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             月刊 海外ミステリ通信
              2002年6月号 号外
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★速報
 シェイマス賞ノミネート作品
 バリー賞ノミネート作品
 マカヴィティ賞ノミネート作品

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 ■速報1 ―― シェイマス賞ノミネート作品発表

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 アメリカ私立探偵作家クラブ(PWA)の選ぶシェイマス賞の2002年ノミネート作
品が発表された。受賞作は10月17日、テキサス州オースティンで開かれる晩餐会で発
表される。各部門のノミネート作は以下のとおり。

●最優秀長篇賞(Best P. I. Novel)

 "ANGEL IN BLACK"         マックス・アラン・コリンズ
 "ASHES OF ARIES"         マーサ・C・ロレンス
 "THE DEVIL WENT DOWN TO AUSTIN"  Rick Riordan
 "REFLECTING THE SKY"       S・J・ローザン
 "COLD WATER BURNING"       ジョン・ストラレー

●最優秀処女長篇賞(Best First P. I. Novel)

 "EPITAPH"             James Siegel
 "CHASING THE DEVIL'S TAIL"    David Fulmer
 "RAT CITY"            Curt Colbert
 "A WITNESS ABOVE"         Andy Straka
 "PILIKIA IS MY BUSINESS"     Mark Troy

●最優秀ペイパーバック賞(Best Paperback P. I. Novel)

 "ANCIENT ENEMY"          ロバート・ウェストブルック
 "ARCHANGEL PROTOCOL"       Lyda Morehouse
 "KEEPERS"             Janet LaPierre

●最優秀短篇賞(Best P. I. Short Story)

 "Rough Justice"    Ceri Jordan    (in AHMM, July 2001)
 "The Jungle"     ジョン・ランティガ(in "AND THE DYING IS EASY")
 "Last Kiss"      Tom Sweeney    (in "MYSTERY STREET")
 "The Cobalt Blues"  クラーク・ハワード(in EQMM, September-October 2001)
 "Golden Retriever"  バーバラ・ポール (in EQMM, December 2001)
                                 (影谷 陽)

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 ■速報2 ―― バリー賞ノミネート作品発表

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 ミステリの専門季刊誌である《デッドリー・プレジャー》が主催する、バリー賞の
ノミネート作品が発表になった。受賞作は10月に行われるバウチャーコンで発表され
る。

●最優秀長篇賞(Best Novel)

 "TELL NO ONE"             ハーラン・コーベン
 "DARKNESS MORE THAN NIGHT"      マイクル・コナリー
 "PURGATORY RIDGE"           ウィリアム・K・クルーガー
 『ミスティック・リバー』       デニス・ルヘイン
 "SILENT JOE"             T・ジェファーソン・パーカー
 "BAD NEWS"              ドナルド・E・ウェストレイク

●最優秀処女長篇賞(Best First Novel)

 "OPEN SEASON"             C. J. Box
 "THIRD PERSON SINGULAR"        K. J. Erickson
 "CHASING THE DEVIL'S TAIL"      David Fulmer
 "PERHAPS SHE'LL DIE"         M. K. Preston
 "BLINDSIGHTED"            Karin Slaughter
 "BUBBLES UNBOUND"           Sarah Strohmeyer

●最優秀英国ミステリ賞(Best British Crime Novel)

 "DANCING WITH VIRGINS"        Stephen Booth
 "BLOOD JUNCTION"           Caroline Carver
 "THE KILLING KIND"          John Connolly
 "DIALOGUES OF THE DEAD"        レジナルド・ヒル
 "DEATH IN HOLY ORDERS"        P・D・ジェイムズ
 『シャドウ・キラー』         ヴァル・マクダーミド

●最優秀ペイパーバック賞(Best Paperback Original)

 "RODE HARD, PUT AWAY DEAD"      Sinclair Browning
 "DEATH IS A CABARET"         Deborah Morgan
 "THE FOURTH WALL"           Beth Saulnier
 "STRAW MEN"              Martin J. Smith
 "KILLING GIFTS"            Deborah Woodworth
                               (かげやまみほ)

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 ■速報3 ―― マカヴィティ賞ノミネート作品発表

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 世界最大規模のミステリ・ファン団体「国際ミステリ愛好家クラブ」が主催する、
マカヴィティ賞のノミネート作品が発表になった。受賞作は10月に行われるバウチャ
ーコンで発表される。本メールマガジンでは、フィクションの部門だけを取り上げる。

●最優秀長篇賞(Best Mystery Novel)

 『ミスティック・リバー』       デニス・ルヘイン
 "THE DEADHOUSE"            リンダ・フェアスタイン
 "FOLLY"                ローリー・R・キング
 "TELL NO ONE"             ハーラン・コーベン
 "SILENT JOE"             T・ジェファーソン・パーカー

●最優秀処女長篇賞(Best First Mystery Novel)

 "THE JASMINE TRADE"          Denise Hamilton
 "BLINDSIGHTED"            Karin Slaughter
 "OPEN SEASON"             C. J. Box
 "PERHAPS SHE'LL DIE"         M. K. Preston

●最優秀短篇賞(Best Mystery Short Story)

 "My Bonnie Lies"    Ted Hertel
                 (in "THE MAMMOTH BOOK OF LEGAL THRILLERS")
 "Bitter Waters"     ロシェル・メジャー・クリッヒ
                 (in "CRIMINAL KABBALAH")
 "The Would-Be Widower" キャサリン・ホール・ペイジ
                 (in "MALICE DOMESTIC 10")
 "The Abbey Ghosts"   ジャン・バーク
                 (in AHMM, January 2001)
                               (かげやまみほ)

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 海外ミステリ通信 2002年6月号 号外
 発 行:フーダニット翻訳倶楽部
 発行人:うさぎ堂 (フーダニット翻訳倶楽部 会長)
 編集人:片山奈緒美
 企 画:板村英樹、宇野百合枝、大越博子、影谷 陽、かげやまみほ、
     小佐田愛子、中西和美、松本依子、三角和代、山田亜樹子、
     山本さやか
 協 力:@nifty 文芸翻訳フォーラム
     小野仙内
 本メルマガへのご意見・ご感想:  whodmag@office-ono.com
 フーダニット翻訳倶楽部の連絡先: whodunit@mba.nifty.ne.jp
 http://www.litrans.net/whodunit/
 配信申し込み・解除/バックナンバー:
 http://www.nifty.ne.jp/forum/flitrans/whodunit/magazine/index.htm

 ■無断複製・転載を固く禁じます。(C) 2002 Whodunit Honyaku Club
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             月刊 海外ミステリ通信
          第10号 2002年6月号(毎月15日配信)
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★今月号の内容★
〈特集〉        ワールドカップ開催記念 世界のミステリ
〈インタビュー〉    ヴィレッジブックス編集者にきく
〈注目の邦訳新刊〉   『囁く谺(こだま)』
〈ミステリ雑学〉    信仰の聖なる誓い、堅信式
〈スタンダードな1冊〉 『笑う警官』


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 ■特集 ―― ワールドカップ開催記念 世界のミステリ

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 5月31日のフランス-セネガル戦で幕をあけた日韓共催ワールドカップも、すでに
日程の半分を消化し、きょうからは決勝トーナメントがはじまる。198の国と地域の
頂点に立つのはどのチームか。サッカー・ファンならずとも、今後の展開がひじょう
に気になるところだ。
 今月は、世界の強豪が一堂に会するワールドカップ開催にちなみ、英米以外のミス
テリに目を向けてみた。本選出場を果たした32か国のうち、共催のパートナーである
韓国、前回優勝のフランス、ダークホースのスウェーデンなど6か国のサポーターに、
自慢のミステリについて熱く語ってもらおう。

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●韓国 ―― 決勝トーナメント進出、イギョレ(勝て)韓国チーム!

 初戦のポーランド戦でW杯初勝利を果たした韓国だが、つづく米国戦を引き分け、
14日のポルトガル戦も勝って、決勝トーナメントへの進出を果たしている。前評判な
ど当てはまらぬ勢いで、果たしてどこまで勝ち進むのか。イギョレ、韓国!
 これまでの韓国ミステリ、娯楽小説の出版状況は日本に比べるとまだまだ多様性、
独自性に欠け、世界に翻訳されて紹介されるという状況には至っていなかった。だが
最近になって、韓国の娯楽映画のヒット作品が日本で公開されたのをきっかけに、原
作小説が魅力ある娯楽小説として日本に翻訳紹介されはじめた。
 朴商延の『JSA――共同警備区域』(金重明訳/文春文庫)を原作にした映画は、
やはり韓国で先に公開されヒット作となった娯楽大作『シュリ』を追い抜く大ヒット
となった。作者の朴は1972年生まれ、韓国の中央大学英語学科卒の若手新進作家であ
る。謎解きの要素を盛り込みながらも、朝鮮の南北分断をテーマに極めて意欲的な問
題提起を試みている。ただ、欧米の洗練されたエンタテインメントを読み慣れた読者
のなかには、小説技法上のつたなさを指摘する向きもあるだろう。だが、お題目と化
した「南北統一」を刷り込まれて育った作者の強い抵抗の意志が、それを補ってあま
りあるパワーとなって読む者を物語に引き込む。
 郭【キョン】澤(キョンは日へんに景)の『友へ チング』(金重明訳/文春文庫)
もまた、作者自らが監督し、昨年韓国で大ヒットした映画の原作小説だ。郭は1966年
生まれ、ニューヨーク大学の映画科を卒業している。この作品は郭の自伝的要素を含
む、「友情」をテーマにした小説だ。港町釜山を舞台に1970年代から現在までの韓国
激動の時代を背景にして、教育者の息子で優等生の相沢(サンテク)、釜山の有力や
くざの息子で、番長格の俊錫(チュンソク)、葬儀屋の息子で俊錫につぐNO.2の東秀
(トンス)、密輸商の息子の重豪(チュンホ)ら、4人の幼なじみが成長してゆく過
程を数々のエピソードで綴る。
 ことに俊錫と東秀がやくざの世界に足を踏み入れ、激しい派閥抗争へとなだれ込ん
でゆくあたりからは『JSA』と同様に粗削りな部分もあるが、語るべきものを持つ
者の力強さで最後までひと息に読ませる。
「僕は本を通じて韓国との過去のことを知った。でも、サッカーを通じて韓国の人々
を知った。これからサッカーを通じて韓国の友との友情を一層深めたい」これはW杯
日本代表、小野伸二選手の言葉だ。まず、この2冊の本を読んで韓国を知ることから
はじめてみてはいかがだろうか。
                                (板村英樹)
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●スウェーデン ―― 持ち前の粘り強さで“死のグループ”を突破!

 スウェーデン・ミステリといえば、警察小説の傑作マルティン・ベックのシリーズ
が有名だが、その後継者とも呼ばれるシリーズの1作目が、ヘニング・マンケルの
『殺人者の顔』(柳沢由実子訳/創元推理文庫)である。本シリーズは本国で9作目
まで出版されており、5作目 "SIDETRACKED"(原題 "VILLOSPAR" *1)が2001年にC
WAゴールドダガー賞を受賞している。
 スウェーデン南部の過疎の村で、老夫婦が拷問されたうえに夫は惨殺され、瀕死の
妻は病院で息を引き取るというショッキングな事件が起こった。捜査を指揮する刑事
ヴァランダーは、冷酷な犯人の逮捕を心に誓うが、一方で私生活に問題が山積みだ。
突然妻に去られ、家を出ている娘や老いた父親との仲もうまくいかない。おのずと酒
の量も増え、あげくに酔っ払って女性検事にセクハラまがいのことをしたり、飲酒運
転を部下に見つかったりする体たらくだ。自己嫌悪のあまり消えてしまいたいと落ち
込んだりもする。しかし、それでも捜査の手を休めることはなく、どんなに行き詰ま
っても決してあきらめない。そのしぶとさ、実直さに、人間臭い魅力を感じずにはい
られない。
 グループリーグで優勝候補のアルゼンチンに、ナイジェリア、そしてイングランド
と強豪揃いの“死のグループ”F組に入ってしまったスウェーデン。しかし欧州予選
を無敗で勝ち抜いてきた代表チームは、イングランドやアルゼンチンの猛攻にも、ヴ
ァランダーのような不屈の精神力で耐え、ついに決勝トーナメント進出という快挙を
なしとげた。決勝トーナメントもこの調子でしぶとく勝ち抜いて欲しい。

*1:"A"の上に小さい丸がつく
                                (松本依子)
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●ドイツ ―― 宝はまだ眠っている?

 8-0。こんな試合結果になるなんて、いったい誰が予想しただろう? ワールド
カップ優勝3回とはいえ、ドイツはここ数年、成績は低迷していた。しかしそんなド
イツに救世主が現れた。24歳の若きFW、クローゼだ。ワールドカップのデビュー戦
をハットトリックで飾り、チームの初戦勝利に貢献した。アイルランドとは引き分け
たものの、カメルーンにも快勝。E組1位で決勝トーナメント進出を決めた。

 英米仏に比べて、これまであまり日本では知られていなかったドイツのミステリ。
だが最近少しずつではあるが、紹介されるようになってきた。猫好きのミステリファ
ンなら、ドイツのミステリと言われてアキフ・ピリンチの『猫たちの聖夜』や『猫た
ちの夜』(ともに池田香代子訳/早川書房)を思い浮かべるかもしれない。そして2
年前に発売された短篇集『ベルリン・ノワール』(小津薫訳/扶桑社)を読んで、興
味を覚えた人もいるのではないだろうか。この本には、統一後のベルリンを舞台にし
た犯罪小説が5篇収録されている。その中の1篇テア・ドルンの「犬を連れたヴィー
ナス」は、ある日突然いなくなった飼い犬を求めて、ベルリンじゅうを探し回る女の
話だ。話の途中で不自然に思える描写がいくつか出てくるのだが、最後まで読めばそ
の描写の意味が理解できる。犯罪小説としては異色かもしれないが、印象に残る作品
だ。そして去年、ドルン3作目の長篇ミステリ『殺戮の女神』(小津薫訳/扶桑社)
が発売された。ちょっと珍しい、女サイコ・キラーの話だ。ベルリンで、初老の男性
が殺され頭を持ち去られる事件が続く。捜査線上に若い女性が浮かんでくるが、警察
は手をこまねくばかり。そんな警察を尻目に、新聞記者のキュラは、強引な取材を通
じて真犯人に迫っていく。凄惨な殺人シーンなど気分が悪くなるような場面が官能的
で美しいなど、ドルンの力量が感じられる構成とストーリー展開で、2段組み300ペ
ージの長篇ということを意識させない作品である。
 ドイツのミステリとしては、他にも2年前に『朗読者』が話題になった、ベルンハ
ルト・シュリンクのミステリ処女作『ゼルプの裁き』が、今年の5月に小学館の海外
ミステリー・シリーズから発売になった。またドイツ語圏のミステリとしては、水声
社から「現代ウィーン・ミステリー・シリーズ」が刊行されている。タイトルどおり
現代のウィーンを舞台にした全9巻のシリーズだ。ドイツ語圏ですでに一定の評価を
得ているヴォルフ・ハースの作品をはじめ、これまでに6冊が発売になっている。
 ドイツおよびドイツ語圏には、面白いミステリがまだまだ埋まっているはずだ。そ
んな作品が日本で紹介されないのは、ミステリ好きの人間にとって、あまりにも悔し
い。少しでも多くの作品が翻訳されることを期待したい。
                              (かげやまみほ)
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●ブラジル ―― 世界最強のカナリア軍団、復活なるか

 W杯2002。われわれブラジルサポーターは雪辱に燃えている。4年前、われわれは
希望の星ロナウドの故障のため決勝戦でフランスに敗れた。今大会は代表選手たちが
夜の生活も我慢して調整に励んだ成果が出たのか、無事決勝トーナメント進出を決め
た(噂によると休日いちゃいちゃするのはOKらしい)。
 最近の投票によると歴代ベストプレイはマラドーナの5人抜きが1位だそうだが、
ふざけるなと言いたい。われらがペレが3位とは。17歳からW杯に出場していたペレ
は、ブラジル人にとってもサッカー界にとってもいまだ「神様」なのだ。
 実は、そのペレは10年ほど前に架空のワールドカップを題材にしてちょっとしたミ
ステリを書いている。題して『ワールドカップ殺人事件』(安藤由紀子訳/創元推理
文庫)。舞台がブラジルでないのが残念だが、紹介してみよう。
 W杯アメリカ大会。決勝戦はアメリカ対東独(実際のアメリカ大会は94年で、決勝
戦はイタリア対ブラジルだった)。悪質なファウルを受け怪我をしたFW3人が欠場
となり、アメリカの優勝が危ぶまれる中、ペレとそっくりなブラジル人グリリョが監
督をしているクラブチームのオーナーが頭を蹴られて殺される。スポーツ記者マーク
の恋人ダーリアが容疑者にされ、ダーリア釈放と引き換えにマークは決勝終了までに
犯人を挙げる約束をする羽目に。容疑者も動機も多数なのにどうやって? ご心配な
く、ペレは神様なのだから。すべてうまく行くに決まってます。
                                (大越博子)
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●アルゼンチン ―― 天才を生んだ国

 バティストゥータ、クレスポ、ベロンなど、世界屈指のプレーヤーをそろえた今回
のアルゼンチン代表。“攻撃は最大の防御”を持論とするビエルサ監督の采配のもと、
破壊的な攻撃力で南米予選を余裕で通過。本選ではフランスとともに優勝候補の一角
と目されながら、相手チームの堅い守りに苦しめられ、決勝トーナメントに駒を進め
ることはできなかった。だが、これまで数々の名場面を演出してきた強国アルゼンチ
ンのことだ、4年後にはさらにパワーアップした姿を見せてくれるにちがいない。
 アルゼンチンは、あのディエゴ・マラドーナを生んだ国だ。メキシコ大会で見せた
“神の手”ゴールとドラッグ問題で、ダーティなイメージばかりが先行しがちだが、
彼が20世紀を代表する選手であることは、数々の記録を見れば一目瞭然。“天才”と
いう言葉はマラドーナのためにあるといっても過言ではない。
 アルゼンチンは文学の世界でも20世紀を代表する天才を生んだ。ホルヘ・ルイス・
ボルヘス。詩、幻想小説、エッセイ、映画の脚本などさまざまな分野で活躍し、現代
文学に多大な影響をおよぼしたボルヘスはまた、ミステリの熱心な愛好家でもあり、
ミステリのアンソロジーなども編んでいる。その彼が親友の作家アドルフォ・ビオイ
=カサーレスと共同で書いたミステリが、『ドン・イシドロ・パロディ 六つの難事
件』(木村榮一訳/岩波書店)である。
 主人公のドン・イシドロ・パロディはブエノスアイレスで理髪店を営んでいたが、
身に覚えのない殺人の罪を着せられ服役中。その彼のもとをさまざまな人が謎を解い
てもらおうと訪れる。自分のミスから人が死んでしまったと思いつめる青年、殺人と
窃盗の容疑者にされた俳優、ホテルでおこった殺人事件の犯人探しを依頼する男……。
つるつるに剃りあげた頭に脂肪太りした身体のドン・イシドロ・パロディが、その謎
のひとつひとつを深い洞察力で解決していく。原著の刊行からすでに60年の歳月がた
っているが、金銭欲、名誉欲、恨み、嫉妬など、時代を経ても変わることのない人間
の醜い部分に焦点をあてているため、古くささはまったく感じない。入れ替わり立ち
替わり訪れる面会者たちの民族や階級がいろいろで、そんなところに多民族国家アル
ゼンチンの一端がうかがえるのもおもしろい。
                               (山本さやか)
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●フランス――まさかの番狂わせ。復活を信じてます!

 12日韓国・仁川でのデンマーク戦に最後の望みを託したフランスだったが、結局、
1得点もならないままに、グループリーグ敗退となった。まさかの前回覇者の敗退に
サポーターも選手もショックの色が隠せないようすだった。だが、伝統と実力のある
チーム、再起しての復活を信じている。
 フレンチミステリのほうはそれぞれ個性的な面々が新しい作品を出しており、目が
離せない。ぜひお薦めしたいのが、ダニエル・ペナックの『散文売りの少女』(平岡
敦訳/白水社)。生まれついて備わった〈身代わりの山羊〉の資質を仕事に生かし、
出版社の苦情係を務めるマロセーヌが主人公。どこへ転がるのか予測不能なストーリ
ー展開と、個性的で変わり者揃いの脇役たち。残酷な場面も多いのだが、童話のよう
に読ませてしまう語り口。これがシリーズ3作目なので、前作『人喰い鬼のお愉しみ』
『カービン銃の妖精』と合わせてお楽しみを。
 ノワールの鬼才ジャン・ヴォートランの『グルーム』(高野優訳/文春文庫)は、
孤独な主人公の狂気と、それを取り巻く病んだ社会を圧倒的な筆力で描いている。
 邦訳も多いブリジット・オベールだが、『雪の死神』(香川由利子訳/ハヤカワ文
庫)では、同じ全身麻痺に陥った主人公を使いながらも前作『森の死神』とは一味違
うオベールの世界を展開している。ラストに向かうにつれ、オベール節が勢いを増す。
 ジャン=ピエール・ガッテーニョの『青い夢の女』(松本百合子訳/扶桑社)は映
画化もされている。主人公が精神分析医という設定は英米ミステリでは常道だが、そ
の主人公が死体を抱えておろおろするばかりなのが情けなく、ブラックな味がフラン
スらしい。『赤の文書』(篠田勝英訳/白水社)を書いたユベール・ド・マクシミー
はドキュメンタリー映画のシナリオライター・監督で、これがデビュー作。百年戦争
時代のパリを舞台に謎の代書家が活躍する歴史ミステリだ。他に、トニーノ・ベナキ
スタの『夜を喰らう』(藤田真利子訳/ハヤカワ文庫)やミシェル・リオの『踏みは
ずし』(堀江敏幸訳/白水Uブックス)は、短い作品ながらも独特の世界を作ってお
り、心地よい読後感が得られるはず。
 パリを舞台に女性探偵エメのシリーズを書くアメリカ人新進作家がいる。『パリ、
殺人区』(奥村章子訳/ハヤカワ文庫)のカーラ・ブラックだ。逆に、ディクスン・
カーに心酔し、彼の世界を再現しようとするフランス人作家もいる。ポール・アルテ
の『第四の扉』(平岡敦訳/ハヤカワ・ミステリ)はイギリスの村を舞台に、フェル
博士を彷彿させる犯罪学者ツイスト博士が探偵をつとめる怪奇・密室を扱う本格物だ。
ミステリ界もインターナショナルになってきた。
                               (小佐田愛子)

◇特集記事で取りあげた本の一覧はこちらで
http://www15.u-page.so-net.ne.jp/ya2/y-kage/mag/feature.html

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 ■インタビュー ―― ヴィレッジブックス編集者にきく

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 昨年11月、〈ヴィレッジブックス〉という名の新しい文庫レーベルが誕生した。出
版元はソニー・グループをバックに持つソニー・マガジンズ。フィクション、ノンフ
ィクション、映画ノベライズなどを中心に展開するこのレーベルは、ミステリの分野
でもソニーらしい自由な発想で選んだ、魅力あふれる作品を次々と発表している。編
集部の藤井久美子さんに、新レーベルにかける思いをうかがった。

――まず、文庫レーベルをお出しになった経緯についてお聞かせください。
「出版不況の昨今、あらたに文庫を出すことについては、ずいぶんご批判もいただき
ましたが、すべてはノリと勢いなんです(笑)。もともと、単行本で出していたもの
が文庫化の時期に入っていまして、どうせなら文庫オリジナルも出してみよう、くら
いの気持ちでした。めざすは楽しく読めるエンタテインメント。本屋にカップルで出
かけて、男性と女性がそれぞれ1冊ずつ〈ヴィレッジブックス〉の新刊を買っていく。
そんな品揃えにしたいと思っています」

――表紙のデザインなど、本の作りにとてもこだわっていらっしゃいますね。
「デザインは鈴木成一デザイン室というところにまとめてお願いしています。新刊は
毎月5~6冊出ますが、書店で平積みになったときのバランスまで考えてデザインさ
れているんです。カバーをかけずに読んでもらえる本というのがコンセプトです。ま
た、内装も単行本なみにおしゃれな感じに作っているのも、当文庫の特徴です。じっ
さいに本を手にとって開いていただくとわかりますが、タイトルや目次のページなど、
細部にまでこだわっています」

――翻訳する本はどうやって決めるのですか?
「ニューヨークとロンドンにスカウトと呼ばれる人がいて、そこから常に新しい情報
が入ってきます。もちろん、エージェントから紹介される本もあります。本の形で来
るものだけで月に10冊くらい。そのほか、タイプ原稿のものや単なる情報まで含めれ
ば、かなりの数になります。その中からこれはと思うものをリーディングしてもらっ
て決めています」

――これまで出されたミステリ作品でいちばん売れた作品は?
「『雨の牙』(バリー・アイスラー/池田真紀子訳)でしょうか。まったく新しい作
家を紹介したいと考えていたところに、エージェントから紹介されました。リーディ
ングしてくださった方の感触もよかったですし、新人であること、東京が舞台である
ことなどから、はじめてのオリジナル作品にふさわしいと思いました。この作家とと
もに、わたしたちも成長していければという気持ちです」

――わたしどもの編集部では、『さらば、愛しき鉤爪』(エリック・ガルシア/酒井
昭伸訳)が大好評でした。
「はい、これもあちこちでご好評をいただいています。エージェントから紹介され、
『これはうちでなければ出せない』と編集長の即断で翻訳が決まりました。やっぱり
ノリと勢いですね。酒井昭伸さんに訳をお願いしたのも、『恐竜ものなら酒井さん』
とすぐに決まりました」*注:酒井昭伸氏は『ジュラシック・パーク』(マイクル・
クライトン/ハヤカワ文庫NV)の訳者。

――これから出版が予定されているミステリについて教えてください。
「秋には『さらば、愛しき鉤爪』の続編が出ます。お楽しみに。また、《海外ミステ
リ通信》の第7号でご紹介いただいたジョアン・フルークも当文庫から翻訳が出ます」

――今後はどんな作品を出していきたいですか?
「新しいものはもちろんですが、古いものにも目を向けていくつもりです。他の出版
社の目にとまらなかったものや、翻訳が途中でとまっているシリーズにもおもしろい
作品はいっぱいあると思うんです。また、日本で根強い人気のある本格ミステリも手
がけたいですね。わたし自身、エラリー・クイーンやヴァン・ダインなどからミステ
リの世界に入ったものですから。紹介されないまま埋もれていた本格ミステリを発掘
すると同時に、版権が切れた古い作品を新訳で出すことも考えています。〈ヴィレッ
ジブックス〉はトータルで採算を見ているので、作品ごとの売り上げにはこだわって
いません。その分、遊びや冒険ができます。いままでミステリを敬遠してきた読者に
も手にとってもらえるような、そんなおもしろい本を出していきたいです」
                     (取材・文/山本さやか・中西和美)

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 ■注目の邦訳新刊レビュー ――『囁く谺(こだま)』

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『囁く谺(こだま)』 "THE ECHO"
 ミネット・ウォルターズ/成川裕子訳
 創元推理文庫/2002.04.26発行 1,100円(税別)
 ISBN: 4488187056

 《死んだホームレスの正体は? そして謎の失踪事件の真相とは?》

 いいミステリ――それはわたしにとって、プロットや謎解きの妙に加え、何度でも
読み返したくなる魅力をもつ作品かどうか、だ。久しぶりにそんな本に出逢った。

 6月の暖かな晩、テムズ河畔の高級住宅地のガレージで、ひっそりと1人の男が死
んでいた。死因は餓死。傍らには食品がつまった冷凍庫があったのに、なぜ、手をつ
けようともせず、死んでいったのか? またなぜ、この家を死に場所に選んだのか?
〈ストリート〉紙の記者、ディーコンは、取材で家主のアマンダ・パウエルを訪ねる。
死んだ男の名はビリー・ブレイク。河岸沿いの倉庫がねぐらのホームレスだった。ア
マンダは男の身元を捜し歩き、葬儀の費用まで出してやったという。なぜ、そこまで
関心をもつのだろう? ディーコンは興味を募らせる。やがてある事実が判明した。
彼女の夫、ジェームズは5年前、会社の金を横領した疑いをうけたまま、失踪してい
たのだ。ビリーはジェームズのなれの果てなのだろうか? ビリーの身元を調べ始め
たディーコンは、彼が生前、息子のように可愛がっていた浮浪児テリーと出逢い、ビ
リーがかつて殺人を犯し、過去をひた隠しにしながら悔悛の人生を送っていたことを
知る。ビリーはいったい何者なのか? そしてアマンダとのつながりは? 彼の謎の
生涯を追うディーコンの前に、やがて7年前の別の失踪事件が浮かびあがった……。

 愛はときとして残酷だ。もし、愛する人を不意に失い、思ってもみないかなしみを
ひとり背負って生きねばならないとしたら、その人間の人生はいったいどんなものに
なるのだろう。本書は、そんな男の痛ましくも哀しい物語である。そして愛するがゆ
えに傷つけあってしまう、家族のきずなの複雑さについてもふかく考えさせられる。
 謎が幾重にも絡みあう複雑で緻密なプロット、卓越した人物造形が、いい。とりわ
け、離婚歴2回で、情にもろい中年のディーコンと、彼の孤独な人生に飛びこんでき
た、したたかで、はしこくて、でも天真爛漫な少年テリーとのからみの場面は愉しく、
テリーが吐く人生の真実をついた数々の名言は傑作だ。なかでも、次の言葉は心にし
みる。「自分が本当にしたいことをするんだよ。だってさ、鎖につながれて死ぬやつ
は、たぶん、そんな生き方しかしてこなかったからなんだ」
                               (山田亜樹子)

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 ■ミステリ雑学 ―― 信仰の聖なる誓い、堅信式

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 週の後半に入り、牧師館の執務室でひらかれた堅信式のための勉強会の席で、誰か
がオーティスに地獄のことをきいた。
         (『死神の戯れ』ピーター・ラヴゼイ/山本やよい訳/
                       ハヤカワ・ミステリ文庫 p.83)
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 のどかな田舎町と、1軒の教会。『死神の戯れ』は英国の町を舞台にしたサスペン
スであると同時に、教会を中心とした人々の日常が綿密につづられている小説でもあ
る。手作りのケーキを売る園遊会、奇抜な工夫が凝らされた葬儀、子供たちも出席す
るクリスマスの礼拝など、教会にまつわる行事がつぎつぎに登場し、教会がとけこん
だ生活とはこんなふうなのかと実感することができる。
 さて、その中で冒頭の引用のように、住人たちが「堅信式のための勉強会」に出席
しているシーンが出てくる。この堅信式というもの、キリスト教徒でない筆者には聞
き慣れない名称だった。
 堅信式(confirmation)とは、簡単にいうとキリストへの信仰がたしかなものであ
ると告白し、聖霊と強く結ばれることで信徒になることを宣言する儀式のことだ。信
徒になるための儀式というと、まっさきに思い浮かぶのは「洗礼」(baptism)だろ
う。これは入信に際して水に体をひたすか、あるいは教会で聖水を頭にかけ、洗礼名
を与えられて正式にキリスト教徒となること。キリスト教のなかでもっとも重要な儀
式のひとつとされ、数ある教派のほとんどで行われている。だが、生まれたばかりの
赤ん坊の場合は、洗礼を受けることを教派によって認めないところもある。赤ん坊は
自分の意思で入信するわけではないためだ。また、赤ん坊の洗礼を認めていても、成
長してからあらためて入信の意思を明らかにすることが必要と考える教派もある。そ
ういった場合に、成長してから信仰を自覚したうえで信仰の道に入ろうとする人が堅
信を受ける。また、大人になってから正式な信徒になりたいと願う場合に、洗礼や堅
信を受けることもある。
 それでは、堅信式のための勉強会では、なにを学ぶのだろう。英国王室にその起源
をもつ英国教会(日本での正式名称は聖公会)の場合を例に取ってみると、教会問答
(Catechism)を中心に勉強する。これは、信徒の信ずべき神の教え、信徒の果たす
べき義務などが記されている問答集。信徒になるにはまずこの問答集を使って、信仰
の中心となる教えや心構えを正しく学ばなければならないというわけだ。教会問答の
日本語訳は『日本聖公会祈祷書』におさめられており、これを開いてみると「十戒は
何を教えていますか」「神に対する義務とは何ですか」「隣人に対する義務とは何で
すか」など、全部で34の問答が並んでいる。「天にまします我らが父よ」で始まる
「主の祈り」の冒頭を唱えよという項目もある。
 この勉強会を終えると、堅信式に出席することになる。式を進行するのは教会の牧
師ではなく、教区を管轄する地位にある主教だ。信徒は主教の前で信仰を守る約束を
かためる文章を祈祷書から読み上げる。そのあと、英国教会では主教が信徒の頭に手
を置く按手をおこなう。式の内容には教派によって違いがあり、カトリックではさら
に聖香油を塗るし、プロテスタントでは特別な行為を行わないところも多い。この堅
信式を終えることで聖餐(ミサ)に出席できるようになると定めている教派もある。
 というわけで、信徒にとってはたいへんに重要なものなのだが、『死神の戯れ』で
はこの堅信式の場でとんでもないことが起きてしまう。信仰や教会という言葉から思
い浮かべる厳粛なイメージをとことん笑い飛ばすような物語なだけに、堅信式もクラ
イマックスを盛り上げる役どころにすぎないというわけだろう。
                                (影谷 陽)

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 ■スタンダードな1冊 ―― 警察小説の金字塔

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 ワールドカップが始まり、はや2週間。一流のプレイを披露する選手たちと惜しみ
ない声援をおくるサポーターの姿は、毎日見ても飽きない。しかし、つい華やかな面
ばかりに目がいくが、裏方さんたちの尽力あっての大イベントであることも心にとめ
ておきたい。今月のスタンダードは、警備担当で裏方を務める警察官にちなんだ話。
『笑う警官』、“スウェーデン10年史”のマルティン・ベック・シリーズの代表作だ。
 マルティン・ベックはストックホルム警察殺人課の主任警視。1967年の11月、街が
ベトナム反戦デモで荒れるどしゃ降りの夜に、その凶悪犯罪は発生した。乗客乗員あ
わせて9名を乗せた路線バスで何者かが銃を乱射、ひとりをのぞいた全員が即死した
のだ。犯人は逃走、目撃者はなく、ようとして手がかりはつかめない。ベックと部下
たちは意識不明となっている乗客の回復に一縷の望みをつなぐが、どうやらその望み
もはかなく消えそうだ。殺人課は重苦しい雰囲気に包まれるが、この事件を迷宮入り
させるわけにはいかない。被害者のひとりはベック直属の部下、殺人課の若き刑事だ
ったのだから。
 定番の警察小説といわれて、わたしがまっさきに思いだす作品がこれ。アクション・
シーンは少なくけっして派手ではないのだが、地道に捜査を積みかさねて真相をみち
びきだす過程こそ、警察小説と呼ぶにふさわしいからだ。そんな雰囲気から、国はち
がえど、プロフェッショナル・ドラマの先駆けとなったといわれる名作刑事ドラマ
《ホミサイド》にもっとも近い活字の作品といった印象を抱いている。三者三様の個
性をもつ刑事たちの人間くさい姿に国境を超えて通じる普遍性があり、反対に、スト
ックホルムというミステリの舞台としてはあまり登場してこなかった風景に、エキゾ
チックな魅力がある。MWAの歴代最優秀長編賞受賞作の49作品中で、唯一オリジナ
ルが英語以外の言語という気を吐いた作品でもあるのだ。
 本書は1965年から1975年にかけて発表された全10巻シリーズの4作目にあたる。現
在でも邦訳は10作とも入手可能。共作者のシューヴァルとヴァールーは、マクベイン
の87分署シリーズのスウェーデン語訳を手がけていたという夫婦だ。ベック・シリー
ズ完結直後に夫のヴァールーが他界しているが、「十年間にわたるスウェーデン社会
の変遷を、マルティン・ベックの生活や、彼が追う事件によって描きあげてみたい」
(あとがきより)との願いはみごと達成され、このシリーズは世界で27か国語に訳さ
れるベストセラーとなった。

【今月のスタンダードな1冊】
『笑う警官』マイ・シューヴァル&ペール・ヴァールー著/高見浩訳/角川文庫
"THE LAUGHING POLICEMAN" by Maj Sjowall and Per Wahloo("o" にウムラウト)
※原題は "DEN SKRATTANDE POLISEN"
※映像も各種出ているが、ヨースタ・エックマン主演のドラマシリーズがお薦め。
                                (三角和代)

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◇連載記事で取りあげた本の一覧はこちらで
http://www15.u-page.so-net.ne.jp/ya2/y-kage/mag/regular.html

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■編集後記■
 今月はW杯にちなんだ特集を組んでみました。非英語圏の作品も、もっと翻訳され
ることを期待します。来月号では、近ごろ邦訳の刊行が目立つ本格ミステリを特集し
ます。  (片)


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 海外ミステリ通信 第10号 2002年6月号
 発 行:フーダニット翻訳倶楽部
 発行人:うさぎ堂 (フーダニット翻訳倶楽部 会長)
 編集人:片山奈緒美
 企 画:板村英樹、宇野百合枝、大越博子、影谷 陽、かげやまみほ、
     小佐田愛子、中西和美、松本依子、三角和代、山田亜樹子、
     山本さやか
 協 力:@nifty 文芸翻訳フォーラム
     小野仙内
 本メルマガへのご意見・ご感想:  whodmag@office-ono.com
 フーダニット翻訳倶楽部の連絡先: whodunit@mba.nifty.ne.jp
 http://www.litrans.net/whodunit/ (URLがかわりました)
 配信申し込み・解除/バックナンバー:
 http://www.nifty.ne.jp/forum/flitrans/whodunit/magazine/index.htm

 ■無断複製・転載を固く禁じます。(C) 2002 Whodunit Honyaku Club
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             月刊 海外ミステリ通信
          第9号 2002年5月号(毎月15日配信)
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★今月号の内容★
〈特集〉        ハーラン・コーベン、伝統と破格のバランスの妙
〈翻訳家インタビュー〉 加賀山卓朗さん
〈注目の邦訳新刊〉   『フェルメール殺人事件』『滝』
〈ミステリ雑学〉    ヨーホーが好きでどこが悪い?
〈スタンダードな1冊〉 『初秋』
〈速報〉        MWA賞、アガサ賞受賞作発表

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 ■特集 ―― ハーラン・コーベン、伝統と破格のバランスの妙

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 今回はなにか楽しいミステリはないかとお探しのかたに、うってつけの作家を特集
する。スポーツ・エージェントのマイロン・ボライター・シリーズを発表しているハ
ーラン・コーベンだ。
 作品を読むと、口から先に生まれたTVドラマおたくに思え、著者自身の不定期ニ
ュースレターに目を通すと、ひょっとして元コメディアンではないかと経歴を目でた
どってしまう。そんな気にさせるやんちゃ坊主は、生まれも育ちもそして現住所もニ
ュージャージー州。口から先に生まれてきたのは1962年のことだから、今年ちょうど
40歳だ。アマースト・カレッジで政治学を専攻、卒業後は旅行代理店に勤務。コメデ
ィアンの道に進むことなく、90年、91年にメディカル・ミステリを2冊発表した。作
家業を続けるには方向転換する必要性があると感じたコーベンは、マイロン・シリー
ズに着手。これが各ミステリ賞のノミネートや受賞の栄誉に輝く人気シリーズとなる。

 マイロンは元バスケットボール選手という設定だ。NBAのドラフトで1位指名さ
れるが、デビュー戦のプレシーズン・ゲームで膝を負傷し、選手生命を断たれる。め
げたはずだがぐっとこらえて、ハーバードのロー・スクールに通い司法試験にパス、
その後エージェントに転身。温かな家庭を作ることを夢みるロマンチストで、30歳す
ぎまで両親と同居している。絶滅寸前のいい子である。それもひとに嫌味を感じさせ
ない稀ないい子だ。オフィスはパーク・アヴェニューに面したミッドタウンの一等地
にある。さぞかし儲けているのだろうって? いいや、それはメイフラワー号までル
ーツをさかのぼることができるという財閥の御曹司、親友ウィンのおかげだ。
 ウィンの本名はウィンザー・ホーン・ロックウッド3世。金髪、碧眼、ゴルフのハ
ンデはプロ並み、国内有数の腕利き財務アドバイザー、住まいはダコタ・アパート。
嫌味である。とてつもなく嫌味な男である。しかし、かなりかっこいいと白状せざる
をえない。ウィンは生い立ちに絡むある理由から、信頼だの愛だのは屁だと思う男に
成長したが、大学でルームメイトだったマイロンだけには心を許し、持ちビルのワン
フロアを格安で貸すほどの親しいつきあいを続けている。ウィンはとんだくせ者で、
見かけと大ちがいで「実戦」に強く、その名を聞いた街のギャングを青ざめさせる冷
酷な一面をもっている。
 このふたりは、同時期にFBIで仕事をしていたことがある。そのために、マイロ
ンはエージェントながら、おもにクライアント絡みの事件で次々と探偵の真似をする
はめになるわけだ。探偵業の際は相棒としてもってこいのウィンだが、愛を理解しな
いウィンには相談できないこともある。そんなとき、マイロンにはもうひとり、頼り
になる親友がいる。秘書(のちに共同経営者)のエスペランサだ。
 小柄で愛くるしい外見のエスペランサはバイセクシャルの元女子プロレスラー。マ
イロンのボケに鋭いつっこみを見せる指南役だ。オフィスにはエスペランサとタッグ
を組んでいた巨体の持ち主、ビッグ・シンディというアシスタントもいて、はちゃめ
ちゃなところを見せてくれる。《クライム・ペイズ・コム》のインタビューによると、
最初の構想では秘書役がビッグ・シンディで、エスペランサは存在していなかったの
だという。人の助言でコーベンはエスペランサというキャラクターを生み出したそう
だ。
 マイロン、ウィン、エスペランサという強烈な個性の3人が中心となって織りなす
物語は友情にあふれ、しゃれた設定で華やかな世界を見せてくれる。華やかだが浮つ
いていないのは、善、昔ながらの価値観、こうしたものを中央に据えて書いているか
ら。シリーズ中で繰り返し使われる「ノーマン・ロックウェル的」という表現が的確
にそのノスタルジックな雰囲気を伝えている。といっても、単なる安心して読める楽
しいミステリではない。シリーズが進むにつれて、マイロンには恋人との関係や両親
の老いなど悩みが増していくが、ウィンやエスペランサがマイロンに与える助言は奥
深い含蓄をも感じさせる。
 しかしながら、マイロン・シリーズのある意味マンガチックな設定が苦手で敬遠し
ているむきもあると思う。それならば、ぜひノンシリーズを手にとってほしい。コー
ベンの特徴である軽快な雰囲気はノンシリーズでもかわりなく楽しめるから。しかも、
しだいに脂が乗ってきた人と人との絆に関する優れた描写は、この最近の2冊にとく
に顕著である。そのうちの1冊、"TELL NO ONE" は惜しくも受賞は逃したものの、先
ごろ発表された本年度のMWA最優秀長編賞に堂々とノミネートされた作品だ。映画
化も決定しており、コロンビア映画でこの夏にもクランクインの予定。
 じつはスポーツ観戦は好きではないというコーベン。興味があるのは、あくまでも
スポーツ界内幕の確執なのだそうだ。シリーズ7冊のあとは単発の作品が2冊続いて
いるが、2年以内にはまたマイロンものを再開する予定らしい。今年の後半に、オッ
トー・ペンズラー編の短篇集にマイロンものを載せるという話も出ており楽しみだ。

〈ハーラン・コーベン作品リスト〉
長篇 "PLAY DEAD"、"MIRACLE CURE"(どちらも絶版、未訳)
   『沈黙のメッセージ』『偽りの目撃者』『カムバック・ヒーロー』
   『ロンリー・ ファイター』『スーパー・エージェント』
   『パーフェクト・ゲーム』『ウイニング・ラン』
   (邦訳はマイロン・シリーズ、中津悠訳/ハヤカワ文庫刊)
   "TELL NO ONE" (ノンシリーズ、講談社文庫より10月刊行予定)
   "GONE FOR GOOD"(ノンシリーズ、未訳)
短篇 「単純な理屈」 (中津悠訳/ミステリマガジン2000年1月号)
   「罠に落ちて」 (山本やよい訳/ジャーロ2001年夏号)
                                (三角和代)

                 ◆ ◆ ◆

『ウイニング・ラン』 "DARKEST FEAR"
 ハーラン・コーベン/中津悠訳
 ハヤカワ・ミステリ文庫/2002.04.30発行 980円(税別)
 ISBN: 4151709576

《消えたドナーを追え!――息子の命を救うためマイロンは奔走する》

 はやいもので、スポーツ・エージェント、マイロン・ボライターのシリーズも本作
で7作目となる。今回のマイロンは本業を離れ(前作のエピソードで顧客の多くを失
い開店休業状態なのだ)、人捜しをすることになる。
 依頼主は大学時代の恋人エミリー。彼女の13歳になる息子ジェレミーは、ファンコ
ーニ貧血という遺伝性の難病を患っており、骨髄移植をしなければ助からない。運良
く完璧に適合する提供者(ドナー)が見つかったものの、その喜びもつかの間、ドナ
ーの行方がわからなくなった。息子の命を救うため、行方不明のドナーを見つけてほ
しいとエミリーは懇願する。そして、躊躇するマイロンにこう言って追い討ちをかけ
る。「ジェレミーはあなたの子供なの」
 ドナー捜しに過去の連続誘拐事件がからみ、物語は複雑化していく。事件の展開も
真相も、これまでになくダークで重く、爽やか、軽妙、洒脱といういつものイメージ
とはいささか趣を異にしている。だが、心配無用。マイロンの軽口は健在だし、ウィ
ンとエスペランサという頼もしいパートナーが脇をきっちりかためているから、安心
して物語の流れに身をまかせてほしい。
 今回きわだっているのは、家族、特に父と子の関係が前面に押し出されている点だ。
これまでもこのシリーズでは、マイロン親子の絵に描いたようにまっとうな関係がさ
りげなく描かれてきた。だが、本作ではその関係にやや翳りが生じてきている。マイ
ロンは30代半ば。両親もけっして若くはない。父は最近、冠状動脈血栓症を患った。
老いてきた父の姿に、いつの日か永遠の別れを告げなくてはならぬ日が来ることを思
い知らされ、マイロンは心が張り裂けるような思いを味わう。そこに降ってわいた実
の息子の存在。「親というのは子を育て、愛した人間であって、生物学的偶然には意
味がない」(本書p.163)頭ではそうわかっていても、その子を目の前にしたとたん、
胸に熱くこみあげるものを感じるマイロン。単なる生物学上の関係とは言え、子を持
ったことでマイロンの人間性がひとまわり大きくなった……と感じるのはファンの贔
屓目だろうか?
                               (山本さやか)
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"TELL NO ONE" by Harlan Coben
Delacorte Press/2001.06/ISBN: 0385335555

《良質のサスペンスであると同時に、妻への愛をかけたラブ・ストーリー》

 幼なじみのエリザベスと結婚したデイヴィッドは、この幸せが永遠に続くと信じて
いた。だが新婚7か月のとき、悲劇が起こる。エリザベスが何者かに襲われ、デイヴ
ィッドも鈍器で殴られ意識を失うという事件が起きたのだ。数日後、彼を待っていた
のは妻が連続殺人犯に殺されたという惨い知らせだった。
 あれから8年。傷心のデイヴィッドのもとに、死んだはずの妻からとしか思えない
匿名Eメールが届く。これは一体どういうことだ。妻は生きているのか。また当時事
件があった湖付近から他殺体が発見され、警察はデイヴィッドがエリザベス殺害事件
に関与していたのではと疑いを持ち始めた。あらぬ嫌疑をかけられ、身に降りかかる
危険を察知しながらも、エリザベスへの忘れえぬ愛に突き動かされるまま、デイヴィ
ッドは真相究明の決意を固める。だが、それがどれほど多くの危険な事態を引き起こ
すことになるか、そのときには知る由もなかった……。
 突然の不可解な出来事で過去の事件の真相が暴かれるという展開は、ミステリでは
決して珍しくない。にもかかわらず、インターネットという不特定多数を対象とする
小道具も手伝い、何が起きているのか全くわからない緊張感が全編を貫いているため、
最後まで高いテンションを維持して読める。またコーベンは登場人物の叙情面の表現
に冴えた筆致を見せる作家だが、今回も主人公と敵対する大富豪が息子を回想する場
面には心を揺さぶられた。命をかけて愛する者を守ろうとする者たちの利害が対立し
てしまったら、ただではすまないのは必至だ。本書はマイロン・シリーズで築き上げ
た作者の手法が凝縮した会心の作で、新たな読者を獲得すること間違いなしだ。
                               (宇野百合枝)
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"GONE FOR GOOD" by Harlan Coben
Delacorte Press/2002.04.30/ISBN: 038533558X

《兄の無実を信じて――容疑者の家族の姿を中心に描いた最新作》

 いま安堵と感激のなかでパソコンにむかっている。刊行まえの紹介文から察するに
前作と設定が似ているようで、ファンとしてはどの程度の内容なのか気を揉んでいた
のだが、疑ったわたしがおまぬけだった。これは自信をもってお薦めできるコーベン
の代表作だ。
 主人公はNYの家出人シェルター職員のウィル。同僚で額に「田」の形のタトゥー
がある“スクエアズ”や、元収容者で現在はシェルターのボランティアをしている恋
人シーラらに囲まれて、充実した毎日を送っている。けれども、ウィルには振り払お
うとしても払いきれない影があった。11年まえに、兄のケンに殺人容疑がかかり、兄
は逃亡し、いまだに行方知れずとなっているのだ。家族は無実を信じていたが世間の
目は冷たく、針のむしろにすわるような思いでそれぞれが過ごしてきた11年だった。
陽気だった母は心労から身体をこわし、ついにこのたび帰らぬ人となった。悲しみに
くれて母の遺品を整理していたウィルは、わが目を疑うものを見つける。それは最近
の日付がはいり、相応な年輪が顔に刻まれた兄の写真だった。では、母は兄と連絡を
取りあっていたのか? 混乱するウィルを待ち受けていたのは、さらなる驚きと危険。
11年の年月を経て、事件の真相が解明されるときがやってくる――。
 コーベンがすばらしいと思うのは、なにを書いても人まねにならず、しっかり自分
のものとして昇華させるところ。そこが忘れられないオリジナリティとなって、人の
心をつかむ。円熟の境に達したといってもよい内容で、家族との絆を一歩踏み込んで
描いた場面に、心を動かされない人はいないはず。ハンカチを準備のこと。そしてこ
の鮮やかなラスト。コーベンさま、もう疑いません、悔い改めます、ついていきます。
                                (三角和代)

◇特集記事で取りあげた本の一覧はこちらで
http://www15.u-page.so-net.ne.jp/ya2/y-kage/mag/feature.html

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 ■翻訳家インタビュー ―― 加賀山卓朗さん

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 今月は通信会社にお勤めをされながら、意欲的に訳書を出されている加賀山卓朗さ
んにお話をうかがいます。
+――――――――――――――――――――――――――――――――――+
|《加賀山卓朗(かがやま たくろう)さん》1962年愛媛県生まれ。東京大学法学
|部卒業。国内の通信会社に14年勤めたのち、外資系通信会社に転職、現在も勤務
|中。1998年に『ヒーロー・インタヴューズ』(パット・サマーオール/朝日新聞
|社)で翻訳家デビュー。『オメルタ――沈黙の掟』(マリオ・プーヅォ/早川書
|房)や『ミスティック・リバー』(デニス・ルヘイン/早川書房)など、話題作
|を次々に手がけている。
+――――――――――――――――――――――――――――――――――+
――翻訳の世界に入ることになったきっかけを教えてください。
「通信業界は動きが激しく、興味深い分野ですが、感動を“伝える”ことはできても
直接“与える”ことはできません。ガスや電気や水道にもはや誰も感動しないように。
たぶんそんなことで、コンテンツそのものにかかわる商売がしたくなったのだと思い
ます。小さい頃から本を読むのも、英語も好きでしたので、もしできればというつも
りで翻訳学校の通信講座を受講してみました。それが性に合い、翌年には田口俊樹先
生の通学講座に通いました。受講中に、リーディングや下訳などの仕事をいただきな
がら、最終的に出版社の編集の方に紹介していただきました。初めての作品は、朝日
新聞社から出た『ヒーロー・インタヴューズ』で、著名スポーツ選手数十名のインタ
ビューを収めたものです。内容はたいへん面白いのですが、長い作品を訳すスケジュ
ールの管理ができず、仕上がりが遅れて編集の方にご迷惑をおかけしました」

――会社勤めと翻訳の二足の草鞋を両立させる秘訣はなんですか?
「家族の協力と、あとは寝る時間を削るしかありません。マリオ・プーヅォの『オメ
ルタ』を訳したときは夏だったので、朝5時ぐらいに起きて、出社前に数時間訳しま
した。ディズニーランドのアトラクションの列に並びながら訳を読み直したこともあ
ります」

――どんなミステリ作家がお好きですか?
「このところの“ミステリ”の拡大解釈からすると、ドストエフスキーと言ってもい
いかもしれませんが、それはやめて、カール・ハイアセンでしょうか。文字だけで人
を笑わせるのは高度な技術だと思うので。あと、デニス・ル(レ)ヘイン(パトリッ
クとアンジーのシリーズ、『ミスティック・リバー』とも)にはとり憑かれたと言っ
てもいいほどです。この人はセンスが抜群です。他には、ディック・フランシス、ロ
バート・B・パーカー、ジェイムズ・クラムリー、ジョン・ル・カレ、ローレンス・
ブロック、ジェイムズ・エルロイなどが好きです」

――最新訳書、『フランクリンを盗め』(フランク・フロスト/ハヤカワ・ミステリ
文庫)が、この4月25日に発売になりましたね。
「ロサンジェルスに住む移民の若者4人がマフィアの金を盗んで追われる羽目になり、
主人公は現金と謎の多額の債権を隠しながらロスから故郷のギリシャへ逃げ、それを
マフィアの手下が追って……といった犯罪小説です。韓国人のマフィアの手下、ドイ
ツ人の殺し屋軍団、FBI、スイスの銀行家、ギリシャの島民たちと、登場人物も多
彩です。小説のかなりの部分を占めるクレタ島の場面も印象的です」

――今後の訳書のご予定をお聞かせください。
「田口師匠との共訳で、ローレンス・ブロックの小説作法本 "TELLING LIES FOR FUN
AND PROFIT" が出る予定です。また、『エイリアニスト』(中村保男訳/早川書房)
のケイレブ・カーが書いたSF的な小説 "KILLING TIME" やマリオ・プーヅォの本当
の遺作 "THE FAMILY" などの訳出が予定に入っています」

――加賀山さんにとって翻訳の魅力とはなんですか?
「繰り返しになりますが、直接、人の心を動かせるところです。雑誌《ナンバー》に、
西武ライオンズの松坂大輔投手が『ヒーロー・インタヴューズ』を読んでいると書い
てあったときには、何か知り合いにでもなったような(そんなわけないのですが)、
とても嬉しい気分になりました。今のサラリーマン生活でそんな体験はできません」
                         (取材・構成 山本さやか)

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 ■注目の邦訳新刊レビュー ――『滝』『フェルメール殺人事件』

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『滝』 "THE FALLS"
 イアン・ランキン/延原泰子訳
 ハヤカワ・ミステリ/2002.03.31発行 1900円(税別)
 ISBN: 415001714X

《リーバス警部、ミステリアスな棺と連続殺人事件の謎に挑む!》
 
 ジョン・リーバスはエジンバラのセント・レナーズ署に勤める50代の警部。妻や娘
と別れて孤独なフラット暮らしを送っている。リーバスの捜査は執念とタフさとカン
が頼り。アル中の気があり、上司に医者に行くよううるさく言われている。
 銀行経営者の娘である大学生のフリップが失踪する。タブロイド紙が騒ぎ立てる中、
リーバスは上司である元恋人ジルに命じられ、フリップの実家があるフォールズに行
く。人形の入ったミニチュアの棺が見つかったというのだ。さらにジルの友人である
博物館員ジーンによると、同様の棺があちこちで見つかっているという。棺は何らか
のメッセージを持つと考え、リーバスは未解決の行方不明や事故死を同時に調べる。
すべてに棺が絡んでいると見たリーバスは上司の意向を無視して勝手に捜査を進める。
 一方、女性刑事シボーンはフリップが生前夢中になっていたクイズを調べていた。
クイズマスターと名乗る人物がクイズの参加者に謎のフレーズをメールで送ってくる
のだ。それをクリアしないと次の段階へは進めない。シボーンは捜査のためゲームに
参加する羽目になる。
 クイズが段々とクリアされ、棺の手がかりが集まりつつあったある朝、リーバスた
ちは緊急の電話で起こされた――。

 リーバス警部シリーズの邦訳は『黒と青』以来6冊目。いかにもスコットランド的
な頑固者で、我が道を行くリーバスのかっこ良さは健在だ。リーバスにもようやく春
が訪れた。気になるお相手は、今や女性版リーバスとなってしまった感のあるシボー
ンか、博識な博物館員ジーンか、それとも……? 怪奇色を取り混ぜてあると帯には
あり、クイズマスターの送ってくるキーワードをはじめ、棺や検死医についての歴史
的エピソードにそれが現れているが、わたしにはむしろ高度で知的なパズルのような
作品に思えた。本作ではアイラ島産のシングルモルトウイスキーが小道具として登場
する。〈ラフロイグ〉や〈アルドベグ〉(〈アードベッグ〉)などをすすりながら読
むと、さらに楽しめること請け合い。

                                (大越博子)

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『フェルメール殺人事件』 "CIRCLES OF CONFUSION"
 エイプリル・ヘンリー/小西敦子訳
 講談社文庫/2002.04.15発行 667円(税別)
 ISBN: 4062734192

《大おばの残した絵は本物のフェルメール? 接近してくる男たちの目当ては?》

 クレア・モントローズは、オレゴン州自動車局カスタムプレート課にいる。ヴァニ
ティプレートとも呼ばれる文字や数字を組み合わせた申請ナンバーに、語呂合わせで
不適切な意味がないか、登録済みではないかを審査するのが仕事だ。最初は申請者の
ユーモアを楽しんでいたが、10年もいるとうんざりしてしまう。仕事だけでなく、家
族や堅物の恋人エヴァンとの関係にも、うんざりしていたのかもしれない。
 そんなとき、大おばのキャディがクレアに遺産を残した。遺産といってもおんぼろ
のトレーラーハウスとそこに残されたガラクタの山だけだが、古いスーツケースの中
から、大おばの昔の日記と小さいが優美な肖像画を見つけだす。アンティークショッ
プで絵を見てもらうと、ニューヨークで専門家に鑑定してもらうように助言された。
この絵を入手したいきさつを知ろうと、クレアは日記を読みはじめ、終戦直後のドイ
ツで絵を手に入れたことを知る。エヴァンの反対を押し切り出かけたニューヨークで、
クレアは、鑑定家、画家と名乗るハンサムな男性たちと次々と知り合いになる。ふた
りとも絵に興味のあるようす。だが、何者かに尾行され、ホテルの部屋を荒らされる
に及んで、フェルメールの作品かもしれないこの絵を誰かが狙っていると確信する。
急いでオレゴンに戻ったクレアは、いっそう危険な状況に飛びこむことになる。

 堅実で平凡な人生を送るクレアが、絵の相続がきっかけで、とんでもない冒険の渦
中に。そういう時えてして、よく知っていると思っていた人間の違う面を見つけるこ
とになる。彼女も家族や恋人の別な一面を発見する。そして日記を綴る大おばが精神
的に成長を遂げるように、クレアも成長していく。さわやかな読後感を残す佳作であ
る。また、クレアの仕事であるヴァニティプレートの話が楽しい。作中いたるところ
に、ヴァニティプレート風の語呂合わせが挙げられているので、ぜひ挑戦を。
 クレアのシリーズは "SQUARE IN THE FACE"、"HEART-SHAPED BOX" と書きつがれ、
来年には3作目 "BURIED DIAMONDS" が出される予定。クレアのちょっと変わった家
族と彼女の恋愛がどうなっていくのか興味のひかれるところである。
                               (小佐田愛子)

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 ■ミステリ雑学 ―― ヨーホーが好きでどこが悪い?

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「あんた、なにを飲む? ここでヨーホーなんてションベンは頼むなよ。みっともな
いから」
(『ウイニング・ラン』ハーラン・コーベン/中津悠訳/ハヤカワ文庫 p.227より)
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 友人にこんなふうに牽制されないと、マイロンはバーでもヨーホーを注文しかねな
いほどこの飲み物の虜になっている。ヨーホーって、いったいどんな味なんだろう?
それほどおいしいのなら、ぜひ飲んでみたい! マイロン・シリーズを読むたびにそ
んな欲望を募らせている読者のために、今回はヨーホーを調べてみた。
 まずは、実際に飲んでみなければ話は始まらない。だが、調査は現物入手という第
一段階から行き詰まってしまった。ジム・キャリーもファンだというヨーホーは、ア
メリカ国内ならコンビニでも買えるほどポピュラーな商品だが、現在日本では販売さ
れていないのだ。ただ、「子どものころ野球場で飲んだ」という証言を得て調べてみ
たところ、25~30年ほど前には大洋漁業(現在のマルハ)が販売していたことがわか
った。当時は「ユーフー」と呼ばれていたという噂もあるが、大洋漁業は川崎球場を
ホームグラウンドにしていた大洋ホエールズ(現在の横浜ベイスターズ)の親会社だ
ったから、球場内でヨーホーが売られていたのかもしれない。
 その後、最近ハワイへ行った当メルマガスタッフがヨーホーを1本持ち帰ってくれ
たおかげで、対面の日を迎えることができた。黄色いラベルに鮮やかなブルーで書か
れた「yoo-hoo」の字が目立つボトルを手に取ると、底のほうになにやら焦茶色のもの
が沈殿しているのが見える。ラベルに書かれた「SHAKE」の指示どおり何度か上下に
振ってからキャップをひねり、緊張しながらひとくち……。う~む、甘い。それが最
初の感想だった。チョコレートドリンクということから想像していた濃厚なイメージ
に反し、薄めのミロに砂糖を足したような味で、ちょっと粉っぽい。ちなみに15.5オ
ンス入りボトルは高さ18センチ、直径7センチほどで、価格は1ドル90セントだった。
 さて、念願かなって味見を終えたところで、新たな疑問がわいてきた。毎日飲みた
いと思うほどヨーホーがおいしいかどうかは別として、マイロンのヨーホー好きはど
うして周囲の人間にばかにされているのだろう? なにしろアメリカと言えば、ビジ
ネスマンがコーンアイスクリームを食べながら歩いていようが、80歳のおじいちゃん
がバニラアイスをてんこ盛りにしたアップルパイを頬張っていようが、誰も好奇の目
を向けないお国がら。30代のマイロンがチョコレートドリンクを好きだっていいじゃ
ないか。そこで、ネイティヴにとってヨーホーはどんな存在なのか、40代のアメリカ
人男性に聞いてみた。すると、「ヨーホー? ありゃ、子どもの飲み物だよ。ヨーホ
ー好きの主人公が出てくるミステリがあるの? へえ~、変わってるねぇ」などと冷
めた意見をさんざん述べたあと、最後にポロリと「でも、僕も好きだけど」と本心を
漏らした。もしかしたら、アメリカ人にとってのヨーホーは、日本人にとってのカル
ピスのように、子どものころは好きだったけれど、おとなになってから大好きと公言
するのはちょっと恥ずかしい、そんな、なつかしい味なのかもしれない。
 ヨーホーをもっと知りたいという方は、公式サイト(*)をどうぞ。1920年代まで遡る
歴史やチョコレート以外のフレーバーの紹介など、さまざまな情報が満載されている。
 * http://www.drinkyoohoo.com/
                                (中西和美)

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 ■スタンダードな1冊 ―― 孤独な少年と探偵の心の交流

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『初秋』ロバート・B・パーカー著/菊池光訳/ハヤカワ・ミステリ文庫
"EARLY AUTUMN" by Robert B. Parker

 シリーズ化され、同じ主人公が何年も時には何十年にもわたって活躍する作品群が、
ミステリ小説の中には数多く存在する。ロバート・B・パーカーが描くボストンの探
偵スペンサーのシリーズもその一つだ。このシリーズは1973年の『ゴッドウルフの行
方』から、今年3月に発売になった "WIDOW'S WALK" まで、29の作品がある。今回は
その中から、1981年に発表された7作目の『初秋』を紹介する。この作品はパーカー
の代表作であり、味わい深い名作でもある。

 別れた夫のメルが連れ去った、息子のポールを取り返してほしい。それがパティ・
ジャコミンからの依頼だった。スペンサーはすぐにポールを見つけ出し、彼女のもと
へ連れ戻す。しかし数か月後、メルが人を雇ってポールを奪い返そうとしているとし
て、再びスペンサーは雇われる。パティたちにとって、息子は愛情を注ぐ対象ではな
く、相手への嫌がらせのための道具にすぎない。誰からも構われることのないポール
は、何事にも関心を持たず自分が何を食べたいかさえ分らない、生きる術を知らない
少年だった。両親と暮らすのはポールのためにならない。スペンサーは、彼を両親か
ら切り離し、1日も早く独り立ちできるようにしてやりたいと考える。そしてパティ
から、現在の恋人と旅行に行く間、ポールの面倒を見て欲しいと頼まれたスペンサー
は、さっそく自分の考えを実行に移すことにした。かくして、生きる力を身に付けさ
せるための、ポールへの訓練がはじまった。

 普通のハードボイルドだと思って読むと、肩透かしを食うことになる。それはこの
作品の主眼が少年の成長におかれ、一般に考えられているハードボイルドの要素はほ
んの付け足しにすぎないからだ。この点を受け入れるかどうかで、評価は真っ二つに
分かれるが、わたしはこの作品を評価している。物語の前半、中華料理店で何が食べ
たいかとスペンサーに聞かれ、「分からない」とポールが答える場面がある。これと
対照的な場面が物語の後半部分に出てくる。スペンサーからサンドウィッチを買って
こいと言われたポールが、2種類のサンドウィッチと自分のためのミルクを持って帰
ってくる。あまりにもさらりと書かれているので、人によっては読み飛ばしてしまう
かもしれない。しかしポールが成長したことを伝えるエピソードとして、わたしの印
象に強く残っている。さりげない描写であるにもかかわらず、作者の意図がはっきり
と伝わってくる。そういうところがわたしは好きなのだが、さてあなたはどうだろう
か? 一度手にとって読んでもらいたい。

 また『初秋』の続編とも呼べる作品がある。1991年に発表された18作目の『晩秋』
がそれで、成長しダンサーとなったポールが登場する。
                              (かげやまみほ)

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 ■速報 ―― MWA賞、アガサ賞受賞作発表

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●MWA賞受賞作発表
 アメリカ探偵作家クラブ主催による第56回MWA賞の各部門受賞作が発表された。
主要4部門の受賞作は以下のとおり。

▼最優秀長篇賞
 "SILENT JOE"     T・ジェファーソン・パーカー
 パーカーは昨年の "RED LIGHT" に続く2度目のノミネートでの受賞。デビュー以
来、おもにカリフォルニアを舞台としたサスペンスを発表している。邦訳は『渇き』
『凍る夏』(ともに渋谷比佐子訳/講談社文庫)ほか。本作では複雑な生い立ちを経
て郡保安官代理となった青年ジョーが、政治家である養父を殺した犯人を追う。

▼最優秀処女長篇賞
 "LINE OF VISION"   David Ellis
 本誌先月号(2002年4月号)のレビューを参照。

▼最優秀ペイパーバック賞
 "ADIOS MUCHACHOS"   Daniel Chavarria(translated by Carlos Lopez)
 キューバで仕事に励む売春婦アリシアがひとりのビジネスマンと出会ったことから、
犯罪の計画が始まる。猥雑ながら明るいパルプ・フィクション。著者はウルグアイ出
身で、過去にハメット賞スペイン語作品賞を受賞した。本作は初の英訳。

▼最優秀短篇賞
 "Double-Crossing Delancy" S・J・ローザン (MYSTERY STREET)

 その他の部門については以下のサイトで。
 http://www.mysterywriters.org/awards/edgars_02_winners.html

●アガサ賞受賞作発表
 マリス・ドメスティック主催によるアガサ賞のほうも、受賞作が発表された。主要
部門の結果は以下のとおり。

▼最優秀長篇賞
 "MURPHY'S LAW"    Rhys Bowen
 ウェールズ在住の著者による歴史ミステリ。20世紀初頭、アイルランドからアメリ
カに移住しようとする女性モリーを待ち受けていたのは、殺人の嫌疑という試練だっ
た。著者はほかに警官エヴァンズを主人公としたシリーズを5作発表している。

▼最優秀処女長篇賞
 "BUBBLES UNBOUND"   Sarah Strohmeyer
 バブルズ・ヤブロンスキーは記者を夢見る美容師。ある日、待ちに待ったチャン
スが訪れるが……。奇抜なヘアスタイル、はじけたキャラクターのバブルズが魅力
をふりまく。米国では「第2のステファニー・プラム」との呼び声も高い。

▼最優秀短篇賞
 "The Would-Be Widower" キャサリン・ホール・ペイジ(MALICE DOMESTIC 10)

 その他の部門については以下のサイトで。
 http://www.malicedomestic.org/
                                (影谷 陽)
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◇連載記事で取りあげた本の一覧はこちらで
http://www15.u-page.so-net.ne.jp/ya2/y-kage/mag/regular.html


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■編集後記■
 気がついたらもうすぐサッカーW杯。スポーツを扱ったミステリは数あれど、意外
にサッカーのミステリは少ないですね。こんなおもしろいサッカー・ミステリを知っ
ているよ、というかたがいらっしゃったら、どうぞ編集室までご一報を。  (片)


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 海外ミステリ通信 第9号 2002年5月号
 発 行:フーダニット翻訳倶楽部
 発行人:うさぎ堂 (フーダニット翻訳倶楽部 会長)
 編集人:片山奈緒美
 企 画:板村英樹、宇野百合枝、大越博子、影谷 陽、かげやまみほ、
     小佐田愛子、中西和美、松本依子、三角和代、山田亜樹子、
     山本さやか
 協 力:@nifty 文芸翻訳フォーラム
     小野仙内
 本メルマガへのご意見・ご感想 : whodmag@office-ono.com
 フーダニット翻訳倶楽部の連絡先: whodunit@mba.nifty.ne.jp
 http://www.nifty.ne.jp/forum/flitrans/whodunit/index.htm
 配信申し込み・解除/バックナンバー:
 http://www.nifty.ne.jp/forum/flitrans/whodunit/magazine/index.htm

 ■無断複製・転載を固く禁じます。(C) 2002 Whodunit Honyaku Club
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             月刊 海外ミステリ通信
          第8号 2002年4月号(毎月15日配信)
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★今月号の内容★
〈特集〉        2002年MWA賞最優秀処女長篇賞ノミネート作全レビュー
〈翻訳家インタビュー〉 大嶌双恵さん
〈注目の邦訳新刊〉   『雪の死神』
〈ミステリ雑学〉    スパイになった大リーガー
〈スタンダードな1冊〉 『警察署長』


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 ■特集 ―― 2002年MWA賞最優秀処女長篇賞ノミネート作全レビュー

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 今回の特集は、5月2日に行われるMWA(アメリカ探偵作家クラブ)賞受賞式に
先立ち、将来が期待される処女長篇賞にノミネートされた5つの作品を紹介する。

 1945年にミステリの普及とミステリ作家の地位向上などを目的として設立されたM
WAが、その一環として1946年に設けたのがエドガー賞だ。この賞はミステリ関係の
賞としては一番古く、現在ではもっとも影響力を持つ賞となっている。最優秀賞受賞
者には、ミステリの祖であるエドガー・アラン・ポーの胸像が贈られる。MWAが贈
る賞としてはエドガー賞が有名だが、他にも巨匠賞やエラリー・クイーン賞などがあ
り、それらの賞を全部まとめてMWA賞と呼ばれることも多い。

 処女長篇部門はエドガー賞の第1回から設けられている賞である。最優秀処女長篇
賞を受賞しその後活躍している作家は多く、90年代に入ってからの受賞者には〈検屍
官シリーズ〉(講談社)のパトリシア・コーンウェル、〈ボッシュ・シリーズ〉(扶
桑社)のマイクル・コナリー、〈捜査官ケイト・シリーズ〉(集英社)のローリー・
キングなどがいる。
 ここ2年は、『頭蓋骨のマントラ』(早川書房)のチベット、『紙の迷宮』(早川
書房)の18世紀初頭のイギリスと、アメリカが舞台ではない作品が選ばれていた。だ
が今年のノミネート作は、5作品すべてが現代のアメリカが舞台であり、多かれ少な
かれアメリカ社会の暗部を描き出している。いずれもノミネート作にふさわしい力作
のようだが、果たして受賞するのはどの作品か、5月2日の発表を待ちたい。
                              (かげやまみほ)

                  ●

"OPEN SEASON" by C. J. Box
Putnam/2001.07.05/ISBN: 0399147489

《誇り高き狩猟監督官の選択》

 わたしたちは日常的にさまざまな選択を繰り返している。そうした選択の積み重ね
が人生の質を決めるのだと、新人狩猟監督官のジョー・ピケットが教えてくれる。

 ジョーは過疎化が進むワイオミング州サドルストリング地区に赴任した。山中の柵
の修理や密猟の取り締まりといった職務にまじめにはげんでいるが、融通がきかない
ために人間関係での衝突が多い。なかば伝説と化した前任者となにかにつけて比べら
れ、ぱっとしない毎日を送っている。ぱっとしないのは年俸も同じで、妻とふたりの
娘を養うのは一苦労だ。ところが、監督官宿舎で死体が発見される事件が起こり、ジ
ョーの人生は転機を迎える。事件に絡んだ山での銃撃戦で名を挙げ、ある仕事のオフ
ァーを受けたのだ。年俸はいまの3倍。転職すれば家族に楽をさせてやることが可能
だが、監督官はおさないころからの憧れの職で、今回の事件に気がかりな点も残って
いる。ジョーの取るべき道は――。

 自分の身の振り方だけでなく、さらに大きな社会問題についても選択を迫られる監
督官を描いたサスペンス。ひとり正義を貫く男はミステリで頻繁に用いられるモチー
フだが、「ひとり」をバックアップする家族の存在の描写が白眉。それぞれが自律す
る夫婦のあいだの距離感が好ましかった。狩猟監督官に関する情報が新鮮でシリーズ
化も決定している。もうひとひねり欲しい箇所もあるが、魅力はじゅうぶん、有力候
補のひとつではないだろうか。さて、MWAの選択はいかに?
                                (三角和代)
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"RED HOOK" by Gabriel Cohen
Thomas Dunne Books/2001/ISBN: 0312274580

《無残な他殺死体が思い出させたものは……。ハードボイルドに期待の新人登場》

 ニューヨーク市警のベテラン刑事ジャック・レイトナーは、ブルックリン・サウス
殺人特捜班に配属されてから12年になる。数え切れないほどの死体を目にしてきたこ
とで、いたましい姿の被害者を前にしても、プロとして冷静な態度を保つだけのキャ
リアは積んできたはずだった。だが、生まれ育ったレッド・フックの運河沿いで若い
男の遺体を調べていたとき、彼は突然吐き気を催すほどの激しい動揺に襲われる。
 なぜその被害者だけが特別なのか。なにかに突き動かされるように、ジャックはそ
の殺人事件の捜査にのめり込んでいく。それは、両親や別れた妻にも決して語ること
のできなかった少年時代の暗い記憶を呼び覚まし、忘れてしまいたい過去と対峙する
ことを意味していた。刑事としてのキャリアや自分の命を賭してまで、彼を事件解決
に駆り立てたものとはなんだったのか。そしてすべてが明らかになったとき、封印し
ていた過去を清算することはできるのか――。

 ニューヨーク湾に突き出すように、ブルックリン北部に位置するレッド・フック。
現在は犯罪多発地帯として恐れられているこの一帯も、波止場がすたれる以前は1万
人以上の港湾労働者とその家族が生活する活気にあふれた街だったという。本書はス
ピード感のある展開で読者を引っ張っていく優れたミステリであると同時に、ひとつ
の街の栄枯盛衰を描いた作品でもある。著者はデビュー作とは思えないほど卓越した
筆致で人物や情景を生き生きと描き出し、人間の内面と実在の街を鮮やかに表現する
ことに成功している。背景となる8月の熱気すら感じさせるこの作品が新人賞にノミ
ネートされたのも当然と言えるだろう。
                                (中西和美)
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"LINE OF VISION" by David Ellis
Putnam Pub Group/2001.02/ISBN: 0399147071

《人妻との甘美な不倫、はたしてその代償は?》

 若きエリート投資銀行行員、マーティ・カリシュには、地元名士の妻、レイチェル
との不倫という秘密があった。そして毎木曜の夜、レイチェルは彼のためにだけ窓越
しに甘美なストリップショーを演じてくれる。ところが今夜マーティがそこに見たも
のは、夫の暴力に怯えるレイチェルの姿だった。逆上したマーティは、愛するレイチ
ェルを守ろうとガラス窓を叩き割って家の中に侵入する。夜の静寂に響き渡る2発の
銃声――。あとにはレイチェルの夫の死体を遺棄し、鉄壁のアリバイ作りに奔走する
マーティの姿があった。
 後日捜査の手が伸び容疑者となったマーティは、自分が殺ったと自供する。だがそ
の様子はなにかをひた隠しているようなのだ……。かくして迎える裁判のとき。死刑
が求刑される中、最高の弁護士を味方に得たマーティは自供を撤回し無罪を主張。果
たして、あの晩一体なにが起きたのか。そして今、マーティでさえも知らなかった驚
愕の真実が明らかになる。
 本書は自分の才覚で窮地を脱した男の物語だ。才気溢れ、ときに内省的な主人公マ
ーティの行動には全編を通して不可解な部分が多い。おまけに全く先の読めない二転
三転するプロットに、読者は一体どういうことかと思わずページを繰り続けることに
なる。そして大団円でそれまでの謎が明確に1つの形を成したとき、作者の筆さばき
に「うまい!」と脱帽するにちがいない。また、さすがに現役弁護士作家の手による
ものだけあり、中盤からの丁丁発止と渡りあう法廷シーンはR・N・パタースンばり
に読ませる。リーガルもの好きには楽しみな、将来を十分期待させる新人作家の登場
だ。
                               (宇野百合枝)
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"GUN MONKEYS" by Victor Gishler
UglyTown/2001.12/ISBN: 0966347366

《復讐か逃亡か、律儀な殺し屋が選んだ道は?》

 オーランドを牛耳るギャングのスタンは81歳になる。ディズニーで急成長した街に
昔風のやり方では追いつかないと、スタンの地位を狙うのはマイアミにテリトリーを
持つベガーだ。今回は、この街に来ている自分の子分を始末し、持ち出したブリーフ
ケースを取り戻してほしいと強引にスタンに頼んできた。
 その仕事を割り当てられたチャーリーは、腕のいい殺し屋だ。ボスのスタンを敬い、
母親と歳の離れた弟を大事にしている律儀な中年男でもある。指示に従いストリップ
バーを襲ったチャーリーはブリーフケースを奪ったが、殺した中にFBI捜査官が混
じっていたのに気づく。裏があると感じ、彼はケースに入っていた帳簿を隠す。翌日、
スタンの店が襲われ、チャーリーの仲間が殺された。しかもスタンの行方がわからな
い。ベガーの仕業か。FBIも帳簿の行方を追っている。このまま街から姿を消すの
が最善の策とは知りつつ、チャーリーはスタンを見捨てられらない。
 殺し屋が主人公のハードボイルド。冒頭からトランクに入った首のない死体が出て
くる。その後も、物語が進むにつれて死体の数が増えていく。仲間のための復讐とボ
スの救出をめざし、ひとり組織に立ち向かう男というプロットなのだが、後半ちょっ
と皮肉なひとひねりが用意されている。

 主人公の殺し屋が腕はいいのに、人情味溢れる男で、そのギャップがいい。恋人も、
なかなか現実的で、いきいきと行動しチャーミング、剥製製作が職業というのも目新
しい。乾いたユーモアが随所に散りばめられ、陰惨な印象が残らず、読後感は悪くな
い。作者は大学で創作を教えているとあり、抑制のきいた文章に好感が持てる作品だ。
                               (小佐田愛子)
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"THE JASMINE TRADE" by Denise Hamilton
Scribner/2001/ISBN: 074321269X

《移民の若者たちが見た、アメリカの夢と現実》

 ショッピング・モールの駐車場で、17歳の少女マリーナ・ルーが射殺される。彼女
は香港からの移民で、結婚を控えていた。ロサンゼルス・タイムズの記者イヴ・ダイ
アモンドは、この事件が読者の関心をひくと考え、マリーナや事件についての取材を
はじめる。そして取材中に偶然マリーナの日記を手に入れる。そこにはマリーナが婚
約者の行動に疑問を感じて悩み、尾行までしていたことが書かれてあった。また別の
取材で知った中国系マフィアによる大規模な売春組織と、マリーナの事件が繋がって
いるのではないかと思わせる証言も出てくる。マリーナは本当に無差別な犯罪の被害
者だったのだろうか。真実を求めて、イヴは突き進んでいく。

 ストーリーは斬新とはいえないが、事件の関係者やイヴが取材をする人たちのほと
んどがアジア系であるのと、アジア系移民の若者たちが抱える問題などをリアルに描
いているのが新鮮だ。またマリーナの事件の他にも色々と取材に出かけるイヴだが、
それが少しずつマリーナの事件と絡んでくるのも主人公の職業が新聞記者ならではの
展開といえる。イヴの過去や私生活が語られ、ちょっとしたロマンスもあり、最後に
緊張感のある場面も用意されて、充分読み応えがある。最優秀賞受賞も充分ありえる
優れたエンタテインメント作品だ。
 作者のデニス・ハミルトンは、元ロサンゼルス・タイムズの記者で現在はフリーの
ジャーナリストとして活動している。作品になりそうなネタのストックは充分あるそ
うなので、しばらくはイヴの活躍が期待できそうだ。
                              (かげやまみほ)

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 ■翻訳家インタビュー ―― 大嶌双恵さん

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 今月は地方在住というハンデをのりこえ、順調に訳書を出されている大嶌双恵さん
にお話をうかがいます。
+―――――――――――――――――――――――――――――――――+
|《大嶌双恵(おおしま ふたえ)さん》1960年北海道生まれ。京都女子短期大学
|英語科卒。2001年に『死ぬには、もってこいの日。』(ジム・ハリスン/柏艪
|舎)で翻訳家としてデビュー。今年2月には2冊目の訳書『殺人者は蜜蜂をおく
|る』(ジュリー・パーソンズ/扶桑社ミステリー)が出版された。北海道在住。
+―――――――――――――――――――――――――――――――――+
――はじめての訳書が出るまでの経緯をお聞かせください。
「もともと英語に携わる仕事がしたかったのに、それを果たせぬまま家庭に入ってし
まったものですから、ずっと心残りだったんです。あるときなにげなく始めた翻訳の
通信講座が思った以上に楽しくてのめりこみました。しまいには勉強の合間に子育て
をするという感じになっていました。4年ほど前、地元の北海道にできた翻訳学校に
入り、講師である翻訳家の方から下訳の仕事をいただくようになると、ますます翻訳
が楽しくなってきました。このままずっと下訳者でもいいと思ってたんですよ。ミス
テリ、生物兵器のノンフィクション、ギャングの自伝など、5作ほどやらせていただ
いたのち、ジム・ハリスンの『死ぬには、もってこいの日。』でデビューしました」

――これまで2冊を訳されていますが、訳す上でご苦労された点などありますか?
「ジム・ハリスンの文は硬質で含蓄があり、訳すのに普段の3倍は時間がかかったと
思います。あまりくだけすぎると、原文の味わいを損ねてしまう。でも硬すぎては、
読みづらい文章になってしまって……。そのへんのバランスがいちばん苦慮したとこ
ろです。『殺人者は蜜蜂をおくる』のジュリー・パーソンズの場合は、下訳者として
すでに一度出会っていましたから、アイルランドという舞台には違和感なく入ってい
けました。訳すにあたっては虫の生態をずいぶん調べました。ショウジョウバエの研
究家という方にメールでお尋ねしたこともあります」

――地方在住ということでいろいろとハンデもおありだったと思いますが?
「勉強を始めたばかりのころは、今のようにインターネットなども一般的ではなく、
翻訳家になるなんて無理だと思っていました。東京の翻訳学校のサマーセミナーで、
講師の先生に『地方ではむずかしい』と言われたこともあります。一生、趣味でもい
いやと思いましたね。いまは、出版社とのやりとりも原稿の納品も、メールでできる
ようになり、地方在住のハンデはだいぶなくなったと思います」

――お好きなミステリ作家は?
「ジェイムズ・エルロイです。血なまぐさくて残酷で、どうしようもなく暗い世界で
すが、登場人物がしっかりと描かれているところに惹かれるのかもしれません。純文
学に近い読後感を覚えたこともあります」

――これからのご予定をおきかせください。
「5月に柏艪舎からジム・ハリスンの『蛍に、照らされた女。』が出る予定です。中
年男女のさまざまな形の恋愛を描いた3作の中篇集です。湖に沈むインディアンの酋
長の遺体を引きあげたことから人生の道筋がずれてしまった40代の男の話。若き日に
反戦運動に夢中になった4人の中年男女が、投獄されているかつての仲間を救うため
に、20年ぶりに再会する話。離婚を決意し、ドライブの途中に夫の車から逃げ出した
50代の女性のモノローグ。どれも味わい深い作品です。順番が前後しますが、4月下
旬には、理論社からアン・ブラッシェアーズという新人作家の『トラベリング・パン
ツ』が出ます。ヤングアダルト向けの小説で、不思議なジーンズが起こす奇跡の物語
です。こちらはうって変わって、若い少女たちの可愛らしいラブストーリーです」

――大嶌さんにとって翻訳の魅力とはなんですか?
「原著者の創り出したテキストを、一度自分の中に取り込んでオリジナルな日本語に
する。責任重大なことでもありますが、これが魅力だと思います。ぴたりとはまる日
本語がひらめいたときの快感がたまりません。英語への興味から入った翻訳の世界で
すが、いまは日本語のリズム、言葉の響きにこだわるのがすごく楽しいんです」
                         (取材・構成 山本さやか)

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 ■注目の邦訳新刊レビュー ――『雪の死神』

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『雪の死神』 "LA MORT DES NEIGES"
 ブリジット・オベール/香川由利子訳
 ハヤカワ・ミステリ文庫/2002.02.15発行 840円(税別)
 ISBN: 4151708073

《連続猟奇殺人鬼の正体は? 車椅子探偵エリーズが挑む》

 エリーズ・アンドリオリ、38歳。全身麻痺の美女。爆弾テロに遭った彼女は一瞬に
して全身の機能を失った。目も見えず、口もきけない。他人とのコミュニケーション
の手段は、唯一残った耳と、かろうじて動かせる左手での「筆談」だけだ。
 ある日、エリーズはヴォールと名のる男から偏執愛めいた不気味な手紙を受け取っ
た。ほどなく雪山のスキー場に出かけた彼女は、何者かにステーキ肉をプレゼントさ
れる。折しも、麓の町では若い美人が襲われる猟奇殺人が起きていた……。

『マーチ博士の4人の息子』で世間を驚嘆させたオベールの傑作『森の死神』の続編
だ。前作のサイコサスペンス調の本格推理にホラー色が加味された。人里離れた雪山
の障害者施設を舞台にくりひろげられる猟奇殺人劇。強烈なオベール色が漂う。
 全身麻痺で車椅子の主人公エリーズは、今回は異常ストーカーの連続殺人鬼に脅か
される。被害者の死体の一部をプレゼントされ、ダーツの標的にされ、身体に触れら
れても、文字どおり手も足も出ない。状況は前作よりさらに過酷だ。なにもそこまで
しなくても、とつい同情もしたくなる。しかし、満身創痍になりながらも頭脳を駆使
し、犯人に果敢に立ち向かってゆくエリーズの姿は、まさに「ミステリ史上もっとも
非力で最強にしぶといヒロイン」(あとがきより)にふさわしい。殺人鬼の正体をめ
ぐっての犯人との頭脳ゲーム、そしてホラーアクション映画さながらのシーンは単な
る安楽椅子探偵ものにはない迫力だ。読み応え十分。
 さらに、エリーズの“耳”がとらえた音と会話だけで進んでゆく、一人称の語り口
も堪能したい。他の作品にも共通していえるが、ストーリーテラーとしてのオベール
の才能は見事だ。作者の掌で踊らされつつ、いつしか作品の魅力にハメられてしまう。
本書ではなんと、オベール自身が事件の鍵を握る人物として登場するという仕掛けも
こらされている。楽しみだ。
 さて、真相だが、凄い。仰天である。これをどう読むかで本書の感想は大きく分か
れるだろう。いかにもオベールらしいこのラスト、あなたならどう評価します?
                               (山田亜樹子)

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 ■ミステリ雑学 ―― スパイになった大リーガー

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 自分の天職がなんであるかはわからなかったが、いまだに天職につきそこねたよう
な感じにとらわれていた。
   (『ストライク・スリーで殺される』
       リチャード・ローゼン/永井淳訳/ハヤカワ・ミステリ文庫 p.49)
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 4月は野球ファンにとって、心躍る季節である。日米でプロ野球が開幕し、ひいき
の選手やチームの活躍に思うぞんぶん期待を込められるからだ。今月は球春到来にち
なみ、かつて大リーグにいたひとりのミステリアスな選手を取りあげよう。
『ストライク・スリーで殺される』は、架空の大リーグ・チームで起きた殺人事件の
犯人を、被害者と親しかったチームの主軸打者ハーヴェイが追うというストーリー。
ハーヴェイは米国史の研究書を読むのが趣味という学究肌で、チームメイトから「教
授」というあだ名で呼ばれる。このハーヴェイ以上に「教授」そのものという選手が、
実在の大リーグ選手、モリス(モー)・バーグ(Morris Berg)だ。
 1902年生まれのバーグはプリンストン大学で言語学を専攻し、フランス語やドイツ
語からサンスクリット語まで、十数か国語に通じるという言語の達人だった。大学で
野球チームに所属していたことから、1923年に卒業するとブルックリン・ドジャース
に捕手として入団、その後はレッドソックスなど数チームを渡り歩いた。野球選手に
は不似合いなほどの広範な知識は、しばしばスポーツ記者の話のたねになった。
 引退したバーグは1942年に、アメリカが中南米諸国の動向を探るために設立したO
IAA(アメリカ大陸諸国間事務所)で働き、翌年には大統領直属の情報機関で後年
CIAに改組されるOSS(Office of Strategic Services、戦略事務局。戦略情報
局とも)に移る。ドイツの核兵器研究の進捗状況を探るのがおもな任務で、イタリア、
スイス、ドイツなどに潜伏し、著名な科学者の身辺を観察したり、親しく言葉をかわ
したりした。1944年末にはドイツの物理学者ハイゼンベルクの講演会に聴講者として
出席し、講演終了後に肩を並べて歩きながら質問をして探りを入れた。このとき、ド
イツの核爆弾開発が完成に近づいているという証拠が得られたなら、すぐにハイゼン
ベルクを殺すように命じられていたというが、その命令を実行することはなかった。
 言語学者で、野球選手で、スパイ。この3つの役割を次々にこなしていったバーグ
は不思議な人物である。終生独身で、人当たりはよいが他人と深い関係を築くことが
なく、ひとりで行動することを好んだという性格はいかにもスパイ向きだ。一方で選
手時代は、試合前に大学や図書館へ足を運んで熱心に本を読み、OSSを引退した後
は野球場で観戦する姿がたびたび見られたという。3分野のいずれでも表立った成果
を残すことはなかったが、言語と野球への情熱はいつも衰えなかったらしい。
 バーグは戦前に日本を2度訪れており、1934年には日米野球に出場する米国代表チ
ームの一員として、ベーブ・ルースらとともに来日した。日本を大いに気に入ったバ
ーグは、帰国後も日本の思い出をよく語っていたという。バーグの遺品のうち日本に
ゆかりのあるものは、現在、東京ドーム内にある野球体育博物館におさめられている。
また、ニューヨーク・タイムズ紙に掲載されたバーグの死亡記事を、Web上で読むこ
とができる。(http://thedeadballera.crosswinds.net/Obits/BergMoesObit.html)
                                (影谷 陽)

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■スタンダードな1冊 ―― アメリカの良心、ここにあり

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『警察署長』(上・下)(スチュアート・ウッズ/真野明裕訳/ハヤカワNV文庫)
 "CHIEFS" by Stuart C. Woods

 ディープ・サウス、ジョージア州の町デラノ。南北戦争が終わってもまだ黒人差別
が根強く残るこの町に、第1次世界大戦後の1919年警察署長が置かれることになった。
農民出身のウィル・ヘンリー・リーは、地元の厚い信任を受け、助手なしで任務をこ
なすことに。しかしその就任に際し、リーはある人物の恨みを買っていた。
 1920年のある朝、新聞配達の少年が若い男性の変死体を見つける。検屍結果は警察
関係者が犯人である可能性を示していた。リーはひとりの人物に思い当たり、近隣で
消息が途絶えた行方不明者は彼に殺されたとの仮定のもとで捜査をする。1927年、新
たな手がかりをつかんだリーは、夢中でそれを郡保安官に知らせようとしていた。そ
のときリーは思わぬトラブルに巻き込まれ、捜査は戦後まで中断される。戦後、行方
不明者の捜査は署長サニー・バッツに、1960年代には署長タッカー・ワッツに引き継
がれる。

 1982年にMWA賞最優秀処女長篇賞を受賞したこの作品には、昔から変わらぬアメ
リカの良心が見える。わたしはハリウッド的二元論が苦手なひとりだが、それとは対
照的な筆致で、善良な人々が身の危険や保身のために苦悩しながら前進してゆくさま
が、見事に描かれている。善人=パーフェクトな人間でないのが人間くさくて良い。
南部では隣人と何世代も共存するため、隣人を告発する難しさもよく伝わってくる。
 また、警察署長が3人替わっても犯人を挙げられない難事件というプロットも非常
にユニークだ。しかし、アメリカでの行方不明者が2000年の届け出ベースで876,213
人(FBI調べ)、1982年からの増加比は468%だということを考えると、現在では
ありえない話ではないのかもしれない。
 事件のスケールの大きさに加え、ドラマチックなアメリカの政治や歴史も体感でき
るという点で読み応えがある。南部に公民権運動が到来する60年代には特に臨場感が
あり、先月号の「ミステリ雑学」も読むと背景がよく分かる。歴史が転換点を迎える
とき事件の行方はどうなるのか。

 著者のウッズはジョージア州出身、カーター大統領の選挙運動に関わり、1300マイ
ルの大西洋横断航海をした経験を持つ。リー署長の孫ウィルが活躍する作品には『風
に乗って』、『潜行』、"THE RUN"、『草の根』などがある。
 なお、『警察署長』はドラマ化され、1985年にNHKでも放送された。チャールト
ン・ヘストンなどが出演。ビデオも発売されている。
                                (大越博子)

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■編集後記■
 日中の暖かい日差しに、ついうとうとしてしまいますが、眠気を吹き飛ばすような
おもしろい本に出会ったときの喜びは格別。来月号は、そんな作品を世に送り出して
くれる作家のひとり、当倶楽部でも人気のハーラン・コーベンを特集します。(片)


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 海外ミステリ通信 第8号 2002年4月号
 発 行:フーダニット翻訳倶楽部
 発行人:うさぎ堂 (フーダニット翻訳倶楽部 会長)
 編集人:片山奈緒美
 企 画:板村英樹、宇野百合枝、大越博子、影谷 陽、かげやまみほ、
     小佐田愛子、中西和美、松本依子、水島和美、三角和代、
     山田亜樹子、山本さやか
 協 力:@nifty 文芸翻訳フォーラム
     小野仙内
 本メルマガへのご意見・ご感想 : whodmag@office-ono.com
 フーダニット翻訳倶楽部の連絡先: whodunit@mba.nifty.ne.jp
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 配信申し込み・解除/バックナンバー:
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 ■無断複製・転載を固く禁じます。(C) 2002 Whodunit Honyaku-Club
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             月刊 海外ミステリ通信
          第7号 2002年3月号(毎月15日配信)
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★今月号の内容★
〈特集〉        クッキング・ミステリ
〈翻訳家インタビュー〉 匝瑳玲子さん
〈注目の邦訳新刊〉   『雨の牙』
〈ミステリ雑学〉    アメリカ公民権運動の落とし子
〈スタンダードな1冊〉 『納骨堂の奥に』
〈速報〉        アガサ賞ノミネート作品発表

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 ■特集 ―― クッキング・ミステリ

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 さまざまな食のプロたちが登場するクッキング・ミステリは、次々に新作が紹介さ
れる人気ジャンルです。日本でもダイアン・デヴィッドソン、キャサリン・H・ペイ
ジのシリーズなどが紹介され好評を博していますが、このジャンルには日本未紹介の
作品が数多く眠っています。今回の特集では、そうした作品からレシピつきの3点を
取りあげました。著作権の関係でレシピをそのまま載せることはできませんが、どう
ぞこの雰囲気を味わってくださいませ。
                                (三角和代)

                  前 菜
                   ̄ ̄ ̄
        ルー・ジェーン・テンプル~ユニークな無国籍料理

 "DEATH BY RHUBARB" by Lou Jane Temple
  St. Martin's Paperbacks/1996.08/ISBN: 0312958919

 ミズーリ州カンザス・シティの中心街に、トレンディなレストラン〈カフェ・ヘヴ
ン〉がある。既成概念にとらわれず、さまざまな国の料理をうまくミックスしたオリ
ジナリティあふれるメニューが評判の店だ。"DEATH BY RHUBARB" は〈カフェ・ヘヴ
ン〉のオーナー・シェフ、ヘヴン・リーを主人公に据えたシリーズの第1作である。

 5月の月曜日、〈カフェ・ヘヴン〉で食事客が急死した。死んだのは弁護士のター
シャ。ヘヴンの最初の夫サンディが最近つきあっている相手だ。ターシャの体内から
大量のニコチンが検出され、警察は殺人事件として捜査を開始する。そこへ、〈カフ
ェ・ヘヴン〉に納入されたサラダ用野菜に、毒性のある野菜が混入する事件も起こり、
店は閉店の危機に追いこまれる。ヘヴンは窮地を打開すべくみずから犯人探しに乗り
出す。
 しろうと探偵というと、やみくもにつつきまわって警察の捜査を台無しにし、あげ
くの果てはみずからを危険にさらして周囲に迷惑をかけるものと思われがちだが、ヘ
ヴン・リーはひと味ちがう。元弁護士という経歴を生かし、関係者からじっくり話を
聞き、冷静に調査を進めていく。従業員や隣人や友人など周囲の人々が、ヘヴンをけ
んめいに支え、もりたてようとする姿にも好感が持てる。
 ヘヴンは5回の結婚と離婚をへていまは独身。若いころのちょっとした過ちで法曹
界を追われ、一時はストリッパーをしていたという過去を持つ。大学生になる娘がい
るといえば、おおよその年齢は察しがつくだろう。現在は20歳以上も年下の医者の卵、
ハンクとつきあっている。第三者から見ればなんともうらやましいかぎりだが、真剣
に相手を思うがゆえに、ふたりの年齢差に引っかかりを感じているようだ。

 さて、「クッキング・ミステリ」と銘打つからには、紹介される料理も魅力的でな
ければ読者は満足しない。さすがにレストランのオーナー・シェフが主役だけあって、
前菜、サラダ、スープにメイン料理、おまけにデザートまで、おいしそうなレシピが
ずらりと並んでいる。その中から前菜がわりの3品をご紹介しよう。

+―――――――――――――――――――――――――――――――――+
|           ◆◆ブルー・ヘヴン・サラダ◆◆
|ちぎったレタスを皿に盛り、細かく刻んだブルーチーズ、オリーブオイルで軽く
|揚げたペカンナッツを飾る。ラズベリー、ラズベリー・ビネガー、蜂蜜、オリー
|ブオイルを合わせたドレッシングをかけて供する。

|            ◆◆クズイモのサラダ◆◆
|クズイモはすりおろすかスライスし、セロリの茎の薄切り、ペカンナッツ、種を
|とったぶどう、皮を剥いてカットしたオレンジと合わせる。蜂蜜とライム・ジュ
|ースで味つけしたプレーン・ヨーグルトで和える。

|          ◆◆アーティチョークのホムス◆◆
|ホムスとは中東の料理のひとつで、豆で作ったディップといった感じ。アーティ
|チョークをくわえたところが〈カフェ・ヘヴン〉ふう。ガルバンゾー豆とアーテ
|ィーティチョークの中心部を茹で、にんにく、レモン汁、パプリカ、クミン、塩
|こしょうとともにフードプロセッサーにかける。ここにオリーブオイルを少しず
|つたらしていき、クリーム状にする。
+―――――――――――――――――――――――――――――――――+

 クズイモ、アーティチョークなど、日本では少々手に入りにくい食材も使われてい
るが、作り方はいたってシンプル。他のレシピも見ていただければわかるが、どれも
素材のよさを生かしたあっさりした味つけがされており、日本人の口にも合いそうだ。

 ヘヴン・リーのシリーズは、この後もコンスタントに書き続けられ、現在6作まで
が刊行されている。昨年8月に発売になった最新作 "RED BEANS AND VICE" は、友人
のたっての頼みでニューオーリンズに赴いたヘヴンが、殺人事件に巻き込まれる話だ
そうだ。ニューオーリンズといえば、独特の食文化で知られる町だ。さぞかし、ユニ
ークな料理が紹介されていることだろう。
                               (山本さやか)

              メインディッシュ
               ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
          タマー・マイヤーズ~素朴な家庭料理

 "EAT, DRINK, AND BE WARY" by Tamar Myers
  Signet/1998.09/ISBN: 0451192311

 メインディッシュに登場は、素朴なアメリカの味。タマー・マイヤーズの田舎のプ
チホテル〈ペンダッチ・イン〉シリーズからのエントリーだ。
 ホテル名の“ペンダッチ”とはペンシルヴァニア・ダッチ。ペンシルヴァニア州に
暮らすドイツ、スイスからの移民を祖先にもつ人々のこと。ここでつかわれるドイツ
語方言を指す場合も。その料理が素朴なのは、手ぬきでもなんでもなく、れっきとし
た理由がある。ペンダッチの宗教はメノナイトで、簡素な生活が信条だから。
 おもしろいもので、飽食のこの時代にあって、お客にも質実剛健をもとめる当ホテ
ルの姿勢はかえってうけた。商売は大繁盛。けれど、どんなに儲かろうとも、女ある
じマグダレーナは贅沢をしない。客室の清掃に掃除機は不可、モップとほうきとちり
取りをつかう。あまったお金はせっせと教会に寄付。はたからみればかなりストイッ
クな生活におもえるが、上には上が。映画《刑事ジョン・ブック 目撃者》で一躍有
名になったアーミッシュだ。じつはもともとメノナイトだったが、時代に流されず厳
格に教えを守ろうと離脱した一派なのだ。〈ペンダッチ・イン〉の料理人、フレニー
がこのアーミッシュ。長袖、ロングスカートの服装規定を忠実に守り、質素だが心づ
くしの料理を作り続けている。

 そのフレニーが参加するということで、ここが料理コンテストの会場に。これがシ
リーズ6作目にあたる本作品の設定だ。料理番組のホスト、腕自慢の主婦など、参加
者たちがぞくぞくと集まってくる。けれども“飲んで、食べて、楽しくやろう”なら
ぬ、“油断するな”というタイトルどおり、たがいに恨みつらみをもつ人物ばかりで、
雰囲気は最初から険悪。ついには殺人まで――ここで、殺意を胸に(?)参加者たち
が腕をふるう料理からメインディッシュをピックアップしよう。

+―――――――――――――――――――――――――――――――――+
|         ◆◆ カレー風味ミートローフ ◆◆
|ハンバーグの材料を準備。ひき肉はラム&ビーフをおすすめ。パン粉のかわりに
|オーツ麦をつかい、忘れずにカレー粉とクミンをくわえよう。ひとかたまりにし
|て、オーブンへ。薬味のピーチチャツネづくりにチャレンジ。刻んだ生の桃とピ
|ーマンに、ワインビネガー、カレー粉その他の調味料と水を入れ、ぐつぐつ煮込
|めばできあがり。オーツ麦の食感をたのしんで。

|        ◆◆ びっくりトルティーヤケーキ ◆◆
|ブラックビーンズ、玉ねぎなどトルティーヤに合うお好みの材料をチョイスして
|炒め、水分をとばす。タコスの調味料をかけた鶏肉をよく炒める。パイ皿にトル
|ティーヤ、炒めた豆類、チーズの順に重ねたら、トルティーヤ、炒めた鶏肉、サ
|ルサと続ける。その手順をくりかえし、いちばん上にはトルティーヤを。オーブ
|ンでこんがり焼こう。サルサとサワークリームをかけて熱々をどうぞ。

|        ◆◆ おふくろの味ベイクドビーンズ ◆◆
|乾燥白インゲンマメを一晩水につけてもどす。砂糖、ジンジャーなどの調味料を
|混ぜ、鍋に豆、ベーコン、玉ねぎの層を作っていく。最後にりんごのスライスを
|重ねたら、ひたひたの水を注ぎ5時間ほど煮込む。必要に応じて水をたす。これ
|は豆の水煮缶などで代用すると手軽につくれそう。
+―――――――――――――――――――――――――――――――――+

 ごらんのように、コンテストといっても格式張らず、メノナイト/アーミッシュの
宿で味わうにはぴったりの料理がならぶ。日本の家庭でも気軽に作れそうな品ばかり。

〈ペンダッチ・イン〉シリーズは、順調に書きつがれ、最新作の9作目が発表された
ところ。なんせ、顧客リストにはセレブリティが名をつらね、3年先まで予約がうま
っている人気ホテル。文でたのしむ温かい家庭料理と、マグダレーナとフレニーの丁
々発止のやりとりというごちそうは、これからもまだまだ堪能できるはず。
                                (三角和代)

                デザート
                 ̄ ̄ ̄ ̄
       ジョアン・フルーク~焼き立てのクッキーを召し上がれ

 "STRAWBERRY SHORTCAKE MURDER" by Joanne Fluke
  Kensington Publishing Corp./2001.03/ISBN: 1575666448

〈クッキー・ジャー〉はミネソタ州の小さな町レイク・エデンのベーカリーショップ。
前日に作ったクッキーは決して出さないというこだわりをもつこの店では、オーナー
のハンナと店員のリサが作る、おいしいコーヒーとできたてのクッキーが味わえる。

 シリーズ2作目となる本作では、レイク・エデンでデザート・コンテストが開かれ
ることになり、ハンナは審査委員長に選ばれた。初日に審査員のひとりが急病で欠席
したため、高校のバスケットボールチームのコーチが代理に選ばれたが、帰宅後、コ
ーチは何者かに殺される。その妻ダニエルは夫からたびたび暴力をふるわれており、
犯人と目される条件が揃っていたが、友人ダニエルの無実を信じるハンナは、自ら犯
人をつきとめようと調査を開始した。
 郡保安官チーフのマイクはハンナの恋人だが、ハンナが事件に首を突っ込むことを
当然のごとく嫌っている。しかし町の人々は、保安官でかつ地元の人間ではないマイ
クには話しづらいようなことでも、ハンナには気軽に打ち明ける。そういった会話の
断片から解決の糸口をつかんでいくハンナの調査力には、マイクも脱帽せざるをえな
い。今回はハンナの妹アンドレアも加わり、姉妹で事件に取り組んでいく。小柄な美
人で、口がうまいアンドレアと、背が高く、美人とはいいがたいが頭の回転は早いハ
ンナの、凸凹コンビが絶妙だ。

 さて、謎解きとともにもうひとつの目玉であるクッキングについて、本作には7つ
もレシピが収められている。そのなかから〈クッキー・ジャー〉のレシピと、コンテ
ストのゲストに供されたデザート、ハワイアン・フランのレシピをご紹介しよう。

+―――――――――――――――――――――――――――――――――+
|         ◆◆ ココア味の薄焼きクッキー ◆◆
|ココアパウダーに溶かしたバターを混ぜ入れ、砂糖を加える。これに溶き卵を混
|ぜ合わせ、ベーキングソーダ、塩、バニラ、小麦粉を加えてよく混ぜる。生地を
|冷蔵庫で冷やしてから胡桃大に丸めて砂糖をまぶす。クッキーシートに並べてス
|パチュラで平らにし、オーブンで焼く。アンドレアの娘が言うには、チョコレー
|ト味のアニマル・クラッカーの味がするとのこと。

|       ◆◆ オートミールとレーズン入りクッキー ◆◆
|溶かしたバターに砂糖を混ぜ、さらにバニラ、塩、ベーキングソーダを加える。
|そこに卵を混ぜ合わせてから小麦粉を加えてよく混ぜ、レーズンを加える。オー
|トミールをフード・プロセッサーで細かくし、生地と混ぜ合わせる。胡桃大に丸
|めてクッキーシートに並べ、フォークで十字に押しつぶし、オーブンで焼く。レ
|ーズン嫌いのアンドレアも大好きな、かりっと歯ごたえのいいクッキー。

|           ◆◆ ハワイアン・フラン ◆◆
|泡立てた卵にコンデンスミルクと砂糖、塩、パイナップルジュースを加えてよく
|混ぜ、カラメルソースをひいた焼き型に流し入れる。ひとまわり大きな天板に焼
|き型を置き、天板にお湯をはってオーブンで焼く。皿に切り分け、刻んだパイナ
|ップルやホイップクリームを添えて出来上がり。プリンのようなカスタードのデ
|ザートで、ハンナは温かいまま、ハンナの母親は冷やして、アンドレアは室温に
|して食べるのが好みだそうだ。
+―――――――――――――――――――――――――――――――――+

 ご覧のとおり、特に凝った材料は使われていないが、作者が実際に何度も繰り返し
作ってできたという、ハンナ曰く「完璧なレシピ」だ。幼い頃、おばあちゃんが作っ
てくれたような懐かしい味がするハンナのクッキーに、レイク・エデンの人々は大人
も子供も目がないようだ。

 シリーズ3作目の "BLUEBERRY MUFFIN MURDER" はこの3月に発売される予定で、
4作目もタイトルは "LEMON MERINGUE PIE MURDER" に決まっているという。1作目
の"CHOCOLATE CHIP COOKIE MURDER" から続いてなんともおいしそうなタイトルばか
りで、お腹が減っているときにこのシリーズを読むのは危険かもしれない。
                                (松本依子)

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 ■翻訳家インタビュー ―― 匝瑳玲子さん

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 今月は、ハヤカワ文庫より昨年12月に『監禁治療』を出された、匝瑳玲子さんにお
話をうかがいます。
+―――――――――――――――――――――――――――――――――+
|《匝瑳玲子(そうされいこ)さん》 1960年静岡県生まれ。青山学院大学文学部
|卒。98年、医学ドキュメンタリー『緊急救命室』(イーサン・ケイニン他/朝日
|新聞社)を玉木享氏らと共訳し、翻訳家としてデビューする。99年には古代史ノ
|ンフィクション『消されたファラオ』(グレアム・フィリップス/朝日新聞社)
|の翻訳を手掛ける。
+―――――――――――――――――――――――――――――――――+
――匝瑳さんが翻訳に出会ったのは、どんなことがきっかけですか。
「米国在住の知人が東京にいる私に、ビジネス関係の翻訳を一緒にやらないかと誘っ
てくれたのがきっかけです。その頃はまだ景気もよく、仕事もいろいろありました。
ジョージ・ルーカスの仕事をしたこともありましたよ。その知人は、打ち合わせとい
うことでルーカスの広大な牧場に招待され、ランチをご馳走になったそうです。東京
にいた私は、ちょっと羨ましかったですね」

――その後もそのお仕事が順調にいったわけではないのですね。
「はい。不況とともに仕事も減って、最後には無期休業という残念な結果になりまし
た。でもこの仕事のおかげで、もともと“ことば”に強く惹かれていた自分を思い出
したんですね。中学、高校と谷川俊太郎や八木重吉の詩が大好きでした。私の思う
“ことばの魅力”とは、たとえば“たった一言で人を殺せるほどの力を持っている”
ところでしょうか。それで本格的に勉強してみたくなり、翻訳学校に通い始めました。
実は今でも通っていますが、ことばというのは関われば関わるほど奥深いものだと実
感しています。先生に教えていただきながら、とにかく書いてみる、訳してみること
の大切さがよくわかりました」

――『ハンニバル』の戦慄と『24人のビリー・ミリガン』の迫力をあわせもつサイコ
・サスペンス、と評判の高い『監禁治療』を訳されていかがでしたか。
「この物語の中心人物は、解離性同一性障害(多重人格)の連続殺人犯マックスです。
彼を追うFBI捜査官と、彼に誘拐されセラピーを施すことになる精神科医との絡み
の中で、マックスの半生が明らかになっていきます。その過程が本書の読みどころで
すが、著者が実際にこの障害を持つ人たちの手記に触発されたといっているだけあっ
て、かなりリアルな描写が続きます。私も何度となく心をえぐられる思いをしました。
難しかったのはマックスの9つの人格をどう訳し分けるかということです。思いっき
り感情移入しながらも、それをあまり前面に出さないよう意識しました。また精神医
学用語が頻出するので、訳注を入れることで読者の皆さんの気をそいでしまわないか
とかなり心配しました」

――今後のご予定は?
「3月下旬か4月上旬に『死海文書の謎を解く』(ロバート・フェザー/講談社)が
出る予定です。50年前に死海のほとりで発見されたいわゆる『死海文書』の中に、
「銅の巻物」という、宝物のリストではないかといわれている一風変わった巻物があ
ります。本書は英国の冶金学者がその「銅の巻物」の謎に迫り、ユダヤ教とエジプト
の関係を明らかにしていく歴史ノンフィクションです。正統派の研究書ではありませ
んが、古代史ならではの“想像力を働かせる愉しみ”を満喫させてくれます。古代史
は完全に解明されていないぶん夢とロマンがいっぱい詰まっている、まさしくミステ
リーの世界ですね。興味が尽きません。本書の翻訳にはおととしから丸2年かけて取
り組んできました。著者とも何度もメールでやり取りをしましたし、訳者としてとて
も思い入れのある本です。今は調べものに愉しみを見出しているのでノンフィクショ
ン好きに拍車がかかっていますが、『監禁治療』でフィクション翻訳のおもしろさを
体験させていただいたので、少しずつ守備範囲を広げていけたらなと思っています」
                         (取材・構成 宇野百合枝)

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 ■注目の邦訳新刊レビュー ――『雨の牙』

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『雨の牙』"RAIN FALL"
 バリー・アイスラー/池田真紀子訳
 ヴィレッジブックス(ソニー・マガジンズ)/2002.01.20発行 760円(税別)
 ISBN:4-7897-1802-6

《国際都市・東京を舞台に、今戦いの幕が上がる――暗殺者レイン初登場》

 人口1200万の国際都市、東京。そこに一人の男がひっそり暮らしていた。その名は
ジョン・レイン。日米ハーフで日本語を楽々と操り、殺しで生計を立てている。彼へ
の依頼が途切れない理由は、自然死に見せかける技術に長けているからだ。今回のタ
ーゲットは国土交通省のキャリア官僚、川村。尾行の末、山手線の車内で殺害。計画
どおりに仕事は済んだが、現場で不審な白人を見かける。
 気晴らしにジャズを聴こうとクラブ〈アルフィー〉へ立ち寄った彼に、ママがデビ
ューを控えたジャズピアニスト、みどりを紹介する。ママからみどりが川村の娘であ
ることを聞いたジョンは愕然とする。時遅く、彼はすでにみどりに惹かれはじめてい
た。さらに、川村殺害についての気がかりな点を洗っていたジョンに、みどり殺害の
依頼が舞い込んだ。心に迷いを感じながらも、ジョンはあちこちから命を狙われてい
るみどりを助ける側につく。みながそこまでして狙うものは、1枚のディスクだった。
それは、日本の行く末を大きく左右するダイナマイトのような代物だった。
 最初この小説に目が止まったのは、日本を舞台に殺し屋が暗躍するというあまりな
いプロットだったためだ。著者は、過去日本に3年在住し、現在は日系企業の顧問弁
護士で、日米を往復している。柔道は黒帯の腕前で、講道館での稽古の描写や格闘シ
ーンがリアルなのは、そのためであろう。この作品は、出版が決定している他の十数
か国に先駆けて日本で刊行された。これは本国アメリカよりも先である。
 住んでいても東京が異国のように見えた時期が、わたしにもある。下町に代表され
る古き良き東京、それに六本木や渋谷に代表される時代の先端を行く東京。そのギャ
ップが不可解でもあり魅力でもある。そのアンバランスな魅力を、著者はうまく捉え
ている。それがこの作品をお薦めする第1の理由。
 第2に、義兄弟とまで誓い合った親友ジミーとのベトナム従軍時代のエピソードが
ある。話の底辺に流れている哀しみは、実はこのエピソードに端を発しており、読み
進むうちに強さを増してゆく。さらに、何も言わずに協力してくれる天才ハッカーで
あるハリーこと晴義、それに警察庁捜査課のキャリアであるタツこと石倉達彦など、
脇役もいい味を出している。次回作が楽しみな新人が、また誕生した。
                                (大越博子)

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 ■ミステリ雑学 ―― アメリカ公民権運動の落とし子

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 2001年のMWA新人賞にノミネートされた『危険な道』(クリス・ネルスコット/
延原泰子訳/ハヤカワ・ミステリ)は、1968年2月の米国テネシー州メンフィスを舞
台にしている。米国史に明るい読者ならこの設定にぴんとくるだろう。黒人市民によ
る暴動が頻発した騒乱期のおわりにあたるのが1968年。公民権運動の指導者であった
マーチン・ルーサー・キング牧師が凶弾により命を奪われた場所がメンフィス。つま
り『危険な道』は、キング牧師が暗殺される直前の時期を背景とした物語なのだ。主
人公の私立探偵スモーキーは黒人で、キング牧師とは幼なじみという設定だ。また、
事件そのものも、この時代抜きには成立しえないものとなっている。

 非暴力という手段で黒人の公民権を求めるキング牧師らの運動は、有名な "I have
a dream..." 演説を行った1963年のワシントン大行進と、翌年の公民権法の制定によ
り一応の結実をみた。だが法律上の自由はかちえたといっても、白人のなかから黒人
差別の思想がすっかり消えたわけではなかった。とりわけ "the Deep South" と呼ば
れ、古い慣習とともに黒人蔑視がもっとも色濃く残るミシシッピ、ジョージア、アラ
バマなどの南部諸州では、その傾向が強かった。またニューヨーク、ロサンゼルス、
シカゴなどの都市部でも、黒人の貧困者階層の集まるスラムで白人が黒人を襲撃する
事件が起き、それに反発する黒人たちが暴動を起こすという事件がくりかえされるよ
うになった。この暴動の発生した1964年から68年ごろを「長く暑い夏」という。
 そんなさなか、1966年に設立されたのが「ブラック・パンサー党」(Black Panther
Party for Self-Defense)だった。もともと、黒人の住む貧民街で、住民を白人警官
などの襲撃から守るための自警組織として発生したものだった。だが、当時は黒人優
越思想や、白人と手をつなぐのではなく黒人自身で社会的独立をめざす黒人分離の思
想が、「ブラック・パワー」というスローガンとともに黒人社会で支持を獲得しつつ
あった。ブラック・パンサー党はこのブラック・パワーの思想に影響を受けてしだい
に反体制、反政府色を強めていき、最盛期には2000人ほどのメンバーを擁して、FB
Iからマークされる反社会集団となった。『危険な道』のなかでもブラック・パワー
に心酔する若者たちのようすが描写されており、平和集会に乱入し、妨害するブラッ
ク・パンサー党員がやっかいなものとして扱われている。そのとおり、60年代末期の
黒人社会は、もはやキング牧師のもとに結束しているとはいえなくなっていた。

 1970年代に入り、創設者が白人警官を殺害した容疑で投獄されると、ブラック・パ
ンサー党は各地で警官との衝突をくりかえした。だがその攻撃的な思想が黒人社会か
らも受け入れられなくなり、1980年代に解散した。現在では同じ名前ながら合法的活
動を行う団体として存続しており、インターネット上でアメリカ社会に求める10項目
を掲げている(http://www.blackpanther.org/TenPoint.htm)。ここには、「われわ
れは自由を求める」という宣言を筆頭に、黒人の雇用の確保や、搾取の禁止、十分な
住環境や教育などを要求する文章が掲げられている。
 いまでは政治的、社会的に黒人が公然と差別されることはなく、人種に配慮した政
策もとられている。だが非暴力と暴力による戦いの記憶は30数年を経てなお残ってお
り、それを忘れないために黒人社会は声を上げつづけているといえるだろう。
                                (影谷 陽)

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■スタンダードな1冊 ―― クラム・チャウダーは涙の味

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 今月の特集がクッキング・ミステリということなので、こちらでも料理上手な主婦
が活躍するミステリを紹介しよう。シャーロット・マクラウドの『納骨堂の奥に』だ。

 ボストンの旧家ケリング家に生れたセーラは、同じ一族の出身者で22歳年上の夫と、
目と耳は不自由だが気の強い姑と共に、高級住宅街のビーコン・ヒルで暮らしていた。
11月のある日、150年近く閉ざされていた一族の納骨堂の扉を開ける場に、セーラは
立ち会った。すると、中から死後100年以上経っているとは思われない女性の他殺死
体が出てくる。その場に居合わせた老人が、歯に埋め込まれたルビーを見て、その女
性が30年ほど前に行方不明となったストリッパー、ルビー・レッドであると証言する。
だが150年近く開かれていないはずの納骨堂に、なぜ彼女の死体が入っていたのか?
この死体発見以降、夫と姑の死などの悲運に見舞われ、セーラの人生は大きく変わっ
ていく。

 自動車ごと崖から転落して死んだ夫と姑の身元確認をした後、滞在先の別荘まで連
れ帰ってくれた警官に、セーラが料理を勧める場面がある。彼女が振舞ったのは、ニ
ューイングランド地方の代表料理であり夫の好物だったクラム・チャウダー。夫と姑
がドライブに出た後、時が経つのも忘れて作っていた料理だった。チャウダーの用意
をしようとした時、それまで張りつめていた神経がぷっつりと切れ、セーラは泣き出
してしまう。その後警官を送り出すまでの間は、最愛の夫を亡くしたばかりのセーラ
の心情や彼女の気丈な一面が出ていて、印象的な場面のひとつとなっている。
 マクラウドは素人探偵が活躍するミステリの先駆者であり、彼女の作品はユーモア
やコージーに分類されることが多い。だがセーラのシリーズは、他のシリーズと比べ
てトーンがやや暗い。特に1作目である『納骨堂の奥に』はその傾向が強い。これは
セーラをめぐる家族の悲劇が描かれているためと思われる。しかしそこはマクラウド
のこと、ユーモアや、ケリング家の人々をはじめとして後にセーラと結婚するマック
スなど、個性豊かな登場人物を配することも忘れてはいない。
 1979年から始まったこのセーラ・ケリング・シリーズは、東京創元社と扶桑社から
10作目の『復活の人』までが翻訳されている。またマクラウドは架空の町バラクラヴ
ァ・ジャンクションが舞台のシャンディ教授のシリーズを発表し、アリサ・クレイグ
名義でも2つのシリーズを書いている。どのシリーズも、ほとんどの翻訳作品を新刊
書店で買うことができる。

【今月のスタンダードな1冊】
『納骨堂の奥に』シャーロット・マクラウド著/浅羽莢子訳/創元推理文庫
"THE FAMILY VAULT" by Charlotte MacLeod
                              (かげやまみほ)

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■速報 ―― アガサ賞ノミネート作品発表

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 マリス・ドメスティック主催によるアガサ賞のノミネート作品が発表になった。主
要部門のノミネートは以下のとおり。受賞作は5月3日(現地時間)から、ヴァージ
ニア州アーリントンで行われる、第14回マリス・ドメスティック・コンヴェンション
の参加者の投票によって決定される。

●最優秀長篇賞
 "MURPHY'S LAW"      by Rhys Bowen
 "ARKANSAS TRAVELER"    by Earlene Fowler
 "DEAD UNTIL DARK"     by Charlaine Harris
 "SHADOWS OF SIN"     ロシェル・メジャー・クリッヒ
 "THE BRIDE'S KIMONO"   スジャータ・マッシー

●最優秀処女長篇賞
 "INNKEEPING WITH MURDER" by Tim Myers
 "MUTE WITNESS"      by Charles O'Brien
 "A WITNESS ABOVE"     by Andy Straka
 "BUBBLES UNBOUND"     by Sarah Strohmeyer
 "AN AFFINITY FOR MURDER" by Anne White

●最優秀短篇賞
 "Bitter Waters"      ロシェル・メジャー・クリッヒ (CRIMINAL KABBALAH)
 "Virgo in Sapphires"   マーガレット・マロン
              (Ellery Queen's Mystery Magazine, December 2001)
 "The Peculiar Events on Riverside Drive"
              by Maan Meyers (MYSTERY STREET)
 "The Would-Be Widower"  キャサリン・ホール・ペイジ (MALICE DOMESTIC 10)
 "Juggernaut"       ナンシー・スプリンガー
              (Ellery Queen's Mystery Magazine, June 2001)

詳しい情報は、以下のサイトで見ることができる。
http://www.malicedomestic.org/
                              (かげやまみほ)

―――――――――――――――――――――――――――――――――
■編集後記■
 わが編集部は食いしん坊がそろっているので、料理をうまく取り入れた「おいしそ
うな」ミステリを特集してみました。4月号では、先頃発表されたMWA賞最優秀処
女長編賞にノミネートされた5作品のレビューを一挙公開! お楽しみに。 (片)

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 海外ミステリ通信 第7号 2002年3月号
 発 行:フーダニット翻訳倶楽部
 発行人:うさぎ堂 (フーダニット翻訳倶楽部 会長)
 編集人:片山奈緒美
 企 画:板村英樹、宇野百合枝、大越博子、影谷 陽、かげやまみほ、
     小佐田愛子、中西和美、松本依子、水島和美、三角和代、
     山田亜樹子、山本さやか
 協 力:@nifty 文芸翻訳フォーラム
     小野仙内
 本メルマガへのご意見・ご感想 :whodmag@office-ono.com
 フーダニット翻訳倶楽部の連絡先:whodunit@mba.nifty.ne.jp
 http://www.nifty.ne.jp/forum/flitrans/whodunit/index.htm
 配信申し込み・解除/バックナンバー:
 http://www.nifty.ne.jp/forum/flitrans/whodunit/magazine/index.htm

 ■無断複製・転載を固く禁じます。(C) 2002 Whodunit Honyaku-Club
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             月刊 海外ミステリ通信
              2002年2月号 号外
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★速報
 MWA賞ノミネート作品
 ハメット賞ノミネート作品

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 ■速報1 ―― MWA賞ノミネート作品発表

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 アメリカ探偵作家クラブ主催による第56回MWA賞のノミネート作品が発表になっ
た。主要4部門のノミネートは以下のとおり。受賞作の発表は5月2日(現地時間)、
ニューヨークの〈グランド・ハイアット・ホテル〉における晩餐会の席上でおこなわ
れる。

●最優秀長篇賞
 "THE JUDGEMENT"      D・W・バッファ
 "TELL NO ONE"       ハーラン・コーベン
 "MONEY, MONEY, MONEY"   エド・マクベイン
 "SILENT JOE"        T・ジェファーソン・パーカー
 "REFLECTING THE SKY"    S・J・ローザン

●最優秀処女長篇賞
 "OPEN SEASON"       by C. J. Box
 "RED HOOK"         by Gabriel Cohen
 "LINE OF VISION"      by David Ellis
 "GUN MONKEYS"       by Victor Gischler
 "THE JASMINE TRADE"    by Denise Hamilton

●最優秀ペイパーバック賞
 "ADIOS MUCHACHOS"     by Daniel Chavarria
 "HELL'S KITCHEN"      ジェフリー・ディーヴァー
              (ウィリアム・ジェフリーズ名義)
 "THE MOTHER TONGUE"    by Teri Holbrook
 "DEAD OF WINTER"      by P.J. Parrish
 "STRAW MEN"        by Martin J. Smith

●最優秀短篇賞
 "The Abbey Ghosts"     ジャン・バーク (AHMM, January 2001)
 "The Horrible Senseless Murder of Two Elderly Women"
               マイクル・コリンズ (Fedora)
 "If the Glove Fits"    マイクル・Z・リューイン (EQMM, Sept/Oct 2001)
 "Virgo in Sapphires"    マーガレット・マロン (EQMM, December 2001)
 "Double-Crossing Delancy" S・J・ローザン (MYSTERY STREET)

その他の部門については以下のサイトで見ることができる。
http://www.mysterywriters.org/awards/edgars_02_nominees.html
                               (山本さやか)

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 ■速報2 ―― ハメット賞ノミネート作品発表

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 国際推理作家協会北米支部主催のハメット賞のノミネート作品が発表になった。受
賞作の発表は9月27日(現地時間)におこなわれる。

 "KINGDOM OF SHADOWS"   by Alan Furst
 『ミスティック・リバー』 デニス・ルヘイン(加賀山卓朗訳/早川書房)
 "SILENT JOE"       T・ジェファーソン・パーカー
 『曇りなき正義』     ジョージ・P・ペレケーノス
              (佐藤耕士訳/ハヤカワ文庫)
 "HOLLOWPOINT"       by Rob Reuland
                               (山本さやか)


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 海外ミステリ通信 2002年2月号 号外
 発 行:フーダニット翻訳倶楽部
 発行人:うさぎ堂 (フーダニット翻訳倶楽部 会長)
 編集人:片山奈緒美
 企 画:板村英樹、宇野百合枝、影谷 陽、かげやまみほ、小佐田愛子、
     中西和美、松本依子、水島和美、三角和代、山田亜樹子、
     山本さやか、吉田博子
 協 力:@nifty 文芸翻訳フォーラム
     小野仙内
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 フーダニット翻訳倶楽部の連絡先:whodunit@mba.nifty.ne.jp
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 ■無断複製・転載を固く禁じます。(C) 2002 Whodunit Honyaku-Club
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             月刊 海外ミステリ通信
          第6号 2002年2月号(毎月15日配信)
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★今月号の内容★
〈特集〉        シャロンとディライラ、ふたりの女性探偵
〈翻訳家インタビュー〉 宮内もと子さん
〈注目の邦訳新刊〉   『どんづまり』『ロージー・ドーンの誘拐』
〈ミステリ雑学〉    米国の「保釈金保証」のしくみ
〈スタンダードな1冊〉 『マルタの鷹』


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 ■特集 ―― シャロンとディライラ、ふたりの女性探偵

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 1970年代、アメリカのミステリ界でプロフェッショナルな女性探偵のさきがけとな
る2人のキャラクターが生まれた。マーシャ・マラーの書くシャロン・マコーンと、
マクシン・オキャラハンの書くディライラ・ウェストである。ともにシリーズ・キャ
ラクターとして長く活躍しながら、日本での紹介が止まっていることで共通している。
今月はこの2シリーズを、最新作のレビューとともに紹介する。

●シャロン・マコーン~仕事に厳しく、人にやさしく

 マーシャ・マラーは、ミシガン州デトロイトで生まれた。友人から借りて読んだロ
ス・マクドナルドの小説に触発されてミステリを書き始め、1977年にシャロン・マコ
ーン・シリーズの1作目『人形の夜』を発表した。だがその後出版社が方針転換しミ
ステリの出版をやめたことから、マラーは作品を発表する場を失ってしまう。その結
果2作目の『タロットは死の匂い』は、5年後の1982年まで日の目を見なかった。偶
然にもこの年1982年に、スー・グラフトンがキンジー・ミルホーンを、サラ・パレツ
キーがV・I・ウォーショースキーを世に送り出している。この現象は、女性の社会
進出が本格化し始めたことと関係があるとも言われているが、確証はない。ともかく
この年を境に、多くの女性探偵たちが小説の中で活躍することになった。そしていち
早く、自立した女性が主人公の長篇ミステリを書いたマラーは、今では「現代女性私
立探偵小説の母」と呼ばれている。マコーンのシリーズは、本国アメリカでは長篇21
冊、短篇集2冊が出版され、2000年のアンソニー賞では「20世紀の最も優れたシリー
ズ」にノミネートされた。また1993年には、PWA(アメリカ私立探偵作家クラブ)
からその功績をたたえられ、功労賞にあたる巨匠賞「ジ・アイ」を女性として初めて
受賞した。現在のところ、この賞を受賞した女性作家はマラーとマクシン・オキャラ
ハンの2人だけである。
 アメリカではかなり人気があり、女性探偵が活躍するミステリの先駆者として認め
られているマラーだが、残念ながら日本ではグラフトンやパレツキーほどには知られ
ていない。現在までに翻訳された長篇は、長年のパートナーであるビル・プロンジー
ニとの共作『ダブル』を含めても8冊にすぎず、今ではそのどれもが新刊書店で手に
入らない。とりわけ80年に翻訳された1作目の『人形の夜』は、古書店でもめったに
見かけなくなってしまった。それでも短篇がたまに雑誌に載ったり、アンソロジーに
収録されたりしているので、シャロンの活躍を目にする機会が全くなくなったわけで
はない。だがグラフトンやパレツキーの長篇がコンスタントに翻訳され続けているこ
とを考えると、決して恵まれているとはいえない。
 だが翻訳が止まってしまったのが惜しいほど、物語は面白いしシャロンは魅力的だ。
シャロン・マコーンはサンディエゴ出身。髪は黒く、肌は褐色である。ハード・ボイ
ルドの探偵らしく、頑固で強い信念と義憤とプロ意識を持つ。調査を引き受けると最
後まで追及の手を緩めず、どんな脅しにも屈しない。反面、情に流されるほど甘くは
ないが、弱者に対しては優しさと思いやりをもって接する。ハーシーの板チョコを1
枚食べただけ、と仕事に熱中しだすと食事も忘れてしまう日もある。納得して終わら
せた恋を、なかなか吹っ切れずにいることもある。70年代の後半に登場した人物にも
かかわらず、シャロンはバリバリと仕事をこなして、キャリアを積んでいこうとした
80年代タイプの女性ではない。仕事も恋も両立させて、自分らしく肩肘張らずに生き
ていく90年代タイプのように見える。彼女の仕事のやり方は、事件の関係者に会って
話を聞くことを繰り返し、真相に近づいていくというものだ。だから拳銃を携帯する
ことはほとんどないし、派手なアクションシーンもない。事件は深刻なのに、登場人
物のほとんどが善人で、物語全体に古きよき時代のアメリカの匂いがする。90年代に
入ってハード・ボイルドとコージーの狭間にあるミステリが生まれてきたが、シャロ
ンの物語もその中にあるのではないか。となると、マラーは女性探偵のさきがけだけ
ではなく、新しい形のミステリを誰よりも早く提示したのかもしれない。
『人形の夜』当時のシャロンは29歳で、友人の弁護士が創設者の1人となっている、
サンフランシスコのオール・ソウルズ法律家協同組合で、調査員として働いていた。
この中でシャロンは生まれて初めて、殺人事件の調査をすることになる。その後、多
くの殺人事件と係わりあうようになるのだが、前述したとおりシリーズは8作しか訳
されていない。原書で読もうとしない限り、1989年に出版され1995年に翻訳された11
作目の『奇妙な相続人』以降のシャロンの活躍は、短篇で断片的に知るほかはない。
しかし90年代に入って、シャロンにさまざまな変化が訪れている。80年代にはいずれ
も長続きしなかった異性関係は、90年代に入ってからハイ・リピンスキーというパイ
ロットに落ちついている。仕事面では、長年勤めていたオール・ソウルズ法律家協同
組合を辞め、自分の探偵事務所を構えた。事務所のスタッフとしては、一番弟子のレ
イ・ケルハーや甥のミック・サヴェッジなどがいる。そしてたまにひょっこりと昔の
恋人たちの名前が出たり、その当の本人が登場したりするのも、シリーズ・ファンに
は見逃せないところだ。また2000年に出版され、アンソニー賞とシェイマス賞にノミ
ネートされた最新作の "LISTEN TO THE SILENCE" で、シャロンは大きな転機を迎え
た。この体験は彼女を変えたのかそれとも変えなかったのか、次回以降の作品が楽し
みである。シャロン・マコーン・シリーズの次の作品タイトルは "DEAD MIDNIGHT"
で、今年6月の発売予定になっている。            (かげやまみほ)

◆マーシャ・マラー 関連サイト
 http://www.twbookmark.com/authors/67/463/

                   ●

"LISTEN TO THE SILENCE" by Marcia Muller
Mysterious Press/2000.07/ISBN: 0892966890

《父の死であきらかにされた、シャロン出生の秘密とは》

 シャロンは父の突然の訃報を受け、急遽サンディエゴの実家に戻った。両親は数年
前に離婚して、母は他の男性と暮らしており、他の兄妹たちはそれぞれ事情で戻れな
いため、長兄のジョンとふたりきりで父を弔う。その夜、兄から、父が自分の死後ガ
レージの片付けはシャロンにやって欲しいと言い残していたことを聞かされる。父の
がらくたが詰まったガレージを片付けはじめたところ、ある箱のなかから、彼女の出
生について衝撃的な事実が記載された1枚の証明書を発見する。母のもとに駆けつけ
てことの真相を問いただすが、母はシャロンがそれを見つけるように仕向けた元夫を
罵り、頑として何も語ろうとしない。手がかりを求めて叔父を訪ねてみれば、母から
何も話さないようにと電話があったことを聞かされて、ますます母に対する怒りをつ
のらせるシャロン。母がそこまでひた隠しにする理由はなんなのか。不安を抱えつつ
も真実を求めてモンタナ、そしてアイダホに飛び、自らのルーツを調べていくと、1
人の女性が浮かび上がってくるが――。
 本作でシャロンは41歳の誕生日を迎える。独立後のビジネスは順調で、ことあるご
とに「あんたみたいな女の子が私立探偵?」といぶかしがられていた若い女性の姿は
もうここにはない。肩肘を張らず、一歩一歩道を切り開いて成功した、自信に満ちた
大人の女性、それが今のシャロンである。そんなシャロンに降りかかった今回の事件
は、彼女を取り巻く世界を一変させるものだったが、意志の強さや、ねばり強い聞き
込みで真実を突き止めていく姿勢は変わらない。シリーズ21作目となる本作は、マラ
ーの作品に共通するプロットの秀逸さがさらに冴えを見せ、最後まで気が抜けないど
んでん返しが隠されている。転機を迎えたというにふさわしい作品である。
                                (松本依子)

●ディライラ・ウェスト~亡き夫の思い出を胸に、ひとり歩み続ける

 シャロン・マコーンのデビューに先立つ1974年に、短篇 "A CHANGE OF CLIENTS"
で登場したのが、マクシン・オキャラハンの手になる女性探偵ディライラ・ウェスト
である。訳書は2冊のみで日本ではあまり知られていない存在だが、米国ではこれま
で長篇6作が刊行されているシリーズだ。
 主人公のディライラについてざっと紹介すると、こんなふうになる。私立探偵、カ
リフォルニア州サンタ・アナ在住。容姿は本人によれば「どれをとっても平均点」で、
シナモンのような茶色の髪に、ハイネケンのビール瓶のような緑の瞳。幼いころに母
親を、大学生のときに警官だった父親をなくし、自身も一度は警官となり、のちに退
職――。だが、こうしたプロフィール以上にディライラという人物を特徴づけている
のは、愛する人との死別によって受けた深い喪失感である。

 ディライラには、目の前で何者かに夫のジャックを射殺されたという過去がある。
ともに〈ウェスト&ウェスト探偵社〉を開き、よきパートナーであった夫が命を奪わ
れたことから、絶望と無力感に襲われたディライラは、仕事が手につかないほどの状
態に陥ったまま半年が経つ。そんななかで、わずかな手がかりをもとに夫を殺した犯
人を追い、かたきを取るまでが、長篇第1作である『永遠に別れを』(成川裕子訳/
創元推理文庫/原著1980)で描かれる。
 だが、それでディライラの絶望が消えたわけではない。第2作である "RUN FROM
NIGHTMARE"(1982)でも依然として悪夢に悩まされ、職業として探偵を続けていける
のかという疑問を抱いている。友人の依頼で失踪した女を捜し続けながらも、心中に
は捜す相手はもう生きていないのではないかという思いがつねにある。ふたたび死を
目にすることへの恐れを、無意識のうちに持ってしまっている。だが、その感情が事
件解決への妨げになっているのではないか、そう気づくところでこの物語は終わる。
 2作には共通して、深い絶望感が漂っている。自分の半身といってもよいほど愛し、
信頼していた夫の死を乗り越えるのは彼女にとってたやすいことではない。というよ
り、乗り越えようとすらしておらず、ともすれば悲嘆しながら一日中自室に閉じこも
っていたいと考える。その嘆きはさっそうとした仕事ぶりや精神的な自立といった、
現代的な探偵小説の主人公に期待されるものからはかなりかけ離れているが、ひとり
の人間として見ると強い印象を残す。
 その後、続編を書く機会に恵まれなかったオキャラハンは、ホラーなどを書きつづ
けたあと、出版社を変えてシリーズ第3作『ヒット&ラン』(成川裕子訳/創元推理
文庫/原著1989)を発表した。7年のブランクを経て前作までの暗さは一掃され、活
動的な探偵ディライラが姿を見せる。ただし、仕事が減り、食堂でアルバイトをしな
ければ食べていけないという困窮ぶりで、お世辞にも格好よいとはいいがたい。自宅
か事務所のどちらかを手放さなければならなくなったディライラは、自宅を手放すほ
うを選び、事務所の床に寝袋を敷いて寝る生活に入る。この選択にはプロとしてのた
くましさを感じるが、それだけではなく、夫と開いた事務所を閉じたくないという強
いこだわりでもある。また、この作品で出会った不動産会社オーナーのエリックや弁
護士のマットなどの男性とは親密な関係になるが、最良の相手とする気にはなかなか
なれない。ディライラの中では折にふれ、パートナーであった夫と暮らした思い出が
去来する。嘆き悲しむ段階を過ぎたあとも夫は過去の人とはならず、存在しつづけて
いる。ディライラの場合、有能な探偵でもあった亡き夫に恥ずかしくないよう生きる
ことが、プロとして働いていく理由のひとつなのかもしれない。

 このシリーズは、失踪者捜しや護衛といった依頼をきっかけにして、関係者の隠さ
れたつながりを徐々に明らかにしていくというパターンが多い。また、調査活動の中
で危険な場面がしばしば登場する。"RUN FROM NIGHTMARE" では事件関係者宅を訪れ
たディライラがいきなり狙撃される。第4作 "SET-UP"(1991)では、依頼人の脅迫
犯と殺人事件の真相を追う過程で、自分の事務所を爆弾で破壊されて大けがを負うと
いったぐあいに、どの作品でも満身創痍といってもよいくらいに負傷する。ディライ
ラは特に銃の腕が立つわけでも、武道に秀でているわけでもなく、現在華々しく活躍
する個性派の女性探偵たちとくらべると、いかにも地味だ。そんな彼女が危険にもひ
るまずに立ち向かっていくところが、シリーズの読みどころのひとつでもある。
 第5作 "TRADE-OFF"(1994)のあと、第6作 "DOWN FOR THE COUNT" を1997年に発
表したオキャラハンは、1999年にPWAの功労賞「ジ・アイ」を受賞した。その後、
続編は発表されていないが、2000年に行われたインタビューでは、執筆する気持ちは
あると語っている。誕生から28年をすぎてディライラ・シリーズの新作が書かれると
したら、今度はどんな姿で読者の前に現れるのだろうか。      (影谷 陽)

◆マクシン・オキャラハン オフィシャルサイト
 http://users.aol.com/maxineoc/max1.htm

                    ●

"DOWN FOR THE COUNT" by Maxine O'Callaghan
St. Martin's/1997.11/ISBN: 0312168209

《拉致されたディライラは、大切な人の娘の命を救えるか》

 クリスマス間近の休日、にぎわうショッピングモールへ知人の娘とともに買い物に
やってきたディライラ。そこで突然、銃の乱射事件が起きる。たまたまそばにいて助
けだした少年ブライアンは、ディライラが私立探偵だと知ると、行方不明になった父
親を捜し出してほしいと頼みにくる。
 一方、交際中の男性エリックを訪ねていった別荘で、ディライラは18歳になるエリ
ックの娘、ニッキとはじめて顔を合わせる。両親の離婚により父親と暮らしているニ
ッキはディライラをあからさまに嫌うが、エリックはなんとかふたりを近づけようと
ランチの席をもうける。しかし、レストランへドライブしていく途中、ディライラと
ニッキは何者かに襲われ、拉致されてしまう。
 これまで何度も危ない場面に遭遇してきたディライラだが、今回は自分自身だけで
なく周囲の人々までも事件に遭遇してしまったことで、最大の窮地を迎えた。拉致犯
の目的は裕福なエリックの金か、あるいはディライラへの復讐なのか。エリックの娘
を守ろうと、苦しみながらもおのれの判断で事態を切り開こうとするディライラの行
動ぶりには成熟がうかがえる。ありったけの所持金をはたいて10ドルを差し出したブ
ライアンの依頼を快く受けるところや、わがままにふるまうニッキを厳しく諭すとこ
ろなど、細かなエピソードにもディライラの魅力のひとつである優しさが表れている。
また、事態がさらに緊迫の度を増していく中で、ディライラとエリックの関係も変化
していかざるを得ない。スリリングな展開と人間関係の進展が絡み合い、密度の高い
ドラマが描き出される。1998年シェイマス賞長篇部門ノミネート作。 (影谷 陽)

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 ■翻訳家インタビュー ―― 宮内もと子さん

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 今月はハヤカワ文庫より昨年12月に『成り上がりの掟』を出された宮内もと子さん
にお話をうかがいます。
+――――――――――――――――――――――――――――――――――+
|《宮内もと子さん》 1961年山口県生まれ。上智大学外国語学部フランス語学科|
|卒。初めての訳書は、『リユニオンズ――死者との再会』(レイモンド・ムーデ|
|ィ、ポール・ペリー/同朋舎出版)。その他の訳書に『パリに眠れ』(シャーロ|
|ット・カーター/ミステリアス・プレス)、『シャドウ・ファイル/潜む』(ケ|
|イ・フーパー/ハヤカワ文庫NV)など。                 |
+――――――――――――――――――――――――――――――――――+
――翻訳に携わるようになったきっかけをお聞かせください。
「大学卒業後、特許事務所に数年勤めて退職したあと、語学学校や翻訳学校で日本語
教授法や翻訳など、“ことば”に関わる分野の勉強をいくつか並行して進めました。
どれも刺激的でおもしろかったし、相互に参考になるところがありましたが、いちば
ん性に合っていると感じたのが翻訳で、気がついたらそれにのめりこんでいました。
近所に買い物に出かけたときに、しっくりこない訳語のことをあれこれ考えはじめて、
気がついたら寄るはずの店の前を通り過ぎていた、ということがありましたね」

――翻訳修業時代とデビューのきっかけはどのようなものでしたか?
「翻訳学校で学んでいたときに、数人の先生のもとで下訳をさせていただきました。
作品のタイプも違えば、先生方の加筆のしかたもさまざまで、そうした下訳経験がい
ちばんの勉強になったような気がします。調べもののしかたなども実践で身につけて
いきました。インターネットが使えるいまは夢のようですが、当時は飛び込みで銃砲
店に話を聞きにいったり、参考にした本の著者に手紙を書いたりと、できることを必
死でやっていました。上級クラスで勉強しつつ、実務系の小さな翻訳の仕事などを学
校の紹介でやっているうちに、担当の先生に認めていただき、出版社への紹介を受け
たのがデビューのきっかけです」

――ミステリで、お好きな作家や分野がありますか?
「いまいちばん好きなのはキャロル・オコンネル。独特な人物造形と幻想的な作風に
ひかれます。フィクション全般についていえば、スプラッタではなく人の心理の描き
方でしみじみ怖いと思わせるような物語が好きです。亡くなった作家ですが、シャー
リイ・ジャクスンなど。ところでガイ・バートという英国の若手作家の『体験のあと』
という作品が集英社から出ていまして、それが映画化にあたって、アーティストハウ
スから『穴』というタイトルで今春刊行されることになりました。これは私が訳のお
手伝いをさせていだいたのですが、不穏な空気を充満させておいて最後にあっといわ
せる手口と、深読みしたくなる凝った作りで読ませる作品です。今後はチャンスがあ
れば、このようなホラー系の話や奇妙な味の話をやってみたいと思っています」

――昨年末に出た『成り上がりの掟』はボクシング界やら賭け屋やらが舞台でした。
用語やスラングでのご苦労があったのではないかと思いますが。
「ボクシングは書籍資料や用語集のサイトが結構あるのでまだいいのですが、ギャン
ブル、というか違法賭博の方は大変でした。ハンデのつけ方や電話での賭けの受け付
けなどは、システムがわからないと話にならないけれど、その手の“まじめな”解説
書があるとは思えない……日本でいえば野球賭博が近いだろうとあたりをつけ、それ
を題材にした小説をあさって、同様のシステムを描いたものを見つけたときには小躍
りしました。安部譲二さんのエッセイなどもありがたく参考にさせてもらい、その筋
の(?)語彙収集に努めました」

――次の訳書のご予定は?
「前作は男たちの友情と闘いを描いた明るいクライムノベルでしたが、今度はうって
かわって、娘を癌で亡くした女性の手記になります("Hannah's Gift" アーティスト
ハウスから秋ごろ刊行予定)。ただのお涙頂戴の話ではなく、ユーモアや明るさを交
えながら、つらい体験から得たことを飾らない文章で綴ったチャーミングな本です」

―― "Hannah's Gift" と『穴』、本屋さんで手にするのを楽しみにしています。
                         (取材・構成 小佐田愛子)

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 ■注目の邦訳新刊レビュー ――『どんづまり』『ロージー・ドーンの誘拐』

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『どんづまり』"THE DEAD HEART"
 ダグラス・ケネディ/玉木亨訳
 講談社文庫/2001.12.15発行 1200円(税別)
 ISBN:4-06-273320-X

《旅先でのナンパが一転、恐怖のバカンスの幕開けに! ダグラス・ケネディ第1作》

 ニック・ホーソンは、アメリカの地方の二流新聞社ばかりを転々としているジャー
ナリスト。独身、38歳、特定のパートナーなし。家族なし。ある日、ふとしたきっか
けでオーストラリアの写真を目にしたニックは、ぜひ西部の未開地域に行ってみたい
ものだと思い立ち、やめときゃいいのに行き当たりばったりの旅行を始める。道端で
彼は、アンジーという若い娘を引っかける。というか、娘に引っかけられる。よくあ
る行きずりの恋が始まる。砂漠やビーチ、酒、タバコ、セックス、ドライブ。なぜだ
かプロレスを思わせる、ちょっとコミカルな濡れ場。
 ニックは当然、アメリカに帰るとき二人の関係も終わるものだと思っていた。だか
ら、その場しのぎの言葉でやりすごしてきた。が、ありがちなことに、アンジーは彼
が本気で自分に恋しているものだと思ってしまう。実は、アンジーはただのたくまし
い体をした田舎出のお姉ちゃんではなかった。彼女の故郷は、炭坑事故のため地図か
ら消えたことになっているコミュニティで、常識外れの掟が色々あった。アンジーの
逆ナンパにも意味があったのだ。そして、ニックが無理やりアンジーの故郷に連れて
行かれたとき、そこには悪夢が待っていた。
 著者の出世作は『仕事くれ。』だ。日本では出版が前後したが、本書が実はフィク
ション第1作である。本書では、以前旅行記を書いた知識を駆使して、のどかそうな
オーストラリアに架空の恐ろしい村を作り上げることに成功した。例えばこの村に生
きたカンガルーは登場しない。あるのは工場やトラックに積まれた死体ばかりだ。カ
ンガルーのさばき方まで登場する。しかし、怖さは著者のユーモアでかなり和らげら
れており、読後感は重くない。元はといえばスケベ心を出したせいで自業自得なのだ
が、涙ぐましい努力をするニックの様子に、読者は思わず声援を送りたくなるだろう。
私事ながら、新婚旅行を考えている身としては、候補の1つを断念するきっかけにな
りそうだ。だって、オージーがみんなアンジーやアンジーのダディに見えちゃったら
どうしよう、と。実際、著者が次のオーストラリア入国を許可してもらえるのだろう
かと、フィリップ・カーも茶化しているそうだ。
                                (吉田博子)
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『ロージー・ドーンの誘拐』"THE KIDNAPPING OF ROSIE DAWN"
 エリック・ライト/佐藤耕士訳
 ハヤカワ文庫/2001.12.31発行 680円(税別)
 ISBN: 4-15-075605-8

《ロージー・ドーンを捜せ! 大学講師兼パートタイム探偵ジョー・バーリー登場》

「ユーモア体質の探偵とお色気波長でまくりの女たちのキュートでエッチなミステ
リ!」本屋でたまたま目にした本にこんな紹介文があったら、アナタは買います?
思わず、買う!と答えた、ちょっとエッチなアナタ(実はワタシもその一人)、とび
きりキュートで、ちょっぴりエッチな上質ミステリを楽しめること請けあいます。
 舞台はカナダのトロント。私ことジョー・バーリーは大学の英文科非常勤講師。科
目契約ゆえ実入りは少なく、時間だけはやたらとある。小遣い稼ぎにやってるのはパ
ートタイムの探偵仕事。但し、張り込みだけ。読書中毒の恋人キャロルと同棲中。
 ある日、通いの掃除婦へレナから、別の雇い主の若い女性がアパートから姿を消し
た、行方を捜してほしいと頼まれる。女の名は、ロージー・ドーン。アパートの借り
主で会社オーナー、ハイドの愛人らしい。彼女のポルノ写真を入手し、盗聴テープを
発見した私はロージー捜しにハマってゆく。が、一方、恋人キャロルの様子がなんだ
か変なのだ。じっと観察してるかと思えば、ベッドでいきなり『千夜一夜物語』仕込
みの超刺激的な体位で迫ってきて私を仰天させるではないか。おまけに職場では同僚
リチャードがクビの危機に瀕して……。さてさて、この行方、一体どうなるの?

 著者エリック・ライトはカナダ在住の実力派。「実に楽しい作品だ!」とレジナル
ド・ヒルもベタぼめの本書、いや、とにかく面白い。さすがミステリファンの読者投
票で選ばれる2001年度バリー賞に輝いただけある。登場人物のユニークなキャラがい
い。30代後半にして未だモラトリアム人間、大学講師なのに研究は苦手、少々頼りな
いけど友情に厚くて心やさしい主人公、本に夢中で料理嫌いでちょっとエッチなキャ
ロル、反骨精神旺盛な問題児(教師?)リチャード、悪徳実業家のくせに恐妻家のハ
イド、フロイト心理学に心酔してる精神科医のキャロルの姉夫婦と、実に個性的な面
々だ。随所にちりばめられた英文学や心理学の愉快なウンチクも美味しいし、大学組
織や人種差別への皮肉もピリッときいている。抱腹絶倒するような笑いではないけれ
ど、ページをめくるたびに思わずニヤリとしてしまう小粋なユーモアとウィットが満
載の本書、これから日本のファンが増えること間違いなしの赤丸つき注目作品だ。
                               (山田亜樹子)

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 ■ミステリ雑学 ―― 米国の「保釈金保証」のしくみ

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「保釈制度」の起源は13世紀、英国の慣習法にさかのぼる。被疑者の権利保護を目的
に定められた制度で、逮捕後裁判所に出頭するまでの間、被疑者が勾留を免除される
という法律だ。ただし、裁判所は被疑者の再犯や逃亡、証拠隠滅などのおそれがない
かどうかを判断した上で、保釈金の預託を要求する。この保釈金は被疑者が期日まで
に裁判所に出頭しないと全額没収される。一般的に保釈金額は、前科の有無や犯罪の
軽重を考慮して決定されるが、傷害で1~2千ドル、殺人などで3万ドルといったと
ころが相場だ。保釈金の支払い方法は、全額を被疑者が裁判所に預託する以外に、第
三者が立て替える方法、さらに保釈金の一部だけを預託する方法などいくつかあるが、
いずれも裁判が終了すれば返還される。
 勾留はいやだが、保釈金はない――こんな被疑者のために存在するのが保釈金保証
業者、通称“ボンズマン”である。ロサンゼルスのダウンタウン、ロス市警本部近く
には「BAIL BOND」の看板を掲げた保釈金保証業者が軒を連ねている。ボンズマンは
州からライセンスを得て初めて被疑者に対して保釈金を立て替え、手数料収入(通常
10%)を得ることができる。だが、保釈金を用立てた被疑者が期日までに裁判所に出
頭しない場合は、この保釈金は没収される。なんとしても逃亡保釈人を出頭させなけ
ればならないわけだ。裁判所も当初の出頭期日に猶予を与え、逃亡保釈人の出頭に協
力することもある。
 そこで登場するのがバウンティ・ハンターである。保釈金の10%程度、海外逃亡の
場合は最高75%に及ぶこともある手数料を目当てに、逃亡保釈人を捕まえるのが彼ら
の仕事だ。ジャネット・イヴァノヴィッチの人気シリーズのヒロイン、ステファニー
・プラムの活躍で、日本でもこの職業の存在がよく知られるようになった。ただ、ス
テファニーがそうであるように、ほとんどの州でこの職業に就くのに、公的な認定は
不要だ。そのため、ハンターの活動が問題視されることもある。
 1997年8月31日、アリゾナ州フェニックスの民家にバウンティ・ハンターを名乗る
5人組が押し入り、寝室で寝ていた男女2人を射殺し、逮捕された。実際は後の取り
調べで、バウンティ・ハンターに見せかけた強盗であったことが判明したが、事件発
生当時は、保釈保証業者が雇うハンターの行き過ぎた活動だとして全米で報道された。
[1999年8月26日付《Arizona Daily Sun》より]
 このように、ハンターが逃亡保釈人を捕まえるために他人の住居に侵入したり、警
官のように人の身柄を拘束できるという法的根拠はあるのだろうか? ハンターの活
動を直接規定する法律はないようだが、彼らの中で根拠の一つになっているものに、
以下の1872年の米連邦最高裁判決がある。『保釈された者は保釈保証人の元で保護さ
れる。保証人は保釈人を、新たな手続きなしに逮捕して刑務所などに引き渡すことが
出来る』というものだ。今から130年も前の判例だが、どうやら現在も有効のようで
ある。いまだに西部劇の“賞金稼ぎ”の伝統を保っている国、それがアメリカなのだ。

【アメリカの「保釈制度」参考サイト】
◆保釈制度の歴史なら――
"bail.com" http://www.bail.com/history.htm
◆保釈保証のしくみなら――
"CAPITAL RECOVERY"
http://capitalrecovery.bizland.com/capitalrecovery/index.html
◆バウンティ・ハンターのことなら――
"National Institute of Bail Enforcement"
http://www.bounty-hunter.net/home.htm
           (文/板村英樹 協力/中西和美 松本依子 山本さやか)

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 ■スタンダードな一冊 ―― スペードのプロフェッショナリズム

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『マルタの鷹』ダシール・ハメット著/小鷹信光訳/ハヤカワ文庫
"THE MALTESE FALCON" by Dashiell Hammet

          ┏━━━━━━━━━━━━━━━━┓
          ┃  ON APPROXIMATELY THIS SPOT ┃
          ┃     MILES ARCHER,        ┃
          ┃   PARTNER OF SAM SPADE,    ┃
          ┃     WAS DONE IN BY       ┃
          ┃    ****** *************.     ┃
          ┗━━━━━━━━━━━━━━━━┛

 これは、スペードの相棒であるマイルズ・アーチャーの殺害現場――サンフランシ
スコのブッシュ通りからバーリット小路へ入ったあたりのビルの壁に実在する看板だ。
“WAS DONE IN BY”は“誰それに殺された”の意味。* の連なりの伏せ字には人名が
入る。マニアの間では有名なネタばらしだが、むろん答えは本書のなかにある。
                  ◇
『マルタの鷹』は1930年の刊行と同時に絶賛を浴びた。感情表現を排し、徹底した客
観描写でサム・スペードという新しいヒーローを確立したという功績は、70年を越え
る年月を経てもなお色あせる事なく語り継がれてきている。いや、むしろこの間に娯
楽小説の範疇をこえ、文学上の功績としての評価が定着してきたと言ったほうがいい
だろう。
 このようにハメットは、頭の中で描いたシナリオに従って、読み手の頭の中にねら
った通りの映像を再生させる方法を編み出した。その効果は、本書を通じてみられる
視覚的な描写やいきいきとした会話になってみごとに結実している。しかし、これは
あくまで小説作法上の技術であり、それを使ってハメットが描こうとしたことの方が、
この作品では重要に思える。
 とかくハードボイルド小説というと、女とカネに目がなく、腕力にものを言わせて
事件を解決に導くヒーローが活躍する小説だと思われがちだが、本書は違う。確かに
主人公のサム・スペードは相棒であるマイルズ・アーチャーの妻アイヴァと関係をも
ち、今回の事件の依頼人、ブリジッド・オショーネシーともベッドを共にする。また、
必要とあれば暴力も辞さない男ではある。だが、そこには生き延びるため、勝つため
にコントロールされた理性が存在するのだ。
『マルタの鷹』のストーリーは美しい女性依頼人の登場と、スペードの相棒マイル
ズ・アーチャーの殺害で幕を開ける。そして、この依頼人の女とともに16世紀に作ら
れた“宝石類で飾り立てられた鷹の彫像”をめぐる争奪戦に、スペードが巻き込まれ
るというものだ。しかし本書の本当の魅力は、目まぐるしく変化する状況に素早く適
応するスペードの行動力であり、そこにかいまみえるプロフェッショナリズムだ。こ
の作品が時代を越えて支持されてきた理由の一つはここにある。ぜひそのことを頭の
片隅において、この不朽の名作をお楽しみいただきたい。
                                (板村英樹)

―――――――――――――――――――――――――――――――――
■編集後記■
 当メルマガを創刊してから早半年。企画してほしい内容など、読者のみなさまのご
意見・ご感想を e-mail: whodmag@office-ono.com にてお待ちしております。(片)


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 海外ミステリ通信 第6号 2002年2月号
 発 行:フーダニット翻訳倶楽部
 発行人:うさぎ堂 (フーダニット翻訳倶楽部 会長)
 編集人:片山奈緒美
 企 画:板村英樹、宇野百合枝、影谷 陽、かげやまみほ、小佐田愛子、
     中西和美、松本依子、水島和美、三角和代、山田亜樹子、
     山本さやか、吉田博子
 協 力:@nifty 文芸翻訳フォーラム
     小野仙内
 本メルマガへのご意見・ご感想 :whodmag@office-ono.com
 フーダニット翻訳倶楽部の連絡先:whodunit@mba.nifty.ne.jp
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 ■無断複製・転載を固く禁じます。(C) 2002 Whodunit Honyaku-Club
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             月刊 海外ミステリ通信
          第5号 2002年1月号(毎月15日配信)
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★今月号の内容★
〈新春特別企画〉    2001年フーダニット・ベスト10発表!
〈座談会〉       フーダニット・ベスト10で2001年のミステリを振り返る
〈注目の邦訳新刊〉   『さらば、愛しき鉤爪』

(今月は、年末年始休暇をはさんだため、特別編成でお届けします)


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 ■新春特別企画 ―― 2001年フーダニット・ベスト10発表!

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 フーダニット翻訳倶楽部では、年末に恒例の年間ベスト・ミステリの投票を行いま
した。対象は、2000年12月1日から2001年10月31日までに刊行された作品です。投票
者は各自10作品まで選ぶことができ、それぞれ1位10点……10位1点で集計したもの
が得票数となっています。
 有名な宝島社の「このミステリーがすごい!」や週刊文春の「傑作ミステリーベス
ト10」などでベスト10に入っている話題作もありますが、フーダニット翻訳倶楽部会
員のあいだに根強いファンのいるシリーズものが強く、一つのジャンルに投票が偏っ
ていないのが特徴です。
 さて、あなたのお気に入りの作品は入っていますか?


1.『愛しき者はすべて去りゆく』 99票
  デニス・レヘイン/鎌田三平訳/角川文庫
  ――行方不明の少女を探すパトリックとアンジーが直面した皮肉な現実は、ふた
  りに新たな試練をもたらした。シリーズ最高傑作との呼び声も高い逸品。

2.『撃て、そして叫べ』 45票
  ダグラス・E・ウィンター/金子浩訳/講談社文庫
  ――銃密売組織がNYの闇市場で企てた大取引に仕掛けられていた罠とは……?
  ホテルで、教会で、激しい銃撃戦のなかに浮かび上がる米国の暗黒社会。

3.『頭蓋骨のマントラ』 40票
  エリオット・パティスン/三川基好訳/ハヤカワ文庫
  ――強制収容所の作業現場で首なし死体が発見され、囚人である元刑事が捜査を
  命じられた。現代チベットの現実と信仰の力を描いたMWA最優秀新人賞受賞作。

4.『斧』 29票
  ドナルド・E・ウェストレイク/木村二郎訳/文春文庫
  ――リストラされたバークは、再就職のライヴァルとなる人間を皆殺しにする計
  画を立てたが……。ドートマンダー・シリーズの作者が描くノワール。

5.『夜のフロスト』 27票
  R・D・ウィングフィールド/芹澤恵訳/創元推理文庫
  ――あのフロスト警部が帰ってきた。デントン署で猛威をふるうインフルエンザ
  だって下品パワーでシャットアウト、きょうもわが道を驀進中。

5.『堕天使は地獄へ飛ぶ』 27票
  マイクル・コナリー/古沢嘉通訳/扶桑社
  ――欲望と思惑がうずまく「天使の街」で、正義を貫こうとする刑事ボッシュ。
  ロス暴動の再燃から街を守れ! シリーズ随一のノンストップ・ミステリ。

7.『ミスティック・リバー』 26票
  デニス・ルヘイン/加賀山卓朗訳/早川書房
  ――少年のころ共に遊んだ3人の運命の糸が25年後にふたたび絡み合ったとき、
  彼らを待っていたものとは? ルヘインが渾身を込めた初のシリーズ外作品。

8.『永遠に去りぬ』 24票
  ロバート・ゴダード/伏見威蕃訳/創元推理文庫
  ――夏の黄昏どき、静謐な山道で出会ったひとりの美しい女性。まさか彼女が惨
  い二重殺人の被害者になるとは……。静かに進む物語のあっと驚く結末。

8.『ビッグ・トラブル』 24票
  デイヴ・バリー/東江一紀訳/新潮文庫
  ――山のような数の登場人物とどこまでも脱線しつづける話に翻弄されつつも、
  笑いがとまらない痛快ストーリー。電車のなかで読まないでください。

10. 『けちんぼフレッドを探せ!』 21票
  ジャネット・イヴァノヴィッチ/細美遙子訳/扶桑社ミステリー
  ――世界一カッコ悪い賞金稼ぎのステファニー。行方不明のフレッドおじさんを
  探すのはいいけれど……。今回も行く先々で騒動を巻き起こす。

11.『騙し絵の檻』 20票
  ジル・マゴーン/中村有希訳/創元推理文庫
12.『神は銃弾』 17票
  ボストン・テラン/田口俊樹訳/文春文庫
12.『心の砕ける音』 17票
  トマス・H・クック/村松潔訳/文春文庫
14.『トード島の騒動』 16票
  カール・ハイアセン/佐々田雅子訳/扶桑社ミステリー
15.『パーフェクト・ゲーム』 15票
  ハーラン・コーベン/中津悠訳/ハヤカワ文庫
16.『夜はわが友』 14票
  エドワード・D・ホック/木村二郎訳/創元推理文庫
16.『凍りつく心臓』 14票
  ウィリアム・K・クルーガー/野口百合子訳/講談社文庫
18.『学寮祭の夜』 13票
  ドロシー・L・セイヤーズ/浅羽莢子訳/創元推理文庫
19.『ジャンピング・ジェニイ』 11票
  アントニイ・バークリー/狩野一郎訳/国書刊行会
20.『紙の迷宮』 10票
  デイヴィッド・リス/松下祥子訳/ハヤカワ文庫
20.『巨匠の選択』 10票
  ローレンス・ブロック編/田口俊樹・他訳/ハヤカワ・ミステリ

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 ■座談会 ―― フーダニット・ベスト10で2001年のミステリを振り返る

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 2001年12月某日、大のミステリ好きを自認するフーダニット翻訳倶楽部の会員8人
が集結。21世紀最初のフーダニット・ベスト10について語り合った。本格、コージー、
ノワール、ハードボイルドと、得意分野はそれぞれちがってもミステリを愛する気持
ちは同じ。はてさて、どんな話が飛び出すことやら。

●暗い世の中を笑いとばすならこの2冊

朋:まずは10位の『けちんぼフレッドを探せ』からいきましょうか。ジャネット・イ
ヴァノヴィッチのステファニー・プラム・シリーズ5作目ですね。
蘭:『けちんぼ~』は原書で読みましたが、どんな筋だったか記憶が……(笑)。
朋:わたしも本筋の事件はよく覚えてません(笑)。高級車をこれでもかと壊しまく
ってたのが強烈に印象に残ってます。
姫:あの思わせぶりなラストがにくい。あのあとどうなるのか気になって気になって、
原書で続きを読んじゃった。それも3日で!
林檎:ふうん、そうやってみんなハマっていくんですね。連載マンガみたいなものか
な。
朋:本筋を忘れた自分を正当化するわけじゃないですけど、あれはキャラクターと脇
筋で読ませるシリーズだと思います。
蜜柑:うん、最初にキャラクターありきって感じのシリーズだ。
林檎:でもなにか賞をとってますよね。ええと(と調べる)、1997年に『モーおじさ
んの失踪』でシルヴァーダガーを受賞してます。
一同:ええ~、驚き!
林檎:このシリーズ、読んだことないけど興味はあるんです。読んだ人みんな、口を
そろえておもしろいっていいますものね。
朋:お次はデイヴ・バリーの『ビッグ・トラブル』。ゴダードと同率8位でした。
蜜柑:とにかく爆笑。まともにミステリの筋だけ考えてたら、あんな奇想天外なスト
ーリーは思いつかない。
林檎:きょう、冒頭の「謝辞と警告」を立ち読みしました。おかしかったです。
朋:訳者あとがきも笑えます。
林檎:遊んでますね、東江さん。
蘭:今年は、ハイアセンといいバリーといい、フロリダ系がおもしろかったです。
林檎:バリーとハイアセンは仲がいいらしいですよ。「謝辞と警告」に出てきてます。
蜜柑:類は友を呼ぶ(爆笑)。
林檎:聞くところによるとヒキガエルが出てくるそうですが、どんなキャラクターな
んでしょう?
蜜柑:ああ、にらめっこのヒキガエルね。主要登場人物(?)の中でいちばん小さい
けど、インパクトは思いっきり大きい。
蘭:動物といえば犬も大活躍します。
朋:あの犬いいですね、最高。
林檎:ええっ、犬が活躍するの? だったら絶対読みますよ。犬好きだもの。
蜜柑:水鉄砲から最後には核爆弾まで登場して、しっちゃかめっちゃか。
姫:とにかくはちゃめちゃでおもしろい。
朋:いったいどう辻褄あわせるんだって、途中で心配になりますね。
蜜柑:あれで最後はちゃんと収まるところがすごい。フロリダ系の特徴かも(笑)。

●じっくり味わいたい向きにおすすめ――ゴダードとルヘイン

朋:もうひとつの8位にいきましょうか。ロバート・ゴダードの『永遠に去りぬ』で
す。内容もさることながら訳も話題になった作品ですね。
林檎:ゴダード党員のわたしには大満足の1冊でした。主人公と死んだ女性の一家の
かかわり方は現実にはありえないけど、一種のファンタジーって感じで読みました。
蜜柑:冒頭の女性との出会いのシーンなんて、まさに夢の中のよう。
林檎:いままでのゴダードは、女性を“夢の女性”みたいに描くことが多かったと思
うんですが、『永遠に~』の長女は地に足がついてる感じがしました。
朋:“夢の女性”というのはわかるなあ。『一瞬の光の中で』もそんな感じでしたね。
蜜柑:そうだったねえ。あの女性をどうしても忘れられなくてという物語だった。
林檎:『千尋の闇』もそうですよ。あ、ということは、それがゴダードのパターンな
のか。
姫:わたし、ゴダードを読んだことないの。長いから尻込みしちゃって。
林檎:長いけどつかみはすごいですよ。たとえば、日本で最初に話題になった『蒼穹
のかなたへ』。最初はだるいけど、100ページを過ぎたあたりからぐいぐいと引きつ
け、最後にぐわーんときます。ゴダードを読んでると寝るのを忘れます。
朋:翻訳がまとまって出たせいで読むのがたいへん。複数の訳者さんで複数の出版社
から次々と出たでしょう?
蜜柑:たしかにどっと出たという印象だね。
朋:7位はデニス・ルヘインの『ミスティック・リバー』。「このミス」や週刊文春
のベスト10でも高く評価された作品です。
林檎:まだ50ページくらいしか読んでませんが、力を抜かない作家だなという印象で
す。
蜜柑:ルヘインの“物語をえぐる力”がいかんなく発揮された作品と思う。
朋:シリーズものとは雰囲気がちがいますか?
蜜柑:うん、ちがう。といっても、れっきとしたミステリだし、謎解きもちゃんとあ
る。ルヘインがまじめな部分だけを追求するとこうなる、とでもいえばいいのかな。
林檎:それは遊びがないってことですか? たとえばパトリックのシリーズだと、ふ
っとアンジーを見て、「女はなんでTシャツをこんなにきれいに着られるんだ」とか、
そんな余計なことを考えたりしますよね。
蜜柑:そういう“陽”の描写がなくて、ひたすら“陰”の部分を追い求めてるのよ。
林檎:パトリックとアンジーは、お互いにはげまし合ったりもするでしょう? そう
いう細部の救いがない話はつらいなあ。
蜜柑:パトリックのシリーズを読んでなかったら、わたしももっと評価したんだけど。

●シリーズ最高傑作との呼び声も高いが……

朋:5位も2作品ありますが、まずはマイクル・コナリーの『堕天使は地獄へ飛ぶ』
からコメントをお願いします。投票者の数が少ないわりには上位に食い込みました。
林檎:ああ、気の毒なコナリー。よそのベスト10ではまったくふるってません。
朋:最高傑作なんですけどねえ。
蜜柑:あんなおもしろい話なのに。
蘭:まだ読んでません。だって、シリーズは順番に読まないとおもしろくないってい
うから。
林檎:そうそう。シリーズをちゃんと追っていこうと思うと、手を出しにくいですね。
姫:すごくよかったけど、投票しなかった。子どもがかわいそうだったから。
蜜柑:たしかに少女殺害というモチーフはつらいけど、ストーリーテリングが最高。
林檎:読めばこんなおもしろい作家はいないと思うんですよ。シリーズ外作品の『わ
が心臓の痛み』なんか、読む人みんな高く評価してますもん。
蘭:『わが心臓~』はほんとにおもしろかったです!
蜜柑:でも、『わが心臓~』より『堕天使~』のほうがもっとおもしろいのよ。
林檎:ええっ! ほんとですか? もう、絶対読みます。
蜜柑:こんなにおもしろいのに、どうして地味なんだろう。
林檎:単行本で出たせいで買い控えた人が多いのかもしれませんね。
真冬:そもそも、文庫をおもに読む人って単行本の棚をあんまり見ないんじゃないか
しら。作家別に特集して並べるとか、書店のほうでも工夫してくれるといいのに。
朋:地方に住んでいると扶桑社の本は手に入りにくいんですよ。それもネックになっ
てるかも。
姫:同感。うちのほうもおいてなくて、都会に出ないと買えない。

●あいかわらずお下劣パワー炸裂のフロスト

朋:ではお待ちかね、同じく5位の『夜のフロスト』にいきましょう。お下劣おやじ、
フロスト警部シリーズ第3弾です。
蜜柑:下品なままでいてくれてありがとう、警部(笑)。
朋:票は入れなかったけどわたしも好きです。原書を読んでたぶん、訳書のインパク
トが弱かった。
姫:このシリーズは読んでないの。読むのがこわい。ハマったらどうしようって不安。
若菜:あんなに下品なのに同僚には愛されてるのが不思議。
蜜柑:人間味あふれるおやじだものね。
林檎:誰より先に現場に走るってのは信頼されますよ。たとえ下品でも。
朋:となりの課の課長さんなら見ていて楽しい。直属の上司だと嫌かも。
林檎:でも、そばを通り過ぎるときなんか気をつけないといけませんね(笑)。
蜜柑:おもしろいとはいっても扱われる事件は悲惨。あの下品ギャグのおかげで楽し
く読んじゃうけど。
林檎:そうそう、こんなにグロに書く人だったかと驚きました。ランズデールとタメ
をはる死体の描写。
若菜:ストーリーはおもしろいけどワンパターンな気もする。印象に残りにくい。
林檎:たしかにワンパターンですね。ただ、あれだけいろんな事件を同時に発生させ
るのはすごいと思います。で、推理はめちゃめちゃでしょう(笑)。そこがいい。
若菜:あはは、たしかにフロストってぜんぜん推理してないよねえ。
蜜柑:モジュラー型ってまさにこういうことだなと思う。
浅葱:ほんとうにまとまるんかって余計な心配をしたりして。
蜜柑:類書が他に見あたらないという点でフロストのシリーズは抜きんでてる。
朋:それになかなか次が出ないというのもミソですね。
若菜:さんざん待たされたあげくに出るから、ついつい評価は高くなる。
朋:それでは4位、ドナルド・E・ウェストレイクの『斧』です。これだけ景気が悪
いと、勤め人には笑い話じゃすまされない内容でしたね。
姫:現実味がありすぎちゃって。
若菜:すごく好き。発想がユニークでよかった。
蜜柑:いつのまにか主人公を応援している自分に気づいてぞっとした。今度はうまく
やれ(殺れ)よ~と(笑)。
林檎:わたし、読み方がまじめすぎたかもしれません。細部にいろいろ仕掛けがある
でしょう? あれをおもしろがればよかったんだなと、いまごろ気がつきました。
朋:なにがあんなに読み手を惹きつけるんでしょう?
姫:考えたらわからないけど、とにかく読んでいて楽しかった。
林檎:アイデアも勝ちだけど、構成のおもしろさじゃないでしょうか。
蜜柑:そうそう、やっぱりウェストレイクはそのあたりがうまいよね。
林檎:似たような雰囲気の未訳作品がまだあるそうですが。"HOOK" でしたっけ?
朋:あ、それ、いま手元にあります。スランプになった売れっ子作家が売れない作家
に儲け話を持ちかけるが、それにはもちろん罠があって……という話らしいです。

●健闘した新人作家ふたり

朋:3位は『頭蓋骨のマントラ』。エリオット・パティスンという新人作家の作品で
す。意外といっては失礼だけど、かなり健闘しましたね。
姫:主人公の神秘体験のシーンに感動した。
若菜:読んだときは、これが今年の1位だと思った。そのくらいよかった。
蜜柑:テーマが重そうなので敬遠してたけど、読んでみるとすんなり世界に入ること
ができた。
姫:登場人物の名前を覚えるのが大変。
朋:すぐ読み方を忘れる(笑)。
若菜:作者はたくさん勉強してるよねえ。中国のこと、チベット仏教のことなどいろ
いろと。
朋:そういうエキゾチックなところが欧米人受けしたのかもしれませんね。
林檎:ミステリ的にはどうなんでしょう?
朋:なかなかしっかり探偵してます。
蜜柑:さすが、もと敏腕刑事って感じ。
朋:でも、その敏腕があだとなって、強制収容所に入れられているという設定なんで
す。
蜜柑:それで自暴自棄になって人生を投げようとしたときに、宗教に出会った。
林檎:それはたしかにふつうのミステリにはない設定かも。
若菜:ラストがさわやかなのがいい。続編も読みたいと思わせる内容だった。
朋:2位の『撃て、そして叫べ』はいかがでしょうか? こちらも新人作家といって
いいでしょうね。
林檎:これが上位に入ってるのが、フーダ・ベスト10の特徴です。ほかのベスト10で
は、ほとんど上位にあがってません。
若菜:本来、わたしの守備範囲じゃないけどおもしろかった。語り口がいい。
朋:スピード感があって、なおかつきちんと人間を描いてる作品だと思います。
姫:タランティーノの映画を彷彿とさせる。
蜜柑:武器が云々の話として語られがちだけど、友情を描いた部分が好き。それに、
あのどんでん返し。ミステリ的にもよし。
姫:ラストは、おもわず拍手しちゃった。
若菜:泣けるよねえ。
林檎:死人が多いという意見もありますよね。でも、やくざ映画も死人は多いけど、
あまりリアルな感じがしない。それと似てる気がします。ってことはこれも任侠映画
なのか。
蜜柑:任侠。いえてるかも(笑)。
林檎:遠ざかっていく電車に向かって撃つシーンが最高によかったです。

●フーダニット一番人気はやっぱりこの作品

朋:さて、ようやく1位です。デニス・レヘインの『愛しき者はすべて去りゆく』。
フーダのベスト10では2位以下を大きく引き離し、ダントツの1位でした。
林檎:よそのベスト10では低迷してますが。
蘭:『ミスティック~』に票をとられちゃったんでしょうか。すごくいいのに。
浅葱:結末は悲しかったけど。
蜜柑:ストーリーがいいのはもちろんだけど、フーダにはレヘインの読者が多いから、
1位になるのは当然といえば当然。
浅葱:そうそう、わたしでさえ読んでるもの(笑)。
蜜柑:あの結末、パトリックのばかぁといいたい。なんでそこで急に厳しくなるんだ
よと思った。
浅葱:同感。あのあと、どうなっちゃうのかと気になる。
林檎:あの話はけっして他人事ではありませんよね。探偵小説では、事件と自分との
間に距離をおくものだけど、この作品はもろにかぶってます。だから一段と重い。
蜜柑:最近は日本でも似たような事件が多いので、よけいにずしりとくる。
真冬:児童虐待の話なの?
蜜柑:子どもをほったらかしにする若い母親が出てくるのよ。
林檎:いわゆるネグレクトです。身体的虐待ではないけど心理的な虐待。
朋:シリーズ3作目の『穢れし者に祝福を』も今回のベスト10の対象でしたが。
浅葱:『穢れし者~』はブッバが活躍しないんだもん。
朋:おつとめ中でしたからねえ。次作の "PRAYERS FOR RAIN" はブッバが大活躍する
そうですよ。
姫:ブッバがかっこいいなら、読まなくても1位に入れちゃう(笑)。
朋:ブッバのファンは多いですね。
林檎:ブッバ好きだあ。うちにも来てほしい。
蘭:おともだちにしたい。
朋:話はつきませんが、ベスト10談義はこのへんでおひらきにいたします。2002年も
おもしろいミステリにたくさん出会えますように。
                            (構成 山本さやか)

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 ■注目の邦訳新刊レビュー ――『さらば、愛しき鉤爪』

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『さらば、愛しき鉤爪』"ANONYMOUS REX"
 エリック・ガルシア/酒井昭伸訳
 ヴィレッジブックス(ソニー・マガジンズ)/2001.11.20発行 860円(税別)
 ISBN: 4-7897-1769-0

《探偵小説界に新風――鉤爪の私立探偵デビュー》

 お正月を「このミス」三昧で過ごされたミステリファンのみなさん、明けましてお
めでとうございます。「このミス」の豪華なおせちにちょっと食傷気味かな、とお感
じのみなさんへ、今月は箸休めの作品を一品、お届けします。
 作者のエリック・ガルシアは1973年マイアミ生まれ。1999年、26歳の時にこの作品
でデビューした彼は、ミステリ史上はじめての個性派私立探偵をこの世に生み出した。
LAに探偵事務所を構える主人公のヴィンセント・ルビオ、大きな声では言えないが
――どうしようかな、言わない方がいいかなあ、でも本の表紙ではっきりそれとわか
るしなあ、ええい、ままよ――実は、恐竜なんである。いやいや、冗談ではない。本
当だってば!
「ヴィンセント・ルビオというんだ。私立探偵でね。奥さんに頼まれて、身辺調査を
させてもらってる。おれがあんただったら、ミスター・オームスマイヤー、さっそく
離婚訴訟専門の優秀な弁護士をさがしにかかるぜ」――といったあんばいでトレンチ
コートに帽子をちょこんとかぶり、火のついていないたばこ(恐竜はたばこを吸わな
い)をくわえ、離婚訴訟の証拠集めや、大手探偵事務所の下請け調査をしている我ら
がルビオ、本当に恐竜なのである。正真正銘のヴェロキラプトゥルだ。ただし、進化
の過程でヒト大に小型化した16種類の恐竜たちは、ヒト前では〈ポリスーツ〉と呼ば
れるヒトの姿をかたどった扮装を身にまとっている。そんな訳で、地球全体で10%ち
ょっとを占める恐竜の存在に、ヒトはまったく気づいていない。そのために恐竜たち
はそれはそれは大変な努力を払っているのだが、これがまた笑わせてくれるのだ。
 さて、そんなルビオが大手探偵事務所の依頼で、ナイトクラブ火災の原因調査に乗
り出した。おっとここまできて紙幅が尽きた。とにかくどれが恐竜でだれがヒトか、
ヒト気がないとなれば〈ポリスーツ〉を脱ぎ捨てて恐竜同士で大暴れ。これで、おも
しろくないはずがない。おまけといっちゃあなんだけど、いやに官能的なベッド・シ
ーンだって用意されている。えっ? どっちのだって? だめ。福袋の中身は教えら
れない。さあ、買った、買った!
                                (板村英樹)

―――――――――――――――――――――――――――――――――
■編集後記■
 あけましておめでとうございます。フーダニット・ベスト10に投票するため、先月
は未読ミステリの山に突撃! 残念ながら読み切れずに年越しした新刊もありました
が……。今年も『海外ミステリ通信』をどうぞよろしくお願いいたします。 (片)


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 海外ミステリ通信 第5号 2002年1月号
 発 行:フーダニット翻訳倶楽部
 発行人:うさぎ堂 (フーダニット翻訳倶楽部 会長)
 編集人:片山奈緒美
 企 画:板村英樹、宇野百合枝、影谷 陽、かげやまみほ、小佐田愛子、
     中西和美、松本依子、水島和美、三角和代、山本さやか、
     吉田博子
 協 力:@nifty 文芸翻訳フォーラム
     小野仙内
 本メルマガへのご意見・ご感想 :whodmag@office-ono.com
 フーダニット翻訳倶楽部の連絡先:whodunit@mba.nifty.ne.jp
 http://www.nifty.ne.jp/forum/flitrans/whodunit/index.htm
 配信申し込み・解除/バックナンバー:
 http://www.nifty.ne.jp/forum/flitrans/whodunit/magazine/index.htm

 ■無断複製・転載を固く禁じます。(C) 2002 Whodunit Honyaku-Club
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             月刊 海外ミステリ通信
          第4号 2001年12月号(毎月15日配信)
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★今月号の内容★
〈特集〉       「復刊してほしいミステリ」シリーズ 第1弾
            『祟り』『モンキーズ・レインコート』『偽りの街』
〈翻訳家インタビュー〉 樋口真理さん
〈注目の邦訳新刊〉   『探偵ムーディー、営業中』『アフター・ダーク』
〈ミステリ雑学〉    フェルメールを巡る旅(後編)
〈スタンダードな1冊〉 『死の蔵書』
〈速報〉        CWA賞受賞作決定


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 ■特集 ――「復刊してほしいミステリ」シリーズ 第1弾

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 毎年数え切れない翻訳ミステリが出版されるなかで、派手で人目を引く作品が何十
年にもわたって繰り返し再版される一方、地味だがきらりと光る印象的な作品があっ
という間に絶版になる。新刊書店では手に入らない数多くの佳作の中から、今回は3
作品を紹介する。

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●『祟り』~伝統の社会に生きるナヴァホ族警察シリーズ、幻の第1作

 1970年発表のトニイ・ヒラーマンのデビュー作 "THE BLESSING WAY" は、翌1971年
に『祟り』というタイトルで角川文庫から出版された。しかし30年後の現在『祟り』
は新刊書店の書棚になく、古書店でもめったに目にすることができない稀覯本となっ
ている。ミステリアス・プレス文庫から出版された作品も、2作目の『死者の舞踏場』
以外の6冊はすでに店頭から姿を消し、1998年にDHCから出た『転落者』も絶版だ。
ミステリとしても面白く、ネイティブ・アメリカンの文化や儀式などの知識も得られ、
西部劇の撮影によく使われたアリゾナの砂漠やメサの雄大な風景が感じられる、そん
な一石三鳥の作品が簡単に手に入らないのは残念でならない。
 ナヴァホ族警察シリーズの主な舞台は、ナヴァホ・ネイションと呼ばれるユタ、ア
リゾナ、ニュー・メキシコにまたがる砂漠地帯だ。そこでネイティブ・アメリカンの
文化や儀式などに絡む事件が起こり、ジョー・リープホーン警部補とジム・チー巡査
の2人が登場して解決するのがシリーズのパターンになっている。最初リープホーン
とチーはそれぞれ単独で活躍していたが、7作目の『魔力』からは競演するようにな
った。競演当初は、警察本部にいるリープホーンと支署にいるチーが別々に追ってい
た事件が、クロスオーバーしていった。その後チーはリープホーン直属の部下になり、
現在は、引退したリープホーンがチーの捜査に協力している。性格はリープホーンが
静でチーが動。部族に対する思いは正反対で、リープホーンは儀式や伝統に嫌悪感を
持っているが、チーは伝統を重んじ儀式を執り行う〈歌い手〉になりたいと考えてい
る。相手の能力を認め合いながらも、いまひとつうまくつきあえない緊張関係のある
2人が競演したことで、作品の世界が広がり、厚みを増していった。
 アメリカでも2人が別々に活躍していた間はそれほど人気はなかったものの、アン
ソニー賞受賞作の『魔力』のヒットがきっかけで、ヒラーマンはベストセラー作家の
仲間入りを果たした。当初、彼はリープホーンものを3冊、チーものを3冊、2人が
競演するものが3作と決めていたようだが、すでにシリーズは14作目まで発表されて
いる。さて日本での人気はどうだろうか。14作品中9作が翻訳されていることからみ
て、全く人気がないわけではなさそうだ。しかし1作目から2作目が翻訳されるまで
に10年以上かかり、原作の順番どおりに翻訳されず、途中訳されていない作品がある
など、紹介のされ方に問題があったのではないか。さまざまな事情があるだろうが、
これでは作者にとっても読者にとっても不幸だ。どういう順番で読もうと支障のない
シリーズとはいえ、人間関係がよく分からないのは困るし、なによりシリーズの象徴
ともいえる1作目が読めないのは気持ちが悪い。
 舞台や文化的な背景が日本人になじみがない? そうだろうか? 最近日本では、
ネイティブ・アメリカンの生き方や知恵を書いた本や、アクセサリーが売れている。
彼らへの関心が高まっているいまなら、ネイティブ・アメリカンが活躍するミステリ
も売れるはずだ。


『祟り』 "THE BLESSING WAY"
 トニー・ヒラーマン/菊池光訳
 角川文庫/昭和46年1月30日発行

 逃亡中のナバホ族の男の他殺体が、高速道路近くの道端で発見された。保留地には、
死体が永久に発見されないだろう場所がいくらでもあるのに、犯人は何故すぐに見つ
かるような場所に死体を置いたのだろうか? 殺人事件の捜査に乗り出したナバホ族
警察のリープホーンは、犯人の不可解な行動に注目した。一方、発掘のために保留地
でキャンプ中の考古学者キャンフィールドが、謎の手紙を残して消えた。同行してい
た人類学者マキーは、彼の身に何かが起こったと直感する。しかしマキーもまた、キ
ャンプを訪ねてきた女性エレンとともに、ナバホ族らしき男と仲間に捕らえられる。
男たちはいったい何者なのか、何の目的でマキーとエレンを捕まえたのか。2人は、
男たちの手から逃れられるのだろうか?
 まったく別件に見える複数の事件が、すべて繋がっていき最後に一つにまとまって
解決されるところは見事だ。しかも丁寧にエピソードを重ねていっているので、無理
矢理に結びつけた感じはなく、自然で納得できる。
 シリーズ化を意識していなかったということで、他のシリーズ作品と比べるとサス
ペンス色の強い作品になっている。そのため、シリーズキャラクターのリープホーン
が脇役に回ってしまったことと、妻エンマとのエピソードが全くなかったのが残念。
もしエンマがいくつかの場面で登場していたら、リープホーンの人間味のある部分が
もう少し描き出せたのではないだろうか。しかし逆に私生活を描かなかったことで、
若くしてナバホ族警察の伝説的存在となったリープホーンの、感情を抑えた客観的で
冷静な人間性が確立できたのかもしれない。

(注:記事中の表記はミステリアス・プレス文庫、レビュー中の表記は角川文庫に準
拠した。)
                              (かげやまみほ)

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●『モンキーズ・レインコート』~エルヴィス・コール登場の記念すべき第1作

『モンキーズ・レインコート』 "THE MONKEY'S RAINCOAT"
 ロバート・クレイス/田村義進訳
 新潮文庫/1989.02.25発行
 ISBN: 4-10-228201-7

「たしかにわたしはLAのしがない探偵だ。たった8冊の本にしか出てこないんだか
ら。そりゃあ、大先輩のスペンサーに比べたら量は負けるよ。でも、肝心なのは質だ
ろ、質。探偵としては、これでけっこう評判はいいはず――なんだが、そうじゃない
のかい(弱気)。邦訳は2冊が絶版だって? こいつはまた嘆かわしいな。なんとか
ならないもんだろうか」

 そんな主役のぼやきが聞こえてきそうな状況が続いている。だって、あのエルヴィ
ス・コールのシリーズよ? 昨年5冊目、6冊目の邦訳が出版された、れっきとした
現役のシリーズだというのに。

 プレスリーのコンサートに感動した母親が改名の手続きをして、6歳からこんな名
前になった探偵は、ふざけたジョークをいって初対面の依頼人をあぜんとさせること
もしばしばだが、じつは18歳でヴェトナムを経験している苦労人。よくある探偵像じ
ゃん。と、いわれたらそのとおりだが、突き抜けるような青空を思わせる独特のすが
すがしさは一読の価値あり。当編集部の近辺では、「ノワールで疲れた心にエルヴィ
スを」と、なかば癒しのツールがわりに愛でられているシリーズでもある。こう書く
と、ヴェトナム云々は箔をつけるためのお飾りだと考えるむきもあるかもしれないが、
彼の場合、明るさはけっして浅さと同義語ではない。力の抜きかげんを心得ているだ
けのことだ。「わたしはヴェトナムで気楽に生きることを学びました。それが生きの
びる秘訣です」(本書本文より)苦難を乗り越えたうえでの明るさとその根底にある
力強さと信念が、コールの言葉の端々に顔をだす。こうしたポジティヴな人物造形と
作風は、何度読み返しても、西海岸のからっとした風が吹き抜けていくような気分に
させてくれる。重いミステリもいいが、こうしたものも、なくてはこまる。

 なのにそのシリーズの1作目が一般書店で手に入らないとは。本書と次の2作目が
新潮社で出版されたのち、3作目以降は扶桑社から出版のはこびとなった。そしてな
んたることか、いつのまにか新潮社からの初期の2冊は、まぼろしとなってしまった
のだった――

 と、締めくくってどうする。では作者について軽くふれておこう。エルヴィス・コ
ールの生みの親はロバート・クレイス、1953年生まれ。作家を夢みた若きクレイスは、
ほぼ裸一貫で故郷ルイジアナをあとにしてハリウッドに乗り込んだ。かならずしも現
実と一致しないであろう、絵に描いたような乾いた理想の西海岸は、湿気が多い南部
で暮らしてきたクレイスの夢だったのかもしれない。クレイスはTVドラマの脚本家
として10年ちかく文筆の修業を積む。その間に『LAロー』、『マイアミ・バイス』
等の人気ドラマの脚本をてがけ、売れっ子に。そして1987年にこの『モンキーズ・レ
インコート』で本格的に作家としてデビューを果たす。

 アンソニー賞とマカヴィティ賞に輝いた本書のタイトルは、芭蕉の「初しぐれ猿も
小蓑をほしげなり」の英訳からとっている。コールのオフィスに芸能プロダクション
社長夫人のエレンがやってきた。依頼内容は息子を連れて姿を消した夫の捜索。とこ
ろが彼女は極端に自信がもてない女性で、依頼を本決めするにもかなりの時間がかか
るありさまだった。本筋の事件と平行し、エレンがどうやって強い意志をもつに至る
かがこの作品の大きな読みどころとなる。夫に頼りきり、そしておそらくは都会にな
じめず、物怖じばかりしているうちにエレンはすっかり弱くなってしまった。そんな
エレンを見下すことなく、同じ目線の高さから励ましていくコールの姿がなんとも印
象に残る。明るさと強さと温かさと。コールの人生哲学めいたものが現れており、シ
リーズ導入の書としてふさわしいものだ。

 このシリーズで忘れちゃいけない人物がもうひとりいる。コールと人気を二分する
相棒、ジョー・パイクだ。ヴェトナムには海兵隊で参加した元警官で、腕に物言わせ
る仕事はまかせろというキャラクターは、ロバート・B・パーカーのスペンサーに対
するホーク的な存在だ。寡黙でけっしてサングラスを取らないパイクには、彼自身の
過去のストーリーがあり、それが現段階でのシリーズ最新作 "L.A. REQUIEM" に描か
れている。もうひとつ未訳の "INDIGO SLAM" は筆者の意見ではシリーズナンバー1
の作品で(どちらも、各ミステリ賞の候補になっている)、この2冊の邦訳が出版さ
れたら、最初から通して読みたいという声がさらに大きくなること必至だ。『モンキ
ーズ・レインコート』以上に、2作目の『追いつめられた天使』に古書店で巡り会え
ないという説もあり、ここはぜひとも、2冊セットで復刊をお願いしたい。
                                (三角和代)

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●『偽りの街』~ベルリン3部作は、オリンピック準備に余念のない街で始まる

 ヒトラーが総統になって3年、全体主義や軍事色が濃くなっていくベルリンの街で、
ベルンハルト・グンターは私立探偵をしている。斜に構え、減らず口も忘れてはいな
いが、有能な美人秘書の結婚退職にちょっとへこんでいる。そこへ鉄鋼王ジグスから
の依頼が来た。ジグスの娘夫婦が強盗殺人・放火の犠牲になり、娘グレーテが所有し
ていた高価な首飾りが盗まれた。警察よりも先に犯人を見つけ、国庫に没収される前
に、首飾りを取り戻してもらいたいのだという。娘夫婦の周囲を探るうち、グレーテ
の夫パウルがゲシュタポで腐敗を暴く任務についていたこと、金庫にはその証拠とな
る資料も入っていたことがわかる。いっぽうで、ジグスの秘書が宝石の処分をめぐり
怪しい動きをしていた。事件は宝石盗難と機密書類盗難の二重の様相を帯びてくる。
もと新聞記者インゲの助けを得て調査を進めるグンターの身辺には、刑事警察だけで
なく、ゲシュタポ内の勢力争いにかかわるゲーリングの影もちらつきはじめる。そし
て二転三転する真相。終盤、グンターは盗まれた書類のありかを探るべく悲惨な強制
収容所〈ダッハウ〉への潜入を余儀なくされる。

『偽りの街』はフィリップ・カーの処女作だ。第二次大戦直前のベルリンを舞台に私
立探偵が活躍するという設定が目新しい。タフで頭が切れ、反骨精神旺盛、女には弱
く、情にももろくて、軽口を叩くのが大好きという一匹狼という探偵像が、病に侵さ
れ腐って行くベルリンの街に妙にはまっている。カーはベルリンの街を克明に描写し、
当時の出来事をストーリーに巧くからめている。たとえば冒頭部分、反ユダヤ主義の
雑誌『シュトゥルメル』の掲示箱を突撃隊員が取り外している。ベルリン・オリンピ
ックの開催を控えて外国人客の目をはばかり、あまりにも煽動的な掲示を取り払って
体裁を繕おうとしているのだ。そして調査を進める中でも、オリンピックを迎える街
の様子、オーエンスの活躍などが刻々とはさまれる。もちろんゲシュタポや治安警察
や刑事警察の傍若無人な捜査ぶり、市民の脅えや諦め、煽動にのる若者たちのようす
も描かれている。圧巻は強制収容所の描写だろうか。グンターは言う。――わたしが
第一に思いを馳せたのは、同じように重い病に侵されているわが祖国のことだった。
ダッハウに来て初めて、衰弱したドイツの諸器官が壊死状態に移行しつつあることに
気づかされた――

 この作品が好評をはくし、グンターを主人公に〈ベルリン3部作〉と呼ばれる作品
が次々と出版された(1990年『砕かれた夜』、1991年『べルリン・レクイエム』)。
カーはシリーズものではなく、同じ主人公を使って違うタイプの作品が書きたかった
ようで、1作ごとに違ったスタイルが採用されている。『偽りの街』は私立探偵小説。
『砕かれた夜』では、金髪碧眼の少女ばかりを狙う連続殺人が起こり、速やかな解決
を望む上層部からの要請で、グンターが古巣の刑事警察に戻る警察小説となっている。
1作目の冒頭に出てきた雑誌『シュトゥルメル』がここでも登場する。連続殺人の手
口が、この雑誌が書きたてるユダヤ人による〈儀式殺人〉にあまりに似ているので、
かえってグンターは疑念を持つ。雑誌主宰者のシュトライヒャーがなにか企んでいる
のか? 1作目で行方が唐突に途切れた助手のインゲの消息もこの作品で明らかにな
り、作者が最初から3部作として構想を練っていたことがうかがえる。3作目の『ベ
ルリン・レクイエム』はスパイ小説。敗戦後の荒廃したベルリンで話が始まる。出征
したグンターは、終戦時ソ連で捕虜となっていたが、収容所へ送られる途中で脱走し
帰国、細々と探偵稼業を営んでいる。帰ってからは妻との仲もしっくりいっていない。
そこへウィーンでアメリカ兵殺害容疑をかけられた警察時代の部下から、助けを求め
る依頼が舞い込む。舞台はウィーンに移り、アメリカ、ソ連、そしてナチスの残党が
入り乱れるスパイ合戦となる。そしてグンターは外からベルリン封鎖の知らせを聞く
ことになる。3作全体を通して大きな歴史のうねりに翻弄されるベルリンの街が浮か
び上がるしくみである。

 カーはこの後も、趣向を変えながら次々と作品を書き続け、最近ではハリウッドで
の映画化の話が巨額でまとまるなど、ビッグネームの仲間入りを果たしており、『殺
人探究』『屍肉』『殺人摩天楼』『密葬航路』『エサウ』『セカンド・エンジェル』
と邦訳も出ている。残念ながら、ミステリの世界からは離れてしまった模様で、フィ
リップ・カー=ミステリ作家という図式が弱いためか、ベルリン3部作を始めとする
初期の作品は新刊書店では手に入らない。ミステリファンとしては作者の多才さを恨
みたくなるのである。ちなみに原書で読みたいかたには、ベルリン3部作をひとつに
まとめた "BERLIN NOIR" が出ている。

『偽りの街』(MARCH VIOLET)    ISBN:4-10-238001-9
『砕かれた夜』(THE PALE CRIMINAL)  ISBN:4-10-238002-7
『ベルリン・レクイエム』(A GERMAN REQUIEM) ISBN:4-10-238004-3
                (いずれも東江一紀訳/新潮文庫)
                               (小佐田愛子)

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 ■翻訳家インタビュー ―― 樋口真理さん

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 今月は、編集プロダクションに勤務されながら翻訳家としてご活躍中の樋口真理さ
んにお話をうかがいます。
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|《樋口真理さん》1964年生まれ。学習院大学英米文学科卒業。商社勤務、中学校|
|国語教師などさまざまな経歴を持つ。デビュー作は児童書「モンスター図鑑」シ|
|リーズ(ほるぷ出版)。訳書に『迷い猫』(角川書店)のほか、『エディスの真|
|実』(講談社)、共訳書に『赤ずきんの手には拳銃』(原書房)など。    |
+――――――――――――――――――――――――――――――――――――+
【Q】さまざまなお仕事に就かれていますが、翻訳を意識されたきっかけは?
【A】本好きの母の影響で、本には自然に親しんでいました。小学生の頃は学校や近
所の図書室の本を片っ端から手に取り、読みあさっていました。
 大学卒業後に大手商社に就職しましたが、典型的なお茶くみOL生活に幻滅し、翻
訳学校に通いはじめたんです。ところが自分の英語力のなさを実感。貯金と退職金を
はたいてイギリスに語学留学しました。留学先では本当によく勉強しましたよ。普通
のペーパーバックなら1日で読める自信がついたのもこの頃です。

【Q】でも帰国後は、国語の教師になられましたね。
【A】ええ。考えに考えた末、日本語のほうが好きだと思ったんですね。それで教員
免許もないのに国語教師になろうと決めたんです。通信教育で免許を取り、猛勉強し
て採用試験を突破、教職に就きました。教師の仕事はおもしろかったです。でも今思
えば、軽い気持ちでまた翻訳学校に通ったのが大きな転機だったでしょうか。すっか
り翻訳にのめりこみ、結局教職も2年で辞めました。通学した7年間はとにかく必死
でしたね。本を読んでお金がもらえる、こんなありがたい話はないとリーディングは
200冊以上やりました。ものすごいエログロ小説の下訳をしたことも、苦手なコンピ
ューターの翻訳を泣きながらやったこともあります。今は会社勤めと翻訳の二重生活
ですが、体力には自信があるので風邪もひかず、大好きなお酒もしっかり飲んで毎日
元気いっぱいです。

【Q】児童書から一般書まで幅広く訳されていますが。
【A】通学3年目に、元中学校教師の実績を買われていただいた仕事が「モンスター
図鑑」シリーズです。また、翻訳学校の研究生共有の「神保睦」というペンネームで
も共訳書を出しました。3年前に出た『エディスの真実』は初めて訳した一般書です
が、ナチ迫害を生き延びた少女の実話で、98年にイギリスでブック・オブ・ザ・イヤ
ーを受賞したすばらしい作品です。また先月出たヴィッキー・アランの『迷い猫』は、
恋愛小説のように始まり、ホラー小説のように展開し、愛すること、生きることのせ
つなさ、辛さについて考えさせられる作品です。山本文緒や篠田節子の作品が好きな
方には、気に入っていただけるでしょう。

【Q】『赤ずきん~』などグリム童話をミステリ風にアレンジした作品なども訳され
ていますが、お好きなジャンルは?
【A】恋愛小説です。といっても範囲は広くて、カズオ・イシグロの『日の名残り』
やイーヴリン・ウォーの『ブライヅヘッドふたたび』などの文芸作品はもちろん、も
っとエンタテインメント色の強い作品も大好きです。ミステリを読むときも、トリッ
クより人間関係などのディテールを楽しんでいるかも。それから歴史ノンフィクショ
ンも好きです。過去の歴史をきちんと綴った作品に惹かれます。

【Q】今後のご予定についてお聞かせください。
【A】来年には、雑誌『エスクァイア日本版』で連載していたロバート・オレン・バ
トラーの『タブロイド・ドリームズ』が出ると思います。アメリカ各地が舞台の幻想
的な短編集で、奇妙で不気味な物語満載です。今後もやはり小説を訳したいですね。
それも思い切り哀しくて切ない小説を訳したい。「恋愛小説ならあの人」といわれる
ような翻訳家になるのが夢なんです。飛ぶように売れなくてもいいから、長く人の心
に残るような作品を丁寧に訳していきたいと思っています。
                         (取材・構成 宇野百合枝)

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 ■注目の邦訳新刊レビュー ――『探偵ムーディー、営業中』『アフター・ダーク』

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『探偵ムーディー、営業中』 "MOODY GETS THE BLUES"
 スティーヴ・オリヴァー/真崎義博訳
 ハヤカワ文庫/2001.10.31発行 680円(税別)
 ISBN: 4-15-173001-X

《見よ! これが噂のスコット・ムーディーだ》

 1978年4月、ワシントン州スポーカン。精神病院から出てきて2か月のタクシー運
転手が、届いたばかりの私立探偵の免許証を手に、にんまりと悦に入っていた。身長
6フィート、体重180ポンド、あいだの離れたグレーの目、角張った顎に白髪混じり
の口髭、その上には何度となく殴られたような歪んだ鼻がのっている。身なりはみす
ぼらしいが、なぜか女には魅力的に映るらしい。スコット・ムーディー、35歳。今日
から晴れて私立探偵だ。ただし、向精神薬ソラジンがまだ手放せない。
 ムーディーが常連客で弁護士のナット・グッディーから紹介された仕事は、失踪し
た不動産会社経営者のウェンデル・マーサーを探し出すことだった。依頼人は、共同
経営者で妻のデルドレーだ。時給20ドルプラス諸経費に、うまく見つけだせばボーナ
スもでる。会社の関係者らから聞き込んだ情報をもとに、どうにかウェンデルを見つ
け、デルドレーの元に連れもどした。初仕事をみごとやりおおせたかに見えたムーデ
ィーだが、あるときタクシーで夜勤をこなし、朝になってアパートに戻ると部屋が戦
場のように荒らされていた。そして、またしてもウェンデルが行方不明になる。
 登場人物のひとり、ガルシア警部補をして――「なぜ私立探偵を始めたかは知らな
いが、ムーディー、辞めた方がいいな。おまえにはむいていない」――といわしめ、
作品中、殴られること5回、投げ飛ばされること1回、そして感極まって泣くこと5
回。さらに2週間に一度は精神科医に通うという、世界一探偵らしくない探偵がこの
小説の主人公、スコット・ムーディーだ。初めのうちは突然襲う激しい感情の波に翻
弄され、現実と非現実とのあいだをさまようムーディーだったが、探偵として人々と
かかわっていくうちに次第に人間らしい感情を取り戻して行く。その姿に作者スティ
ーヴ・オリヴァーは、ベトナム戦争のトラウマから立ち直ろうとあがく当時のアメリ
カをなぞらえたかったのかもしれない。最後にエピソードをひとつ。枯れてしまって
もなお大切にしている観葉植物の鉢植えに、ムーディーがつけた名前が“アーヴィン
グ”。これはあのJ・アーヴィングのこと? ねえ、そうなの? オリヴァーさん。
                                (板村英樹)

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『アフター・ダーク』 "AFTER DARK, MY SWEET"
 ジム・トンプスン/三川基好訳
 扶桑社/2001.10.30発行 1429円(税別)
 ISBN: 4-594-03302-4

 ビル・コリンズ、リング名キッド・コリンズは施設から逃げた。これでいくつめの
施設だったろう。医者たちにはビルは単なる症例だった。人間ではなかった。プロボ
クサーだったころ人に大怪我をさせてから、彼の人生はコントロールが効かなくなっ
ていた。
 彼の診断名はコルサコフ症候群。健忘精神病とも言われ、「錯乱および重篤な記憶
障害、特に記銘力の障害をもち、患者がそれを作語で補おうとすることが特徴となる
アルコール健忘症候群」と医学書には定義してある。作品中では、アルコールとの関
連は言及されていないが、環境や食べ物に気をつけないと、些細なことから危険人物
になりかねない。
 そんな彼が、逃げてきて最初に入ったバーで運命の女《ファム・ファタル》と知り
合った。女の名はフェイ。夫をなくしてから酒浸りの毎日を過ごしている。いつもの
彼女は天使のようだが、酒が入るとビルを罵倒し、皮肉を言い、混乱させる。彼はフ
ェイの家を立ち去るしかなかった。
 しかし、逃れられないものを感じ、ビルはまたそこへ戻ってしまう。1ガロンのワ
インを持って。フェイの元へ。破滅の元へ。
 トンプスンの著作は29冊、最近評価がされ始めて邦訳はこれで6冊目である。筆者
は、病んだ米国を見てしまったような居心地の悪さを感じた。今では一般の人が精神
科に気軽に行くと言われる米国だが、50年代の精神科重症患者が感じていたことが垣
間見られる。アルコール中毒、精神科治療の実態など、現在の日本でも問題になって
いる話題が盛り込まれている。
 ジム・トンプスンの作品には、病んだ人々が多く登場すると言う。筆者の知る限り、
精神科の患者が1人称で語る小説としては、きわめて語りにリアリティがある。また、
ノワールには珍しく主人公のキャラクターに共感しやすい。ジェフリー・オブライエ
ンによる巻頭のトンプスン論も興味深い。
                                (吉田博子)

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 ■ミステリ雑学 ―― フェルメールを巡る旅(後編)

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 前編で、ヨーロッパにあるフェルメールをすべて見ることができた。残る13枚のフ
ェルメールは、アメリカ合衆国東部にある。19世紀後半から第一次世界大戦勃発まで
の時代にカーネギーやロックフェラーのような大富豪があらわれて、巨万の富をヨー
ロッパの美術品の購入につぎ込み、邸宅を飾った。現在アメリカにあるフェルメール
は、このころから持ち込まれるようになったものだ。
●ワシントンDC
 ヒースロー空港からおよそ8時間30分のフライトで、ワシントンにつく。ワシント
ン記念塔からモールを東へ行くと、スミソニアンの博物館群がある。その一画を占め
るナショナル・ギャラリーは、収蔵品の質と量においてルーブル美術館にも匹敵する
といわれるが、入場は無料。存分に鑑賞しよう。メインフロアの西翼に《天秤を持つ
女》など、4点のフェルメールが展示されている部屋がある。
●ニューヨーク
 マンハッタンだけで十指にあまる美術館・博物館のあるこの街では、8点のフェル
メールを見ることができる。まず、セントラル・パークのメトロポリタン美術館へ。
なにしろ広いので、館内案内図を確保しておくことをおすすめする。2階のオランダ・
ギャラリーに《水差しを持つ女》など珠玉の5点が展示されている。
 次に、フィフス・アベニューを1キロほど南下したところにあるフリック・コレク
ションを見に行こう。ピッツバーグの鉄鋼王ヘンリー・クレイ・フリック(1849~
1919)の邸宅に、居室の装飾を残したまま《女と召使い》など3点が飾られており、
美術館の無機的な展示とはまた違った趣きを感じることができるだろう。
《聖女プラクセデス》を所有するバーバラ・ピアセッカ・ジョンソン基金は、ニュー
ヨークから電車で1時間ほどのプリンストンに本拠がある。
●ボストン――盗まれたフェルメール
 実は、この街にフェルメールはない。ボストン美術館に程近いイザベラ・ステュワ
ート・ガードナー美術館は、15世紀ベネチアの宮殿を模した美しい邸宅美術館である。
ここの2階のオランダ室に展示されていた《合奏》は、1990年に他の12点の美術品と
共に盗まれ、いまだに行方がしれない。絵のあった場所には、空の額縁だけがかけら
れている。
 FBIではホームページ上で事件の経過や作品リストを載せ、情報を集めている。
http://www.fbi.gov/hq/cid/arttheft/isabella/isabella.htm
全作品が無事に戻ってくる情報を提供した人には500万ドルの報奨金が出る。
《合奏》のほか、1971年に《恋文》、1974年に《ギターを弾く女》、1974年と1986年
に《手紙を書く女と召使い》が盗難にあっているが、これらは運良く戻ってきた。フ
ェルメールの神秘的ともいえる魅力は、犯罪者も含め、見るものを惹きつけるようだ。
《恋文》は盗難の際に非常に大きな損傷を受け、現在見られるのは修復された姿であ
る。《合奏》が無事な姿で発見されることを祈りたい。
*作品の邦題は『週刊美術館8 フェルメール』(小学館)に拠った。
                         (水島和美、かげやまみほ)

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 ■スタンダードな1冊 ―― 蘊蓄たっぷりの古書ミステリ

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 学生時代から古本屋が苦手だ。冷やかしに入ってはいけないような、通の人でなけ
れば相手にしてくれないような、そんな雰囲気に圧倒されてしまうせいだろう。だが、
いったん店内に入ってしまえば、新刊書店にはない独特の雰囲気につつまれ、飽きる
ことなく棚の本に見入ってしまう。ずっと探していた絶版本がきれいな状態で見つか
ったりすると、お店の人に頭をさげてお礼を言いたくなる。今月はそんな古書業界を
描いた本をご紹介する。1992年に出版され、その年のネロ・ウルフ賞を受賞した、ジ
ョン・ダニングの『死の蔵書』である。日本では1996年に翻訳され、同年の〈このミ
ステリーがすごい!〉の海外部門で堂々1位に輝いた傑作だ。

 コロラド州デンヴァーで、古本の掘り出し屋が殺された。掘り出し屋とは、その名
のとおり、二束三文で売られている本の山から売り物になる本を“掘り出す”商売だ。
いい売り物を掘り出せれば一攫千金も夢ではない。被害者がかなり腕のたつ掘り出し
屋だったことから、デンヴァー警察殺人課のクリフォード・ジェーンウェイ刑事は、
事件の背景には古書売買にからんだトラブルがあるとにらむ。だが、捜査はいっこう
に進展しない。そして、ジェーンウェイの身に一大転機が訪れる。
 主人公のジェーンウェイは刑事でありながら古書にも造詣が深い。自宅は「まるで
デンヴァー市立図書館の別館」というほど本であふれかえっている。単なる本好きで
なく、商品としての古書に対する知識も豊富。そんなジェーンウェイの口をとおして、
著者ダニングは古書に関する蘊蓄をこれでもかとかたむける。といっても、語られる
のはだれもが知っている作家や作品であり、しろうとにはちんぷんかんぷんという話
ではないのでご安心を。かの有名な大作家に対する痛烈な批判や、昨今の出版業界を
憂慮する発言など、ダニングのこだわりが感じられるのもおもしろい。

【今月のスタンダードな1冊】
『死の蔵書』ジョン・ダニング著/宮脇孝雄訳/ハヤカワ文庫
"BOOKED TO DIE" by John Dunning

【関連情報】
『死の蔵書』の続編『幻の特装本』を1995年に発表後、長らく沈黙を続けていたダニ
ングだが、今年になって待望の新作『深夜特別放送』(三川基好訳/ハヤカワ文庫)
が出版された。
                               (山本さやか)

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 ■速報 ―― CWA賞受賞作決定

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 英国推理作家協会(CWA)選考による、2001年のCWA賞受賞作が発表された。
おもな部門の受賞作は以下のとおり。

▼ゴールド・ダガー/シルヴァー・ダガー(最優秀長篇および次点)受賞作

 ・ゴールド・ダガー "SIDETRACKED" ヘニング・マンケル
  スウェーデン人作家による警察小説シリーズ。本国ではすでに10作を数える。英、
  独、仏など多数の国で翻訳されており、日本でも今年1月に第1作『殺人者の顔』
  (柳沢由実子訳)が創元推理文庫から刊行された。

 ・シルヴァー・ダガー "FORTY WORDS FOR SORROW" ジャイルズ・ブラント
  こちらはカナダ人作家の長篇2作目となるサスペンス作品。前作は『凍りつく眼』
  (岡田葉子訳/扶桑社ミステリー)として邦訳されている。

▼ジョン・クリーシー記念賞(最優秀新人賞)受賞作
  "THE EARTHQUAKE BIRD" by Susanna Jones
  殺人容疑で取り調べを受ける女性の一人称の語りが印象的な作品。邦訳『アース
  クエイク・バード』(阿尾正子訳/早川書房)は今月刊行された。

 その他の受賞作およびノミネート作については下記を参照のこと。
  http://www.thecwa.co.uk/cgi-bin/frame.pl?awards.html
                                (影谷 陽)


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■編集後記■
 新シリーズ「復刊してほしいミステリ」を立ち上げました。優れたミステリが復刊
されるよう、出版業界に向けて小さな声をあげていきたいと思っています。来月号で
はフーダニット翻訳倶楽部が選んだ今年のベスト・ミステリを発表します。 (片)


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 海外ミステリ通信 第4号 2001年12月号
 発 行:フーダニット翻訳倶楽部
 発行人:うさぎ堂 (フーダニット翻訳倶楽部 会長)
 編集人:片山奈緒美
 企 画:板村英樹、宇野百合枝、影谷 陽、かげやまみほ、小佐田愛子、
     中西和美、松本依子、水島和美、三角和代、山本さやか、
     吉田博子
 協 力:@nifty 文芸翻訳フォーラム
     小野仙内
 本メルマガへのご意見・ご感想 :whodmag@office-ono.com
 フーダニット翻訳倶楽部の連絡先:whodunit@mba.nifty.ne.jp
 http://www.nifty.ne.jp/forum/flitrans/whodunit/index.htm
 配信申し込み・解除/バックナンバー:
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 ■無断複製・転載を固く禁じます。(C) 2001 Whodunit Honyaku-Club
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             月刊 海外ミステリ通信
          第3号 2001年11月号(毎月15日配信)
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★今月号の内容★
〈特集〉        「ミステリと街」シリーズ 第1弾 《ボルチモア》
〈翻訳家インタビュー〉 上野元美さん
〈注目の邦訳新刊〉   『凍りつく心臓』『墜落のある風景』
〈ミステリ雑学〉    フェルメールを巡る旅(前編)
〈スタンダードな1冊〉 『ダウンタウン・シスター』
〈速報〉        アンソニー賞・マカヴィティ賞・バリー賞受賞作

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 ■特集 ――「ミステリと街」シリーズ 第1弾 《ボルチモア》
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 メリーランド州ボルチモア――“チャーム・シティ”という愛称で親しまれるこの
都市は、ワシントンDCから北東約64キロに位置する全米で15番目に大きな都市だ。
アメリカ有数の港町として、また工業の町、そしてスポーツの町として知られている。
 そんなボルチモアを舞台に、ミステリ・ファンならぜひとも知っておきたい魅力的
な女性私立探偵が活躍している。ローラ・リップマンが生み出したテス・モナハンだ。
相棒にグレイハウンド犬を従え、ウェイトリフティング、ボート漕ぎ、そしてジョギ
ングといういささかタフなエクササイズを趣味とし、ボルチモア名物カニ料理にはア
レルギー反応をおこしてしまうこのテスのシリーズは、アメリカで好評をもって迎え
られ、これまでにアンソニー賞、シェイマス賞、アメリカ探偵作家クラブ賞など数々
の賞に輝いている。今月の特集ではそんなテスとともに、ボルチモアを(1)インナ
ーハーバー、(2)ダウンタウン、(3)フェルズ・ポイント――この3地域に分け
て探索してみよう。

(1)インナーハーバー
 チェサピーク湾に面した港、インナーハーバー――ここを抜きにして“港町ボルチ
モア”を語ることはできない。テス・シリーズも、早朝にボートでチェサピーク湾に
漕ぎ出るテスの描写から物語の幕が開く。全米でもトップクラスの美しい港に数えら
れるこのインナーハーバーは、ボルチモア最大の観光名所だ。皆の憩いの場、ハーバ
ープレイスの円形劇場前では、天気のいい日に曲芸師や火食い奇術師らがパフォーマ
ンスをして賑わい、フェスティバルのような雰囲気を醸しだしている。ここにある2
つのヨーロッパ風建物と〈ザ・ギャラリー〉をあわせた3棟は、レストランや高級ブ
ランド品、工芸品店など200店舗以上が入居する一大ショッピングモールで、テスが
初めて尾行した女性が〈ヴィクトリア・シークレット〉でランジェリーを万引きして
いたのがここだ。そのほかにもボルチモアっ子が自慢する全米有数の国立水族館があ
り、南北戦争時代に造られて現代も唯一海に浮く〈コンステレーション号〉も展示さ
れ、観光の楽しみは尽きない。港の反対側には風変わりで個性的な作品を集めたアメ
リカン・ビジョナリー美術館がある。ここの最上階の〈ジョイ・アメリカ・カフェ〉
はエキゾチックな料理が売りで、ボルチモア一、クリエイティブなシェフがいること
で名高く、テスの友人が名づけていわく“異種混合料理”。ただし、あまりテスの好
みではない。ここからのインナーハーバーの眺めは絶景だ。

(2)ダウンタウン
 ダウンタウンの目抜き通りチャールズ・ストリートは、インナーハーバーの西を南
北に走っている。この付近一帯にはギャラリーやレストラン、古い家並みが続き、テ
スお気に入りのレストランやバーがある。さらにこの通りを北上すると中央分離帯に
高さ54メートルの白亜の塔、ワシントン・モニュメントが建っている。地元で「首都
にある記念碑より古い」ことが自慢のこのモニュメント、頂上まで続く階段は228段。
だがこれを登りきるのは、かなり鍛えているテスでも途中で目眩がするようだ。それ
でも頂上から一望できるボルチモアの景色はすばらしく、それだけ苦労して登った甲
斐ありというものだろう。この古いエレガントな家が集まった地区はマウント・バー
ノンと呼ばれ、史跡として国の指定を受けている。またここから数ブロック下ったと
ころにある聖母昇天寺院バシリカ聖堂や、以前は世界最大規模を誇ったイーノック・
プラット・フリー図書館近辺の落ち着いた雰囲気もテスが大切に思っているところだ。
 建国直後から続くアメリカ7大公営マーケットのひとつ、レキシントン・マーケッ
トもダウンタウンの名所だ。ボルチモアっ子で賑わうこの“庶民のマーケット”には
生活に密着した品物が並び、130を超える露天商がひしめき合って、売り子の客引き
の声が賑やかだ。新鮮な野菜や果物、魚介類を食べさせる店もたくさんあり、テスも
ランチをよくここで取る。ただ、ボルチモアもほかの大都市の例に漏れず近年犯罪率
が急上昇し、現在のダウンタウンはいたるところにホームレスがたむろする。テスが
幼い頃ホームレスの男に追いかけられたのも、ここレキシントン・マーケットだった。
 テスたちが物語中でよく話題にする作家がいる。ハードボイルド作家のジェイムズ
・M・ケインだ。ケインはテスが卒業したワシントン・カレッジの総長の息子として
このボルチモアに生を受け、テスの生みの親であるリップマン同様《ボルチモア・サ
ン》紙の記者だった。そしてこの街にはもうひとり、忘れてはならない所縁のあるミ
ステリ作家がいる――エドガー・アラン・ポーだ。レキシントン・マーケットの南、
ウェストミンスター教会の敷地内に、エドガー・アラン・ポーの墓がある。ただし、
有名作家の墓所だというのに、この辺は治安が極端に悪く周囲の環境も劣悪だ。
 ところでボルチモアのスポーツといえば、真っ先に野球を思い浮かべる人は多いの
ではなかろうか。ダウンタウン南西地区には野球の神様、ベーブ・ルースの生家と大
リーグ、ボルチモア・オリオールズの本拠地カムデン・ヤードがあり、銅像のベーブ・
ルースが観戦客を出迎えてくれる。オリオールズは地元メリーランド州だけでなく、
ワシントンDCなど近隣地域にも多くのファンを抱える伝統的なチームだ。オリオー
ルズ一筋の野球人生を送り、今季限りで引退したカル・リプケン選手は、大リーグ最
高の連続出場記録を持つ“鉄人”として、大人から子供まで絶大な人気を誇っていた
ことは記憶に新しい。

(3)フェルズ・ポイント
 テスは最新作でダウンタウン北部に移り住むが、それまではインナーハーバー東部
に位置するフェルズ・ポイントでくらしている。フェルズ・ポイントはインナーハー
バーからウォータータクシーに乗るか、テスのように市バスに乗って15分ほどで行け
る距離にある。メインストリートのブロードウェイ沿いには、テスが過去2年間週5
回朝食に通った馴染みのダイナー〈ジミーズ〉など、地元でも人気のある店が並ぶ。
 東部らしい町並みが魅力的なフェルズ・ポイントだが、この街を一躍有名にしたも
のがある。シリーズ3作目『スタンド・アローン』で、テスの相手役刑事に「(近所
で撮影が行われていると)道路が閉鎖されたりなんだりして、大騒ぎになるからね」
といわしめた、ボルチモア市警殺人課刑事たちの活躍と、その人間模様を描いたテレ
ビ番組『ホミサイド~殺人捜査課』だ。日本でもテレビ放映され人気の高いこの番組
は、その撮影ロケの大半が実際にここフェルズ・ポイントで行われており、ウォータ
ータクシーで接岸するや警察本部の大掛かりなセットが訪れる人々の目を引く。この
番組の認知度の高さについて、テスは「一度などある強盗が間違って俳優たちに自首
してしまったほどだ」と語っている。

 本シリーズの魅力はそのプロットもさることながら、なんといっても等身大の女性
として今を生きるテスの暖かみあるキャラクターだろう。だが、ボルチモアの地図を
傍らに本シリーズを読んでいくと、実存する通りや店名などがいかに多く描かれてい
るかに驚かされるに違いない。まるで“生きているような”と評されるこのボルチモ
アの活写があるからこそ、テスをはじめとする登場人物たちも血の通ったキャラクタ
ーとして活き活きと読者に迫ってくるのではなかろうか。

 最後にマーガレット・マロンの言葉を引用して終わりたい――「ローラ・リップマ
ンのようなクロニクラーを得たボルチモアはなんという幸せな街だろう」

【ローラ・リップマン既刊情報】
〈テス・モナハン・シリーズ〉
『ボルチモア・ブルース』   岩瀬孝雄訳/ISBN: 4-15-171652-1
『チャーム・シティ』     岩瀬孝雄訳/ISBN: 4-15-171651-3
『スタンド・アローン』    吉澤康子訳/ISBN: 4-15-171653-X
『ビッグ・トラブル』     吉澤康子訳/ISBN: 4-15-171654-8
               (いずれもハヤカワ・ミステリ文庫刊)
"THE SUGAR HOUSE"(未訳)   William Morrow/ISBN: 0380978172
"IN A STRANGE CITY"(未訳)  William Morrow/ISBN: 0380978180
                (文/宇野百合枝 協力/松本依子、水島和美)

●リップマンが描くボルチモア――未訳書から

 "THE SUGAR HOUSE" by Laura Lippman
 William Morrow/2000.09/ISBN: 0380978172

《お菓子の家と囚われのこどもたち》

「テスは東のほうの眺めが好きだった。煙突や〈ドミノ・シュガー〉の赤いネオンが
並んでいる」(『ボルチモア・ブルース』p.39より)

 テスが父の古い友人ルーシーから依頼された仕事は奇妙なものだった。ルーシーの
弟が身元不明の女性を殺した罪で服役してすぐ刑務所内で何者かに殺されたのは、被
害者の女性に関係があるのではないか、その真相をつきとめて欲しいというのだ。警
察はすでに女性の身元捜しを打ち切っていたが、テスが独自に調べ始めると、ひょん
なところから、女性は〈シュガー・ハウス〉と呼ばれる場所にいたらしいという情報
をつかむ。〈ドミノ〉か〈シュガー・ハウス〉、またはそれに近い名で呼ばれる、怪
しげなバーや、摂食障害がある資産家の娘たちを治療する施設などを調べるうちに、
ある上院議員に近いロビイストや、市のアルコール検閲官であるテスの父の同僚とい
った意外な人物が、関係者として浮かび上がってくる。

〈ドミノ・シュガー〉は全米有数の精糖会社だが、現在は外国企業に買収され、また
今年7月にある投資グループへ売却される契約が交わされた。幸いにして、地元の人
々が〈シュガー・ハウス〉と呼ぶボルチモアの精糖工場と、そのネオンサインは、そ
のまま残される予定とのことで、人々は胸をなでおろしているようだ。工場はローカ
スト・ポイントのチェサピーク湾に面したところにあり、赤く眩いネオンは対岸のど
こからでも目にすることができる。街がめまぐるしい変貌を遂げるなかにあってもな
お、約半世紀にわたって変わらないその光景を、人々はほろ苦い思いで眺めながら、
深く記憶に刻みつづけるのだろう。テスは幼い頃、その赤いネオンのうしろには、神
様が隠れているのではないかと想っていたという。ボルチモアを一望できる砂糖の山
の頂は、天国にふさわしい場所に感じられたから……。
                                (松本依子)
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 "IN A STRANGE CITY" by Laura Lippman
 William Morrow/2001.09.08/ISBN: 0380978180

《ポーに乾杯――バラとコニャックを供え続けて50年》

〈訪問者〉、それはボルチモアの住民ならば誰でも知っているが、正体は謎である人
物。1月19日のE・A・ポーの誕生日に、1949年以来かかさず墓前に供え物を続ける
彼/彼女は、愛すべき伝説として市民からそっと見守られている存在だ。ところが、
よりによってその正体を暴いてほしいという依頼人が事務所にやってきたから、テス
は眉をひそめる。アンティーク・バイヤーをなのる依頼人は偽物をつかまされたのだ
が、雲隠れした取引相手が〈訪問者〉ではないかとうたがっているらしい。2日後の
ポーの誕生日に首根っこをおさえ、正体をばらさないかわりにそれなりの償いをしろ!
と迫る腹づもりのようだが、テスはなにもかもがうさんくさい依頼人を本気で相手に
する気にはなれず、脅迫の片棒はかつげませんと、けんもほろろに追い返す。しかし
〈訪問者〉を守らねばとの使命感にかられた恋人に説得され、けっきょくテスは当日
ポーの眠る墓地に出向くのだが……。

 世の中には愉しい謎が残っているものだ。〈訪問者〉、別名ポー・トースター(乾
杯する人)は実在している。1990年に『ライフ』誌が墓前にたたずむ姿を写真におさ
めることに成功しており(意図してのことだろう、遠くから撮ったぼやけた写真であ
るが)、そこには年齢も性別も判断できない、すっぽりマントにくるまった人影があ
る。この人物が墓前に捧げるのは3本の赤いバラとボトル半分になったコニャック。
3本はポーと義母と幼妻ヴァージニアをさしているだとか、〈訪問者〉の正体はポー
の熱烈なファンなのか、はたまた親戚かだとか、50年以上も続いている儀式に、ひょ
っとしたら〈訪問者〉は2代目、3代目ではだとか、さまざまな憶測がとびかってい
るそうだ。墓ちかくにあるポーの家にはコニャックのボトルが展示されており、市民
の思い入れがうかがえるというもの。推理小説の父ポーがはからずも遺した粋な謎を
共有できるとは、ボルチモアの住民がなんともうらやましいかぎりである。
                                (三角和代)

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 ■翻訳家インタビュー ―― 上野元美さん
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 今月は、はじめての訳書『テロリズム』がふたたび脚光を浴びている、上野元美さ
んにお話をうかがいます。
+――――――――――――――――――――――――――――――――――――+
|《上野元美さん》1960年生まれ。三重県出身。静岡女子大学文学部卒。1999年に|
|『テロリズム』(ブルース・ホフマン著/原書房)で翻訳家デビュー。その他の|
|訳書に『細菌戦争の世紀』(トム・マンゴールド&ジェフ・ゴールドバーグ著/|
|原書房)がある。二階堂黎人・森英俊共編によるアンソロジー『密室殺人コレク|
|ション』(原書房)では、ロバート・アーサーの短篇「ガラスの橋」を翻訳。 |
+――――――――――――――――――――――――――――――――――――+

【Q】翻訳の道に進まれたきっかけをお聞かせください。
【A】もともと本が好きで、少女時代から外国文学に親しんでいましたが、最初から
翻訳家だけをめざしていたわけではありません。ひとりでできる仕事をしたいと思っ
ていて、その選択肢のひとつが翻訳でした。ある翻訳家のかたの下訳をしたりして経
験を積むうちに、原書房から『テロリズム』の仕事をいただくことができました。苦
労はいろいろしたのでしょうが、記憶に残っている苦労は英文に苦しめられたことく
らい。それはいまも変わりませんが。

【Q】『テロリズム』、『細菌戦争の世紀』と、硬い感じのノンフィクションを続け
て訳されていますが、こういったテーマに関心がおありだったのですか?
【A】軍事ものの下訳が多かった関係で、たまたまいただいた仕事なんですよ。自分
では単なる偶然と思っていましたが、ご質問をいただいてあらためて考えてみると、
学生時代から国際関係には興味があり、この方面の本をずいぶん読んでいました。冒
険ものに親しんでいたこともあり、楽しくやれた仕事です。

【Q】偶然とはいえ、2冊ともタイムリーな内容ですね。
【A】はじめての訳書『テロリズム』は、テロリズムの歴史をていねいにまとめたも
ので、いまなぜ宗教テロなのかという疑問に答えてくれます。また、『細菌戦争の世
紀』は、生物兵器に関する知識だけでなく、それを発展させ使用してきた国々の内情
などにも踏み込んだ内容になっています。いま大問題になっている炭疽菌についても、
くわしいことがわかります。見えない、聞こえないテロについて、警鐘を鳴らす書で
もあります。

【Q】アンソロジー『密室殺人コレクション』で、本格ミステリを訳されていますが。
【A】ある仕事を通じて知り合った編集者と、本格ミステリのことで話がはずんだの
がきっかけで、あの中の一編を訳すことになりました。

【Q】ミステリもそうとうお好きなんですね。
【A】ええ。海外のミステリ作家でいま好きなのは、ドロシー・L・セイヤーズ、エ
ドマンド・クリスピン、それにピーター・ラヴゼイです。ミステリの中でも、謎解き
以外のどうでもいいことが、あれやこれやと書かれているものが好きなんですよ。こ
の3人の小説はみな、そのどうでもいいドタバタの部分がおもしろくて。ほかには、
リンゼイ・デイヴィスやロバート・ファン・フーリックも好きです。時代や場所など
の舞台設定が気に入っています。

【Q】今後はどのような本を訳していきたいですか?
【A】いちばんやりたい分野は、冒険もの、軍事もの、国際情勢に関するものですが、
フィクション、ノンフィクションという枠にとらわれず、興味のあるジャンルには積
極的にチャレンジしていくつもりです。例をあげるなら、自然科学、スポーツ、歴史
関係などでしょうか。もちろんミステリや一般の小説にも興味がありますよ。英米版
の平家物語といった感じのスケールの大きな小説なんか、いいですね。とにかく、い
まはなんでもやってみたいんです。
                         (取材・構成 山本さやか)

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 ■注目の邦訳新刊レビュー ――『凍りつく心臓』『墜落のある風景』
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『凍りつく心臓』 "IRON LAKE"
 ウィリアム・K・クルーガー/野口百合子訳
 講談社文庫/2001.09.15発行 990円(税別)
 ISBN: 4-06-273260-2

《1999年度、アンソニー賞およびバリー賞の最優秀処女長編賞受賞作品》

 吹雪のなかを新聞配達に出かけたまま、息子が帰ってこない――少年の母親からこ
んな相談を受けたとき、コーク・オコナーはまんざらでもない気分だった。シカゴで
警官を務めたあと、故郷の町オーロラに戻って保安官になったが、ある事件をきっか
けに職を追われ、今は夏のあいだだけ営業する小さなハンバーガー・ショップの主人
になっている。やりがいのある仕事を失って挫折感にさいなまれ、家族を顧みる余裕
を持てずにいるうちに、妻の心は次第に離れ、ティーンエイジャーの娘も反抗的な態
度を取るようになった。仕事に続いて家族も失いつつある空虚な日々のなかで、だれ
かに必要とされるのはずいぶん久しぶりだ。だからコークは、少年を探して除雪もさ
れていない夜の道をたどることを、少しもおっくうとは思わなかった。
 だが、少年の配達先である判事の家を訪れたコークは、そこで判事の死体を発見す
る。行方不明の少年は、判事の死となにか関係があるのだろうか。徐々に深く事件に
関わっていくコークに、心臓が凍るほど冷たい感情を抱かせた真実とは……?
 舞台となるのはカナダとの国境に近いミネソタ州の小さな町、オーロラ。冬になる
と、アイアン湖の上を渡ってカナダからの烈風が吹き付け、森に囲まれたこの町は深
い雪に閉ざされる。人生を立てなおそうと悩み苦しむコークの背景で、大自然は厳然
と存在しつづけている。身を切るほど冷たい、静謐な澄んだ空気をも感じられるよう
な作品だ。アメリカの有名なミステリ賞をダブル受賞という輝かしいデビューを遂げ
たクルーガーは、本書に続くコーク・オコナー・シリーズをすでに2冊発表している。
                                (中西和美)
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『墜落のある風景』 "Headlong"
 マイケル・フレイン/山本やよい訳
 創元推理文庫/2001.09.28発行 1,100円(税別)
 ISBN: 4-488-21602-1

《転がり落ちるのは誰? 絵の中の小男か、画家なのか、それともぼく?》

 16世紀、オランダ独立戦争勃発寸前の動乱期に生きた画家ブリューゲル。臨終にさ
いして家にあった作品を焼却させたことなど、その生涯には謎が多い。

 田舎で論文を仕上げることにした哲学者のマーティンは、隣人トニーから初めて屋
敷に招かれた。妻のケイトは美術史家、その影響でマーティンも図像解釈学(絵画に
描かれたモティーフの意味を推察する)に手を染めている。きっとまた家宝の鑑定で
も頼まれるんだろう。悪い予感があたり、逃げ出しかけたマーティンはとんでもない
絵を見てしまう。暖炉の煤よけにされていたのは、ブリューゲルの連作の中の1枚で
はないだろうか。その場でマーティンは決心する。無知なトニー夫妻をだまし、あの
絵を買い取ってしまおう。自分の良心と妻のケイトをごまかしながら、マーティンは
ぶきっちょな詐欺計画を練り上げる。おまけにトニーの妻ローラが、足しげく訪れる
マーティンは自分に気があるものと勘違いし、迫ってきたりするものだからますます
話がややこしくなってくる。

 もうひとつ大きな気がかりがある。あれは間違いなくブリューゲルの作品だったの
だろうか? 関心を悟られないため、汚れた絵を一瞬眺めただけだったのだ。マーテ
ィンはブリューゲルについて調べはじめる。

 著者マイケル・フレインは英国きってのユーモア作家。マーティンの一人称で、企
てた詐欺の顛末が皮肉っぽく愉快に語られる。さらに、読者はマーティンからブリュ
ーゲルの置かれた時代状況を学生さながらに詳しく講義され、ブリューゲルが絵の中
に隠したメッセージをともに推理していくことになる。邦訳版には、原書にはないブ
リューゲルの作品の図版も入っている。1999年ブッカー賞とウィットブレッド賞にノ
ミネートされた作品。
                               (小佐田愛子)

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 ■ミステリ雑学 ―― フェルメールを巡る旅(前編)
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「いったい、あなたの望みは何なの、バーニー?」
「死ぬ前に、世界中に散らばっているフェルメールの絵を残らず見ることでしょうか」
「あなたをフェルメールにのめりこませたのはだれか、訊くまでもないわね?」

    (『ハンニバル』トマス・ハリス/高見浩訳/新潮文庫 上巻p.162より)
----------------------------------------------------------------------------
 バーニーをフェルメール愛好者にしたのは、いうまでもなくハンニバル・レクター
博士だ。ボルチモア州立病院の看護人だったバーニーは、重大犯罪人として収監され
たレクターに尊敬と畏怖をもって接したことから話し相手として認められ、知識の片
鱗を伝授されるなど影響を受けた。フェルメールもそのひとつであったようだ。

 ブリューゲルから時代を下ること100年、同じオランダで生涯を過ごしたヨハネス・
フェルメール(Johannes Vermeer)は謎の多い画家である。伝記的事実は断片的にし
かわかっておらず、一生のうちに残した作品はわずかに30数点。その中にはフェルメ
ールの作か否かがいまだに明確でないものも数点含まれる。そしてこの稀少性が災い
して、贋作を発表されたり、盗難の被害に遭ったりと、現在に至るまでいくたびも犯
罪のターゲットになってきた。
 だが作品に向かい合ってみると、ミステリアスな影は感じられない。多くは窓から
やわらかな光の差し込む室内で、手紙を書いたり語らったりする庶民の日常のひとこ
まを描いており、時間が止まったような、おだやかな明るさに満ちている。
 この魅力にひかれ、全作品を見たいと願うファンは多いという。そこで本コーナー
でも、フェルメールをすべて見ることをテーマに旅行計画を練ってみた。まずは全作
品を閲覧できる下記のサイトで予習をしておこう。
http://www.ccsf.caltech.edu/~roy/vermeer/thumb.html

●オランダ(成田→スキポール空港・約15時間)
 最初に行きたいのはやはり画家の母国オランダだ。空港からアムステルダム中央駅
までおよそ30分。中央駅から国立美術館までは路面電車もあるが、運河をめぐる水上
バスを使うのもオランダならでは。美術館2階に上ると、代表作のひとつ《牛乳を注
ぐ召使い》のほか3点が見られる。中央駅に戻り、電車で1時間弱でハーグへ。ハー
グ中央駅から1キロほどのマウリッツハイス美術館には3点が所蔵されている。ここ
では、少女が振り返る一瞬の表情をとらえた《青いターバンの少女》、運河を描いた
風景画《デルフトの眺望》の2作をぜひゆっくりと眺めたい。ここからフェルメール
が住んでいた町デルフトへは電車で20分ほどだ。作品は展示されていないが、教会な
ど17世紀の面影があちこちに残る街並みを散策しよう。
●ドイツ→オーストリア→フランス
 ドイツ国内には作品が多数ある。ベルリンの中心部、ポツダム広場に近いベルリン
絵画館に2点。フランクフルトのシュテーデル美術研究所に1点。ドレスデンの州立
絵画館に2点。北部の町ブラウンシュヴァイクにある、ヘルツォーク・アントン・ウ
ルリヒ美術館に1点。これらを見るには、ベルリンを拠点にして2日ほどかけるのが
いいかもしれない。次にウィーンへ飛ぶ。ウィーン美術史美術館には大作《絵画芸術
の寓意》がある。パリのルーヴル美術館には2点が収蔵されている。
●イギリス→アイルランド
 ロンドンの観光名所であるトラファルガー広場に面したナショナル・ギャラリーで、
2点が見られる。さらにバッキンガム宮殿内のギャラリーをのぞくと《音楽のレッス
ン》、北部のケンウッド・ハウスには《ギターを弾く女》と、ロンドンには音楽を主
題にした作品が多いようだ。エディンバラへは飛行機か、電車で4時間半かけてのん
びりと移動するのもいい。スコットランド国立美術館で1点が見られる。
 アイルランドに渡り、ダブリンの国立美術館で《手紙を書く女と召使い》を見て、
ヨーロッパにあるフェルメールはすべて見たことになる。     (次号へ続く)
*作品の邦題は『週刊美術館8 フェルメール』(小学館)に拠った。
                           (影谷 陽、水島和美)

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 ■スタンダードな1冊 ―― 女性探偵、颯爽と登場
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 1972年にP・D・ジェイムズがコーデリア・グレイを世に送り出した時、探偵は
「女には向かない職業」だった。しかしさまざまな女性探偵たちが活躍する現在、探
偵が「女には向かない職業」だなんて誰が言うだろう?

 ミステリの世界で女性探偵がほとんどいなかった80年代初め、サラ・パレツキーの
V・I(ヴィク)・ウォーショースキーとスー・グラフトンのキンジー・ミルホーン
は誕生した。この2人の登場で女性探偵を主人公としたミステリの地位が確立された、
と言っても過言ではないだろう。今回取りあげるのは、ヴィク・ウォーショースキー・
シリーズの5作目にあたる『ダウンタウン・シスター』だ。この作品は88年にCWA
賞のシルバー・ダガーを受賞し、パレツキーの代表作とも言われている。
 ヴィクは、子供の頃に子守りをしたこともある、妹のような存在だった幼なじみの
女性から父親探しを依頼される。何の手がかりもないまま調査をはじめたものの、事
態はしだいに思わぬ方向へと進んでいくのだった。
 事件解決後の後日談が書かれた最終章は、しみじみとした余韻があり代表作にふさ
わしい結末だ。命の危険も顧みず目標に向って突っ走っていく彼女を見守る、友人や
隣人たちの思いやりと温かさも忘れてはいけない。彼らがいなければ、このシリーズ
は成り立たないだろう。ヴィクの激しすぎる性格と強すぎる自立心に、違和感を感じ
る人もいるかもしれない。しかし女性の社会進出が本格的に始まった80年代に社会へ
出て行った女性なら、ヴィクの気持ちや行動が理解できるのではないだろうか。

【今月のスタンダードな1冊】
『ダウンタウン・シスター』サラ・パレツキー著/山本やよい訳/ハヤカワ文庫
"BLOOD SHOT" by Sara Paretsky

【関連情報】
●ヴィク・シリーズの最新作 "TOTAL RECALL" が、今年9月にアメリカで発売された。
『わたしのボスはわたし』山本やよい著/廣済堂出版(2001年6月発売)
 ヴィク・シリーズの翻訳者、山本やよいさんがヴィクについて語ったエッセイ。
『女には向かない職業』P・D・ジェイムズ著/小泉喜美子訳/ハヤカワ文庫
スー・グラフトンは『アリバイのA』でデビュー。現在シリーズは16作目まで発表
 されている。
                              (かげやまみほ)

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 ■速報 ―― アンソニー賞・マカヴィティ賞・バリー賞受賞作決定!
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 第32回バウチャーコンは当初の予定どおり、去る11月1日~4日の4日間にわたっ
て開催され、アンソニー賞、マカヴィティ賞およびバリー賞の受賞作発表と授賞式が
おこなわれた。各賞のおもな受賞作は以下のとおり。

●アンソニー賞受賞作
 ▼最優秀長篇賞 『処刑の方程式』 ヴァル・マクダーミド
  今年度のMWA賞、マカヴィティ賞、そしてこのアンソニー賞と、アメリカのお
  もだった賞すべてにノミネートされた、マクダーミドのシリーズ外作品。イギリ
  スの寒村でひとりの少女が行方不明になった。家出か、それとも事件か。700ペ
  ージ強というボリュームにもかかわらず、けっして飽きさせることなく一気に読
  ませる力量はさすがである。翻訳は森沢麻里訳で集英社文庫から出ている。

 ▼最優秀処女長篇賞 "DEATH OF A RED HEROINE" by Qiu Xiaoling
 ▼最優秀ペーパーバック賞 "DEATH DANCES TO A REGGAE BEAT" by Kate Grilley

  その他の受賞作およびノミネート作については下記を参照のこと。
   http://www.bouchercon2001.com/recipients_2001.html

●マカヴィティ賞受賞作
 ▼最優秀長篇賞 『処刑の方程式』 ヴァル・マクダーミド
  こちらでもマクダーミド強し。MWA賞は逃したものの、目の肥えたミステリ・
  ファンから絶大なる支持を受け、アンソニー賞とのダブル受賞となった。

 ▼最優秀処女長篇賞 『紙の迷宮』 デイヴィッド・リス

  その他の受賞作およびノミネート作については下記を参照のこと。
   http://www.mysteryreaders.org/Macavity.html

●バリー賞受賞作
 ▼最優秀長篇賞 "DEEP SOUTH" ネヴァダ・バー
  女性パークレンジャーのアンナ・ピジョンを主人公にしたシリーズもの。同シ 
  リーズは、『死を運ぶ風』(松井みどり訳/小学館文庫)および『極上の死』 
  (栗原百代訳/小学館文庫)が翻訳されている。

 ▼最優秀処女長篇賞 『紙の迷宮』 デイヴィッド・リス

  その他の受賞作およびノミネート作については下記を参照のこと。
   http://www.deadlypleasures.com/Barry2001.htm
                               (山本さやか)

―――――――――――――――――――――――――――――――――
■お知らせ■ 本マガジンで紹介した書籍が一覧できる Web ページを作りました。
ワンクリックでオンライン書店へも移動できます。どうぞご利用ください。
http://www15.u-page.so-net.ne.jp/ya2/y-kage/mag/regular.html(連載コーナー)
―――――――――――――――――――――――――――――――――


―――――――――――――――――――――――――――――――――
■編集後記■
 シリーズ「ミステリと街」いかがでしたか。ミステリ作品のなかで街を魅力的に描
いた作家・作品を、これからもときどきご紹介します。
 そろそろ2001年のベスト・ミステリが気になる季節になりました。話題作のあれも
これもまだ読んでいない……と、ひたすら読書に励む日々です。      (片)


******************************************************************
 海外ミステリ通信 第3号 2001年11月号
 発 行:フーダニット翻訳倶楽部
 発行人:うさぎ堂 (フーダニット翻訳倶楽部 会長)
 編集人:片山奈緒美
 企 画:宇野百合枝、影谷 陽、かげやまみほ、小佐田愛子、中西和美、
     松本依子、水島和美、三角和代、山本さやか
 協 力:@nifty 文芸翻訳フォーラム
     小野仙内
 本メルマガへのご意見・ご感想 :whodmag@office-ono.com
 フーダニット翻訳倶楽部の連絡先:whodunit@mba.nifty.ne.jp
 http://www.nifty.ne.jp/forum/flitrans/whodunit/index.htm
 配信申し込み・解除/バックナンバー:
 http://www.nifty.ne.jp/forum/flitrans/whodunit/magazine/index.htm

 ■無断複製・転載を固く禁じます。(C) 2001 Whodunit Honyaku-Club
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