忍者ブログ
 フーダニット翻訳倶楽部のブログです。倶楽部からのお知らせ、新刊情報などを紹介します。  トラックバックとコメントは今のところできません。ご了承ください。  ご連絡は trans_whod☆yahoo(メール送信の際に☆の部分を@に変更してください)まで。お返事遅くなるかもしれませんが、あしからずご了承ください。お急ぎの方はTwitter @usagido まで。
[53]  [52]  [51]  [50]  [49]  [46]  [45]  [44]  [43]  [42]  [41
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
             月刊 海外ミステリ通信
          第8号 2002年4月号(毎月15日配信)
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

★今月号の内容★
〈特集〉        2002年MWA賞最優秀処女長篇賞ノミネート作全レビュー
〈翻訳家インタビュー〉 大嶌双恵さん
〈注目の邦訳新刊〉   『雪の死神』
〈ミステリ雑学〉    スパイになった大リーガー
〈スタンダードな1冊〉 『警察署長』


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 ■特集 ―― 2002年MWA賞最優秀処女長篇賞ノミネート作全レビュー

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 今回の特集は、5月2日に行われるMWA(アメリカ探偵作家クラブ)賞受賞式に
先立ち、将来が期待される処女長篇賞にノミネートされた5つの作品を紹介する。

 1945年にミステリの普及とミステリ作家の地位向上などを目的として設立されたM
WAが、その一環として1946年に設けたのがエドガー賞だ。この賞はミステリ関係の
賞としては一番古く、現在ではもっとも影響力を持つ賞となっている。最優秀賞受賞
者には、ミステリの祖であるエドガー・アラン・ポーの胸像が贈られる。MWAが贈
る賞としてはエドガー賞が有名だが、他にも巨匠賞やエラリー・クイーン賞などがあ
り、それらの賞を全部まとめてMWA賞と呼ばれることも多い。

 処女長篇部門はエドガー賞の第1回から設けられている賞である。最優秀処女長篇
賞を受賞しその後活躍している作家は多く、90年代に入ってからの受賞者には〈検屍
官シリーズ〉(講談社)のパトリシア・コーンウェル、〈ボッシュ・シリーズ〉(扶
桑社)のマイクル・コナリー、〈捜査官ケイト・シリーズ〉(集英社)のローリー・
キングなどがいる。
 ここ2年は、『頭蓋骨のマントラ』(早川書房)のチベット、『紙の迷宮』(早川
書房)の18世紀初頭のイギリスと、アメリカが舞台ではない作品が選ばれていた。だ
が今年のノミネート作は、5作品すべてが現代のアメリカが舞台であり、多かれ少な
かれアメリカ社会の暗部を描き出している。いずれもノミネート作にふさわしい力作
のようだが、果たして受賞するのはどの作品か、5月2日の発表を待ちたい。
                              (かげやまみほ)

                  ●

"OPEN SEASON" by C. J. Box
Putnam/2001.07.05/ISBN: 0399147489

《誇り高き狩猟監督官の選択》

 わたしたちは日常的にさまざまな選択を繰り返している。そうした選択の積み重ね
が人生の質を決めるのだと、新人狩猟監督官のジョー・ピケットが教えてくれる。

 ジョーは過疎化が進むワイオミング州サドルストリング地区に赴任した。山中の柵
の修理や密猟の取り締まりといった職務にまじめにはげんでいるが、融通がきかない
ために人間関係での衝突が多い。なかば伝説と化した前任者となにかにつけて比べら
れ、ぱっとしない毎日を送っている。ぱっとしないのは年俸も同じで、妻とふたりの
娘を養うのは一苦労だ。ところが、監督官宿舎で死体が発見される事件が起こり、ジ
ョーの人生は転機を迎える。事件に絡んだ山での銃撃戦で名を挙げ、ある仕事のオフ
ァーを受けたのだ。年俸はいまの3倍。転職すれば家族に楽をさせてやることが可能
だが、監督官はおさないころからの憧れの職で、今回の事件に気がかりな点も残って
いる。ジョーの取るべき道は――。

 自分の身の振り方だけでなく、さらに大きな社会問題についても選択を迫られる監
督官を描いたサスペンス。ひとり正義を貫く男はミステリで頻繁に用いられるモチー
フだが、「ひとり」をバックアップする家族の存在の描写が白眉。それぞれが自律す
る夫婦のあいだの距離感が好ましかった。狩猟監督官に関する情報が新鮮でシリーズ
化も決定している。もうひとひねり欲しい箇所もあるが、魅力はじゅうぶん、有力候
補のひとつではないだろうか。さて、MWAの選択はいかに?
                                (三角和代)
----------------------------------------------------------------------------
"RED HOOK" by Gabriel Cohen
Thomas Dunne Books/2001/ISBN: 0312274580

《無残な他殺死体が思い出させたものは……。ハードボイルドに期待の新人登場》

 ニューヨーク市警のベテラン刑事ジャック・レイトナーは、ブルックリン・サウス
殺人特捜班に配属されてから12年になる。数え切れないほどの死体を目にしてきたこ
とで、いたましい姿の被害者を前にしても、プロとして冷静な態度を保つだけのキャ
リアは積んできたはずだった。だが、生まれ育ったレッド・フックの運河沿いで若い
男の遺体を調べていたとき、彼は突然吐き気を催すほどの激しい動揺に襲われる。
 なぜその被害者だけが特別なのか。なにかに突き動かされるように、ジャックはそ
の殺人事件の捜査にのめり込んでいく。それは、両親や別れた妻にも決して語ること
のできなかった少年時代の暗い記憶を呼び覚まし、忘れてしまいたい過去と対峙する
ことを意味していた。刑事としてのキャリアや自分の命を賭してまで、彼を事件解決
に駆り立てたものとはなんだったのか。そしてすべてが明らかになったとき、封印し
ていた過去を清算することはできるのか――。

 ニューヨーク湾に突き出すように、ブルックリン北部に位置するレッド・フック。
現在は犯罪多発地帯として恐れられているこの一帯も、波止場がすたれる以前は1万
人以上の港湾労働者とその家族が生活する活気にあふれた街だったという。本書はス
ピード感のある展開で読者を引っ張っていく優れたミステリであると同時に、ひとつ
の街の栄枯盛衰を描いた作品でもある。著者はデビュー作とは思えないほど卓越した
筆致で人物や情景を生き生きと描き出し、人間の内面と実在の街を鮮やかに表現する
ことに成功している。背景となる8月の熱気すら感じさせるこの作品が新人賞にノミ
ネートされたのも当然と言えるだろう。
                                (中西和美)
----------------------------------------------------------------------------
"LINE OF VISION" by David Ellis
Putnam Pub Group/2001.02/ISBN: 0399147071

《人妻との甘美な不倫、はたしてその代償は?》

 若きエリート投資銀行行員、マーティ・カリシュには、地元名士の妻、レイチェル
との不倫という秘密があった。そして毎木曜の夜、レイチェルは彼のためにだけ窓越
しに甘美なストリップショーを演じてくれる。ところが今夜マーティがそこに見たも
のは、夫の暴力に怯えるレイチェルの姿だった。逆上したマーティは、愛するレイチ
ェルを守ろうとガラス窓を叩き割って家の中に侵入する。夜の静寂に響き渡る2発の
銃声――。あとにはレイチェルの夫の死体を遺棄し、鉄壁のアリバイ作りに奔走する
マーティの姿があった。
 後日捜査の手が伸び容疑者となったマーティは、自分が殺ったと自供する。だがそ
の様子はなにかをひた隠しているようなのだ……。かくして迎える裁判のとき。死刑
が求刑される中、最高の弁護士を味方に得たマーティは自供を撤回し無罪を主張。果
たして、あの晩一体なにが起きたのか。そして今、マーティでさえも知らなかった驚
愕の真実が明らかになる。
 本書は自分の才覚で窮地を脱した男の物語だ。才気溢れ、ときに内省的な主人公マ
ーティの行動には全編を通して不可解な部分が多い。おまけに全く先の読めない二転
三転するプロットに、読者は一体どういうことかと思わずページを繰り続けることに
なる。そして大団円でそれまでの謎が明確に1つの形を成したとき、作者の筆さばき
に「うまい!」と脱帽するにちがいない。また、さすがに現役弁護士作家の手による
ものだけあり、中盤からの丁丁発止と渡りあう法廷シーンはR・N・パタースンばり
に読ませる。リーガルもの好きには楽しみな、将来を十分期待させる新人作家の登場
だ。
                               (宇野百合枝)
----------------------------------------------------------------------------
"GUN MONKEYS" by Victor Gishler
UglyTown/2001.12/ISBN: 0966347366

《復讐か逃亡か、律儀な殺し屋が選んだ道は?》

 オーランドを牛耳るギャングのスタンは81歳になる。ディズニーで急成長した街に
昔風のやり方では追いつかないと、スタンの地位を狙うのはマイアミにテリトリーを
持つベガーだ。今回は、この街に来ている自分の子分を始末し、持ち出したブリーフ
ケースを取り戻してほしいと強引にスタンに頼んできた。
 その仕事を割り当てられたチャーリーは、腕のいい殺し屋だ。ボスのスタンを敬い、
母親と歳の離れた弟を大事にしている律儀な中年男でもある。指示に従いストリップ
バーを襲ったチャーリーはブリーフケースを奪ったが、殺した中にFBI捜査官が混
じっていたのに気づく。裏があると感じ、彼はケースに入っていた帳簿を隠す。翌日、
スタンの店が襲われ、チャーリーの仲間が殺された。しかもスタンの行方がわからな
い。ベガーの仕業か。FBIも帳簿の行方を追っている。このまま街から姿を消すの
が最善の策とは知りつつ、チャーリーはスタンを見捨てられらない。
 殺し屋が主人公のハードボイルド。冒頭からトランクに入った首のない死体が出て
くる。その後も、物語が進むにつれて死体の数が増えていく。仲間のための復讐とボ
スの救出をめざし、ひとり組織に立ち向かう男というプロットなのだが、後半ちょっ
と皮肉なひとひねりが用意されている。

 主人公の殺し屋が腕はいいのに、人情味溢れる男で、そのギャップがいい。恋人も、
なかなか現実的で、いきいきと行動しチャーミング、剥製製作が職業というのも目新
しい。乾いたユーモアが随所に散りばめられ、陰惨な印象が残らず、読後感は悪くな
い。作者は大学で創作を教えているとあり、抑制のきいた文章に好感が持てる作品だ。
                               (小佐田愛子)
----------------------------------------------------------------------------
"THE JASMINE TRADE" by Denise Hamilton
Scribner/2001/ISBN: 074321269X

《移民の若者たちが見た、アメリカの夢と現実》

 ショッピング・モールの駐車場で、17歳の少女マリーナ・ルーが射殺される。彼女
は香港からの移民で、結婚を控えていた。ロサンゼルス・タイムズの記者イヴ・ダイ
アモンドは、この事件が読者の関心をひくと考え、マリーナや事件についての取材を
はじめる。そして取材中に偶然マリーナの日記を手に入れる。そこにはマリーナが婚
約者の行動に疑問を感じて悩み、尾行までしていたことが書かれてあった。また別の
取材で知った中国系マフィアによる大規模な売春組織と、マリーナの事件が繋がって
いるのではないかと思わせる証言も出てくる。マリーナは本当に無差別な犯罪の被害
者だったのだろうか。真実を求めて、イヴは突き進んでいく。

 ストーリーは斬新とはいえないが、事件の関係者やイヴが取材をする人たちのほと
んどがアジア系であるのと、アジア系移民の若者たちが抱える問題などをリアルに描
いているのが新鮮だ。またマリーナの事件の他にも色々と取材に出かけるイヴだが、
それが少しずつマリーナの事件と絡んでくるのも主人公の職業が新聞記者ならではの
展開といえる。イヴの過去や私生活が語られ、ちょっとしたロマンスもあり、最後に
緊張感のある場面も用意されて、充分読み応えがある。最優秀賞受賞も充分ありえる
優れたエンタテインメント作品だ。
 作者のデニス・ハミルトンは、元ロサンゼルス・タイムズの記者で現在はフリーの
ジャーナリストとして活動している。作品になりそうなネタのストックは充分あるそ
うなので、しばらくはイヴの活躍が期待できそうだ。
                              (かげやまみほ)

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 ■翻訳家インタビュー ―― 大嶌双恵さん

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 今月は地方在住というハンデをのりこえ、順調に訳書を出されている大嶌双恵さん
にお話をうかがいます。
+―――――――――――――――――――――――――――――――――+
|《大嶌双恵(おおしま ふたえ)さん》1960年北海道生まれ。京都女子短期大学
|英語科卒。2001年に『死ぬには、もってこいの日。』(ジム・ハリスン/柏艪
|舎)で翻訳家としてデビュー。今年2月には2冊目の訳書『殺人者は蜜蜂をおく
|る』(ジュリー・パーソンズ/扶桑社ミステリー)が出版された。北海道在住。
+―――――――――――――――――――――――――――――――――+
――はじめての訳書が出るまでの経緯をお聞かせください。
「もともと英語に携わる仕事がしたかったのに、それを果たせぬまま家庭に入ってし
まったものですから、ずっと心残りだったんです。あるときなにげなく始めた翻訳の
通信講座が思った以上に楽しくてのめりこみました。しまいには勉強の合間に子育て
をするという感じになっていました。4年ほど前、地元の北海道にできた翻訳学校に
入り、講師である翻訳家の方から下訳の仕事をいただくようになると、ますます翻訳
が楽しくなってきました。このままずっと下訳者でもいいと思ってたんですよ。ミス
テリ、生物兵器のノンフィクション、ギャングの自伝など、5作ほどやらせていただ
いたのち、ジム・ハリスンの『死ぬには、もってこいの日。』でデビューしました」

――これまで2冊を訳されていますが、訳す上でご苦労された点などありますか?
「ジム・ハリスンの文は硬質で含蓄があり、訳すのに普段の3倍は時間がかかったと
思います。あまりくだけすぎると、原文の味わいを損ねてしまう。でも硬すぎては、
読みづらい文章になってしまって……。そのへんのバランスがいちばん苦慮したとこ
ろです。『殺人者は蜜蜂をおくる』のジュリー・パーソンズの場合は、下訳者として
すでに一度出会っていましたから、アイルランドという舞台には違和感なく入ってい
けました。訳すにあたっては虫の生態をずいぶん調べました。ショウジョウバエの研
究家という方にメールでお尋ねしたこともあります」

――地方在住ということでいろいろとハンデもおありだったと思いますが?
「勉強を始めたばかりのころは、今のようにインターネットなども一般的ではなく、
翻訳家になるなんて無理だと思っていました。東京の翻訳学校のサマーセミナーで、
講師の先生に『地方ではむずかしい』と言われたこともあります。一生、趣味でもい
いやと思いましたね。いまは、出版社とのやりとりも原稿の納品も、メールでできる
ようになり、地方在住のハンデはだいぶなくなったと思います」

――お好きなミステリ作家は?
「ジェイムズ・エルロイです。血なまぐさくて残酷で、どうしようもなく暗い世界で
すが、登場人物がしっかりと描かれているところに惹かれるのかもしれません。純文
学に近い読後感を覚えたこともあります」

――これからのご予定をおきかせください。
「5月に柏艪舎からジム・ハリスンの『蛍に、照らされた女。』が出る予定です。中
年男女のさまざまな形の恋愛を描いた3作の中篇集です。湖に沈むインディアンの酋
長の遺体を引きあげたことから人生の道筋がずれてしまった40代の男の話。若き日に
反戦運動に夢中になった4人の中年男女が、投獄されているかつての仲間を救うため
に、20年ぶりに再会する話。離婚を決意し、ドライブの途中に夫の車から逃げ出した
50代の女性のモノローグ。どれも味わい深い作品です。順番が前後しますが、4月下
旬には、理論社からアン・ブラッシェアーズという新人作家の『トラベリング・パン
ツ』が出ます。ヤングアダルト向けの小説で、不思議なジーンズが起こす奇跡の物語
です。こちらはうって変わって、若い少女たちの可愛らしいラブストーリーです」

――大嶌さんにとって翻訳の魅力とはなんですか?
「原著者の創り出したテキストを、一度自分の中に取り込んでオリジナルな日本語に
する。責任重大なことでもありますが、これが魅力だと思います。ぴたりとはまる日
本語がひらめいたときの快感がたまりません。英語への興味から入った翻訳の世界で
すが、いまは日本語のリズム、言葉の響きにこだわるのがすごく楽しいんです」
                         (取材・構成 山本さやか)

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 ■注目の邦訳新刊レビュー ――『雪の死神』

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
『雪の死神』 "LA MORT DES NEIGES"
 ブリジット・オベール/香川由利子訳
 ハヤカワ・ミステリ文庫/2002.02.15発行 840円(税別)
 ISBN: 4151708073

《連続猟奇殺人鬼の正体は? 車椅子探偵エリーズが挑む》

 エリーズ・アンドリオリ、38歳。全身麻痺の美女。爆弾テロに遭った彼女は一瞬に
して全身の機能を失った。目も見えず、口もきけない。他人とのコミュニケーション
の手段は、唯一残った耳と、かろうじて動かせる左手での「筆談」だけだ。
 ある日、エリーズはヴォールと名のる男から偏執愛めいた不気味な手紙を受け取っ
た。ほどなく雪山のスキー場に出かけた彼女は、何者かにステーキ肉をプレゼントさ
れる。折しも、麓の町では若い美人が襲われる猟奇殺人が起きていた……。

『マーチ博士の4人の息子』で世間を驚嘆させたオベールの傑作『森の死神』の続編
だ。前作のサイコサスペンス調の本格推理にホラー色が加味された。人里離れた雪山
の障害者施設を舞台にくりひろげられる猟奇殺人劇。強烈なオベール色が漂う。
 全身麻痺で車椅子の主人公エリーズは、今回は異常ストーカーの連続殺人鬼に脅か
される。被害者の死体の一部をプレゼントされ、ダーツの標的にされ、身体に触れら
れても、文字どおり手も足も出ない。状況は前作よりさらに過酷だ。なにもそこまで
しなくても、とつい同情もしたくなる。しかし、満身創痍になりながらも頭脳を駆使
し、犯人に果敢に立ち向かってゆくエリーズの姿は、まさに「ミステリ史上もっとも
非力で最強にしぶといヒロイン」(あとがきより)にふさわしい。殺人鬼の正体をめ
ぐっての犯人との頭脳ゲーム、そしてホラーアクション映画さながらのシーンは単な
る安楽椅子探偵ものにはない迫力だ。読み応え十分。
 さらに、エリーズの“耳”がとらえた音と会話だけで進んでゆく、一人称の語り口
も堪能したい。他の作品にも共通していえるが、ストーリーテラーとしてのオベール
の才能は見事だ。作者の掌で踊らされつつ、いつしか作品の魅力にハメられてしまう。
本書ではなんと、オベール自身が事件の鍵を握る人物として登場するという仕掛けも
こらされている。楽しみだ。
 さて、真相だが、凄い。仰天である。これをどう読むかで本書の感想は大きく分か
れるだろう。いかにもオベールらしいこのラスト、あなたならどう評価します?
                               (山田亜樹子)

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 ■ミステリ雑学 ―― スパイになった大リーガー

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 自分の天職がなんであるかはわからなかったが、いまだに天職につきそこねたよう
な感じにとらわれていた。
   (『ストライク・スリーで殺される』
       リチャード・ローゼン/永井淳訳/ハヤカワ・ミステリ文庫 p.49)
----------------------------------------------------------------------------
 4月は野球ファンにとって、心躍る季節である。日米でプロ野球が開幕し、ひいき
の選手やチームの活躍に思うぞんぶん期待を込められるからだ。今月は球春到来にち
なみ、かつて大リーグにいたひとりのミステリアスな選手を取りあげよう。
『ストライク・スリーで殺される』は、架空の大リーグ・チームで起きた殺人事件の
犯人を、被害者と親しかったチームの主軸打者ハーヴェイが追うというストーリー。
ハーヴェイは米国史の研究書を読むのが趣味という学究肌で、チームメイトから「教
授」というあだ名で呼ばれる。このハーヴェイ以上に「教授」そのものという選手が、
実在の大リーグ選手、モリス(モー)・バーグ(Morris Berg)だ。
 1902年生まれのバーグはプリンストン大学で言語学を専攻し、フランス語やドイツ
語からサンスクリット語まで、十数か国語に通じるという言語の達人だった。大学で
野球チームに所属していたことから、1923年に卒業するとブルックリン・ドジャース
に捕手として入団、その後はレッドソックスなど数チームを渡り歩いた。野球選手に
は不似合いなほどの広範な知識は、しばしばスポーツ記者の話のたねになった。
 引退したバーグは1942年に、アメリカが中南米諸国の動向を探るために設立したO
IAA(アメリカ大陸諸国間事務所)で働き、翌年には大統領直属の情報機関で後年
CIAに改組されるOSS(Office of Strategic Services、戦略事務局。戦略情報
局とも)に移る。ドイツの核兵器研究の進捗状況を探るのがおもな任務で、イタリア、
スイス、ドイツなどに潜伏し、著名な科学者の身辺を観察したり、親しく言葉をかわ
したりした。1944年末にはドイツの物理学者ハイゼンベルクの講演会に聴講者として
出席し、講演終了後に肩を並べて歩きながら質問をして探りを入れた。このとき、ド
イツの核爆弾開発が完成に近づいているという証拠が得られたなら、すぐにハイゼン
ベルクを殺すように命じられていたというが、その命令を実行することはなかった。
 言語学者で、野球選手で、スパイ。この3つの役割を次々にこなしていったバーグ
は不思議な人物である。終生独身で、人当たりはよいが他人と深い関係を築くことが
なく、ひとりで行動することを好んだという性格はいかにもスパイ向きだ。一方で選
手時代は、試合前に大学や図書館へ足を運んで熱心に本を読み、OSSを引退した後
は野球場で観戦する姿がたびたび見られたという。3分野のいずれでも表立った成果
を残すことはなかったが、言語と野球への情熱はいつも衰えなかったらしい。
 バーグは戦前に日本を2度訪れており、1934年には日米野球に出場する米国代表チ
ームの一員として、ベーブ・ルースらとともに来日した。日本を大いに気に入ったバ
ーグは、帰国後も日本の思い出をよく語っていたという。バーグの遺品のうち日本に
ゆかりのあるものは、現在、東京ドーム内にある野球体育博物館におさめられている。
また、ニューヨーク・タイムズ紙に掲載されたバーグの死亡記事を、Web上で読むこ
とができる。(http://thedeadballera.crosswinds.net/Obits/BergMoesObit.html)
                                (影谷 陽)

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■スタンダードな1冊 ―― アメリカの良心、ここにあり

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
『警察署長』(上・下)(スチュアート・ウッズ/真野明裕訳/ハヤカワNV文庫)
 "CHIEFS" by Stuart C. Woods

 ディープ・サウス、ジョージア州の町デラノ。南北戦争が終わってもまだ黒人差別
が根強く残るこの町に、第1次世界大戦後の1919年警察署長が置かれることになった。
農民出身のウィル・ヘンリー・リーは、地元の厚い信任を受け、助手なしで任務をこ
なすことに。しかしその就任に際し、リーはある人物の恨みを買っていた。
 1920年のある朝、新聞配達の少年が若い男性の変死体を見つける。検屍結果は警察
関係者が犯人である可能性を示していた。リーはひとりの人物に思い当たり、近隣で
消息が途絶えた行方不明者は彼に殺されたとの仮定のもとで捜査をする。1927年、新
たな手がかりをつかんだリーは、夢中でそれを郡保安官に知らせようとしていた。そ
のときリーは思わぬトラブルに巻き込まれ、捜査は戦後まで中断される。戦後、行方
不明者の捜査は署長サニー・バッツに、1960年代には署長タッカー・ワッツに引き継
がれる。

 1982年にMWA賞最優秀処女長篇賞を受賞したこの作品には、昔から変わらぬアメ
リカの良心が見える。わたしはハリウッド的二元論が苦手なひとりだが、それとは対
照的な筆致で、善良な人々が身の危険や保身のために苦悩しながら前進してゆくさま
が、見事に描かれている。善人=パーフェクトな人間でないのが人間くさくて良い。
南部では隣人と何世代も共存するため、隣人を告発する難しさもよく伝わってくる。
 また、警察署長が3人替わっても犯人を挙げられない難事件というプロットも非常
にユニークだ。しかし、アメリカでの行方不明者が2000年の届け出ベースで876,213
人(FBI調べ)、1982年からの増加比は468%だということを考えると、現在では
ありえない話ではないのかもしれない。
 事件のスケールの大きさに加え、ドラマチックなアメリカの政治や歴史も体感でき
るという点で読み応えがある。南部に公民権運動が到来する60年代には特に臨場感が
あり、先月号の「ミステリ雑学」も読むと背景がよく分かる。歴史が転換点を迎える
とき事件の行方はどうなるのか。

 著者のウッズはジョージア州出身、カーター大統領の選挙運動に関わり、1300マイ
ルの大西洋横断航海をした経験を持つ。リー署長の孫ウィルが活躍する作品には『風
に乗って』、『潜行』、"THE RUN"、『草の根』などがある。
 なお、『警察署長』はドラマ化され、1985年にNHKでも放送された。チャールト
ン・ヘストンなどが出演。ビデオも発売されている。
                                (大越博子)

―――――――――――――――――――――――――――――――――
■編集後記■
 日中の暖かい日差しに、ついうとうとしてしまいますが、眠気を吹き飛ばすような
おもしろい本に出会ったときの喜びは格別。来月号は、そんな作品を世に送り出して
くれる作家のひとり、当倶楽部でも人気のハーラン・コーベンを特集します。(片)


*****************************************************************
 海外ミステリ通信 第8号 2002年4月号
 発 行:フーダニット翻訳倶楽部
 発行人:うさぎ堂 (フーダニット翻訳倶楽部 会長)
 編集人:片山奈緒美
 企 画:板村英樹、宇野百合枝、大越博子、影谷 陽、かげやまみほ、
     小佐田愛子、中西和美、松本依子、水島和美、三角和代、
     山田亜樹子、山本さやか
 協 力:@nifty 文芸翻訳フォーラム
     小野仙内
 本メルマガへのご意見・ご感想 : whodmag@office-ono.com
 フーダニット翻訳倶楽部の連絡先: whodunit@mba.nifty.ne.jp
 http://www.nifty.ne.jp/forum/flitrans/whodunit/index.htm
 配信申し込み・解除/バックナンバー:
 http://www.nifty.ne.jp/forum/flitrans/whodunit/magazine/index.htm

 ■無断複製・転載を固く禁じます。(C) 2002 Whodunit Honyaku-Club
*****************************************************************


PR
フリーエリア
ブログ内検索
バーコード
アクセス解析
カウンター
忍者アナライズ
忍者ブログ [PR]