は何者か
に殺され、パイクのもとに脅迫状が送られてくる――盗んだ精子で女を妊娠させた。
金を出さなければ堕胎させる。なんとしても、その女性を無事に出産させたいという
パイクの願いを聞き入れ、さっそく調査を進めるダンカンだが、行く先々で人が殺さ
れ、彼自身も命を狙われ……。
 代理母、ゲイのカップル、ストリップバーで踊る10代の少女と、素材は現代ふうな
がら、探偵のキャラクターと物語の展開のさせかたは、典型的な古きよき私立探偵小
説の手法を踏襲している。軽妙な会話とエネルギッシュなスローンの行動で、物語は
テンポよく進んでいく。過去に取り憑かれ、不倫関係に悩み、弱さをまぎらすために
たばこや酒に手を出す探偵が多い昨今にはめずらしいほど、ダンカン・スローンは精
神的にも肉体的にもタフだ。どんな相手にも媚びず、なにがあってもけっしてへこた
れない。探偵小説につきもののワイズクラックもきいている。まさにハードボイルド
の王道をいく作品といえる。
                               (山本さやか)
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"THE HEIR HUNTER" by Chris Larsgaard
Delacorte Press/2000.02.15/ISBN: 0385333633

 身よりのない資産家が、遺言書を遺さずに他界したとき、相続すべき血縁者を探し
だし、その人物から遺産の一定の割合を報酬として受け取る――これが本書のタイト
ルにある相続人ハンターの仕事だ。
 だとすれば、2200万ドルもの資産を持っていた老人ジェイコブズの急死の報は、相
続人ハンター、ニック・マーチャントにとって大チャンスだった。ニックは、多額の
報酬を手に入れるため、相棒でもと恋人のアレックスとともに、謎めいた孤独な老人
の血縁者探しにのりだす。
 しかし、老人の素性が明るみに出るのを望まないひとびとがいた。FBIがひた隠
しにする老人の過去とは? はたして、ニックは報酬を手にすることができるのか?
 著者自身が10年来の相続人ハンターだという。新人らしく、ときに説明過多な部分
があるものの、全般にスピード感のあるノン・ストップ・アクションだ。なによりも、
経験者が語る相続人ハンターの世界が真に迫っている。著者曰く、現実の相続人ハン
ターも危険な思いをすることがあるというから、実体験が作品づくりに生かされてい
るのだろう。またひとり、次作が楽しみな作家が登場した。
                               (片山奈緒美)
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"THREE DIRTY WOMEN AND THE GARDEN OF DEATH" by Julie Wray Herman
Silver Dagger Mystery/2000.04/ISBN: 1570721106

 園芸好きが集まって女性3人だけの会社を作ったアミルー、コリーン、ジェイニー。
この日の仕事はコリーンの甥からの依頼で、翌日に控えたガーデン・ウェディングの
準備だった。会場である花嫁宅の庭でアザレアを掘り返していると、そこにはなんと、
アミルーの夫、グレッグの死体が。グレッグは一月前から若い秘書と失踪しており、
アミルーとは離婚寸前だった。さらに死者の手に「殺してやる」と書かれた妻の手紙
が握られていたことから、アミルーが容疑者にされてしまう。無実を信じるコリーン
とジェイニーだが、本人の非協力的な態度や、次々と明らかになる嘘に困惑する。そ
こに第二の殺人事件が起こって……。
 ユーモアを湛えた筆遣いに、一見ドタバタコメディーかと思いきや、そのじつ、友
情について考えさせられる作品だ。親友を信じたい気持ちと次第にわきおこる疑念の
板ばさみになるコリーンとジェイニー。もともと浮気性のグレッグとの結婚を心配し
ていたふたりだったが、彼女たち自身の生活もそれぞれ問題を抱えていた。コリーン
は夫を亡くした喪失感に苛まれ、今は警察署長のJ・Jと幸せな結婚生活を送ってい
るジェイニーも、過去の結婚で受けた家庭内暴力のトラウマに今なお苦しめられてい
るのだ。しかし、悲しみや苦しみを知っているからこそ、窮地に陥った大切な友人を
守り抜こうと決心する、その姿が心に残る。
                                (松本依子)

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 ■若手翻訳家インタビュー ―― 島村浩子さん

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 1回目の今月は、ハヤカワ・ミステリ文庫の話題作『庭に孔雀、裏には死体』を訳
された島村浩子さんにお話をうかがいます。

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《島村浩子さん》1965年生まれ。東京都出身。津田塾大学学芸学部英文学科卒業後、
(財)日本GIF研究財団に勤務。
 デビュー作は98年『ダイアナ&ドディ 愛の日々』(日本文芸社)。
+――――――――――――――――――――――――――――――――――+
【Q】翻訳に興味をもたれたのは、どういったことがきっかけですか?
【A】子供の頃からC・S・ルイスの『ナルニア国ものがたり』が大好きでした。大
学にはルイスの他作品を訳している講師がいらして、その方の翻訳演習の授業があっ
たんです。その頃は翻訳者になりたいとはまったく思っていませんでしたが、「もし
かしたらルイスの話が聞けるのではないか」という気持で受講しました。結局その機
会には恵まれませんでしたけれど、翻訳演習の授業そのものは楽しかった。翻訳しよ
うと思って原文を読むと、こんなにも作品のなかに入っていけるんだ、と感動したの
をおぼえています。社会人になってしばらくすると、やっぱり翻訳を仕事にできたら
いいなと思いはじめました。それで翻訳学校に通ったり、翻訳奨励賞に応募したりし
て勉強していたんです。その後ある翻訳家の方の勉強会に入れていただくことができ、
リーディングなどを通して仕事への道筋をつけていただきました。

【Q】『ダイアナ&ドディ 愛の日々』はそのタイトルが記憶に残っている読者も多
いと思いますが、あれは島村さんのデビュー作だったのですね。
【A】はい。残念ながら絶版ですが、ダイアナ元英国皇太子妃と一緒に亡くなったド
ディ・アルファイド氏の執事が、ふたりのロマンスについて語った本です。緊急出版
だったので、納期がきつかったです。

【Q】『庭に孔雀、裏には死体』(原題 "Murder with Peacocks"、ドナ・アンドリュ
ーズ著、ハヤカワ・ミステリ文庫)はマリス・ドメスティック・コンテスト最優秀作、
アガサ賞、アンソニー賞などを受賞した傑作ですね。「21世紀のクレイグ・ライス」
とも評される、この実力派新人の作品を訳されていかがでしたか?
【A】この本はミステリ初仕事だったので、実をいうと最初は肩に力がはいってしま
いました。でもとにかく笑える作品で、原文を読んでいると自然に顔がにやけていた
りするんですね。ですから楽しみながら訳せましたが、それと同時に悪ノリはしない
よう気をつけました。ただ欧米の作品にはありがちなことのようですが、日付や数字、
細かい設定が前後で食い違っているところがあって、そこは編集の方と相談して目立
たないよう工夫しました。本書は謎解きあり、ユーモアあり、ロマンスありの1冊で
何度もおいしい傑作です。とくに一度に3つの結婚式のお膳立てを引き受けることに
なった主人公、メグの奮闘ぶりがおかしくて読ませます。読者の方にも自分と同じよ
うに、ぜひ楽しんで読んでいただけたらなあと思います。

【Q】今後はどのような本を訳されたいですか?
【A】『庭に孔雀~』を訳してみて、あらためてユーモア・ミステリの面白さがわか
った気がするので、今後もこのジャンルは続けていきたいですね。あとポーラ・ゴズ
リングやフェイ・ケラーマンなども好きです。登場人物の心の動きや人間関係が丹念
に描き込まれていて、ロマンスもたんなるミステリの添えもので終わっていない――
そんな所がたまらなく好きなんです。ですからこういうタイプのものも訳してみたい
と思います。来年前半には『庭に孔雀~』の続編、メグ・ラングスロー・シリーズの
2作目が出ます。今度はメイン州沖の孤島でメグがまた殺人事件に遭遇するというも
の。彼女の奇人変人一家も再度登場します。1作目を気に入ってくださった方は、き
っと楽しんでいただけると思いますよ。
                        (取材・構成 宇野百合枝)

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 ■注目の邦訳新刊レビュー ――『ビッグ・トラブル』

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『ビッグ・トラブル』 "BIG TROUBLE" 
 デイヴ・バリー/東江一紀訳
 新潮文庫/2001.08.01発行 629円(税別)
 ISBN: 4-10-222321-5

 ホームレスのパギーはフロリダが気に入っていた。気候がいいのはもちろん、たま
にちょっとした力仕事を手伝うだけでいつでもビールを飲ませてくれるバーもある。
そのうえ、とある豪邸の庭にある木の上に、気持ちのいいねぐらまで見つけたのだ。
 ところがある日、パギーがいつものように樹上のねぐらにいると、その豪邸に銃を
持ったふたりの男が忍び込んできた。しかもその直後にもうひと組、やはり銃を持っ
たふたりの男が忍び込んでくるではないか! はたして男たちの目的は? 食欲の塊
のような犬や図太いヒキガエル、果ては核爆弾まで登場して、事件はとほうもない方
向へ進んでいく。
 著者のデイヴ・バリーは有名なユーモア・コラムニスト。彼のコラムは、一見事実
に即しているようで徐々に脱線し、どこまでが事実でどこからフィクションかわから
ない世界で読者を煙に巻いてしまう。そんな著者が初めて挑戦した100パーセントフィ
クションである本書では、「即する事実」がないぶん果てしなく脱線が続き、次々に
現れる人物を巻き込んで壮大なおおぶろしきが広がっていく。野放図に広がったスト
ーリーは最後できっちり辻褄が合っているのだが、それすら著者一流の手に乗って煙
に巻かれたのではないかと思ってしまう。冒頭の“謝辞と警告”から、笑いのスイッ
チがオンになること請け合いの痛快爆笑ノヴェル。
                                (中西和美)

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 ■ミステリ雑学 ―― ペカンパイ

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「ペカン・パイは何といっても私の大好物で、冬場は思う存分食べることにしている
が――からだの線を隠してくれるバルキーセーターは何のためにあると思う?――ス
ーの店のパイはおいしいとはいっても、叔母のゼルのに比べたら、足元にもおよばな
い。それに、私は誰かほかの人間が作ったパイで、五百カロリーを余分に摂取したり
はしない。」
  (『密造人の娘』マーガレット・マロン著/高瀬素子訳
                   /ミステリアス・プレス文庫 p.40より)
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 海外ミステリ愛読者のみなさんなら、こんなふうに登場するペカンパイにお気づき
でしょう。ペカン(pecan、ピーカンとも)は北米原産のクルミ科の木で、おもに米中
部・南部からメキシコに見られます。クルミを細長くしたような赤茶色のペカンナッ
ツを使ったパイは、パンプキンパイなどと並ぶアメリカの母の味。ただし、日本人に
はかなり甘め。この甘さに挑戦したい方のために、レシピをご紹介しましょう。

《ペカンパイの材料》直径18cmのパイ皿用
 パイ生地
 (薄力粉 120g/無塩バター 85g/塩 2g/冷水 40cc)
 フィリング
 (卵 1個半/グラニュー糖 3分の1カップ/バニラビーンズ 少々/塩 少々
  溶かしバター 40g/ペカンナッツ 1カップ/水飴 100g/ラム酒 少々)

《パイ生地の作り方》
(1)台の上に薄力粉と塩をふるう。
(2)この上に、よく冷やしておいたバターをサイコロ状に切って散らし、全体をよ
   く切り混ぜる。さらさらになったら、台の中央に集め、少しずつ冷水を加えて
   混ぜる。
(3)全体がしっとりしたら、ラップで包み、冷蔵庫で1時間ほどねかす。
(4)生地を打ち粉をした台の上で型よりも大きめにめん棒で伸ばしたあと、型に敷
   き、はみ出た分は切り落とす。底面にフォークで空気穴を開けておく。

《フィリングの作り方と仕上げ》
(1)卵、グラニュー糖、バニラビーンズ、塩、バター、水飴をよく混ぜる。
(2)ピカンナッツを加えて混ぜてから、お好みでラム酒をたらし、パイ皿に流し入
   れる。
(3)180度のオーヴンで40分程度焼く。途中で焦げてきたら、温度を低くするか、パ
イの上にアルミホイルをかぶせよう。
(4)きつね色に焼けたら、オーヴンから出す。よく冷ましてできあがり。
                               (片山奈緒美)

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 ■スタンダードな一冊 ――『時の娘』

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 このコーナーでは、過去に出版された翻訳ミステリの中から、ぜひ読んで欲しい定
番の作品を紹介します。
 今回取り上げる作品は……。
"THE DAUGHTER OF TIME" by Josephine Tey
『時の娘』ジョセフィン・テイ著 小泉喜美子訳 ハヤカワ文庫

 出版から半世紀たった今も、日本や英米で読みつがれている『時の娘』を、故アン
ソニー・バウチャーは「全探偵小説におけるベストのひとつ」と評した。しかし半世
紀前の作品のため差別的な表現が見られるし、日本人に馴染みの薄いイギリス史を扱
っているので、とっつきにくいかもしれない。また翻訳も30年前のものなので、表現
の古さも否めない。だがそれを差し引いたとしても、お勧めしたい作品である。面白
さの秘密は2つ。1つめは主人公の設定。主人公のグラント警部が事故で足を骨折し、
ベッドから動くことができない究極の安楽椅子探偵として登場することだ。2つめは
シェークスピアが戯曲化し、日本人でさえ知っている歴史的事実に疑問を呈したこと
だ。リチャード3世といえば、兄王の2人の王子をロンドン塔に幽閉して殺害し、王
位を奪った悪名高き人物である。だがグラントはそれに疑問を抱く。
 グラントは顔を見れば、その人物が悪人かどうかすぐに区別がつくという才能の持
ち主だった。暇つぶしに肖像画を見ていた彼の目には、リチャード3世が悪人には映
らなかった。そして疑問が膨らんだ彼は入院中の退屈しのぎに、ロンドン塔の事件の
調査をしようと考える。彼は助手となったキャラダイン青年に当時の資料を探すよう
依頼し、それを元に事件を洗いなおす。はたしてグラントが出した結論は? それは
実際、本を手にとって確かめてもらいたい。

【ミニ情報】
 埋もれた古典ミステリを翻訳する最近のブームの中で、ジョセフィン・テイの初期
作品『ロウソクのために一シリングを』が、今夏ハヤカワ・ミステリから発売された。

                              (かげやまみほ)

――――――――――――――――――――――――――――――――――
■編集後記■
 創刊号はいかがでしたか。編集部では、今年のバウチャーコン新人賞ノミネート作
家のうち、Bob Truluck や Chris Larsgaard が有力株と予想しています。受賞作の発
表をお楽しみに! 来月号ではデニス・レヘインを特集します。  (片)


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 海外ミステリ通信 創刊号 2001年9月号
 発 行:フーダニット翻訳倶楽部
 発行人:うさぎ堂 (フーダニット翻訳倶楽部 会長)
 編集人:片山奈緒美
 企 画:宇野百合枝、影谷 陽、かげやまみほ、小佐田愛子、中西和美、
     松本依子、水島和美、三角和代、山本さやか
 協 力:@nifty 文芸翻訳フォーラム
     小野仙内
 本メルマガへのご意見・ご感想:whodmag@office-ono.com
 フーダニット翻訳倶楽部の連絡先:whodunit@mba.nifty.ne.jp
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 ■無断複製・転載を固く禁じます。(C) 2001 Whodunit Honyaku-Club
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