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 フーダニット翻訳倶楽部のブログです。倶楽部からのお知らせ、新刊情報などを紹介します。  トラックバックとコメントは今のところできません。ご了承ください。  ご連絡は trans_whod☆yahoo(メール送信の際に☆の部分を@に変更してください)まで。お返事遅くなるかもしれませんが、あしからずご了承ください。お急ぎの方はTwitter @usagido まで。
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             月刊 海外ミステリ通信
          第11号 2002年7月号(毎月15日配信)
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★今月号の内容★
〈特集〉        クラシック・ミステリへの誘い
〈インタビュー〉    藤原編集室の藤原義也さんに聞く
〈注目の邦訳新刊〉   『第四の扉』『被告の女性に関しては』
            『煙の中の肖像』
〈ミステリ雑学〉    ノックスの探偵小説十戒
〈スタンダードな1冊〉 『毒入りチョコレート事件』


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■特集 ―― クラシック・ミステリへの誘い

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●クラシック・ミステリの復興

『ミステリマガジン』2002年3月号(早川書房)によれば、2001年に新刊として出版
された翻訳ミステリは287冊。ジャンルも、本格ミステリ、ハードボイルド、警察小
説をはじめ、ノワール、コージー、ホラーなど多様化している。そんな翻訳ミステリ
出版が隆盛をきわめるなか、1960年代より以前に書かれたクラシック・ミステリの出
版点数が着実に増えているという、本格ミステリファンにとってはうれしい現象がお
きている。
 クラシック・ミステリは、1994年にはじまった国書刊行会〈世界探偵小説全集〉を
はじめ、翔泳社〈翔泳社ミステリー〉、新樹社〈新樹社ミステリ〉などのシリーズか
ら毎年何点か出版されていたが、2001年にはハヤカワ・ミステリからヘイク・タルボ
ット『魔の淵』、ジョセフィン・テイ『ロウソクのために一シリングを』、マージェ
リー・アリンガム『霧の中の虎』が、創元推理文庫からはドロシー・L・セイヤーズ
『学寮祭の夜』『顔のない男』、ニコラス・ブレイク『死の殻』が刊行された。また
今年になってハヤカワ・ミステリからセイヤーズ『箱の中の書類』、エリザベス・デ
イリイ『予期せぬ夜』がでており、6月には晶文社〈晶文社ミステリ〉という新シリ
ーズもはじまった。
 なぜ今、クラシック・ミステリが注目され、その翻訳が増加しているのだろう?

●翻訳権10年留保

 1960年代以前の海外作品は未訳のものが少なくない。当時今ほど原書が一般的に読
まれる状況ではなく、一部の作家や編集者を通してしか海外作品が国内に紹介されな
かったというのが主な理由だ。しかし近年、洋書や洋古書が比較的簡単に入手できる
ようになり、以前に比べミステリファンが原書を手にとる機会が増えてくると、国内
では軽視されているが海外で評価の高い作品や、昔とは評価が変わった作家の作品な
ど、未訳作品の翻訳を読者側から強くのぞむようになってきている。
 また、クラシック・ミステリの翻訳出版が増えているもうひとつの理由として、
〈翻訳権10年留保〉の存在もあげられる。
 ご存知のように、海外の作品を翻訳出版する際は、翻訳権を取得しなければならな
い。著作権法により、海外著作物は作者の死後50年まではその権利が保護され、翻訳
するときは契約をむすんで翻訳権を取得しなければならないのだ。また日本について
は、〈戦時加算〉も適用されて、1941年以前の旧連合国の出版物に関しては第2次大
戦中、日本が連合国と交戦していた期間を保護期間の50年に加える必要もある。
 ところがここに旧著作権法第7条という条項がある。この条項には「刊行後10年以
内に日本で正式に契約されて翻訳出版されなければ、翻訳権が自由使用となる。そし
てその10年以内に翻訳出版されれば、一般の著作権の保護期間、翻訳権もその保護を
受ける」とあり、これが〈翻訳権10年留保〉と呼ばれているものだ。1971年の著作権
法改正でこの条項は廃止され、著者の死後50年(該当する場合はプラス戦時加算分)
まで権利が保護されることになった。ただ、ここで経過措置として附則が施行され、
附則第8条により、「新著作権法が施行された1971年1月1日以降に刊行された著作
物に関しては、〈10年留保〉の適用がなく、1970年12月31日までに刊行された作品に
ついては〈10年留保〉が適用され、刊行後10年間(該当する場合はプラス戦時加算分)
翻訳出版されていなければ翻訳権を取得する必要はない」となったのだ。この法律の
おかげで、多くのクラシック・ミステリは翻訳権を取得せずに出版できている。
 ただ翻訳権を取得する必要がなかったばかりに落とし穴もあって、同じ作品が別々
の出版社からでる可能性がある。それが、6月にビル・バリンジャー『煙の中の肖像』
(仁賀克雄訳/小学館)が出版され、そして同じくバリンジャー『煙で描いた肖像画』
(矢口誠訳/創元推理文庫)が今月刊行予定であるというケースだ。同じ作品をほと
んど同時に2冊出す労力があるなら別の作品を翻訳して欲しかったという声も聞かれ
るが、ミステリ・ファンとしては2冊を読みくらべるという楽しみもあるだろう。

 なお、翻訳権については宮田昇『翻訳出版の実務・第三版』(日本エディタースク
ール出版部)を参考にした。

●クラシック・ミステリの原書を読むために

 クラシック・ミステリの翻訳を待てない方は、原書を探して読んでみてはいかがだ
ろう。 
 クラシック・ミステリのタイトルに詳しいのは、森英俊『世界ミステリ作家事典』
(国書刊行会)である。この本では、作家やその作品(未訳作品も含む)の簡単なあ
らすじが紹介されていて、自分の好みに合うおもしろそうな本を探すのに大変役に立
つ。
 また、クラシック・ミステリを新刊として出版したり復刊したりしている海外の出
版社の情報をチェックするのもよいだろう。主な出版社としては、最近 "Lost
Classics" というクラシック・ミステリの短編集シリーズをスタートした Clippen &
Landru 社(米国)や、英国古典ミステリを復刊している House of Strasus 社(英
国)がある。

●作家アントニイ・バークリーについて

 6月にはじまった〈晶文社ミステリ〉シリーズの第1弾『被告の女性に関しては』
の作者フランシス・アイルズは、アントニイ・バークリーの別名義である。
 昨年翻訳されたバークリー作品『ジャンピング・ジェニイ』(狩野一郎訳/国書刊
行会)は『このミステリーがすごい! 2002年版』(宝島社)で海外編4位、『最上
階の殺人』(大沢晶訳/新樹社)は19位にはいっている。また今後も国書刊行会〈世
界探偵小説全集〉から1点、〈晶文社ミステリ〉から4点翻訳が予定されていて、バ
ークリーは、クラシック・ミステリ界で今一番注目されている作家といえるだろう。
 ユーモア誌『パンチ』のライターとして執筆活動を開始したバークリーは、その後
探偵小説を書き始め、本格ミステリの黄金時代といわれる1920年~1930年代に活躍し
た。彼の作品は、ユーモア作家P・G・ウッドハウスの影響を強く受けていて、本格
ミステリの要素を十分に備えながらも、遊び心にあふれたものを多数残している。
 バークリー名義の作品では、先にあげた2作や『第二の銃声』『地下室の殺人』な
どロジャー・シェリンガムが活躍するシリーズがよく知られている。迷探偵シェリン
ガムが試行錯誤、悪戦苦闘しながら事件の謎を解き、最後には必ず、読者をあっと言
わせるドンデン返しが用意されていて楽しませてくれる。
 一方、フランシス・アイルズ名義で書かれた作品は、がらりと雰囲気が変わる。犯
罪者もしくは被害者の視点から描かれた犯罪小説で、登場人物の造形がすばらしく、
ブラック・ユーモア的な要素もある。
 バークリー作品は、ユニークな着想からうまれる斬新なテーマと、読者に驚きを与
えてくれる巧みな構成で、今読んでも決して古くさくなく、また現代ミステリでは少
なくなってきている明るさも備えているのだ。

●最後に──社会思想社の倒産

 このクラシック・ミステリ特集の準備をしている最中、6月28日に残念なニュース
が飛び込んできた。現代教養文庫をだしている社会思想社が債務超過で任意整理され
ることになったのだ。事実上の倒産である。
 現代教養文庫は、エリス・ピーターズの「修道士カドフェルシリーズ」が有名だが、
国書刊行会が〈世界探偵小説全集〉を刊行する前から、D・M・ディヴァイン、ヘン
リー・ウエイド、レオ・ブルースなどのクラシックな作品を紹介していて、本格ファ
ンを楽しませてくれていた。
 今、クラシック・ミステリ復興のきざしがあるなかで、現代教養文庫がなくなって
しまうというのは本当に惜しい気がする。
                                (清野 泉)

◇特集記事で取りあげた本の一覧はこちらで
http://www15.u-page.so-net.ne.jp/ya2/y-kage/mag/feature.html

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 ■インタビュー ―― 藤原編集室の藤原義也さんに聞く

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 今月は、埋もれていた海外の優れたクラシック・ミステリを数多く発掘し、紹介し
ていらっしゃる藤原編集室の藤原義也さんにお話を伺いました。

――《藤原編集室》について教えてください。
「《藤原編集室》と名乗っていますが、実質的には個人営業です。国書刊行会から5
年前に独立し、フリーランスの編集者として活動を続けています」

――国書刊行会から〈世界探偵小説全集〉が発売された時、クラシック・ミステリ・
ファンとしてうれしく思いました。出版の経緯を教えてください。
「シリーズがスタートした1994年当時、クラシック・ミステリの紹介はほとんど皆無
でした。クイーン、カー、クリスティーなどを読んで育ってきた海外本格ミステリ・
ファンには読むべき新刊がない、という状況が続いていたのです。ぼく自身、そうい
う読者の一人でしたから、ほかで出ないのなら自分で、というのが出発点です」

――国書刊行会や翔泳社から出ているクラシック・ミステリのシリーズに続いて、晶
文社から新たにシリーズを出すきっかけはなんだったのでしょう?
「国書刊行会の〈世界探偵小説全集〉は、クラシック・ミステリの中でも〈本格〉物
を中心に構成していますが、「クラシック=本格」という固定観念には、ちょっと疑
問を感じています。本格物を軸にしながらも、クラシック・ミステリの幅を広げてい
きたい、と思って始めたのが翔泳社のシリーズで、今回の〈晶文社ミステリ〉も基本
的にはその延長線上にあります。それと〈全集〉のほうで力を入れてきたアントニ
イ・バークリーの未訳作品を、一気に出してしまいたい、という思いもありました」

――作家や作品の選定基準はなんでしょう? 出版社ごとに傾向などはあるのでしょ
うか? また古い本はどのように探していらっしゃいますか?
「先ほど述べたように、〈世界探偵小説全集〉ではオーソドックスな本格をベースに、
翔泳社や晶文社のシリーズでは、より幅広くミステリというジャンルをとらえていま
す。そのなかで、いままで不当に紹介が遅れていた作家を積極的に取り上げていきた
いと思っています。とくにイギリスの作家は、翻訳紹介史の上で大きな空白があるよ
うです。もちろん、日本ではまったく知られていない作家、作品の発掘にも力を入れ
ています。翻訳底本は、〈全集〉刊行開始当初からご協力いただいている方々にお借
りしたり、自分で探したりしています」

――〈世界探偵小説全集〉は作品自体もすばらしいのですが、あとがきや月報もとて
も楽しいものでした。本を作る際の思い入れなどがありましたら教えてください。
「推薦や感想、あらすじをなぞっただけの〈解説〉なら、付ける必要があるとは思え
ません。〈世界探偵小説全集〉の解説では、それ自体、独立した作家論、作品論とし
て通用するものを目指しています。もちろん、初紹介の作家、あまり知られていない
作家に関しては、作家の全体像を伝えることも必要ですね」

――本格ミステリの魅力はなんでしょうか?
「難しい質問ですね。大雑把な言い方になってしまいますが、本格ミステリの大きな
目的は、読者に驚きを与えることではないかと思っています。優れた本格ミステリは、
私たちの固定された考え方、物の見方をものの見事に覆し、突き崩してくれます。そ
の新鮮な驚きが、本格ミステリの大きな魅力ではないでしょうか」

――子どもの頃に夢中になったミステリ作品あるいは作家はいらっしゃいますか?
「ミステリというジャンルを意識して読み始めたのは、エラリー・クイーンの〈国名
シリーズ〉ですね。なかでも印象に残っているのは『エジプト十字架の謎』『オラン
ダ靴の謎』あたり。次に夢中になったのがジョン・ディクスン・カーです」

――上記の質問と重なるかもしれませんが、邦訳された本格ミステリで藤原さんのお
勧めの作品を教えてください。
「月並な選択ですが、いわゆる黄金時代の巨匠の、いろいろな意味であっと驚かされ
た作品を少しだけあげておきます。アントニイ・バークリー『毒入りチョコレート事
件』(創元推理文庫)。アガサ・クリスティー『三幕の悲劇』(創元推理文庫他)。
ジョン・ディクスン・カー『火刑法廷』(ハヤカワ文庫)。エラリイ・クイーン『十
日間の不思議』(ハヤカワ文庫)です」

――今後力を入れていきたい作家はいらっしゃいますか?
「本格ミステリからは離れますが、1950~60年代の短篇ミステリには注目しています。
今度、晶文社で出るジェラルド・カーシュのような所謂〈異色作家〉系列のものに、
まだまだ埋もれた作家や作品がたくさんあります」
                        (取材・構成 かげやまみほ)

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 ■注目の邦訳新刊レビュー ―― 本格ミステリ3作品

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『第四の扉』 "LA QUATRIEME PORTE" (最初のEにアクサン・グラーヴ付)
 ポール・アルテ/平岡敦訳
 ハヤカワ・ミステリ/2002.05.31発行 1100円(税別)
 ISBN: 4150017166

《呪われた密室殺人の謎は? 犯罪学者ツイスト博士登場》

 今どき、こんな本格ものを書く作家がいたのか!と嬉しくなってしまう作品が登場
した。ポール・アルテの『第四の扉』だ。「フランスのディクスン・カー」と呼ばれ
るアルテは、ロマン・ノワールやサスペンスが主流の現代フランスミステリ界で、ひ
とり本格不可能犯罪ものにこだわり続ける異色の作家である。

 第2次大戦後の1948年。オックスフォード近郊の村にあるダーンリー氏の屋敷には、
数年前に密室の屋根裏部屋で怪死した夫人の幽霊が出ると噂されていた。誰もいない
はずの屋根裏に光が見え、不審な物音が聞こえるというのだ……。そんななか、屋敷
に新しい間借り人、霊媒師のラティマー夫婦が越してきた。以来、次々と奇怪な事件
が起こり始める。さらに隣人の作家の妻が事故死、作家本人も何者かに襲われ、息子
ヘンリーは行方不明になってしまった。
 3年後、ダーンリー家では、夫人の霊を呼びよせる実験が行われていた。ラティマ
ー夫婦は、夫人は何者かに殺されたのだ、と言う。交霊実験のさなか、厳重に扉が封
印された屋根裏部屋で殺人が起きた。被害者は失踪していたヘンリーだった。一体、
誰が、なぜ、どうやって彼を殺したのか? まさか夫人の幽霊が?
 ところが、数日後、なんと死んだはずのヘンリーが現れたのだ……!

 イギリス郊外の小村を舞台に、密室殺人や怪奇現象、交霊術がくりひろげられ、背
景はクリスティ、作風はどこかカーを思わせる本書は、1987年度コニャック・ミステ
リ大賞を受賞したアルテの代表作である。意表をつく密室殺人のトリック、途中から
なんとも意外な展開を見せるプロットが面白い。とりわけ、あっと驚くひねりのきい
たラストは、本格ファンにはたまらないだろう。カーのフェル博士を彷彿とさせるツ
イスト博士や、有名なミステリ作家を連想させる人物が登場するのも、クラシックフ
ァンには嬉しいお楽しみだ。カーの作品を愛し、クリスティの小説のような古き良き
時代の英国風背景に魅せられると語る(*)アルテは、1930~1940年代のイギリスを舞
台に怪奇趣味あふれる密室本格ものを書き続けているらしい。日本では本書が初の翻
訳長編だが、まだまだ未紹介の逸品がありそうだ。今後の翻訳が楽しみである。
                               (山田亜樹子)

(文中(*)部分は、フランスのWebサイト "Le Coin Du Polar" のインタビュー記事
を参考にしました)http://polar.nnx.com/articles/paulhalter/paulhalter.htm
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『被告の女性に関しては』 "AS FOR THE WOMAN"
 フランシス・アイルズ/白須清美訳
 晶文社/2002.06.10発行 2000円(税別)
 ISBN: 4794927312

《許されぬ恋の行き先はどこへ?――モラトリアム青年の苦悩》

 これは一見よくありそうに見えて、どこにもないような三角関係の物語だ。

 アランはオックスフォード大の学生。自分より更にエリートである家族に囲まれ、
自分に自信が持てない。寮にいる間はいいのだ。友人には架空の体験話ばかりして女
性については権威だと思われているから。検査で肺に影が見つかったアランは、婚約
者キャスリーンの計らいにより医師フレッドの家で一夏療養することになった。キャ
スリーンも近くに滞在し、楽しい夏休みになるはずだった。
 医師のフレッドはどうも人を落ち着かなくさせる人物だったが、妻のイヴリンは美
しく才気があり、今までアランをこんなに理解してくれた人物はいなかった。アラン
はイヴリンに好意を抱き、家族に傷つけられた自尊心を回復させる。他方キャスリー
ンの子供っぽさにアランは幻滅を感じるようになる。そして、フレッドが留守の晩、
ついにアランとイヴリンは一線を超えてしまう。

 ここまではよくある不倫関係だが、これが後半で急展開する。フレッドの侮辱的な
言葉にかっとなって文鎮で頭を殴りつけたアランは、思わぬ逃避行をする羽目になる。
大学の演劇祭では絶賛された変装姿で。しかしそれが何ともブラックなのである。

 後書きによると、人妻と若い男が共謀して夫を殺したトンプソン事件裁判での裁判
官の発言からタイトルが引用されているそうだ。しかし、この物語は実際の事件の通
り運ぶわけではない。アイルズ=アントニイ・バークリーの作品を一度でも読んだこ
とがある人ならお分かりかもしれないが、人の心を操ることにかけてアイルズは天才
的だ。登場人物の性格描写が緻密で、あちこちに心理的な罠が張り巡らされており、
気がついたらすっかり罠にはまっている、というのがこの作家の持ち味だろう。あっ
と驚く事実が終盤にかけてこれでもかと出てきて、読んだ後はしばらく人の心の不思
議さに驚き、余韻に浸ってしまうこと間違いなし。
 この作品は今回再評価されて発掘されることになったのだが、その辺の経緯も含め
て後書きはじっくり味わっていただきたい。今まで埋もれていた名作が再評価を受け
たのは嬉しい限りだ。バークリーについては特集を参照していただきたい。
                                (大越博子)
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『煙の中の肖像』"PORTRAIT IN SMOKE"
 ビル・S・バリンジャー/仁賀克雄訳
 小学館/2002.6.20発行 1700円(税別)
 ISBN: 4093563411

《バリンジャー幻の出世作が満を持して登場》

 ビル・サンボーン・バリンジャー(1912-80)は米国アイオワ州オスカルーサ生ま
れ。ウィスコンシン大学を卒業後、シカゴの広告代理店に勤務しながらラジオ台本を
書きはじめ、1950年代には『ヒッチコック劇場』や『鬼警部アイアンサイド』などの
テレビ映画や劇場映画の脚本家として活躍した。
 バリンジャーの小説家としてのデビューは1948年。シカゴを舞台にした私立探偵小
説を2作品上梓したが、とりたてて注目を浴びることはなかった。だが50年、3作目
の本書が彼の小説家としての出世作となる。この作品で彼は“カットバック”という
映画の手法を用いて、小説に緊張感を持たせることに成功、55年『歯と爪』(創元推
理文庫)、57年『消された時間』(ハヤカワ・ミステリ文庫)では、さらにトリッキ
ーな構成で読者を欺き、評判をとった。
 とまあ、作者の経歴はこれぐらいにして、作品の紹介のほうを。主人公のクラッシ
ー・アルモニスキーはシカゴの貧しい家庭の生まれなのだが、これがたいへんな美貌
の持ち主。口うるさい両親と貧乏な生活からいつか抜け出したい、と考えていたとこ
ろ、17歳のときに地元の新聞社主催の高校生美人コンテストに応募して優勝する。そ
して、家出して持ち前の美貌と才気で次から次へと男を乗り換えてのし上がって行く。
 一方、もうひとりの主役が未収金回収業の“おれ”こと、ダニー・エイプリルだ。
クラッシーが町をでて10年後、たまたま彼女が美人コンテストで優勝したときの新聞
記事を手にした彼は、その写真の少女が15歳のときに町で見かけてひとめ惚れした少
女だと気づく。ここから物語は、なんとかひとめ会いたいとクラッシーの足跡をたど
るダニーの視点、巨富を求めて次々と名前や経歴を偽りながら男を遍歴するクラッシ
ーの視点と、交互にカットバックで描かれる。
 残された手がかりをもとにダニーが思い描く彼女の暮らしぶりと、そのときのクラ
ッシーの実生活。それぞれのシーンが交互に切り替わり、しだいにお互いが接近して
いく様子は、推理→タネ明かしの愉しみもある。しかし、なんと言っても読み終わっ
たあと、一番に感じたことは、男ってほんまにアホやね――これにつきる。
                                (板村英樹)

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 ■ミステリ雑学 ―― ノックスの探偵小説十戒

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「一つ以上の密室、或いは秘密の通路など用いてはならんと、ノックス先生が『探偵
小説十戒』の第3項に記しておるのを知らぬかな」
          (『虚無への供物』中井英夫/講談社文庫/p.102から)
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 引用したせりふは、氷沼家の次男、紅司の死の謎をめぐり素人探偵たちが議論に熱
中する中、推理マニアを自認する藤木田老が知識を披露するくだりだ。現実の殺人事
件に探偵小説の規則をあてはめようとするのは、無理がある気もするのだが……。
〈ノックスの十戒〉は、1929年に英国で出されたアンソロジー "BEST DETECTIVE
STORIES OF THE YEAR 1928" の序文で編者のロナルド・ノックスが発表したものだ。
1920年代、30年代に、英米探偵小説界は本格長編の黄金期を迎え、数々の傑作が発表
されたが、人気に便乗する煽情的小説もたくさん出版され、そういう風潮に釘をさす
とともに、推理小説を作者と読者の知的ゲームに位置づけ、その〈フェアプレー〉を
守るためのルールを提唱したのである。同じ考えからだろうか、前年の1928年に、ア
メリカでもヴァン・ダインが〈20則〉を発表している。十戒の内容を見てみよう。

1.犯人は物語の書記の段階から登場している人物であらねばならぬ。しかしまた、
  その心の動きが読者に読みとれていた者であってはならぬ。
2.推理小説に超自然的な魔力を導入すべきでない。
3.秘密の部屋や秘密の通路は、せいぜい一つにとどめておかねばならぬ。
4.現時点までに発見されていない毒物、あるいは科学上の長々しい説明を必要とす
  る装置などを使用すべきでない。
5.中国人を主要な人物にすべきでない。
6.探偵が偶然に助けられるとか、根拠不明の直感が正しかったと判明するなどは避
  けるべきである。
7.推理小説にあっては、探偵自身が犯行をおかすべきでない。
8.探偵が手掛かりを発見したときは、ただちにこれを読者の検討に付さねばならぬ。
9.ワトソン役の男は、その心に浮かんだ考えを読者に隠してはならぬ。そして彼の
  知能は、一般読者のそれよりもほんの少し下まわっているべきである。
10.双生児その他、瓜二つといえるほど酷似した人間を登場させるのは、その存在が
  読者に予知可能の場合を除いて、避けるべきである。
(『探偵小説十戒』/ロナルド・ノックス編/宇野利泰・深町眞理子訳/晶文社から)

 5番目の規則については当時唐突に中国人を登場させる三文小説が多かったからだ
ろう。江戸川乱歩は『幻影城』の中でこの十戒とヴァン・ダインの20則を紹介し、と
もに初等文法であり、力量のある作家はとらわれずに優れた作品を書いていると評し
ている。規則は破るためにある? どの小説家がどの戒を破り傑作をものしているか
探すのも一興かもしれない。
 ロナルド・ノックスは1888年生まれ。司祭としての仕事のかたわら、1925年に『陸
橋殺人事件』を発表し、その後5つの長編を書いた。十戒(デカローグ)というのは、
ノックス流のユーモアだったのかと納得。前述のアンソロジーを訳した『探偵小説十
戒』には序文ごと載っている。『幻影城』(江戸川乱歩著/講談社推理文庫)にも掲
載されているが、こちらは入手が困難らしく残念だ。さらに『ノックス師に捧げる10
の犯罪』(ヨゼフ・シュクヴォレツキー/宮脇孝雄・宮脇裕子訳/ミステリアス・プ
レス)では、巻頭に十戒を掲げ、どの短編でどの戒が破られているかもあわせて推理
するように読者にゲームを挑んでいる。藤木田老なら跳びつきそうな一冊だ。
                               (小佐田愛子)

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 ■スタンダードな1冊 ―― 6人の素人探偵が繰り広げる推理合戦

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『毒入りチョコレート事件』アントニイ・バークリー/高橋泰邦訳/創元推理文庫
"THE POISONED CHOCOLATE CASE" by Anthony Berkeley

 アントニイ・バークリーは実に奇抜で大胆なアイデアの持ち主だ。なかでもここに
ご紹介する『毒入りチョコレート事件』は、着想といい犯人の意外性といい、その斬
新さがいかんなく発揮された作品である。
 ユーステス・ペンファーザー卿のもとに、大手チョコレート・メーカーのチョコレ
ート・ボンボンが送られてくる。ふとした偶然から、そのボンボンを譲り受けたグレ
アム・ベンディックス卿が自宅で夫人とともに食べたところ、7個食べた夫人は苦し
んだ末に死亡、2個しか食べなかったベンディックス卿は幸いにも一命をとりとめる。
ボンボンのリキュールから毒物のニトロベンゼンが検出され、スコットランド・ヤー
ドが殺人事件として捜査を開始する。しかし、犯人に結びつく手がかりは見つからず、
捜査は暗礁に乗りあげてしまう。
 そこにわれらがロジャー・シェリンガムが颯爽と登場し、見事な推理力を働かせて
難事件を解決する……というのでは、「スタンダードな1冊」で紹介するほどの作品
にはなりえない。バークリーはここで、シェリンガムを会長とする〈犯罪研究会〉の
メンバー6人に、各人の推理を競わせるという手法をとる。事件そのものについては
最初のほうでわずかに触れられるだけで、あとは6人の推理が次々と開陳されていく。
ひとりの推理を次のメンバーが完膚無きまでに論破し、そしてそれをまた次のメンバ
ーが……と、全編これ推理という展開なのだ。といっても、登場人物がみな、いかに
も英国人らしい、もってまわった言い方をするものだから、現代風の丁々発止のやり
とりとはほど遠く、もたついた印象は否めない。それでも、ていねいな物言いの裏に
ひそむ痛烈な皮肉には思わずくすっとさせられる。
 また、本格ならずとも推理小説であれば、主役の探偵が最後に正解を提示するとい
うのがひとつの約束事であるが、本書はそういう期待をも見事に裏切ってくれる。誰
が犯人かだけでなく、誰が犯人をいいあてるかもこの作品の大きな読みどころなので
ある。意外な犯人をいいあてた意外な人物とは? このあたりにもバークリーらしい
シニカルさが感じられておもしろい。
 ところで、本書に登場する〈犯罪研究会〉のメンバー6人のうち、会長のロジャー
・シェリンガムが他の作品にも主役として登場し大活躍(?)することはよく知られ
ているが、「まったくの無名で、温厚小柄な、風采にも特徴のない男」で、「本人す
ら入会を許されたことを驚いている」というチタウィック氏が活躍する作品もある。
『ピカデリーの殺人』(真野明裕訳/創元推理文庫)や『試行錯誤(旧題:トライア
ル&エラー)』(鮎川信夫訳/創元推理文庫)での名探偵ぶりもあわせてお楽しみい
ただきたい。
                               (山本さやか)
----------------------------------------------------------------------------


◇連載記事で取りあげた本の一覧はこちらで
http://www15.u-page.so-net.ne.jp/ya2/y-kage/mag/regular.html


―――――――――――――――――――――――――――――――――――
■編集後記■
 夏がやってくるたびに、なぜかディープ・サウスを舞台にしたミステリを読みたく
なります。エアコンをとめて、まとわりつくような暑さを感じながら、じっくりとミ
ステリを読む……そんな願望を持ちつつも、つい涼風を求めてしまうのですが。8月
号では、翻訳家の小林宏明さんの特別インタビューをお届けします。    (片)


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 海外ミステリ通信 第11号 2002年7月号
 発 行:フーダニット翻訳倶楽部
 発行人:うさぎ堂 (フーダニット翻訳倶楽部 会長)
 編集人:片山奈緒美
 企 画:板村英樹、宇野百合枝、大越博子、影谷 陽、かげやまみほ、
     清野 泉、小佐田愛子、中西和美、松本依子、三角和代、
     山田亜樹子、山本さやか
 協 力:@nifty 文芸翻訳フォーラム
     小野仙内
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 フーダニット翻訳倶楽部の連絡先: whodunit@mba.nifty.ne.jp
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 ■無断複製・転載を固く禁じます。(C) 2002 Whodunit Honyaku Club
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